昭和20年 8月の私たち
基隆港から帰国の船が出るまで自宅待機でした
兄の家族と一緒になってひとり30キロ迄の荷物を
担ぐ練習を毎日しました。 持って帰れないものは家の前に並べて売りました。
佳里には製糖会社がありましたからその支線で急に出発命令が出て、
一度出たのですが駄目で戻りました。
その時荷物を開いてこれは「うちの布団だ」と言って兄に殴られました。
これからは所帯いっしょに暮らすのにうちのとはなんだと言って殴られたのです。
今でも私の言ったことは間違ってないと思っています。
それから2度目の命令が出て又基隆へ向かいました。