なれ合い、妥協無しの本音ブログ

右、左、自称保守のどの立場にも属さないで自由に書く。時事、歴史をイデオロギー発想ではなく発信、コメント不要

安倍元首相の国葬儀の是非と、銃殺の真犯人説

2022-08-20 13:27:50 | 考え方

【安倍晋三元首相の「国葬儀」(国葬)が、2022年9月27日に日本武道館で営まれることが閣議決定された。費用は全額国費でまかない、無宗教形式の葬儀となるそうだ。戦後になってからの国葬は、皇族を除くと吉田茂元首相だけだった。】出典:プレジデント 2022年9月2日号大前研一

皆さんは国葬儀に賛成であろうか、反対であろうか。当方は反対である。

閣議決定された国葬儀だが、最初に触れておきたいのは銃弾で倒れた後、多くの政治屋どもが言った言葉がある。

「民主主義への冒涜である」、「民主主義の危機」、「これは許されないテロリズムだ」の類。

どれも間違っている。民主主義への冒涜や危機というのは一体何なのか。少なくても山上徹也容疑者が実行犯であると仮定し、(容疑者であって犯人ではない。裁判で有罪が確定するまで容疑者でしかない)彼の供述が正しいとすれば、殺害の理由は単に私怨でしかない。

【世界平和統一家庭連合(旧統一教会)に関連し、「自分が安倍氏を襲えば家庭連合に非難が集まると思った。母親が(旧統一教会合)に入信し、多額の寄付をして生活が困窮した」「(家庭連合と安倍氏が)つながりがあると考えた】出典:ニッポン放送、ヤフーニュース

どこにも民主主義と関連する箇所が無い。大雑把な民主主義の定義をウィキペディアから引用する。その他のサイトを含め基本的に同じようなものなので代表事例として引用。

【民主主義(みんしゅしゅぎ、英: Democracy)または民主制(みんしゅせい)とは、人民が国または地域の権力を所有し、それを自ら行使する政治思想または政治体制のことである】出典:ウィキペディア

カルト団体の世界平和統一家庭連合(旧統一教会)に対する恨み、関係性に対する殺害は民主主義と一切関係がないことがわかる。

そして国民はいい加減に、比例代表制という民主主義を語ったゴミ議員排出制度を止めるよう声を上げるべきではないだろうか。海外から他人の悪口を言う下品な人、元アイドルでいい年になっても政治そのものをまったく理解していないとしか思えない意識の欠片が著しい連中が当選できる制度は、完全に間違っている。制度を悪用している政治屋どもがいる以上、止めるべきなのだ。

続いてテロリズムについて。こちらもウィキペディアから引用する。その他のサイトを含め基本的に同じようなものなので代表事例として引用。

【テロリズム(英語: terrorism)とは、政治的な目的を達成するために暴力および暴力による脅迫を用いることを言う。「テロ」と略される】出典:ウィキペディア

テロリズムとは政治的な思想信条による破壊行為なのだ。今のところ山上徹也容疑者の発言には一切それが無いので、テロリズムだテロリストだと大声を出した議員を政治屋と当方は呼ぶ。

マスコミもテロリストと多用したが、民主主義の危機だとか、テロリストだと使った政治屋、マスコミは一切信用してはいけない。どれも注目をひくための手段でしかない。

さて、国葬儀である。まずは皆さん、故安倍晋三が保守だったと思っているのだろうか。完全に違う。首相になったとたん、靖国神社参拝を止めた。何が英霊だ!立場によって行動を変えるのは英霊に対する冒とくである!

政治的発想が自らの思想信条を超えた瞬間だ。つまり本物の保守ではない。この瞬間から彼は落ちたのである。

そもそも自民党は保守ではない。ここを見落としているから全部の発想が違ってくるわけである。

安倍元首相の一連の政治行動を賛辞する人たちは、結局どこかで自分たちにメリットがあった連中であろう。なぜならどう考えても彼はマイナスの方が大きい。生前から疑惑だらけだったのも事実である。それらは数が多すぎて吐き気をもよおす。死人まで出ているのに逃げ切ることしか考えない連中だらけである。

そして安倍元首相の死後、山上容疑者の供述から、今までは隠し誤魔化されていたカルト団体と政治の癒着がどんどんと出てきて、大問題になっている。開き直る議員すらいる。

韓国人が主体のカルト団体であり多額の金が韓国に行き、邪教の典型である箱物に湯水のごとく金が使われている教団。その団体に対し挨拶やら何やらを行い、政治的な協力を求めていることそのものが国益に反しているではないか。野党にも多少いるが、特に自民党が悪の巣窟であり、実は韓国に対しても表と裏があったということで1%も保守ではない。

旧統一教会や公明党というこれまた邪教「創価学会」を母体とする政党と連立を組んで与党であり続ける自民党には、まったくもって保守の要素など無い。

岸田首相は、【世界各国がさまざまな形で弔意を示している。我が国としても弔意を国全体として示すことが適切だ。出典:毎日新聞】と発言しているが、おバカの類であろう。

そんなもの、まったく国葬儀の理由にならない。外に理由をこじつけるのは恥ずかしいことでしかない。

ところが費用で考えたら、世界の重要人物が来るのだからメリットあるんじゃね?と言っている話題のひろゆき氏。金銭の多寡で考えることそのものが歪んでいるのは、少なくても葬儀といっているからである。

それだけの金、個別に税金を使うより数億円の葬儀費用で済んだら安いものだということで、彼ほど元総理の死を軽んじる話もあるまい。当方は安倍元首相に批判の立場できているが、それと人の死を軽んじることは全くもって別である。

また岸田首相こうも言っている。

【8年8カ月という憲政史上最長の(首相在任)任期、民主主義の根幹たる選挙運動中の非業の死、これらは間違いなく他に例を見ないものだ。出典:毎日新聞】

任期が長いことは政治の功績と一切関係がない。利権を保持し、中身は無いがい続ける政治屋どもだらけなのが日本ではないか。

選挙期間中に殺されたからといって、それが民主主義の根幹を揺るがすものではない。政治的背景を持つテロリストが、例えば独裁政権樹立のために暗殺を企てたとすれば民主主義の根本を揺るがすといってもよいが、一議員の地方応援演説に過ぎないのだ。

何でも大げさにいえばよいというものではない。

安倍元首相とは、桜を見る会の明らかなる私物化では、「事実と異なる」答弁118回が有名である。

大阪府豊中市の国有地約8億円の値引きという森友学園問題では「私や妻が(売却に)関係していれば首相も国会議員も辞める」と発言したが、その後、決裁文書を財務省主導で改ざんする不正も判明。しかも近畿財務局職員だった赤木俊夫氏自ら命を絶っている。しかし知らんふりだったではないか。

人として心が痛まないわけであり、周囲がどうであれ直接的な証拠は見つかっていないだろうとばかりにい続けた。

首相としては最も数が多い外遊をしたのも彼である。世界各国に円借款や無償資金援助で金をばら撒いてきた。日本には貧困問題だけではなく、自殺率の高さ、過疎化等とにかく様々な問題が山積しているにも関わらず、どういう神経があれば海外に金をばら撒けるのか。

円借款は貸すのだから回収できるだろうという考えの人は甘い。世界の常識とは借りたもの勝ちなのである。最後は開き直って反撃すればいいだけだ。しかし少なくても借りる段階、無償援助の段階で、それが現在進行形の間は、安倍元首相は海外での評価が高くなって当たり前だろう。

世界的に有名な首相とは、世界的に愚かなまでに金をバラまいたと考えるのが世界の本質的な見方である。皆、口ではそれらしいことをいうが世界政治とはそんなぬるま湯ではない。

アベノミクスという結果として一部の株主だけのための経済政策は日本をまったく改善させなかった。日本停滞の30年はもうすぐ40年になる。

北方領土問題、年金問題、北朝鮮拉致問題は途中で投げ出したとしか言いようがない。

どこをどう見ても国葬儀の理由にはならないのである。

アンケートというのは恣意的に数字をいじっているので基本的に信用してはいけないが、それでも大雑把な目安としては、国民の半数以上が国葬儀に反対しているようである。その数字をなぜ無視して突っ走る、岸田総理?

また、安倍元首相の死はあまりに不自然である。なぜ政府はその問題を追及しないのか、不思議でならない。

【治療にあたった同大付属病院の福島英賢教授によると、安倍元首相の死因は、心臓と、胸部の大血管損傷による失血死だったという。前頸部に2カ所銃創があり、その傷の深さは心臓に達し、心室に穴が開いた状態だった。心臓の傷自体は大きなものがあった】出典:週刊朝日オンライン限定記事

【さらに、福島教授は「左肩の前部に射出口のようなものがあったそこから1発の弾丸が体外に出たのではないか」と話した。一方で、もう1発の弾丸については、「手術中に体内では見つかっていない」とした】出典:週刊朝日オンライン限定記事

となっている。見つかっていないという弾丸。しかしそのようなことで「そうですか」で終わってよい簡単な話ではない。元首相の殺害という「間違いなく他に例を見ない」と岸田首相が本気でいっているのなら、なぜ消えた銃弾を徹底解明せよと厳命しないのだ。

今回は「盲管銃創」があり、その1発は体内に銃弾がとどまっている傷。しかしその弾丸1発が見つかっていないのなら大問題ではないか。体内にとどまっているはずなのに見つかっていないという発表。普通に考えれば「単に無くしてしまった」という解釈になるはずである。では、いつ、どこで、どうやってだ。

救命活動や運搬途中で消えたという説もあるようだが、それなら見つけ出せる範囲にかなり入っているはずだ。

元首相の殺害に関係する弾丸を無くす?そのような杜撰なことがなぜ、許されるのであろうか。

ところが奈良県警捜査本部は消えた銃弾について「捜査には支障がない」としている。この消えた弾丸については、自民党の青山繁晴氏が動画で公開しているが、その後も警察からは正式発表はない。

青山氏の動画ではこのようなやり取りが出てくる。青山氏が「(銃弾を)捨てたのか」と確認すると、警察庁側は「貫通していないが、銃弾はなかった」と返答したという。

会話が成立していないのが分かるが、大事な部分は、病院側は弾丸は無かったと言い、警察庁は貫通していないと言うのだから、つまりどこかで消えているのである。なぜ、ここを政治は追及しないのか。そこに何らかの隠ぺいがあるとしか思えないだろうに。

さらには警察発表では心臓に関して発言が無い。病院側は「心臓の傷自体は大きなものがあった」としているにも関わらず一切触れていないのである。

 

では、巷の真犯人説である。

現場近くの商業ビル「サンワシティ西大寺」の屋上に「スナイパー小屋があった」とする動画やツイートが拡散し、タレントも乗っかっている。動画をいくつか見てみたが、確かに白いテント小屋みたいなものが襲撃時にあり、その後無くなっているのはマスコミのヘリコプターからの映像で確認できる。

白いテントはスナイパーが使ったのではないかという説が出回ったわけだが、ユーチューブ動画をいくつか見て最初に感じたのはスナイパー説「おバカ?」である。元首相暗殺という重大案件で、目立つテントを設置するはずはなかろう。

動画掲載者は皆が興奮して、真犯人説を唱えているが、仮に真犯人がいるとしても堂々とテント設営はあるまい。

結局白いテントは、サンワシティ西大寺を管理・運営する不動産会社「三和住宅」の担当者によると、事件当時はビルの屋上で、排煙ダクトの清掃や点検などのオーバーホール作業が行われた際の作業用のものだったという。出典:BuzzFeed News

また、元首相の演説なのだから、どこから撮影されているのかも分からない状況で、ビルの屋上から狙撃ということは論理的に考えても無理がある。

しかし確かに弾道からすれば、山上容疑者の動画に残っている様子するから不自然な個所が多いのは事実である。例えば一瞬開いて閉じる安倍元総理の右のワイシャツの説明もつかない。

消えた弾丸を含め、様々な疑惑が残されているにも関わらず、まるで何か不都合でもあるのかと問いかけたくなるような国葬儀の無理強いと、徹底解明を指示しない岸田総理大臣。

そしてお茶を濁す警察という構造が、真犯人説を有力化する後押しにもなっていることだろう。

元総理大臣が銃殺された日本史に残る事件。不透明な部分を追及しようとしない政治でカルト教団との関係が芋づる式に出てきた。日本という国は、いつになったら膿を出すことが出来るのだろうか。

安倍元首相賛辞もその人の考えなので結構なことだが、批判があるのも事実。殺害当日から幾日かは多くを語るのは控えた。いかに疑惑のデパートであろうと、少なくても総理大臣まで務めた人が殺された事実は重いので、直後から非難、批判を繰り返すのは日本国民らしくない。

だが、時間が経過したら話は別である。この国の醜さを少しでも改善するためには、真相究明が必要である。

 

しかしこの国には過去に、刺殺された民主党の衆議院議員で故石井紘基(2002年〈平成14年〉10月25日)の例がある。旧統一教会、オウム真理教等のカルト問題だけではなく、何よりも大きいのは特別会計にメスを入れようとしていたのだが殺された。特別会計は日本の巨悪である。

菅直人は石井氏の資料をダンボールで民主党内に持ち帰り、報道陣の前で開封し、この資料を徹底的に調査すると約束したが嘘だった。後に総理大臣(平成22年6月)にまでなっているにも関わらず、問題の本質には一切触れずに今も逃げ続けている。

刺殺から3日後の2002年10月28日に予定されていた国会質問を前に、石井氏は「これで与党の連中がひっくり返る」と発言している。

刺殺の犯人は出頭した右翼団体の男であるが、後にテレビ番組に対し当時は、「でたらめを言わざるをえなかった」、「本当の事を言えば頼んだ人が誰かを言わなくてはいけなくなる」、「殺害を頼まれた」、「それを言えばその人の顔に泥を塗る事になる」としている。

石井氏の指は外部から切断されており、特にいつも持ち歩いていたカバンが現場から消えているにも関わらず、結局は単独犯の個人的トラブル程度で今に至っているのである。

彼のような、こういう本物の政治家はもう見かけない。田中角栄も本物の政治家だったが、明らかに不備があり冤罪であるロッキード事件で有罪となり、寂しい晩年となった。

昭和の当時は無かった嘱託証人尋問による司法取引は完全に違法(日本の司法取引は平成30年から)であり、重要証人であるコーチャンやクラッターに対して、弁護側の反対尋問請求を裁判所が却下していることからも、有罪ありきで手続きが問題だらけという冤罪でとしかいいようがない。

しかし国会議員とは本来、どのような圧力があろうとも大義のためにという、このような生き方が求められるのではないだろうか。

だからこそ、安倍元首相の国葬儀など、論外でしかない。憲法云々、内閣府設置法云々以前に、人として認めることが出来ないのである。

少なくても儀式ありきで突っ走る政権があり、新型コロナウイルス対策もいまだガタガタで長い間何をやっているのだとしか言いようがない愚かさ。

国民は選挙というものを正面から考えてばならないのである。


山上徹也容疑者とデスノート

2022-08-02 12:13:13 | 考え方

最初に書いておきたいのは、安倍元総理を狙撃した山上徹也容疑者の減刑運動があることである。

おバカ?

「本人が非常に真面目、努力家であり、更生の余地のある人間である事」引用YahooJapanニュース

山上徹也は容疑者なだけで、刑が確定しているのではない。裁判で有罪となってからであろうに。それまでは罪がないのだから減刑も何もあったものではない。

逮捕=犯人と断定して考える人がなぜかくも多いのか。世界的に同じような傾向があるのは事実だが裁判で有罪となってからである。

逮捕=犯人であれば、世の中には絶対に冤罪は無いと断言しているのと同じ。それだけ警察が正しいと信じる人々は基本的によほど頭が悪いか、マスコミに洗脳されている。

知人で警官を辞職した人がいるが、内部のあまりの腐敗やイジメ体質、そして署内の窃盗事件。それらに嫌気がさしたのが理由だと言っていた。

大きなところでは様々なところとの癒着、露骨な出世競争があり、警察はどこを向いているのか分からないと考えるべきである。

当方もいかに警察が信用できないかという経験がある。雪がある場所のトレッキングで林の中を歩いているとき、周囲にゴミが散乱した不審なテントを見つけ警察に通報。2人の警官がパトカーで近くまでは来たものの雪を歩く準備も無しで、結局まともな確認もせず立ち去った。

また、知人が明らかに証拠不十分の上に当人は犯行を認めていないにも関わらず、逮捕され、結局有罪。裁判官も有罪率が高いほど出世するといわれているが、まさにそれを証明する様に検察側に傾いていることを目の当たりにした。

さて、お馬鹿さんたちの減刑運動はどこから来ているのかだが、更生の余地もカモフラージュで、安倍元首相の悪しき面と、容疑者の生い立ちなどが理由となっていると推定している。

安倍元首相について功罪が色々と言われているが、個人的には悪しき面があまりに大きく多かったのは事実であると考えている。所詮、一人の政治屋に墜ちた人だったと考えている。細かなことは書かないが、日本を悪化させた一人だ。

今後は彼がやった悪を徹底的に暴いていくことこそ、日本の為である。

特定の人が長く政治をやってはいけない。絶対権力は絶対に腐敗するのだ。政治こそ定年制度として20年を最長とせよ。

20歳になったら誰でも立候補可能とし、供託金は排除。オフザケ立候補防止は学生時代からの政治教育と公的立場の人10人以上の推薦を必要とすればいい。既に政治をやっている人からの推薦はダメ。

また一般人を含めて60歳を超えたら一線から引退し、その後は影響力を駆使するな。そのように年配者が若者に道を譲るためにも年金制度の改悪は許されない。しかし中途半端で逃げ出したのが安倍元総理であることを忘れてはいけない。

容疑者の悲惨な生い立ちを知り、減刑を求める理由の一つとしている人たちも多い。実際に知人の中にもいる。しかしそれは完全に間違っている。悪しき環境で育ったことは不幸であり、とても残念なことだが、それを言ってしまえば世の中には相当数、ひどい環境で生きてきた人がいる。

その中から犯罪に手を染める人がいるのは当然のことだが、生い立ちやらをどこまで考慮するか。マスコミがこういっているからで判断するのは極めて危険である。マスコミを鵜呑みにして減刑をという人々がいかに愚かか知っておく必要がある。

当方は年齢、性別、生い立ちを問わず、罪は罪として皆同じく裁定するのが本来だと考えている。未成年だからということも存在せず、やった内容だけで裁くということだ。子供であろうが殺人は殺人で裁くということ。未成年には将来があるなど、どうでもよい。罪で裁けばいい。遺族のことを含め当然のことだと考える。

精神鑑定も不要。殺人を犯す人に精神的に正常な人など存在しない。おかしいから人殺しという重罪を犯すのであり無駄な時間をだらだらとかけず、さっさと一律裁けばいい。

もちろん、情状酌量というのは無ければいけないが大原則として、罪は罪で一律同じである。

なお、容疑者の生い立ちを考えて少しでもかばいたいというのは典型的な左翼発想。では先日死刑となった加藤智大はどうだ。彼も相当厳しい人生を生きてきたというではないか。なぜ減刑の大運動をしなかったのだ。

無差別大量殺人や元総理を銃殺するなど、社会に与える影響は大きいからこそ、だからこそルールはルールで考えねばならない。

安倍元首相は銃撃されてからドクターヘリで搬送されているが、同じような状況で一般人が撃たれたらどういう対応だったのか。近くの病院に運ばれてもっと早く死亡認定されていたことだろう。正直、すでに優遇されているようにも見えるので、もう国葬もいらない。

それよりもつじつまの合わない銃弾について正面から取り上げていくべきであろう。

ここから本題である。なぜデスノートとタイトルにつけたのか。デスノートについては多くの人が知っているであろうが、特定の人の名前を悪魔からもらったノートに書けば、書かれた相手は死亡するというものである。

社会的に問題がある人たちに対し、法の裁きではなく極刑に処すというのが漫画や映画の話である。

これは、ユーチューブでも似たような現象がある。アニメーションであるが法で裁けない悪人を残忍なリンチで殺すという動画が大人気なのだ。

また、ネットフィリックスのアメリカのドラマ「ブラックリスト」は、レイモンド・レディントンという極悪犯罪者がFBIと協力し他の悪人を裁いていく。時に商売敵を殺してしまうが彼は逮捕されない。

なぜこういうことになるのか。

つまり社会の不平等、法の不備を多くの人が感じているというのが一点。もう一つは昔の水戸黄門のイメージだが、悪は裁かれるべきである。特に日本人は白黒はっきりするのが好きな民族だ。世の中グレーこそ本質というのが分かっていない。

自分の頭で考えて答えを出す世界は、グレーなのである。単純化した図式で、考える必要が少ないことに飛びつきやすいのが日本人。テレビや新聞がいっているからと鵜呑みにするのもまったく同じ図式である。

ユーチューブ動画には世の中のいろいろな意見があるが、Qアノン信者と同じで違う意見を受け付けなくなるのも多くの人の傾向である。

また、いまだに左翼だ右翼だ保守だとこだわっている人たちも本質は全く同じである。ここをしっかりと認識しておく必要がある。結局は排他的なのだ。

世の中、内容が大きくなればなるほど陰謀でしかないのに、そこに「論」をつけた陰謀論なる言葉に騙されて簡単に無視するのも、それこそ操られているだけなのだ。

ところで水戸黄門のパターンが現代で少し変化しているのは、勧善懲悪ではなくなってきていることだ。水戸黄門は少なくても正義の側であるが、社会的に裁かれない連中が消えるための手段は善である必要も無いことだ。

現実問題として上級国民はいつも優遇されていて、ズルいと思っている国民が多いからこそ、どのような手段であっても消えてくれという図式が生まれたわけだ。

また、宗教観の崩壊もあろう。お天道様が見ているという感覚が無くなり、やったもの勝ち。陰に日向に真面目にという感覚も薄れていっていると感じるのは当方だけだろうか。道徳観や公共心がダメだからこそ簡単にゴミを捨て、あるいは気に入らなければ公衆でもキレて大騒ぎするのは年齢を問わない。

公僕の意味を完全消失し、政治、公務員、会社の上層部が腐敗するからこそ、多くの人が不満を持ち是正を求めるが、いったん権力を持った連中が直すはずは無い。無理である。既にあの人たちの考え方は理解不能状態と思った方がよい。

行政や企業でもSDGsなどといっているところは完全にアホの部類である。世界的な詐欺でしかないが流れに乗れと大騒ぎした。最近、少し静かになってきているが、もしかしてやってみたらこれはアカンとようやく判断出来てきたのかも知れない。

やる前に気が付くことこそ頭のいい証拠だが、大々的にやってみて失敗だったというのは経営判断として下である。下手をすればまだバッチを付けている連中もいるかも知れないが。

環境ついででグレタ・トゥーンベリという口の悪い操り人形もあまり見なくなってきたが、よい傾向である。そんなに大騒ぎするなら学校教室のエアコンを止めて、学校の送迎もやめて徒歩か自転車で生活しろ、ネット接続も止めて本を読めという指摘があるが、正論である。

話を戻し、上級国民の崩壊。それが象徴的に出てきたのが旧統一教会(明らかなカルト。日本はカルト認定が病的におかしいから政治と癒着できる)問題で自民党の福田達夫総務会長の発言。

「正直、僕自身が個人的に全く関係がないので、なんでこんな騒いでいるのか正直よく分からないというのはあります」引用YahooJapanニュース

自分が関わらないから分からないということを平気で言えるのは、どれだけ腐敗した精神構造かである。政治に関わる人がこれを言ったらアウト。発言の前に調べろ、何が起きているのか把握しろ。こういう愚か者を当選させているのは誰だ?

もう一人いる。岸田総理だ。

「社会的に問題になっている団体との関係については、政治家の立場からそれぞれ丁寧に説明をしていくことは大事だと思っています。それぞれ、様々な説明を行っているようですが、国民の皆さんの関心も高いわけですので、丁寧な説明を行っていくことは大事であると思います」引用YahooJapanニュース

一国の総理大臣であろうに。一人二人ではない国会議員の問題にそれぞれの立場からではダメだということさえ分からない。この人、安倍元総理の国葬で行動している気になっているのだろうか。

なんでこういう連中がいつまでも政治を続けられるだろうか。そういう党を選ぶ愚か者たち。

結婚をスタートと考えるかゴールと考えるか。人によっては違うがやっと結婚できたという場合はうまくいかなくなる可能性が高い。なぜならそこからがスタートであるからだ。

内閣総理大臣という頂点に立ちたいという政治屋は多いだろうが、そこがスタートであなたはどうしていくのかである。頂点に立ちたいというゴールとするから、愚かさが露呈してしまうのだ。

それでも政治屋でいられるのは、そういう連中を選んでいる人たちが問題なのだが、複雑に絡み合った利権構造はもう直らない。だから日本は衰退しかない。

それでも細々と生きなければいけないのが一般人である。しかし不満はたまる。だからデスノートであり、ブラックリストであり、そしてそれが行動に出れば山上容疑者擁護の減刑となる。

安倍という巨悪(当方はそう判断している)が彼により消されたのだから、こういう無敵の人が世の中を是正してくれるのだということ。それが本音に見えてしまうのだが・・・。

だが一貫性など無い。安倍憎しで生きてきたから他の囚人にまでは考えが及ばない。

無敵の人は、金もいらねば死刑も怖くない。

西郷南洲がいったのは、「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るものなり。この始末に困る人ならでは、艱難(かんなん)を共にして国家の大業は成し得られぬなり」である。

本来無敵の人は、無私の人であり、こういう人が政治家として、あるいは地方から国家公務員として公僕につかねばならないのだ。このような無私の人は過去にはいたが今は絶滅危惧種であろう。

今では無私の人は、無敵の人となり犯罪やり放題になってしまっている。

ところで死刑制度が抑止力にならないという人もいるが、それは制度の問題ではなく無敵の人には何があっても意味がないだけの話だ。一部の限られた人にしか該当しない。なぜ、このような幼稚なことが分からないのだろうか。

一般人は制度があれば抑制される。しかしそれでも殺人事件が無くならないのは、瞬間的にせよ精神的に崩壊するからである。

ところが日本はチマチマとしてルールが多すぎる。道路交通法など典型的な搾取の法律で、いかに警察が都合よく成績を上げられるかの構造でしかない。どんどんと追加され、そんなことはどうでもよいだろうに、ということまで対象。ノルマ制度の害悪と見えて仕方がない。

いずれにせよ、社会が歪みすぎているからデスノートの人気が出る。それが現実になり、怖いと思う反面、こういうことでもないと是正されないという人も多いのが、漫画やドラマが人気の理由であろう。

デスノートやブラックリストに頼らない世の中にしたければ、公僕が無私の人となり、真面目にやることだ。

しかし絶対権力は絶対に腐敗し、利権を温存するか拡大に走る。幕末の動乱を生きた西郷南洲でさえ、中央の権力構造にあきれ果て、征韓論も関係はするが結局は下野し、政府と交戦して戦死となる。

無私の人でも是正出来ないのが権力である。明治からそうであり、今の日本はさらに陰に隠れてやりたい放題となっているであろう。

誰が官僚にコントロールされるようなだらしない政治屋を選んだのだ。それは国民である。若い年代に自民党人気があるという傾向があるらしいが、学校教育に政治が無い幼稚さも影響しているであろう。

国民がデスノートやブラックリストを望むという構造から出るためには、きっちりとした法の執行、上級国民でも一般人と変わらず捜査する、悪は悪だと行動する立場がある人たちが増えれば増えるほど、世の中は良くなる。

票が欲しいためだけにいつもの主義主張を捨ててまで韓国の旧統一教会とズブズブしている連中は、全員、政治屋。最近では開き直って「それが何か?」という雰囲気まで出てきているが、それに対し一国の総理がカルト団体にも関わらず「それぞれが説明を」では救われない。

日本人は、自分たちで政治屋連中に投票しておいて、無敵の人が出てきたら賛辞を贈るのか?あるいは自民党政治憎しで無敵の人が出てきたら減刑というのか?

どこまでずれているのだろう日本国。このままではこの国は絶対に良くならないという答えしか出てこない。


注意しても、著作権侵害を止めない年配者たち

2022-07-23 10:11:48 | 考え方

当方はフェイスブックもやっているのですが、そこで新聞の切り抜きを撮影しアップする人たちを多数見かけます。今回の記事は実際に面識がある2人、60代男と70代女について、それぞれに「作成元の許可無き掲載は違法行為」と伝えました。もう一人は不法侵入です。まずは著作権侵害の2人について。

複製権侵害、ネットで公開すれば公衆送信権侵害。

実際、新聞社の編集委員の方にも口頭で直接確認しており、コメントはおおよそ以下の通り。

「自分自身の記事に限定して、その個所のみをネットに掲載するのは多めに見る範囲ですが、自分に直接関係ない新聞記事を撮影し、SNSで公開するのは権利の侵害になります」

まず1人は自然保護活動、郷土史研究で知られた60代男なのですが、数年前のこと。新聞記事の切り抜きを撮影し、掲載を頻発していたので「未許可であれば著作権に抵触しますが、許可を取っていますか?」とメッセージを送信したことがあります。それまでは時々やり取りをしていたのですが無視され、今も継続。なおその後、一切の連絡は来なくなりました。つまり都合が悪いか気分を損ねたということでしょう。

なぜ、このような簡単なことさえ守れないのでしょう。自然保護だとか立派なことをやっていても、このような小さなことさえ自らを正せないようでは結局偽者です。

数日前、同じように未許可であれば著作権侵害だと70代女にメッセージを送信しました。安倍を断固糾弾と何度も発信してる人で、前回記事にした人です。最近は夫人の素行は悪かったなど、もはや批判のための批判を繰り返しだしています。

政治的なコメントを主に新聞の切り抜きがある記事を他人から転載しているのですが、「転載、リツイートも同権利の侵害に当たることがあるので許可済みですか?」というメッセージを送信。しかし、結局無視され今も継続しています。何も言い返してこないとは、都合が悪いのです。

当方は知り合いだからと忖度はしません。間違いは間違いです。日本人的なくだらない、いや、知人だからと間違った思いやりなのか、知らぬ振りなのか知りませんが、そういうことだから日本は良くならないとしか思えません。

ましてやこの2人は日本を良くしたいというのです。

また、この女性つながりで、同じく70代女とも知り合いましたが、この人は不法侵入を繰り返したのです。理由は民家の敷地内に残されている文化財の確認ではありますが、当方が「該当宅に連絡してから入った方が良いです」と言っても、「田舎の人たちは気にしないから」と言うのです。

仕事なら「依頼元に連絡して各家庭に連絡してもらえばよい」とまで言いましたが結局やりませんでした。法に都会も田舎もありません。

全員ともに、他の人もやっているからということで気にもしないのでしょうが、その性根が間違っているということです。

2人の女性は明らかに左翼政党を支持している人ですが、普段はおかしいものはおかしいと言っています。それなら、まずは自らを正しなさいとしか思えません。

ところで左翼系の特徴ですが、現実味がないことでも理論的に表現して立派なことは並べるのですが、いざ自分のことになると徹底的に甘いという人たちを何度目にしてきたことか。自分に甘く、他人に厳しいです。

故安倍元首相には保守を名乗るもまったく保守ではない行動を含めて批判してきた当方でも、あのような最後となったのは残念でした。

しかしこの70代女は心配停止の時から徹底して批判しそれをフェイスブックで公開、絶対に許さないを繰り返していました。さすが左翼です。

少なくても数日くらい静かにしろよとしか感じませんでした。少ししたら、亡くなったことと何をしてきたかは別で、問題を闇に葬ってはいけないと行動するのは自由ですが、心肺停止時から許さないを繰り返す心境は理解できません。

60代、70代といい年をした人たち。やりたいこと、言いたいことはわかりますが、著作権の侵害を繰り返しながらでは偽善者に見えてしまうだけです。よくそれで子供たちの未来だとか地域のためにと言えるなと。

悪法も法は法と、毒杯を飲み干したのはギリシャの哲学者ソクラテスです。日本で昭和22年に食糧管理法に沿った配給食糧のみで闇米を拒否し続け結果、餓死してしまったのは裁判官の山口良忠です。

フェイスブックを使って2人が世の中のためにという自分たちなりの大義名分、自然保護や政治的メッセージを、自分たちが正義だといいながら発信しているのに自分たちの間違いは指摘されても直さない。およそSNSを利用するなら基本となる著作権を侵害し続ける神経が理解できません。

正義を主張するならソクラテスや山口良忠を見習うべきだと思います。


元首相が銃殺されるという大事件を通して、知人の品性を問う

2022-07-09 11:36:21 | 考え方

昨日7月8日(金)、安倍元首相が銃撃され、同日午後5時3分に亡くなったと報道された。

映像を見ると狙撃された直後に心臓マッサージをしており、考えるに実態はほぼ即死状態であったと見える。また、搬送にも時間がかかったことから、大量の輸血が遅れたのも希望が無かった理由であろう。

しかしマスコミの中には正式発表を待たず「死亡」したと報道し、謝罪するところがあれば、正当化するところがあるなど、いずれにせよ視聴率、スクープありきの下品さが改めて伝わってきたところである。

当方は今まで自民党と安倍元首相を厳しく批判してきた。日本という国は憲法改正はせず、自衛隊を軍隊にしない姿も情けないと思っている。

政治は結果であり、日本人がどんどんと落ちぶれていく様子を見ていると、当然そうなる政治を選んだ国民が悪いわけだが、だからと言って国のかじ取りを間違ってきたから世界と比較して落ちぶれて行ったのが現実である。

しかしである。元首相が銃撃され亡くなるとはあまりに痛ましいことであり、今のタイミングで小沢一郎のように自民に同情票が行くとか、驕りの結果というような声を発する気にはならない。

さて、フェイスブックで繋がりがある人たちも色々な反応をしている。一部は面識があり割と親しくしてきた人たちだが、あまりに残念な反応をしているので、その中から2人について触れたい。

1人はSPについて書いている。「一発目で、犯人を仕留めないとSPではない」、「某総理大臣のSPだった人が知り合いで彼らはすごい」など。

この人は前にも、大々的に反コロナウィルスワクチンで大騒ぎしていたが、就職が決まり職場接種(あくまでも任意)となると急に黙った過去がある。

当方は本来、ワクチンそのものは接種しない方だが、それでも反ワクチンには金目当てで煽っている偽者も多数混在しているので注意をと直接話したことがある。その時は「知人の言葉に騙された」と自分を正当化していた。なっていないが・・・。

まず言いたいのは、今回の事件でSPが失態だったのは事実である。なぜなら安倍元首相は銃で撃たれて被弾し、しかも亡くなってしまったからだ。この事実だけで失態だったとしか言いようがない。

今回の事件での細かなことには触れないが、この知り合いの言葉について書いていく。

一発目で犯人を仕留めるとはあまりに無知である。動画の様子も見たが、あれでは一発目は防ぎようがない。そもそも警備が銃を防げる状態ではない。

加害者は既に現場に待機しており、最初から殺害の魂胆が定まっていて演説に拍手するなど挙動不審な様子もうかがえない。

日本の警備体制そのものが近距離まで行けるというナイフや暴行想定なため、一発目の銃撃から犯人を仕留めるなど不可能だということがなぜ分からないのか。

同時に知人の発言の裏に別の意図が隠されていると感じた。

世界のSPでも大事なのは二発目は絶対にヒットさせないことだ。

なぜなら連射の場合、二発目は一発目の反動があり外すことが多いので、スナイパーは時間を置き、照準を再調整するからである。もちろん一発目の弾道を補正する意味もあるのだ。

つまり数秒の時間があるということで、ここでこそヒットさせては絶対にいけない。今回も数秒の間があった。

一発目はあまりに不意を突かれるので当たることもあり得るからこそ、外国では防弾ガラスや仕切り、死角には目隠しを利用するわけだ。

前提がまったく違うのにSPが一発目を、その目付きや動作で見つけ静止せよ、というのはあまりに幼稚である。

ターゲットの近距離まで行ける日本の体制が問題であり、バッグからカメラを出す人まで静止するとしたら、そもそも一定の距離から近づけさせず、さらに持ち物検査が必要だったのである。

近寄っても良い体制なら防弾が必要なのだ。だから極端な平和ボケ日本は諸外国と違う体制であり、今後は全面的な見直しが当然となる。

そういうあまりに違う前提を無視してまでその人が何を言いたいのかだが、実はその心には自分の知り合いがSPでありすごかったということが本音に見えてならないのである。

あまりに愚かしい。なぜならその知り合いが警護したという某総理は銃撃されたことはない。

ここでも前提があまりに違いすぎるのに、自分の知り合いはすごいと言いたいがため、つまりそのすごい人と自分は知り合いだと自慢したいようにさえ見えるのだ。だから品性が感じられない。

続いて2人目は、「赤木俊夫氏の死に心からの謝罪と哀悼の意を表してない。死に対して、私は絶対に追悼しない」ということだ。

また自分の周囲の人たちの態度というものにもふれ、皆、安倍元首相に対し「非難囂々」だという。狙撃され心肺停止と報道されているさなかにも関わらず。

こうして自分だけではなく周囲も安倍元首相に対し、非難ごうごうだとして、ほら、こうして自分だけではないのだと言いたいと当方には見えてしまった。

正直、今は黙れと感じる。自分が左翼思想そのもので徹底して安倍首相を嫌ってきたとしても、である。その人の周囲も下品であろう。

当方も人として安倍元首相を信頼し評価してきたのではない。真逆である。だが今は「お悔み申し上げます」というのが本音でしかない。

日本人の美徳とは何か。

人は得意の時とどん底のときに本性が出ると言われるが、実は今回のような大きな出来事でも本性が出るであろう。

自衛隊反対、武器反対と大騒ぎしていても、では北朝鮮や中国がミサイルを撃ち、自分の家族が犠牲になっても話し合いましょうと言えるのか。それでも話し合いが出来る、という人を当方は絶対に信用しない。

左翼の本領とは、言っていることといざという時は全く別の言動をするという姿だ。だからどんなに立派なこと、美しいことを言っていても最後は手のひらを反すと思っている。

表と裏があり過ぎる。

普段はにこやかに人の役に立つようなことをしているようだが、本音は自分が過小評価されていることへの不満で、他人を引き合いに出して知人が凄いから自分も凄いでしょ?と便乗しているように見える姿。

様々な社会的活動をしているようだがそのエネルギー源には不平不満が渦巻いているようでは、もはやどちらも品性の部分に感じる。

こういう表裏があり過ぎるのが、多くの日本人の特徴とも考えている。日本は停滞し続けているのが現実。いや、世界は向上しているので、日本は下落しているのが現実である。

実際、実質賃金は減っているし、様々な形で増税され、インフラ料金も上がり、物品の値段も上がっている日本では、もはや発展する姿は想像できない。

政治が腐っている日本は、国民がそういう連中を選んだからに他ならない。つまり日本は好んで没落の道を歩き続けている。

本当に大事な部分は直視せず、たまに出てくるのは負のエネルギーでは、向上、発展するとは思えない。

目先のことだけ、己や家族、自分が属する組織のことしか考えない人があまりに増殖しているが、そのような人たちは一言「下品」としか言いようがない。

奈良県立医科大学付属病院には、クレームが多数いっているとの報道がある。このような下品な日本人があとを絶たない日本に、未来はない。


いかなる理由があろうとも、銃撃は言語道断である

2022-07-08 12:27:46 | 考え方

先ほど、安倍元総理が演説中に銃撃され、今は心肺停止という速報が数多く流れている。

狙撃の瞬間の動画が既に公開されているが、あそこまで近距離に行けるとは警備の失態は間違いない。まさに平和ボケと指摘が可能であろう。

当サイトはイデオロギー発想を否定し、それだけではなく長年日本を悪化させた自民党は大批判を繰り返している。

特に安倍元首相は何度も批判している。

しかし、いかなる理由があろうとも銃撃するなど言語道断である。

暴力は絶対に間違っている。

戦争や自衛のための軍備を保持することは正当な行為であり、国は絶対にやらねばならない。

それとこのような卑怯な暴力は全く違うことだ。

散弾銃という情報があるようだが、近距離で散弾銃が使われたなら厳しい状態であろう。

それでも、何とか回復して欲しい。

その気持ちに偽りはない。