昭和28年
新婚旅行は片山津温泉と山中温泉に行きました。山中温泉はすべてが良かったですが片山津はもう一つでした。武田が帰る間際まで唐獅子を買うと言って買ったその獅子の口には当時の旅館の領収書や諸々の記念のつけがはいっています。旅行から帰ってから私も会社が神戸の長田の方へ出張所を作ったので市電で通い武田は兵庫の6番電車で三宮まで通いました。何一つ揃ってないスタートでしたので近くの市場に鍋から買いに行きました。長田と言えばゴム会社の多い所なので会社はゴム製品の材料を塩野義の代理店として営業していたのです
28年4月11日私たちの結婚記念日です。桜が満開で山口の叔母を訪ねてから帰る母と兄を見送って行きがてら宮島へ行きました。
式の済んだままの顔に着物を着ていたので恥ずかしい思いをしました。
その晩のお風呂は一番後で水は少なくぬるいし嫁とはこんなものかと泣きました。
武田が声をかけてくれてマキを入れて炊いてくれたことは忘れません。
よそ者の一人ぼっちで風呂で泣きました。
ちょぅど同じ年の妹が居たのでお姑さんにしたら嫌だったのでしょう。
現実に戻ってこの頃デイに行かない日はじっと外を見ていると涙が何となくでてくる。
「母が恋しかったり」 「一人ぼっち が悲しかったり」 「死にたかったり」 不思議に武田の事はあまり思はない。
今ももっと介護を優しくしてあげたらよかったと後悔はするけれど4月2日は武田の命日です。納骨をしたものかまよっています。
私が死んだらどうなるのでしょう?
家の整理を全部するなら捨てるより仕方がない。鬱病になってしまう。生きる希望がない毎日。
私は一人ぼっちお母さんは99でお父さんの処へ行ってしまいました。
8人も子供を育てたのに末っ子の私が48年から一緒だった。