こんばんは。Aokiです。
この半月ほど、試験を2つ受け、10月に開講する日本酒・焼酎の
セミナー準備に入り・・・
そんな日々を過ごしております。
そんな中、仕事を通じ、ふと思うことがありましたので、
掲載いたします。
☆☆☆
『素直な人』という言葉でイメージされるのは誰でしょうか?
赤ん坊?
ある意味、素直です。
とてもいい人?
あまりに抽象的で、誰もイメージを共有できないかもしれません。
意志が自覚できる年齢に達してから『素直でいること』は、
実はとても難しいことです。
意志が明確であればあるほど、心が強靭であればあるほど、
難しくなります。
空気と水と鋼(はがね)をイメージすると、
わかりやすいかもしれません。
雨風をしのぐ砦を築く際の有用性を考えてみます。
意志の無い人は、空気のように実体がおぼろげで
邪魔にはなりませんが、人を守る砦を築く際に、
何の役にも立ちません。
水は、器があればある程度形にはなりますが、砦の強度は、
水本体ではなく、器の強度に委ねられます。
ただし、器の中の水が、なにかしらのクッションに
なることもあります。
そして、鋼が、雨風をしのぐには最も強固と言えます。
「鋼の意志」という言葉は、的を射た表現ですね。
意志は形、心の強靭さは強度のバロメーターになります。
ただ、鋼には重大なことがあります。
砦の目的は、「人を守ること」です。
あれこれと迷っていたり、もたもたしていては
守ることは出来ません。
ところで、自然や社会は常に変化します。
その変化に対して柔軟に形や向きを変えなければ、
砦の責務は果たせません。
強靭であり強固であることと、柔軟であること・・・
この二律背反を両立させるにはどうするのか?
空気や水なら容易ですが、鋼の形を変えるには、
超高温が必要です。
日本刀のように、大きな打撃にも耐え続けなければなりません。
変化に対応するには、実に膨大なエネルギーを
要することになります。
空気や水は、こう言うかもしれません。
「私たちはいつも動き回って大変なのに、鋼は少しも動かない」と。
動く(※本質は、「動かされている」)よりも、風雨にびくともしない
砦の方が、実ははるかに膨大なエネルギーを必要とすることを理解すると、
本質が見えてくるかもしれません。
『人類の観察者(決して上目線ではありません)』としての小職は、
極めてマイノリティである鋼には、『心の場所』が必要と感じます。
「ストレス解消には、何か楽しい趣味を持った方がいい」
といった次元の話ではありません。
例えるなら、旅行は趣味ですが、旅は『心の場所』かもしれません。
行かぬ『旅行』は存在しません。
“行く”から旅行ですので。
しかし、『旅』には行く旅も、行かぬ旅もあります。
旅行と旅は似て非なるものであり、その本質が全く別次元と言えそうです。
優劣の問題ではありません。
『旅行』には「起点」があり、「行き先」があり、「楽しさ」があり、
そして、その後に「お土産」が残ります。
一方、『旅』には「終点」があり、「責務」があり、「哀しさ」があり、
そして、その後に何も残りません。
私の仕事は、旅人の道中に、深紅の雫をお渡しすること。
私の仕事は、旅人の終点に、琥珀の香りをお渡しすること。
旅の終わりには、白い花を手向け、ありがとうを添えて・・・
☆☆☆
先述の通り、旅人には、『心の場所』が必要と感じます。
鋼の衣を脱いで、温かい湯に浸かるように・・・
原型を留めないほど埃にまみれた硬い意志を解きほぐすように・・・
では、『心の場所』はどこにあるのか?
旅行者は国内外の名所を探すでしょう。
ですが、旅人にとっての『心の場所』は、おそらく
『素直でいられる刻』だと思います。
もう一度、お尋ねします。
『素直な人』という言葉でイメージされるのは誰でしょうか?
☆☆☆
それは、『素直でいられる刻』に在るあなたです。
そして、誰かの『心の場所』に在るあなたでもあります。
・・・・・・・・・
どこからか聴こえるメロディ。
海も無いのに潮騒があります。
光も無いのに明かりが灯ります。
誰もいないのに、笑顔があります。
九月には『ブルームーン』があります。
Z.Aoki
この半月ほど、試験を2つ受け、10月に開講する日本酒・焼酎の
セミナー準備に入り・・・
そんな日々を過ごしております。
そんな中、仕事を通じ、ふと思うことがありましたので、
掲載いたします。
☆☆☆
『素直な人』という言葉でイメージされるのは誰でしょうか?
赤ん坊?
ある意味、素直です。
とてもいい人?
あまりに抽象的で、誰もイメージを共有できないかもしれません。
意志が自覚できる年齢に達してから『素直でいること』は、
実はとても難しいことです。
意志が明確であればあるほど、心が強靭であればあるほど、
難しくなります。
空気と水と鋼(はがね)をイメージすると、
わかりやすいかもしれません。
雨風をしのぐ砦を築く際の有用性を考えてみます。
意志の無い人は、空気のように実体がおぼろげで
邪魔にはなりませんが、人を守る砦を築く際に、
何の役にも立ちません。
水は、器があればある程度形にはなりますが、砦の強度は、
水本体ではなく、器の強度に委ねられます。
ただし、器の中の水が、なにかしらのクッションに
なることもあります。
そして、鋼が、雨風をしのぐには最も強固と言えます。
「鋼の意志」という言葉は、的を射た表現ですね。
意志は形、心の強靭さは強度のバロメーターになります。
ただ、鋼には重大なことがあります。
砦の目的は、「人を守ること」です。
あれこれと迷っていたり、もたもたしていては
守ることは出来ません。
ところで、自然や社会は常に変化します。
その変化に対して柔軟に形や向きを変えなければ、
砦の責務は果たせません。
強靭であり強固であることと、柔軟であること・・・
この二律背反を両立させるにはどうするのか?
空気や水なら容易ですが、鋼の形を変えるには、
超高温が必要です。
日本刀のように、大きな打撃にも耐え続けなければなりません。
変化に対応するには、実に膨大なエネルギーを
要することになります。
空気や水は、こう言うかもしれません。
「私たちはいつも動き回って大変なのに、鋼は少しも動かない」と。
動く(※本質は、「動かされている」)よりも、風雨にびくともしない
砦の方が、実ははるかに膨大なエネルギーを必要とすることを理解すると、
本質が見えてくるかもしれません。
『人類の観察者(決して上目線ではありません)』としての小職は、
極めてマイノリティである鋼には、『心の場所』が必要と感じます。
「ストレス解消には、何か楽しい趣味を持った方がいい」
といった次元の話ではありません。
例えるなら、旅行は趣味ですが、旅は『心の場所』かもしれません。
行かぬ『旅行』は存在しません。
“行く”から旅行ですので。
しかし、『旅』には行く旅も、行かぬ旅もあります。
旅行と旅は似て非なるものであり、その本質が全く別次元と言えそうです。
優劣の問題ではありません。
『旅行』には「起点」があり、「行き先」があり、「楽しさ」があり、
そして、その後に「お土産」が残ります。
一方、『旅』には「終点」があり、「責務」があり、「哀しさ」があり、
そして、その後に何も残りません。
私の仕事は、旅人の道中に、深紅の雫をお渡しすること。
私の仕事は、旅人の終点に、琥珀の香りをお渡しすること。
旅の終わりには、白い花を手向け、ありがとうを添えて・・・
☆☆☆
先述の通り、旅人には、『心の場所』が必要と感じます。
鋼の衣を脱いで、温かい湯に浸かるように・・・
原型を留めないほど埃にまみれた硬い意志を解きほぐすように・・・
では、『心の場所』はどこにあるのか?
旅行者は国内外の名所を探すでしょう。
ですが、旅人にとっての『心の場所』は、おそらく
『素直でいられる刻』だと思います。
もう一度、お尋ねします。
『素直な人』という言葉でイメージされるのは誰でしょうか?
☆☆☆
それは、『素直でいられる刻』に在るあなたです。
そして、誰かの『心の場所』に在るあなたでもあります。
・・・・・・・・・
どこからか聴こえるメロディ。
海も無いのに潮騒があります。
光も無いのに明かりが灯ります。
誰もいないのに、笑顔があります。
九月には『ブルームーン』があります。
Z.Aoki