道…みちくさ

『自由の定義』をいつか数式化してみよう。。。完璧な文系人間ですが…そこに辿り着く迄に多くの言葉に出会いたい。

[アルバムより] 神風特攻隊 Ψ

2011-06-21 10:13:10 | 人生
“神風特攻隊”とか“カミカゼ”という言葉は、21世紀になり全く耳にする事がなくなりました。戦争用語でもあり、また、戦争様式も変化していく中で、わざわざ学ぶ言葉でもなく直ぐにでも死語となるように思われます。


『実家のお引っ越し』の機会に、14年ぶりに再会した父親は神風特攻隊の志願兵でした。

広島県江田島から鹿児島県知覧へ

海軍パイロット(第二次大戦時、日本には空軍はなかった。)だったので、空母からの離発着となります。この困難な空母への着艦は、訓練の時から命がけだったそうです。それでも、「陸軍航空隊は内地前線へのパラシュート部隊になるので、もっと悲惨だったと思う。」というのが、父親の印象です。


私は、10年程前にアメリカで大戦中、父親の部隊と太平洋沖で戦った米軍パイロットの息子と偶然、会いました。そこで、(国に関係なく)戦いによる個人の人生の犠牲が2代3代と子孫に影響を及ぼす事を余りにも多くの人が知らない事に気付いたのです。


大戦の終盤、山本五十六が山岳地帯の調査飛行中に撃墜された際には、同じ機列におり、上空を数機で鎮魂の旋回飛行をされ、

8月15日の終戦の頃には、特攻の順番が5人目迄に繰上がっていたので、もし、終戦が8月18日頃だったら、、、(私、いないんだぁ


敗戦後、これからの世界が戦勝国中心になる事を先読みして、今度は、広島駐在イギリス海軍に入った矢先、そこでなんとスバイのお誘いを受けたそうです

(イギリスの)スパイの方は、日本人男性(←これはもう時効で、話しても良いですよね〓)だったそうで、
条件は…戸籍が抹消され、死亡後は無縁仏にされる事。
年収は…金額ではなく、依頼した物が全て即日、用意される事。
ちょっと面白い話でしたで、無縁仏が嫌でお断り〓



それから後は、日本の高度経済成長を支える為、また戦士になってしまったんです。

□ 実家のお引っ越し □

2011-06-17 05:34:42 | 日記
↑彼は、実家の上座に鎮座しているダックスフンド君 カメラは苦手の模様=^ェ^=
性格:甘えん坊・素直



7月に両親がお引っ越しとなりました。


隠居生活をしていた横浜の実家を売却して、
行動範囲を狭めない余生を過ごす為に都内のマンション


継母は、さすがに女性らしく都内居住になったら、あれをしてここへも連れて行って…とこれからの計画が既にわんさか〓

でも、父親は…ちょっと淋しそう…うん、気持ちはわかるけど、新しい人生をエンジョイしてね


2月に計画をたてた後、東日本大震災がありましたので、どうなるのかと思っていました。家が、1981年以前に建てられたものでしたから、でも、、、

購入希望で見学に来られた一人目で売却が即日、決定
(そう言えば、かつて神戸から引越す時も一人目で即日、売却決定でした。)


土地測量図の更新登記(“遺書”と同じ様なシステムなのですね。立合い同意のもとに作成捺印、常に、差し替えられる最新登記版のみが有効)という初めて体験に加え、家族アルバムの整理など人生を振り返る作業が続きました。

私自身は、そこで15~28歳迄の殆どを過ごした事になります。


玄関脇の大きく育った楓は、一年中赤い葉をつけていて亡き母親のお気に入りでした。わざわざ神戸の家の庭から移植した木です。

もう、それを伝える人はそこにはいなくなり、“ただの庭木”として大切にされるのでしょうか。

父親も、楓もお疲れ様でした。