パレアホールにて開催されたシンポジュームにて
さやに発表をさせてもらえる機会をいただきました。
大勢の教育関係者や保健婦さんや行政関係の方の前で
つたない話しでしたが精一杯の発表ができたようです。
今回は母親として初めて子離れをしてみました(苦笑)
準備のための会議から当日まで、さや本人がなんとかやってました。
見守るって・・・イライラしましたが、当日はハラハラでしたよ。
親子ともに良い機会をいただけて、ありがとうございました。
『シンポジウム/子どもの立場から』
《 学校 》
小学生の時、卒業の記念にクラスのみんなで『42.195kmを2時間23分14秒で走った高橋尚子選手の記録を超そう』という企画をやりました。小学校の高学年から運動制限があった私は、体育の授業はほとんど見学でした。でも、自覚症状がほとんどない私は、その企画になんの迷いもなく参加すると決めていました。しかし担任の先生に
「沙矢香は自分の番になったら歩きなさい。」
と言われて私はすごくガッカリしました。それと同時に『そんなこと言われたら絶対早く走ってやる!』となんだかよくわからない反抗心が湧き上がってきました。
企画の当日、順番が来た私は全速力で走り出しました。先生は慌てて
「ゆっくりぃー!」
と叫んでいましたが
「本気で走るのはこれで最後にするからー!」
と言って、私は自分の番を充分に満喫して走りました。実は私にはその数週間後に二回目の手術が決まっていました。先生は私の手術の入院前にと、企画の日にちを決めてくれたのです。だから私はどうしても精一杯に走りたかったのです。走り終わった私に先生は呆れた顔ででも笑って
「無理すんなよー。」
と言いました。当時はしてやったと、ただそれが嬉しかったけど、今思うと何が起きるかもわからない体の私にあんな走りをさせてくれた先生が本当に有難いと思います。
入院の都合で小学校の卒業式にも出席できなかったけど、私は素晴らしい思い出をもらいました。
《 病気のことで初めてないた日 》
私が病気のことで初めて泣いたのは、中学校の時でした。二回目の手術を受けた後の私は、完全に運動は禁止でした。もちろん体育祭の練習にも参加できず、全体練習をグラウンドの端で見学していた時のことです。一人の先生が私に歩み寄ってきました。そして私に
「あなた何か手伝ったら?」
と言いました。そして
「あなたは病気に甘えてるのよ。」
とも言われました。
私は何もわかってもらえていないことが悔しくてたまりませんでした。体育祭の練習はきついと思います。もしも私が健康で、体育ができるのが当たり前ならやりたくないかもしれません。でも、運動制限のためにいつも体育を見学していると、みんなと一緒に練習をしたくなるのです。一人で見学しているのはつまらないけど、仕方ないのです。
「あなたは病気に甘えている」
という言葉が先生からだったのもショックでした。守ってくれると信じていた先生という立場の人からの言葉は、私にはとても大きな影響を残したと思います。
迎えの車に乗ったら突然に涙がでてきて止まらなかったのを覚えています。
《 事実 》
二度目の手術の後から私はワーファリンを飲み始めました。人工弁がはいったので一生飲み続けなければならないようです。だから出産するのは難しいかもしれないと親から聞かされていました。また、もし自分と同じような病気の子どもが生まれてきたら、自分と同じ苦しみを味あわせてしまうとかわいそうなので、子どもは産みたくないと思っていました。でも、本当は自分の子どもを育ててみたいと思っていました。診察の時に思い切って
「私は子どもを産むことができますか?」
と先生に聞いてみました。先生は、優しくフォローをしながらも私には出産することは難しく、もし無事に出産を終えても、その後子どもを育てていく体力が無いだろう、と言われました。その時は平気な顔をしていましたが、福岡からの帰りのバスの中で、カーテンに隠れて泣いてしまいました。友達にメールでその事を相談したけど、私の気持ちを本当にわかってくれる人は居ませんでした。私が子どもを生めないことも、友達に悲しさが理解してもらえないことも、仕方がないと思っています。けれど私はこうやって少しづつ健常者にはわからない苦しみを味わい始めたように思います。
《 心友会 》
私は“心友会”に入ってます。心臓病のこどもたちが成長して、当事者で作っている会です。心臓病といってもいろんな病名や症状や服用している薬など、みんなさまざまです。だから食事制限や運動制限などもそれぞれに違います。でも術後の傷跡や健常者のペースについていけない等、病気であるが故の悩みはみんなで共有できると思います。私くらいの年代になると、進学や就職や恋愛や結婚などについて気になってきます。そんな時に同じ心臓病の仲間が居ると、互いの気持ちや状況がとてもよくわかり、確信をついた相談ができます。普段はメールでのやり取りが主で、逢って話すことはあまりできません。だから今年に入って“お喋り会”というものを行いました。ちょっとしたイベントがあると、顔を見ながら会話ができ、より多くの情報交換や問題解決をすることができると考えたからです。“お喋り会”はまだまだこれからですが、同じ病気を持つ仲間は私達にとって大きな支えになってくれます。大切に育てていきたいと思います。
《 家族(母)紙芝居 》
これまで私が“お喋り会“や”ハートプラスマーク“の普及等様々な活動ができてきたのは、家族があったからです。特に母はいろんな会やイベントやインターネットを通じて私に多くの人々との出会いをつくってくれました。そして、私をいろんな場所へ連れて行ってくれました。その人脈と行動力があったからこそ私は今、色んな活動ができているのです。
数年前、母は紙芝居を作りました。“さやちゃんのたからもの”という紙芝居です。内容は、私が小学校入学の時、同じ学年の友だちに
「私は心臓病で胸には長い傷がある。でもその傷は、私を助けてくれた大事な傷なのだ」というとこを説明した時のことが書かれています。目に見える傷でも、目に見えない辛さでも、なにもかもをオープンに話すことで友だちは病気である私を受け入れてくれました。今、この紙芝居は北海道から鹿児島や四国のいくつかの小学校や病院内で見てもらっています。自分の体験が心臓病の後輩たちのちょっとでもアドバイスになれたら嬉しいです。
素敵な仲間を私に与えてくれた母に本当に感謝しています。
by 子の成長に涙のれい