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残り火のぬくもり

中国旅遊と映画・TVドラマと雑感
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覚書 中国映画史 作品紹介36 1947年度 史東山 八千里路雲和月 白楊 高正 黄晨 史林 陶金

2010年01月13日 11時48分16秒 | Weblog
覚書 中国映画史 作品紹介36 1947年度 名作相継ぎ製作 史東山 八千里路雲和月 白楊 高正 黄晨 史林 陶金
中国

一九四七
 
6月 アメリカ八大映画会社、中国上海における配給支配を強行し、中国映画商を圧迫する。
長春電影制片廠、金山監督、抗日映画「松花江上(松花江のほとり)」を撮る。
10月 蔡楚生、鄭君里脚本・監督「一江春水向東流(春の河、東へ流る)」(聯華影芸社、崑崙)、空前のヒット。以後、崑崙は「萬家燈火(家々の灯)」「希望在人間(希望は人間に在り)」「烏鴉与麻雀(からすとすずめ)」などの優れた映画を制作。

主な作品

八千里路雲和月 (1947) 中国 (紹介予定)
一江春水向東流上集 (1947) Spring River Flows East, Part I 中国 (紹介予定)youku
一江春水向東流下集 (1947) Spring River Flows East, Part II 中国 (紹介予定)
太太萬歲 (1947) Long Live the Wife 中国 (紹介予定)
夜店 (1947) Night Inn 中国(紹介予定)
松花江上 (1947) Along the Sungari River 中国(紹介予定)
遙遠的愛 (1947) 中国 (紹介予定)        
母与子(1947) 中国 (紹介予定)
天堂春夢 (1947) 中国 監督・湯曉丹
乘龍快婿 (1947) 中国 監督・張駿祥 出演・ 白楊 張雁 金焰 周峰 路珊 林榛 周伯 戴耘 顧夢鶴 方伯
幸福狂想曲 (1947) 中国 監督・陳鯉庭 出演・趙丹 張毅 黃宗英 谷峰 顧而已
春殘夢断(1947) 中国 監督・馬徐維邦 出演・李麗華 劉瓊
憶江南 (1947) 香港 監督・応衛雲 吳天 脚本・田漢 出演・馮 周峰 周璇

日本

1947
  
3・日本映画連合会発足。
3・新東宝創立、長谷川一夫らが参加
丸ノ内スバル座、日本最初のロードショー劇場として開場。
新東宝創立、東横映画、製作開始。
10・映画界より公職追放該当者31名指定される。

主な作品

2・象を喰った連中。
3・四つの恋の物語。
4・今ひとたびの。
5・長屋紳士録。
6・素晴らしき日曜 
7・戦争と平和。
8・女優須磨子の恋。銀嶺の果て。

八千里路云和月 (1947) (Eight Thousand Li of Cloud and Moon)

監督、脚本:史東山
主 演:白楊 周峰 高正 呉茵 黄晨
時間:117分


八千里路雲和月 (1947)  故事梗概

 “8・13”後、江西から上海の叔母の家にやって来ていた女子大生の江玲玉(白楊)は、家族の反対を押し切って、上海影劇界組織の救亡演劇隊の第3陣に参加する。この隊は、演劇活動を通して、上海から重慶へと抗日戦を呼びかけている。演劇隊の共同生活を続ける中で、江玲玉と音楽家の高礼彬(陶金)の間に愛情が生まれた。
 前半は、戦争が激化する中、民衆も演劇隊員も戦禍に巻き込まれて苦難の生活を強いられる。ある戦闘では、志半ばで不幸にも命を落とす同志もでた。演劇隊はやっと重慶に着いたが、礼彬や多くの仲間は病に冒され病床に伏すようになっていた。
玲玉の従兄周家栄(高正)も重慶にやってきていた。彼は、抗日戦には参加せず、戦乱の世の中を巧みに泳いで財をなしていた。彼は今尚玲玉に関心があり、言い寄るが拒絶された。
抗戦八年、ついに抗日戦争に勝利した。それを機に玲玉はついに礼彬と結婚した。彼らは江西に来て、玲玉の父が凶作時に死んでまったことを知る。
後半は、舞台を上海に移す。
玲玉と礼彬はまた上海に帰ってきて、玲玉の叔母の豪華な家に一時身を寄せた。従兄周家栄は貧しい人々の家産を強奪して、財を増やしていた。玲玉と礼彬は血にまみれた叔母の家を出て、古い友人の夏光原(石羽)の援助を受け、頭が使えるような粗末な屋根裏部屋に引っ越した。
まもなく、礼彬は小学校の教員になり、玲玉も記者になった。玲玉は従兄周家栄の強欲な金儲けの手段を糾弾すべく、新聞で叩いた。
この時、礼彬は肺病にかかり、玲玉も妊娠した。玲玉が従兄周家栄を詰問する。
「明挑暗詐 搶奪人家的産業
 許多人抗戦八年的苦是白吃的了
 千百万人民的性命是冤枉血」
戦争にも参加せず、陰謀術数をこらして人々の家産を強奪する。
そのかげでは、幾多の人民が抗戦八年の苦難を嘗めてきたがそれも無駄だった。
千百万人民の生命は無駄な血を流してきた。
 
彼の罪悪の経緯を暴露する新聞記事をまとめあげたある雨の夜、家路を急いでいる途中、酔漢に絡まれ、仕切なしに行き交う自動車にもみくちゃにされて、意識を失い路上に倒れてしまった。
 帰りの遅い玲玉を心配した礼彬と演劇隊の仲間は八方手を尽くして、やっと入院している病院を見つけた。しかし、玲玉はすでに早産していた。彼女は虚弱していて、医者は長期の休養が必要だと告げた。玲玉は病室に運ばれる。
 早産の赤ん坊の養育をこれからどうしたらよいのか?
 「这位文化戦士在这様的社会環境中
前途是死是活
請位賢明的観衆自己去想
仮如她的前途是死的
那么請反省一下
我们是否都有責任
  ?   」
という字幕が出る。
最後は「?」という一字だけが画面中央に表示され、しばらくして、
エンドマークが出て映画は終わる。


覚書 戦時、戦後体験を共有した「八千里路雲和月」

「50年来日本帝国主義者対中国欺圧侮辱。
迫使中国発動了歴史上最偉大的“八一三”抗戦。
中国人民在这次抗戦中国経表現高度的愛国熱情。
这部影片所表演的僅是戯劇電影界。
一部公份同志的史蹟而已。」

という字幕からはじまる。

「八・一三」とは1937年(昭和12)8月13日の第二次上海事変をいう。ちなみに、第一次上海事変は「一・一八」(1932年 昭和7年1月18日)という。

江玲玉が救亡演劇隊へ参加しようと支度している部屋で、她は田漢作詞、聶耳作曲の「義勇軍行進曲」(1935年 「風雲児女」の主題歌)が流れるラジオを聞いている。

主人公たち、江玲玉、高礼彬は、戦時中は積極的に抗日戦争を戦ったが、戦後は生活苦に喘いでいる。一方、周家栄などの悪徳商人たちは戦時中も戦後も依然として激動の世をうまく立ち回って略奪的に大儲けをしている。映画は、この両極端な人々を対比することで、当時の社会情勢を浮き彫りしようとしているようだ。つまり、国民党統治の腐敗、国民党統治社会の暗黒面をも描き出したのだ。映画は、そういう社会情勢下、江玲玉、高礼彬のなどの中国青年知識人と民衆を通して、国を愛する情熱と献身的精神を高らかに歌いあげたのである。
映画は、深く社会生活の現実を暴き出したため、国内外を沸き立たせて、広範な大衆から歓迎されたという。また、この映画は、“戦後中国映画芸術のための礎石を築き、1つの水準に到達した。”“戦前映画のよき伝統を受け継いで、その上に中国映画芸術のさらなる前進を記した。”と、評価されている。
 「国内外を沸き立たせて」という具体例は、「中国映画史」の以下の文にみえる。
「この映画が上映されると、国内はむろん海外においても大きな反響を呼び、絶賛を浴びた。当時シンガポールにあって新聞の仕事をしていた夏衍は、この映画の制作者たちに公開の手紙を送った。
『抗日八年の疲れもいやさずに、諸君は暗雲たれこめる戦後の映画界においてまたもや十字架を背負う……。戦いつづけて疲労した諸君が、さら仁困難な一戦にたち向かう姿には、情において忍びないものがあるいっぽう、誇りと愉快を感じる。″ただ成功のみ、失敗は許されぬ”これが「聯華」再建の誓いであった。第一線の戦果はいかん? 全面的勝利である!』」

要するに、戦後中国映画界にあって、「八千里路雲和月」は芸術面でも興行面でも成功を収めた作品であった。

しかし、それから60年以上たって、異国人が見てみると、なぜ、「広範な大衆から歓迎された」のか、「戦前映画のよき伝統を受け継いで、その上に中国映画芸術のさらなる前進を記した」と、どうしていえるのか、よく理解できない。
監督・史東山がよいのだろうか。そつはないが巧いとは思えない。
白楊、陶金、高正などの俳優陣にもとりたてて魅力は感じない。
内容はと言うと、それほど面白いものではない。演劇活動も、上海から重慶の道中も、解放された上海での生活も、どれ一つとっても劇的盛り上がりはない。
抗日戦に参加し、銃を手に日本兵と実戦する人々が描かれるのでもない。抗日戦の犠牲者を直接描くのでもない。映画は淡淡とすすんでいく。
ではなぜ人々に歓迎されたのであろうか。
それはおそらく、当時の観衆はこの映画が描いた戦時、戦後情況に、自分の生々しい体験を重ねて見ていたためではないのだろうか。戦禍の中を逃げ惑う人々、その場面はニュースフィルムを借用して挿入していたのだろう、実にリアルで生々しい。手荷物からがら逃げる人々の中に、あるいは自分の知人を見つけた観衆もいたかも知れない。映画制作者と観衆の戦時、戦後体験の共有がこの映画が広く受け入れられた理由であったのかも知れない。
さらに、抗戦勝利わずか2年後という時期、2時間近い大作を撮ろうとした製作意欲は賞賛されねばならないだろう。



 監督 史東山 俳優 白楊 高正 黄晨 史林 陶金

監督 史東山

原名史匡韶、浙江杭州生。若い頃電報局の交換手であったが、後上海の影絵芝居会社に入って美術スタッフとなる。
1925年、彼のシナリオ《楊花恨》(1925)は会社に認められ、映画監督をも担当することになった。彼の初期の映画は多くは厳しい社会の現実から遊離して、大衆の思想や感情とは遠く離れていた。
1927年前後、北伐革命の影響を受けて、《王氏四侠》、《銀漢双星》などを撮った。
1933年、中国文化協会に参加して、執行委員となる。芸術の上でも明らかな転換を示した。田漢と協力で《青年進行曲》を撮影。
"7・7"事変後、反日映画《保衞我们的土地》(1938)、《好丈夫》等の映画を撮った。

彼の最も有名な映画は《八千里路雲和月》と《新児女英雄伝》(1951)で、後者は1951年の第6回卡羅維・発利国際映画祭で特別栄誉映画監督賞を得た。

  白楊 「四大名旦之一」「22大影星之一」

原名楊成芳,湖南湘陰の人,北京生。
1931年、聯華公司に入り,處女作《故宮新怨》に出る。
1936年、《十字街頭》で名があがり、抗戰期間中は上海影人に隨い、內地で話劇に出,「四大名旦之一」と賞賛された。
其後、《中華兒女》、《八千里路雲和月》、《還鄉日記》、《乘龍快婿》等の映画に出演。
1947年、《一江春水向東流》、1957年、《祝福》に主演し、彼女の演技は頂点をきわめた。
白楊の演技は質樸、優美、自然、含蓄で、東洋女性の神韻をおびていた。
60年代には「22大影星之一」に選ばれた。
中國電影家協會副主席をかってつとめたこともある。

1. 春滿人間 (1959)......方群
2. 祝福 (1956)......祥林嫂
5. 一江春水向東流 (1947)......素芬
8. 乘龍快婿 (1947)
9. 八千里路雲和月 (1947)
10. 長空萬里 (1940)......白嵐
11. 十字街頭 (1937)......楊芝瑛




高正 俳優兼監督

1947年,映画界に入り、有名な《一江春水向東流》と《八千里路雲和月》に出た。
1948年,《萬家燈火》にでる。
50年代,《武訓伝》、《人民的巨掌》、《偉大的起点》、《鴉片戰爭》、《林則徐》、《聶耳》等,20作品ほどの映画に出た。
1960年からは監督もつとめ、《激流》、《秦娘美》などの助監督をした。
1978年,《平鷹墳》、1984年,《桔園情》を監督。

1. 万家燈火 (1948)
2. 八千里路雲和月 (1947)
3. 一江春水向東流 (1947)

黄晨  女優原籍江蘇蘇州。1931年上海啟秀女子中学を卒業。初期は話劇で活躍していたが、1947年、上海の昆侖映画製作会社の俳優になり、「八千里路雲和月」(美雲)、「関不住的春光」(王三小姐)「柳浪聞鶯」(茜)、「 希望在人間」(陳枷)、「三毛流浪記」(阿姨)、「武訓傳」(墜兒)などに出演した。


史林の代表作

1. 祝福 (1956)
3. 一江春水向東流 (1947)
5. 八千里路雲和月 (1947)

陶金の代表作

1. 宋景詩 (1955)......楊殿乙
2. 斬斷魔爪 (1954)
7. 海誓 (1948)
10. 一江春水向東流(1947)......趙忠良
12. 八千里路雲和月 (1947)
13. 日本間諜 (1943)
14. 黃埔江邊 (1936)


吳茵の代表作(新女性参照)

1. 落山風 (1990)
2. 男人的世界 (1987)
10. 宋景詩 (1955)......宋母
12. 我們夫婦之間 (1951)......秦豐
14. 武訓傳 (1950)
15. 烏鴉與麻雀 (1949)......肖太太
16. 三毛流浪記 (1949)
17. 希望在人間 (1949)
18. 萬家燈火 (1948)
19. 大團圓 (1948)
20. 遙遠的愛 (1947)......吳亞男
21. 一江春水向東流 (1947)......婆婆
23. 八千里路雲和月 (1947)
24. 塞上風雲 (1940)
27. 壓歲錢 (1937)
28. 小玲子 (1936)......何媽
30. 都市風光 (1935)
31. 新女性 (1934)

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