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のこの日記

嫁一人、子一人と暮らす男の単なる日記です。興味あることはマンガ、アニメ、競艇、QMA、麻雀。近畿圏在住。

「我的ギャンブルレーサー」の黒い霧

2006-01-08 14:11:38 | マンガ
「ギャンブルレーサー」の話

皆さん、今号のイブニング見ましたか?見てない前提で話を進めます(断定)。

な、なんと

ギャンブルレーサー、次号をもって最終回!

"軋む車輪、轟く罵声
二輪にかけた男たちの
一大叙事詩が
18年の歳月を経て
ついに完結!!"
(イブニング 2006 No.03 437Pあおり文引用)

 18年前、まだ滝澤が怪物と呼ばれ、フラワーラインと言う言葉が残っていたころ始まったギャンブルレーサー。時代は流れ、主人公は関優勝から息子関優一(金梨泡一)にバトンタッチし、その息子が父もなし得なかった特別優勝(2連覇)。
そして年末のGP出場を果たしいよいよスタートの号砲が鳴ったのが本号。最終ページでは優一に全盛期の関優勝が重なりあって、闘志を燃やすコマが。実際に18年追っかけたわけではないので、知った風なことはいえませんが、やっぱり歴史を凝縮したコマに少し身震いが…。

 全巻通して読むとわかるんですが、このギャンブルレーサーほどテーマを変更しつづけたマンガは稀有だと思われます。

 初期(1巻~売二登場)までは、作者本人もここまで長い連載にするつもりはさらさら無かったのでは。とにかく、博打の駒である競輪選手の自堕落でどうしようもない生活を描くことが焦点で、最初の弟子金尾なんかは本当に好かれる要素がひとつも無い凄いキャラでした。

 その作風が徐々に変わったのが売二、常荷金作の投入。当然最初は初期のテーマでの登場だったので、売は動物以下の知能指数でしたし、金作も馬鹿きわきわのキャラでした。ところが、金作の合格、そして売の合格あたりから、じょじょに競輪仁義の集団"関軍団"にテーマが移行。手元に資料が無い(無念)ので、あやふやですが、馬鹿だった売が先行一本に疑問をもち、逆に調子を崩していき、伊東温泉の記念で関からトイレで説教をうけるあたり、そして一念発起した関と売が房総半島を遠乗りして次なる特別に望むあたりは、このテーマの真骨頂ではないでしょうか(小生は個人的に競輪マンガ界最高のエピソードだと思ってます。まあ競輪マンガはこれしか読んでないんですが)。

 その後、三馬鹿軍団の加入、武蔵開成の加入でまたテーマが変わってきます。このあたりから競輪マンガに名を借りて、作者の信条というか、教義といったものを色濃く出すようになるわけです。ここ数巻のテーマはずばり能力至上主義!
チンイチの非情なまでの落ちっぷり、そしてそれを横目に見事受かった武蔵開成がプロの世界でまた才能の無さから伸び悩む。あのあたりの関優勝の科白一つ一つが作者の言霊なわけで、このあたりは是非読んで確かめて欲しいです。

 三馬鹿、武蔵加入と並行して初代"ギャンブルレーサー"最終巻まで続いたのが、息子優一の野球編。ここでも作者の極端とも言える強者絶対主義が貫かれています。息子優一は野球と言う分野で強者でありつづけることができ、関(作者)の哲学から生まれた成功例の典型として活躍。ところが関優一本人はまだそこまでアクの強い哲学に染まっていない。
そこで現れたのが、野球編で(おそらく)捨てキャラとして登場した、金梨泡一。人間失格の父のもとで育ったおかげでハングリー精神の塊となった泡一は関軍団にわずかに残っていた仁義を完全に破壊。勝利のためなら何をも犠牲にしても構わないという信念は体力が衰え精神論しか吐けない関優勝に変わり、作者の信条の代弁者となるはずでした…。

 ところが、あまりにも意地汚いキャラが二人現れたためにマンガとしてのバランスが徐々に崩れていきます。関優一のプロデビューに合わせて始まった「二輪乃書ギャンブルレーサー」はお世辞にもマンガとしての完成度は高くありません。

 一方、この頃から(正確には野球編後半あたりから)社会問題として一気に表面化してきたのが「地方公営競技全体の低迷」。西宮、甲子園競輪の廃止などは競輪界に暗い影を落とし、マンガにもがらがらのスタンドが描かれることが多くなります。そう、"ギャンブルレーサー"終盤から"二厘乃書ギャンブルレーサー"でのテーマは滅び行く競輪界への虚無感
もはや、誰が走っていようがいまいが、常に関は転職を考え、優一に「長くない競輪人生の中でいかにして稼ぐか」を事あるごとに主張します。

 作者は18年も付き合った(あくまでマンガの中で、実生活ではおそらくもっと)競輪が世間から見捨てられることに寂しさを感じ、また上層部の無為無策なルール変更に憤りを覚えたのでしょう。ルールが変わるたびに描かれるマンガは、各々の選手が勝利を目指す最上の策を選ぶと、競輪競技として崩壊してしまうと言うジレンマをこれでもかというほうど最悪な形で表現してました。競輪初心者が最近の"二輪乃書~"を読んだら、まずファンにならないでしょう。もちろん最初の頃も破茶目茶だったんですが、なんというか競輪に対する目はまだ暖かいと言うか前向きだったわけで。この頃はもう絶望のようなものが作品の重奏低音として流れているような印象を受けます。

 最終盤の特徴としてもう一つあげるとすれば、競輪界を飛び越え政治を風刺することが増えてきたことでしょう。小泉風の男は何度も登場しましたし、最後には"議員ほど楽な商売は無い"と関優勝が議員への転職を考えてましたしね。徹底した虚無感は日本社会全般へも向けられることになったわけです。

 このような、テーマの変遷を経て、話の方は金梨の特別優勝、関の特別優勝とけじめをつける出来事が頻発。そしてついに最終回がやってきたわけです。

 田中誠先生がエンディングをどのように描くかはまだわかりません。しかし、優一に乗り移る優勝を描いたコマは、最近の虚無感からのコマではなく、最終回を初期の厳しくも暖かい眼で描くことになるのでは、と思うのですが。

 あー、もう少し細部も語りたいんですが、いいかげん長くなりすぎたので、また別の機会に。


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2 コメント

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コメントありがとうございました。 (しゅっしゅ)
2006-01-18 21:37:15
また語ってください。楽しみにしてます。^^
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Re: (yanokon)
2006-01-18 23:07:25
>しゅっしゅさん



ギャンブルレーサーは、語るところが多いのに、競技がマイナーなだけに人気もマイナーなのが歯がゆいですねー。

まだまだ、語り足りないので(脇キャラとかご飯とか)またの機会にエントリーしてみたいと思います。
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