goo blog サービス終了のお知らせ 

ヒロの最近思うこと

日々、思うことの備忘録です。

カネボウ事件

2005-09-26 17:34:48 | 税務・会計・監査
 カネボウの粉飾事件で、公認会計士4名が逮捕された。逮捕の容疑は、「旧経
営陣と共謀し、虚偽の有価証券報告書を作成した」ことと報道されている。

 私も、公開企業監査をしていた人間なので、強く思うのだが、通常こんなこと
はあり得ない。なぜなら、「共謀」する理由がないからだ。
 考えても見て欲しい。会社から粉飾共謀の見返りとして直接個人がお金をもら
うなら、理由として納得できる。でも、大手監査法人の監査では、お金は法人が
もらい、個々人は法人内部の評価に基づき、給料としてもらうだけだ。カネボウ
の監査について、手心を加えたとしても、給料が直接上がることはない。共謀す
ることによる個人としてのメリットは、断言してもいい、何もないのだ。
 ではなぜか。一歩下がって、法人内部の自分の評価を上げるために、共謀した
のだろうか。しかし、それも考えにくい。監査の担当は、法人内部では、自分で
やりたいからするのではなく、単に回ってくるだけだ。監査自体は、結果の良し
悪しはないので、しっかり監査をしたから、手心を加えたから、といって評価が
上下するわけではない。

 考えられるとするならば、「会社のためを思って」だろうか。
 赤字公開企業を担当し、決算に問題があり、不適正意見を出そうとする場合、
決まって会社側から言われることがある。「あたなは、従業員××千人を路頭に
迷わせるのか。そんな権利があるのか。」もちろん、決算の良し悪しは経営者の
責任だから、監査人側は何の責任もない。でも、何千人の人生を決める引き金を
自分が引くことが本当にできるのか。俺はそんなに(お金を)もらっていない、
と叫びたくなる。もちろん、監査を下りればいい。しかし監査人交代も、引き金
と同じだ。こんな状態のときに、粉飾すれすれの決算書が出てきたらどうなるか。
会計なんて、明確なことは多くない。考え方によって、白にも黒にもなることは
多い。問題となっている連結はずしだって、法律上の形式は当然適法だっただろ
う。会社側から、「法律上は何の問題もないでしょう。なんで、不適正なんだ。」
なんて言われて反論できる会計士は何人いるのだろうか。まして、「あなたのそ
の判断で、何千人の従業員が路頭に迷うんだよ。」なんて言われたら、どうする
か。今回の4名の会計士と同じ道を歩まないと、誰が言えるのか。

 結局、監査自体が変わってきているということだと、今回の事件を見ながら思
う。監査人は、当たり前だが、会社のために仕事をするのではなく、市場のため
に仕事をするということだ。言い換えれば、コンサルタントではなく、検察なん
だ。昔は、検察なんて顔をして仕事をしたら、仕事をもらえなかった。監査だっ
て、サービス業だ。サービスの質を見て、企業は監査人を選任する。最初から検
察の顔をしていたら、誰からも選任されない。今まで、監査法人はサービス業と
して監査を実施してきただけだ。時代はそれを許さないということか。

 でも、監査は、強制捜査権の「ない」検察だ。それで、いったい何ができるの
だろうか。今回問題と言われている連結はずしや、押し込み売上も、強制捜査権
がないので、相手先企業に調査には行けない。それでどうすればいいというのか。

 ここまで考えて、結局、2つのことに思いが至った。
 監査は、今後、サービス業の顔をしながら、いつでも検察に豹変しなければな
らないということ。そんなこと誰も言ってなかったが。
 もう一つは、強制捜査権のない検察には、捜査の限界があること。それを、企
業にも、一般大衆にも、積極的に知らしめる必要があるということ。一般の人か
らは、それなら監査なんていらないのでは?、なんて声が聞こえてきそうだが、
誰もチェックする者がいない場合と比べて、存在の意味はある。監査は万能と思
われがちだが、そうではない、ということを理解してもうらうということだ。

 監査の過渡期に発生した今回の事件、悪意のない当事者に、共謀との「悪意」
のレッテルを貼る社会、身近にいるものとして、なんともやりきれない。また、
監査の抱える問題点(検察でなければならないことと、強制捜査権のない検察に
は限界があること)と、その捜査先から報酬をもらう矛盾。誰が、いい税務調査
をしたからといって、税務署に高い報酬を払うのか。
 願わくば、今回の事件を契機に、公認会計士を目指す人たちが減少しないこと
を。また、公認会計士の社会的地位が、上がることを。