yanojirusiの株日記(ブログ版)

「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」

良さげ

2011-11-27 23:49:20 | Weblog
今日の画像は、またまた「洋服の青山」さんでいただいてきたキティちゃんグッズです。
これは、なかなか良さげな品ですね。

大阪ダブル選挙、既成政党+大手マスコミvs橋下さんでしたが、橋下さん圧勝でしたね、やっぱり。
これで面白くなりそうですが、まだ議会を掌握してませんので、なかなか前には進めないでしょうね。
大阪市役所お勤めの皆様は大変かしら?(笑)

○ 高橋しん先生のツイッター http://twitter.com/#!/sinpre 
昨日、良い話をされていたので、勝手に残しておきます。
ツイッター状態だと読みづらいし残りませんからね。(多少、切り張り編集がバラバラかも)
長文なので、お好きな方だけどうぞ。

・ しんプレ@sinpre
自分はずっと読者さんの心の中が一番のリアルだと想っていて、人には説明なんて出来ないけど嬉しかったり泣きたくなったり心が苦しくなるような瞬間があって、30cmの距離でつながる漫画はそこに近づけると信じて、想像力の邪魔にならないようにと描いています。
漫画家は実は「高橋&しん」どころではなく、登場人物の分だけ役者さんが同居していますし、スタッフさんの数だけまた違った役者さんがいます。単行本のクレジットで監督:高橋しんとしているのはそう言う意味で、いやむしろ用務員のおじさんと同義なんです。
雑誌は雑誌のよさがあり単行本になった時はその時の読み応えってあるんじゃないかと想うんです。
昔の少年漫画って扉のページはカットされていて連続してストーリーを読めたりしたんです。
夢中になって読んだなって想って。
今回は増えた分と減った分が半々かと思います。
もう一つ、雑誌でしか読めない部分も大事と想うのは、大きな意味で作品のためでもあるのですが、雑誌で読んでもらえない作品はただ打ち切りになってこの世に存在するはずだったストーリーが永遠に失われてしまうから。です。
私は子供の頃から読みたかったのに読めなかった物語がたくさんあります。
その物語は、例えば大人になった今お金を数百万単位で出すといっても、もう手に入りませんし、読めません。
描く人が、描くべき時に多くの読者さんに向けて描いた作品でなければ意味がないし、描き手からの気持ちでいっても、お金は大事ですが、やはり心がつらいからです。
雑誌がまだギリギリ機能している今、私は大好きな作家さんの漫画を数百万ではなく数百円で買い、読んで、この作品が存在しなければ得られなかった希有な経験や時間を過ごす事が出来ます。
当たり前のようで、当たり前ではない事を私は一人の漫画読みとして身にしみてきました。
これは今思い始めた事ではなく、10年前、私の大切な連載デビュー作品「いいひと。」の中でヒロインの妙子に、もう一人のヒロインとも言えるみっちゃんの問いに答える形でこういわせています。
「ありがとう。あのね、モノにはねいい値段ってゆーのがあるんだ」
 「いいねだん?」
「うん。メーカーも、問屋さんも、流通さんも、私たちお店も。もちろんお客さんも。モノに関わるすべての人が、いい気持ちでいられる値段・・・」
「モノを安く売るって、その分だけ誰かにしわ寄せが行ってるだけでしょ?」
「お客さんだけ喜ばせるために、他の誰かがつらい思いをしなきゃならないなんて、なんか変でしょや?」
「本当にほしいものは、がんばって手に入れる方がずっとうれしいしょや?」
私はコンビニでモノを買った時にもすいませんと言葉をかけますが、昔、客が頭を下げるのはおかしいという人がいました。
普段話をしていてもきちんとした礼節のある人でしたから余計気持ちにのこりました。
私のような田舎で育ったものは子供時代手に入るものは少なく、商品を提供してもらう事にことさら渇望があったのでしょうか。
わかりませんが情報もなく人口2万人の小さな北海道の市の中でたくさんの漫画家さんや小説家の方が描いているはずのストーリーが、それが私の近くに来てくれる事を思い何度も何度も本屋さんに毎日のように足を運んでいました。
その中にいくら待っても、もうこの世界に存在しないストーリーがある事を想像すら出来ずに待ち続けていました。
今ならわかります。
どんな事情であるかは様々ですが、連載が終わり、描かれなかった物語はいくら待っても読む事は出来ないんだ。
子供にとってけして小さいお金ではない当時360円の、大人になってその10倍や100倍や出す事が出来たとしても。
当たり前のようで、不思議な現実。ストーリーは確かにあるのに。
私は今ちいさな漫画家になりましたが、私を育て、こうして作品をのせてくださって、何人もの従業員を食べさせ、その結果として、とても安価で、読者さんにやはり小さな物語を提供してくださる場所としての雑誌は特別な場所です。
数万円も出してあの頃の小さな私は漫画を読んだでしょうか。
私は数万円の物語を売ると心に決めて漫画家を目指したでしょうか。
今は単行本で採算を取る雑誌もありますが、たくさんの作品が同時に載り一作品おそらく10円で子供にも読める、雑誌に載り、その雑誌を読んでくださり、連載を続けさせていただける読者の方にもきちんと恩返しをしたいと思っています。
私が、単行本のレンタルにも電子出版にも、いっさい作品を出していないのも、雑誌はもちろん、書店さんも、もちろん私も、そして将来の漫画家さんがご飯を食べて行ける取り組みなのかを出来る限り見極めたいと思っているからです。
新しいもの、お客さんが望むものが将来的に私たち送り手にも望まれるものになって行って行かなければ、今もそうなりつつありますが、地方の本屋さんで子供が手に入れられるモノは、あのいいも悪いもあわせ、愛しい多様性のあるはずの「漫画」の一部であり、大人にとっても通販が必ずしも万能では無く、最初にお話しした通りやはり無い物語は無いのです。
私は一漫画読みとして、漫画家が生まれ、育つ場所としての雑誌を大事に、同様に育ててくださった書店さんを思い、そして育ててくださり同じ漫画読みとしての読者さんに寄り添い、出来る限り漫画家として生きて行きたいと思い作品を描いています。
多少、片思いでも。。
。。。あれ?。。帰ろうと思っていたのに。。。。。。というわけで、今のように、メジャーじゃなくても、ああ、じんわりいい作品~、が数百円が買える、この国のこの時代に生まれた幸運に感謝して、ほんの微力ながら恩返しを、広い意味で読者の方にしたいと思っていますと言いたかったのです。。。しん