今日12月6日は、年始から340日目、年末まであと25日。
画像は、1240年、モンゴルによって滅亡したキエフ大公国の旗と
されているもの。
以下、今日の出来事一覧とその後にメモ記載。
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1240年 - モンゴルのルーシ侵攻:
バトゥ率いるモンゴル軍によりキーウが陥落し、キエフ大公国が滅亡。
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1648年 - イングランドでクーデター(プライドのパージ)が起こる。
ニューモデル軍と独立派が長期議会内部の長老派議員を大勢追放、
残りの議員でランプ議会を構成。
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1768年 - 『ブリタニカ百科事典』第1版が発行。
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1865年 - 公式に奴隷制を廃止するアメリカ合衆国憲法修正第13条が
27州の批准により成立。
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1877年 - トーマス・エジソンが、自身が発明した蓄音機で
初めて人の声を録音する。
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1877年 - 『ワシントン・ポスト』が創刊。
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1914年 - 山田耕筰作曲「勝鬨と平和」初演。
日本人が作曲した交響曲が初めて上演された。
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1917年 - フィンランドがロシアからの独立を宣言。
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1917年 - ハリファックス大爆発。
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1918年 - 大学令・高等学校令公布。単科大学・私立公立の大学・高校を認可。
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1921年 - 英愛条約締結。
大英帝国内の自治国としてアイルランド自由国の建国が決定。
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1922年 - 英愛条約に基づきアイルランド自由国が建国。
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1927年 - 『労農』が創刊、労農派が誕生。
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1932年 - 日豊本線が全通。
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1940年 - 各省・軍の情報部門を統合して内閣情報局を設置。
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1941年 - 第二次世界大戦: イギリスがフィンランドに宣戦布告。
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1950年 - 朝鮮戦争:
中国人民志願軍39軍の116師(師長:汪洋)と朝鮮人民軍1軍団(軍団長:
李権武)が平壌を占領する。
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1951年 - 国際柔道連盟結成。
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1956年 - メルボルンオリンピック: メルボルンの流血戦。
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1957年 - アメリカ初の人工衛星「ヴァンガードTV3」を打ち上げようと
するが、打ち上げ直後に発射台で爆発。
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1969年 - 大阪市営地下鉄堺筋線・天神橋筋六丁目駅 - 動物園前駅間が開業。
またこの時既存の大阪市営地下鉄線(1号線 - 5号線)に愛称が付けられる。
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1978年 - スペインで現行のスペイン1978年憲法が成立。
(スペインの憲法記念日)
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1979年 - 崔圭夏が第10代韓国大統領に就任。
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1982年 - 東京地裁が「コンピュータのプログラムは著作物に該当」
という初の判断。
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1984年 - 三笠宮家の第三男子・憲仁親王と鳥取久子の結婚の儀。
同日、高円宮家を創設。
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1985年 - 新日本プロレス両国国技館大会にUWFの前田日明、藤原喜明、
木戸修、高田伸彦、山崎一夫が乗り込み宣戦布告する。
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1988年 - リクルート事件:
参議院で江副浩正リクルート前会長の証人喚問。
宮澤喜一蔵相の証言との食い違いが判明し、9日に宮澤が蔵相を辞任。
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1989年 - モントリオール理工科大学虐殺事件
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1990年 - 広島港東部の円滑な物流と交通緩和を図るために建設された
長大橋、海田大橋が開通。
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1992年 - ヒンドゥー教原理主義者によりインド・アヨーディヤーのモスク・
バーブリー・マスジドが完全に破壊。
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1992年 - 新東京国際空港(現在の成田国際空港)第2旅客ターミナルビルの
供用開始。
第1旅客ターミナルビル北ウイング、第1及び第2サテライトが閉鎖。
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1998年 - ウゴ・チャベスがベネズエラ大統領に選出。
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2005年 - 韓国海上警察が日本の海上保安庁に対し、日本領海の捜査権の
譲渡を要求するが、海上保安庁は「主権侵害にあたる」としてこれを拒否。
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2008年 - ギリシャ・アテネで15歳の少年が警察官に射殺される。
抗議行動がギリシャ全土に広まり、一部が暴動化。(2008年ギリシャの暴動)
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2008年 - マウイ島ハレアカラ山頂にて、地球近傍天体観測プロジェクト・
パンスターズが活動開始。
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2015年 - 仙台市地下鉄東西線(八木山動物公園 - 荒井)が開業。
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2017年 - 日本放送協会の受信料徴収をめぐる最高裁判決が行われ、
合憲と判断される。
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2020年 - 小惑星探査機「はやぶさ2」の回収カプセルが地球に帰還。
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2021年 - 同年2月のクーデターで軍事政権が誕生したミャンマーで、
11件の罪状で訴追された民主化指導者のアウンサンスーチーに対し、
禁錮4年の有罪判決が出される。
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===メモ===============================
下線部分情報ソース未確定。以前日記に記した件は再記せず。
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1240年 - モンゴルのルーシ侵攻:
バトゥ率いるモンゴル軍によりキーウが陥落し、キエフ大公国が滅亡。
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モンゴルのルーシ侵攻
1223年のカルカ河畔の戦いに始まり、1236年のバトゥの西征で本格化する、
ルーシ諸国に対するモンゴル帝国の征服戦争である。
1223年のカルカ河畔の戦いでは、スブタイとジェベのモンゴル軍偵察隊にルーシ諸侯
やキプチャク(クマン人)連合軍が挑み、ルーシ・キプチャク連合軍が大敗したが、モン
ゴル軍はルーシの征服は行わず東へ去っていった。
その十数年後、バトゥは征西のために大軍を率いてルーシおよびヨーロッパへの大規
模侵攻を開始する。
これに対し、キエフ大公国の分裂後のルーシを割拠するノヴゴロド公国、ウラジーミル
・スーズダリ大公国、ハールィチ・ヴォルィーニ大公国などが戦ったが、結果はルーシ
諸国の大敗に終わり、ルーシの人口に甚大な被害が出た。
人口の半分を失う結果になったという見方もあれば、犠牲者は50万人ほどという見方
もある。
また東ヨーロッパの歴史にも大きな影響を与えた。
東スラヴ人はモンゴル侵攻後の各地方で異なる道を歩み、ロシア人・ウクライナ人・
ベラルーシ人の民族の違いがはっきりとするようになった。ジョチ・ウルスの属国と
化して「タタールのくびき」に苦しむルーシ諸国の中からはトヴェリ大公国やモスクワ
大公国といった新興勢力が現れるようになった。
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1648年 - イングランドでクーデター(プライドのパージ)が起こる。
ニューモデル軍と独立派が長期議会内部の長老派議員を大勢追放、
残りの議員でランプ議会を構成。
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プライドのパージ
1648年12月6日にイングランドで発生したクーデターである。
清教徒革命(イングランド内戦)の最中にニューモデル軍が長期議会に
対して、下院少数派の独立派の協力を得てクーデターを起こし下院多数派
の長老派議員を追放、残った議員達でランプ議会を形成、以後の展開を急
進的な方向で進めていった。
クーデターの実行者トマス・プライド大佐にちなんで名付けられた。
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1768年 - 『ブリタニカ百科事典』第1版が発行。
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『ブリタニカ百科事典』
1768年に初版が発行された英語で書かれた百科事典である。
110人のノーベル賞受賞者と5人のアメリカ合衆国大統領を含む4,000人以上の
寄稿者と専任の編集者約100人によって書かれており、学術的に高い評価を受け
ている。日本語版は『ブリタニカ国際大百科事典』の題名で刊行されている。
1768年から1771年にかけて、エディンバラで3巻の百科事典として発行されたの
が始まりである。
収録された記事は増えていき、巻数は第2版で10巻、第4版(1801年から1810
年)では20巻となった。
学術的な地位の向上は高名な寄稿者を招くのに役立ち、第9版(1875年から1889
年)と第11版(1911年)は、文体と学術的知識において画期的なものとなった。
版権が米国に移った第11版からは、北米市場に売り込むため短く簡潔な記事となっ
ていった。1933年、ブリタニカは百科事典としては初めて継続的な改訂が行われるよ
うになった。
2012年3月、ブリタニカ社は、紙の書籍としての発行を取り止めオンライン版 ブリタ
ニカ・オンライン に注力すると発表し、2010年に32巻で印刷されたものが紙の書籍
としては最後となった。
第15版からは三部構成となっている。
短い記事(ほとんどが750語以下からなる)のマイクロペディア(小項目事典)12巻、
長い記事(2 - 310ページ)のマクロペディア(大項目事典)19巻、そして知識を系統
立てる、もしくは概観を示すプロペディア(総論・手引き)1巻である。
マイクロペディアは簡単な調べ物やマクロペディアの手引書としての役割を担っている。
記事の概観や詳細を知るためにはプロペディアを閲覧することが推奨されている。
ブリタニカはおよそ50万の記事が約4000万語で記述されており、70年以上ほぼ
一定に保たれている。1901年以降は米国を拠点に出版されてきたが、主にイギリス
英語で書かれている。
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1877年 - 『ワシントン・ポスト』が創刊。
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ワシントン・ポスト
アメリカ合衆国ワシントンD.C.で発行されている日刊紙である。
ワシントン都市圏で最も多く発行されている新聞であり、アメリカ全土にも多くの読者
がいる。
日刊のブランケット版はワシントンD.C.、メリーランド州、バージニア州で発行されて
いる。単にポストとも呼ばれ、非公式にWaPo(ワポ)と略される。
ピューリッツァー賞を69回受賞しており、これは『ニューヨーク・タイムズ』紙に次いで
2番目に多い受賞数である。アメリカ国内では主要新聞の一つとみなされている。
ポスト紙のジャーナリストは、ニーマン・フェローシップを18回、ホワイトハウス報道
写真家協会賞を368回受賞している。ポスト紙は政治報道で知られており、アメリカ
の新聞の中で国外支局を運営している数少ない新聞の一つである。
ポスト紙は1877年に創刊した。
創刊当初はオーナーが何人も変わり、経済的にも編集的にも苦しい状況が続いた。
1933年に破産し競売にかけられたところを金融業者のユージン・メイヤーが買収し、
評判を回復させた。
その後、後継者のキャサリン・グラハムとフィル・グラハム(メイヤーの娘とその夫)が、
ライバル紙を買収するなどして規模を拡大させた。
1971年、ポスト紙は政府の機密文書「ペンタゴン・ペーパーズ」を掲載し、ベトナム反
戦運動に拍車をかけた。ポスト紙の記者のボブ・ウッドワードとカール・バーンスタイン
の取材は、ウォーターゲート事件という一大政治スキャンダルにつながり、1974年に
リチャード・ニクソン大統領が辞任するに至った。
インターネット時代についていけずに部数と広告収入は減り続け、2013年1月には
人員と経費削減を毎年必須な経営難状況であった。そのため、2013年10月、グラ
ハム家は同紙をジェフ・ベゾスが設立した持株会社ナッシュ・ホールディングスに2億
5千万ドルで売却した。
2022年時点でもアメリカ合衆国のリベラル派の立場を取る大手新聞である。
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1917年 - ハリファックス大爆発。
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ハリファックス大爆発
1917年12月6日朝、カナダのノバスコシア州ハリファックスで発生した
大災害である。
アッパー・ハリファックス港とベッドフォード湾を繋ぐ狭い水路で、ノルウェー船「イモ」
が、高性能爆薬を積んだフランスの貨物船「モンブラン」と衝突し、モンブランで発生
した火災が積荷に燃え移り、ハリファックスのリッチモンド地区を破壊する大爆発を
起こした。
爆風や破片、火災、建物の倒壊により約2,000人が死亡したほか、推定9,000人
が負傷した。この爆発は、核兵器開発以前に発生した人によって引き起こされた最
大の爆発であり、おおよそTNT換算で2.9キロトンに等しいエネルギーを放出した。
モンブランはフランス政府の依頼で、ニューヨークからハリファックス経由でフランス
のボルドーまで高性能爆薬を運んでいた。午前8時45分頃、モンブランは約1ノ
ットの低速で、ニューヨークでベルギー向けの補給物資を積むためベルギー救援委
員会が用船した空荷のイモと衝突した。
モンブランで発生した火災はたちまち手が付けられなくなり、約20分後の午前9時
4分35秒、モンブランが爆発した。
リッチモンド市街を含む、半径800メートル内のほぼ全ての建物が吹き飛んだ。
圧力波により木は折れ、線路はねじ曲がり、建物は木っ端微塵となり、津波により
イモを含む船は陸地へ押し流されて座礁し、モンブランの破片は数キロメートル四
方に散乱した。街中の窓で無傷のものはほとんど無かった。
港の対岸のダートマスにも被害が広がった。
爆発により生じた津波は、数世代にわたりタフツ・コーブに住んでいたファースト・
ネーション、ミクマク族の集落を押し流した。
救助活動は直ちに始まり、病院はすぐに満員になった。
ノバスコシアやニューブランズウィックを越えてきた救援列車が爆発当日から到着
した。一方、カナダ中央部やアメリカ合衆国北東部からの列車は吹雪のために遅
延した。災害直後から、家を失った多くの人々を収容する仮設避難所の建設が始
まった。
初期尋問ではモンブランに爆発の責任があったとされたが、後の主張により両船
に責任があるものと決定された。ノースエンドには、爆発の犠牲者を悼む記念物
が複数ある。
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1921年 - 英愛条約締結。
大英帝国内の自治国としてアイルランド自由国の建国が決定。
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アイルランド自由国
1922年にアイルランド島32県のうちの南部26県がイギリス(グレートブリテン及び
アイルランド連合王国)から分離して成立した立憲君主制国家である。
1916年のイースター蜂起とその後の対応により、イギリス世論のアイルランド共和
主義への風向きが大きく変わった。1918年12月の総選挙において、共和派のシン
・フェイン党は連合王国議会におけるアイルランド選挙区選出の議席の大半を収める
という大勝を果たした。
すなわち、アイルランドの105議席のうち、シン・フェイン党は73議席(うち25議席は
無投票当選)を勝ち得たのであった。
シン・フェイン党の議員はウェストミンスターの連合王国議会で就任せず、ドイル・エア
ランという独自の議会を設立した。ドイル・エアランはアイルランド共和国の建国を認め、
独立宣言を採択した。
その後の独立戦争はアイルランド共和軍とイギリスの治安維持部隊の間で戦われ、
1921年7月に停戦協定が発効するまで続いた。
この時点で1920年アイルランド統治法に基づきアルスター議会が開会して既成事
実を積み上げており、共和運動に対抗してイギリスのアイルランドにおける足場を確
保した。10月、イギリス政府とドイルの議員の交渉がロンドンで開始、12月6日に
は英愛条約が締結された。
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1956年 - メルボルンオリンピック: メルボルンの流血戦。
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メルボルンの流血戦("Blood In The Water" match)
1956年メルボルンオリンピック水球競技において12月6日に行われた、
ハンガリー代表対ソビエト連邦代表の試合の通称である。
「流血」とは、乱闘の結果、ハンガリー代表選手のエルヴィン・ザードルが、
右目の下を切って流血したことにちなむ。
1956年のメルボルンオリンピックは、ナジ・イムレ政権の下、自由化と脱ソ連を進め
たハンガリーに対してソ連が武力弾圧したハンガリー動乱直後に開催され、水球競
技でまさに因縁の対決が行われることになった。
試合は緊迫した空気の中で行われ、4対0でハンガリーが勝利した。
ハンガリー代表は決勝でユーゴスラビアを2対1で破り、水球で4つ目の金メダル
を得た。
オリンピックの後、ハンガリー選手団100人のうち、45人が西側諸国に亡命した。
ハンガリー動乱から50年を記念して、2006年にはこの流血戦について語られるド
キュメント映画の『Freedom's Fury』が公開された。
ナレーターのマーク・スピッツは、少年時代にザードルに指導されていた。
また同年に公開された『君の涙 ドナウに流れ ハンガリー1956』でも登場人物はフ
ィクションながらも詳細に語られている。
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1979年 - 崔圭夏が第10代韓国大統領に就任。
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崔 圭夏
1919年7月16日 - 2006年10月22日。
大韓民国の政治家。第10代大統領。
本貫は、江陵崔氏。号は「玄石」(ヒョンソク)。字は「瑞玉」(ソオク)。
日本統治時代に使用した日本名は梅原 圭一。
人物
(~略)1945年に京城師範大学教授になったが、46年より33年間官吏を務めた。
独立後は農林部糧政課長を振り出しに外務部通商局長、外務次官、外相を歴任。
1971年に外交担当特別補佐官に就任。
1975年に金鍾泌の後任の国務総理(首相)。
1979年10月26日に朴正煕が暗殺されると大統領権限代行となり、金鍾泌に次期
大統領を依頼したが本人に固辞されたため12月6日に大統領に就任し約8ヶ月間
在任した。韓国の歴代大統領の中で在任期間は最も短い。
就任時には早期の改憲と民主化を約したものの、戒厳令下で殆どイニシアティヴを
発揮できないまま全斗煥の粛軍クーデターを追認せざるを得なかった。
時代の中で翻弄され、自らの意思とは関係なく大統領職に就き自らの意思に関係な
く辞任したと捉える立場の人からは「非運の大統領」と呼ばれた。
しかし、全斗煥ら新軍部の再三の説得に対しても「国防長官の裁可がなければ鄭昇
和(陸軍参謀)総長の逮捕を認可することはできない」と頑として譲らなかった。
また、大統領在任中サウジアラビア、クウェートへの訪問も実現している。
なお、中東歴訪から帰国した直後に新軍部の戒厳令拡大措置を追認し、光州事件
が発生している。その後、軍部と情報機関を掌握し、国会まで無力化させた全斗煥
将軍が結成した国保委が超法的権力を行使したことで、崔圭夏大統領の権威は完
全に地に落ち、これによって大統領職にこれ以上未練を持たなくなった。
結局、1980年8月16日、対国民声明を通じて電撃的に下野することを発表するに
至っている。
歴代の大統領の中では、在任期間が短かったこともあり、影の薄い人物といわれて
いるが、寝たきりになった洪基夫人の介護に尽力するなど、人間性の面で再評価さ
れていた。
更に特筆すべきは、韓国の大統領経験者は在任中に暗殺、亡命、本人や親族の逮
捕、投獄、自殺といった結末が非常に多い中で、大統領退任後も国政諮問会議議長
を務めるなど、本人・親族ともに難を逃れた数少ない大統領経験者でもある点である
(ただし前述通り、大統領の地位自体はクーデターによる辞任という不名誉な結果で
失っている)。
なお崔の他には、2022年に任期満了した文在寅がいるのみである(2023年現在)。
官僚時代から誠実・謙譲な態度で円満な対人関係を維持、特に私生活においては
質素さを堅持し、大統領退任後もたびたび話題になった。
ただし、後年には国会の光州事件特別委員会の出席要求や任意同行命令などを
拒否したため、国会侮辱罪などで刑事告発された。
2006年10月22日、急性心不全のためソウル特別市で死去した。
87歳没。
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1984年 - 三笠宮家の第三男子・憲仁親王と鳥取久子の結婚の儀。
同日、高円宮家を創設。
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高円宮
憲仁親王の宮号。
1984年(昭和59年)12月6日に高円宮家創設。
現行の皇室典範の下で初の直宮家以外の宮家創設であり、2021年(令和3年)現在
でも、現存する唯一の直宮家以外の宮家である。
現当主は憲仁親王妃久子。
1986年(昭和61年)12月2日に、東京都港区元赤坂二丁目1番6号(赤坂御用
地内)に高円宮邸を新営した。
「高円宮」の宮号は昭和天皇から賜ったもので、父宮の宮号の由来となった奈良市
東部の三笠山の近くにある高円山から採られた。これは、宮号は皇室とゆかりのあ
る山・寺などから取るという慣例である。
当主の憲仁親王が男子(王)をもうけないまま2002年(平成14年)に薨去したため、
現行の皇室典範においては、憲仁親王妃久子および子の承子女王の薨去または
皇籍離脱をもって宮家が断絶することになる。
2014年(平成26年)5月27日、典子女王の婚約が発表され、結婚と同時に高円宮
家から臣籍降嫁した。
2018年(平成30年)6月26日、絢子女王の婚約が発表され、結婚と同時に高円宮
家から臣籍降嫁した。
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1988年 - リクルート事件:
参議院で江副浩正リクルート前会長の証人喚問。
宮澤喜一蔵相の証言との食い違いが判明し、9日に宮澤が蔵相を辞任。
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リクルート事件
1988年(昭和63年)6月18日に発覚した日本の汚職事件である。
リクルートの関連会社であり、未上場の不動産会社、リクルートコスモスの未公開株が
賄賂として譲渡された。贈賄側のリクルート関係者と、収賄側の政治家や官僚らが逮捕
され、政界・官界・マスコミを揺るがす大不祥事となった。
当時、第二次世界大戦後の日本において最大の贈収賄事件、ひいては戦後日本最大
の企業犯罪とされた。
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1989年 - モントリオール理工科大学虐殺事件
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モントリオール理工科大学虐殺事件
1989年12月6日にカナダ・ケベック州モントリオールのモントリオール理工科大学
で起きたフェミサイド並びにヘイトクライムである。
犯人はマルク・レピーヌという25歳の男で、半自動小銃と狩猟用ナイフを用いて女性
ばかり28人を銃撃、うち14人を殺害、14人に怪我を負わせた後、自殺した。
動機
レピーヌはフランス系カナダ人の母親とアルジェリア人の父親の間に生まれ、子供の
頃から父親に肉体的な虐待を受けるとともに、徹底した女性蔑視の思想を植え付け
られた。彼のノートには政治的な動機と、フェミニズムによって自分の人生が台無しに
なったことが書かれていた。
また、ノートには、レピーヌがフェミニストだと考え、殺したいと願ったと思われるケベッ
クに住む19人の女性の名前が表になっていた。
彼はモントリオール理工科大学の受験に失敗し、その理由を追及した結果、「男性が
占めていた理工科系の世界に女性が進出し始めたから」「男が座っていた椅子を新興
勢力の女性が奪ったから自分は落ちた」という理屈を導き出した。
そして「女は高等教育を受けるべきではない」、よって「行き過ぎた教育を女に施すフェ
ミニストは殺害するべきだ」として虐殺事件を起こした。
影響
#
この事件によりカナダにおける銃規制はさらに厳しくなり、警察官の発砲行為に
対する戦術的反応を変え、後にドーソン・カレッジ銃乱射事件において犠牲者
を減らす努力につながったとされている。
後遺症
事件で負傷したり事件を目撃した学生や大学職員は、PTSDを含むさまざまな
肉体的・社会的・実存主義的・経済的な苦痛を受けた。生徒の中には自殺を図
ったものもいた。
遺書は少なくとも2つあり、この事件にかかわってしまったことによる苦しみが
自殺の理由となっている。事件から9年後、生存者たちは、いくばくかは和らい
だもののいまだに自分たちの体験による影響が残っていることを伝えた。
警察の対応
警察は犯人に大量殺人を行うことができるほどの時間を与えてしまったことを厳しく
非難された。最初に現場に駆け付けた警官たちが建物の周りに非常線を張ってその
前で待機している間、7人の女性が次々に殺された。
これを受けた警察は、2006年のドーソン・カレッジ銃乱射事件の際に緊急対応機関
と連携して迅速に対処したため、犠牲者を女性1人に抑えることが出来た。
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1992年 - ヒンドゥー教原理主義者によりインド・アヨーディヤーのモスク・
バーブリー・マスジドが完全に破壊。
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バーブリ マスジッド (バーブールのモスクを意味する)
インドのアヨーディヤにあるモスクで、多くのヒンズー教徒がヒンズー教の神ラーマの
生誕の地と信じている場所にあった。
18世紀以来、この問題はヒンズー教徒とイスラム教徒のコミュニティの間で論争の
焦点となってきた。 モスクの碑文によると、このモスクは 1528 年から 29 年に
ムガール帝国皇帝バーブルの将軍ミールバキによって建設された。
モスクは 1992 年にヒンズー教民族主義者の暴徒によって襲撃され破壊され、それ
がインド亜大陸全土に集団暴力を引き起こした。
ヒンズー教徒によると、バキはその場所に既存のラーマ寺院を破壊したという。
この寺院の存在は論争の的となっている。
インド考古学調査局は、アラハバード高等裁判所の命令により係争地の発掘調査を
実施した。 また、高等法院は、バーブリ・マスジドは空き地に建てられたものではなく、
発掘された地下構造物は本質的にイスラム教のものではないと指摘した。
そのため、ヒンドゥー原理主義者が「マスジドはヒンドゥー教寺院を破壊して建てられ
た『邪悪な侵略者であるイスラーム教徒』の建築物であり、この地を本来のヒンドゥー
教寺院に戻すべきだ」と主張。1992年12月6日、ヒンドゥー原理主義に扇動された
一派により、このマスジドは完全に破壊された。
これ以降インド各地でヒンドゥー原理主義者のムスリムへの攻撃が始まり、対抗して
パキスタンやバングラデシュではヒンドゥー教徒に対する迫害が強まった。
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2008年 - マウイ島ハレアカラ山頂にて、地球近傍天体観測プロジェクト・
パンスターズが活動開始。
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パンスターズ
(Pan-STARRS, Panoramic Survey Telescope And Rapid Response System)
4台の望遠鏡で継続的に全天をサーベイ観測し移動天体や突発天体を検出する
計画である。
時間間隔をあけて撮影した画像を比較することにより、小惑星、彗星、変光星
などを発見することができる。
この計画の第一の目的は、地球に衝突する可能性のある地球近傍天体を発見す
ることである。この計画では、望遠鏡の設置場所であるハワイから観測できる
空全域(全天の約3/4に相当)にある、24等級までの天体のデータベースが作成
される予定である。
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2021年 - 同年2月のクーデターで軍事政権が誕生したミャンマーで、
11件の罪状で訴追された民主化指導者のアウンサンスーチーに対し、
禁錮4年の有罪判決が出される。
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アウンサンスーチー
1945年6月19日 - 。
ミャンマーにおける非暴力民主化運動の元指導者、元映画監督。元国家顧問。
現在はミャンマー国軍のクーデターによって発足した現政府に犯罪者として
扱われている。
国軍統制下の裁判で19件の罪で有罪判決が決定し、刑期は合計禁錮33年
として法の下に刑を下された。
2016年3月30日にティンチョーを大統領とする新政権が発足したことにとも
ない、外相、大統領府相を兼任(当初は教育相と電力エネルギー相も兼任して
いた)、さらに新設の国家顧問にも就任した。
同国における国家元首は大統領だが、大統領を超越する存在としてアウンサン
スーチーが事実上の最高指導者であった。
2021年ミャンマークーデターを受けて、現在自宅で軟禁中。
ビルマの独立運動を主導し、その達成を目前にして暗殺された「ビルマ建国の父」
ことアウンサン将軍の娘である。敬虔なテーラワーダ仏教徒とされる。
使用言語はビルマ語、英語、フランス語、日本語。
2013年、訪仏時はフランス語で講演し、訪日時は英語で記者会見した。
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2023年、今日。
シーチキン納豆海苔卵かけご飯、これで十分である。
朝ぱらついていた雨はすぐにやんで、10時頃から晴れだった。
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