國士通信

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大東亜戦争はマレー半島上陸作戦からはじまっている

2023-05-07 14:23:18 | 歴史

 82年前の1941年12月8日。
 
 大東亜戦争は、真珠湾から始まった。
 
 そう思っている人が多過ぎます。








 しかし真珠湾攻撃の1時間5分前に、マレー半島上陸作戦(コタバル上陸)がはじまっている。
 
 真珠湾攻撃の派手さにかくれてしまっているが、南方作戦が同時に始まった。



>大日本帝国陸海軍の南方作戦は、
 
1.シンガポール攻略(マレー半島上陸作戦)
 
2.香港攻略
 
3.フィリピン攻略
 
ーーの3つの同時開始だ。
 
 現にこの3か所とも12月8日に攻撃が開始されている。
 
 シンガポールにむけて、日本陸海軍は、マレー半島上陸作戦を開始、コタバル上陸他、当時の同盟国タイを経由した2地点を含め、計4地点で上陸を果たし、一路、シンガポールを目指す。
 
 対日戦の準備をはじめていた英国は、最新鋭浮沈戦艦プリンス・オブ・ウェールズを開戦6日前の12月2日にシンガポールに入港させ、英国東洋艦隊の旗艦とした。
 
 日本軍コタバル上陸の報をうけて戦艦プリンス・オブ・ウェールズを巡洋艦レパルスとともにマレー半島を南下する日本軍を海上から砲撃するためにマレー半島東を北上した。
 
 10日午前1時22分に海上を航行中の伊58潜水艦は突然、駆逐艦1隻に直近で遭遇、さらに後方に戦艦プリンス・オブ・ウェールズをとらえ、報告する。

 その真偽をわからないまま、サイゴンの海軍部隊は、10日午前6時過ぎ、索敵のため9機の96式陸攻を出し、艦隊を発見し打電。
 
 攻撃態勢を整えた85機を投入。
 
 「発見後、ただちに攻撃せよ」の命令を受け航空機の援護のないプリンス・オブ・ウェールズを発見。
 
 最初に到達したのは、美幌航空隊の96式陸攻8機。
 
 さらに次々と現れる日本戦闘機他に、まずレパルスが被弾、さらに魚雷数発被雷から4分を経た午後2時3分沈没。
 
 プリンス・オブ・ウェールズも魚雷を4,5本と爆撃により航行不能になり、左舷艦尾から沈み始め海の藻屑となる。
 
 これは、戦闘航行中の戦艦を、航空戦力だけで撃沈させた世界戦史上はじめての出来事となる。
 
 そしてマレー半島を南下していった帝国陸軍は、1942年2月15日シンガポールを陥落させた。
 
 その間、英国インド部隊、マレー人部隊は、日本軍の進撃と事前にすすめられていた、投降工作やインド独立、マレー独立などの各種工作に呼応して、英国を寝返り、日本軍につくことも多々起こり、結果的にアジア独立の大きな引き金になった。
 
 日本は戦争に敗北したが、もっとも敗北した国家は、世界中の植民地を次々失っていった大英帝国だった。
 
 12月8日は「アジア解放記念日」




太平洋戦争とは米国が名付けた勝手な呼び方である。
 
 日本では「大東亜戦争」または「第二次世界大戦」としか言わない!
 
▼1938〜1945年
 第二次世界大戦太平洋戦争大東亜戦争
 
大東亜戦争太平洋戦争の名称の違い
 結論から言いますと、「大東亜戦争」も「太平洋戦争」も同じ戦争を指した名称です。

 1941年12月8日に行われた真珠湾攻撃の宣戦布告の後、当時の日本政府閣議決定でこの戦争を「大東亜戦争」と命名しました。

 それ以後日本では、ポツダム宣言を受け入れて無条件降伏するまでのあいだ、この戦争を「大東亜戦争」と呼び続けており「太平洋戦争」などとは呼んでいませんでした。

・・・が、戦後、GHQによりこの戦争を「大東亜戦争」と呼ぶことが禁止され、代わりに「太平洋戦争」の名称を使うように強制されました。

 そもそも、日本がこの戦争を起こした目的はインドから東南アジア中国大陸日本列島に至る「東アジア(東亜)」から欧米諸国の植民地政府を追い出し、彼らの人種差別に苦しむ時代を終わらせ、日本を中心に「大東亜共栄圏」という共同体構築することで新たな秩序を築くことでした。

 「大東亜戦争」という名称に、そのような「大義」を表していたのです。
 
 アメリカをはじめとする連合国は、日本が「大東亜戦争」を起こす以前に自分たちが東アジアで行っていた残虐行為を指摘され、その欧米諸国の残虐行為を東アジアから追い出そうとした日本(日本=正義)というイメージが日本人や東アジアの人々の間で共有されることを恐れました。

 そのため、そのような日本の戦争大義の表われである「大東亜戦争」という名称を禁止し、代わりに「太平洋戦争」という名称を強制したわけです。

 つまり、「太平洋戦争」という名称には、戦前に東アジアで行われていたことや、それに対抗し改善しようとした日本の姿勢を隠蔽し、これらの地域(東アジア)の歴史から我々日本人の意識を逸らす効果があるわけです。

 そのようなGHQ方針により、報道や教育の場から大東亜戦争」の名称が使用できなくなったため、我々日本人にはこの点(戦前の東アジアがどのような状態だったのかという点)についての知識が欠落しているのです。

 ちなみに、この戦争以前には東南アジア諸国やインドはことごとく欧米諸国の植民地で、それらの国々の植民地政府により全てが決定され、独自の政府も認められていなければ軍隊も当然なかったため、一方的に搾取されるだけ搾取され苦しめられていました

 そして、この戦争中に日本はそれらの欧米諸国(アメリカ、イギリス、オランダ)の植民地政府を追い出すことに成功し、それぞれの地域の住民による政府と軍隊を創設しました。

 それにより、日本の敗戦後、再びそれらの地域を植民地化しようとした欧米諸国と独立戦争を戦うことができるようになり、現在の独立国家を勝ち取ったのです。

 つまり、連合国がこの戦争の名称を「大東亜戦争」から「太平洋戦争」へ変更させたのは、上記のような「東アジア諸国を欧米植民地から独立させたのは日本である」という歴史的事実我々日本人に対して隠蔽し、 日本人は過去に悪いことをしたのだという罪悪感だけを強烈に植え付けるための占領政策だったのです。

 「太平洋戦争」という名称はそのような占領政策により生まれた我々をマインドコントロールするための道具なのです。










 「大東亜戦争」という名前を見ると、「軍国主義」とか「右翼」とかを連想される方も少なくない事だろうと思います。
 
 「太平洋戦争」と呼ぶのではないでしょうか。
 
 そもそも戦争ではない「支那事変」の事を「日中戦争」などと表現しているのと同じでしょう。
 
 「支那事変」では、中華民国の国民党政府も日本政府も宣戦布告していません。
 
 昭和50年代半ばまでは、日本の歴史の教科書にも「日華事変」(にっかじへん)と書かれていました。 


 









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