ウイスキーの刻 ~Whiskyのとき~

耳を澄ませば聴こえるウイスキーのメロディ。
『ウイスキーの刻』は、その真実を探し求めていきたいと思います。

『実験と検証』⑥

2021-10-17 19:19:19 | 日記
 こんばんは。Aokiです。

 自分と異なるDNAの生きものについては、
 到底理解できないのは承知しております。

 その上で、実験のサンプルになるケースについて、
 考察いたします。


☆☆☆

ⅰ)持ち物を間違うときは、自分のものよりも高級なものを選ぶ

ⅱ)目の前にメリットがあると、ただそれだけに反応する。


 まず、ⅰについてです。

 ある意味、「あるある」でしょうか。

 代表例は傘です。

 雨の日に居酒屋やパブで会合がある場合、
 入口付近に傘立てが用意されていることがあります。

 中に収まっている傘の多くは、コンビニエンスストアで
 買える透明なものです。

 似たような傘がたくさんあれば、どれが自分の傘か
 わからなくなるのも当然です。

 ところで、透明な(あるいは半透明な)傘と
 申しましても、ピンキリです。

 比較的長く、仕様も高級な傘・・・
 当然、お値段も多少高めです・・・を持っていきますと、
 高い確率で“間違われる”ようです。

 残っているのが大抵、短めの安価なものであったり、
 アルミの骨が折れていたり、古くて汚れている傘なので、
 「持ち主は、この中のどれと間違えたのだろう?」と
 不思議に思います。

 未だかつて、自分が持ってきたよりも高価な傘が
 残っていた場面には、遭遇したことがありません。


 一時期、傘をコーディネートに加えていたことがあります。

 光沢のあるメタリックグレーやダークグレーのものなど、
 比較的、高品質な傘を使用しておりました。

 お値段は5千円くらいです。

 これまで、お店の傘立てに入れざるを得ないときが
 数回ありました。

 帰るときに残っていた確率は0でした。


 もう一つ、衝撃の事実がございます。

 鍵付きの下駄箱のない昔ながらの銭湯に、
 まだ新しい革靴で行ったときのこと。

 目立たないように、隅の方に置いておきましたが、
 帰るとき、やはりありません。

 仕方がないので、銭湯の主人にお店のサンダルをお借りし、
 「残った靴が間違えた方だと思うので、その方が私の靴を
 戻しに来られたら、預かっておいてください」と
 頼んでおきました。

 翌日、銭湯に、お借りしたサンダルを返却しに行きました。

 そのとき、ご主人はこう仰いました。

 「靴は残っていませんでした。」

 その話が事実であった場合、「誰かが裸足で銭湯に来て、
 自分の靴だと勘違いをして私の靴を履いて帰った」
 というストーリーになりましょうか。

 それとも、「物色したところ、良さげな靴を見つけたので、
 持ち主の了解を得ず、持ち帰った」が現実的でしょうか。

 これは、ⅱ)にも関連します。

 代表例は、「海外旅行の際に、持ち物を地面に置いたまま、
 目を離さないように」との注意喚起です。

 目の前に金目のものがあると、持ち逃げする人間がいるそうで・・・

 まるで、食べ物を前にした野生動物のようです。

 『善悪』というのは、ある意味、文化的、便宜的に
 作られた側面があります。

 「他者のものを盗むのは悪」という考えからすると、
 大根の葉を刈り取って食べるのは悪と言えなくもありません。

 それは、その大根のものだからです。

 「大根は人間ではないだろう。」

 「人間以外のものであればよい」というのも、
 いささかご都合主義の印象もあります。

 脱線しておりますが、盗みをする人間にとっては、
 ただ目の前のメリットに反応しているだけなのかもしれません。

 「持ち主が困る」ということは、当人には関係のないことです。

 「見ず知らずの人間のことを、なぜ慮る必要があるのだ?」
 と問われますと、明確な答はなかなか見いだせないものです。

 自分の尽きない欲望を満たすために、慎ましく
 生きている人たちの命を平気で奪う生きものも、
 生物学的には『人間』というカテゴリーに含まれています。

 さらに、それを『英雄』と読み違う便利な眼を
 有する生きものも、存在します。

 このように、ある種の人間の特性は、DNAもしくは
 環境(生活環境、文化、制度、ときに洗脳)により
 形成されますので、異人種あるいは異星人の理解を
 超えるものです。

 そして、異星人の議論をするまでもなく、この星には、
 異なった生きものが共存しています。

 姿形が似ているだけに、識別は困難です。

 公共の場所でよく流れる「お手回り品にご注意ください」
 というアナウンスが、どことなく虚しさを覚えるのは、
 私だけでしょうか?

 ちなみに、“ウイスキーの刻”には、
 このアナウンスがありません。

 「善人しかいないから?」

 いいえ。

 先ほど申しましたとおり、善悪は
 絶対的なものではありません。

 「では、なぜ、このアナウンスが不要なのか?」

 そこでのお手回り品、重過ぎて、
 持ち逃げしようがないからです。

 「そんな重いものを、なぜ、わざわざ持ってくるのか?」

 とても大切なものだからです。

 “ウイスキーの刻”は、重いけれど大切なものを、
 少しの間、肩からおろす場所です。

 そこには「善悪」も「思想」もありません。

 あるのは、“唯一の刻”だけです。

 「それは、何処にある?」

 あ・・・・・・・・


                   Z.Aoki
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