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このブログは布教目的ではありません。
エホバの証人である親を持つ、非信者によるエホバの証人の解説ブログです。

エホバの証人と鞭

2023-05-14 13:32:10 | 日記

エホバの証人の教えシリーズはまだ続きますが、前回の記事で懲らしめについて少し触れたため、今回は教えシリーズから離れて、エホバの証人関連で一番世の中の関心が高いであろう、懲らしめと称する鞭による虐待行為について解説します。

 

2022年7月に発生した安倍元首相襲撃事件で、犯人の親が旧統一教会信者であり、宗教に対して恨みを持ったいわゆる宗教2世による犯行という事件の背景から、宗教2世が世間の注目を集めました。旧統一教会だけでなく、エホバの証人2世も辛い経験をしてきたと声を上げ、その中の一つである鞭による虐待が、一時期大きく取り上げられました。

そこで、なぜエホバの証人の中で鞭による虐待が行われているのか、エホバの証人は子供の教育についてどのように教えているのかを解説していきます。

 

筆者自身もエホバの証人2世として子供の頃育てられましたが、鞭などを使った虐待行為は受けていません。自分の周りでもそういう話を聞いたことがありませんでした。また、自分自身が今まで聞いてきたエホバの証人の教えの中に、懲らしめのために鞭で子どもを叩くという話はありませんでした。そのため、エホバの証人関係で鞭の話を聞いたときは信じられず、何を言っているのか分からない状態でした。インターネットで調べてみると、かつて鞭で虐待を受けたという人の声がたくさんあったため、そういう事実があったのは本当なんだと知りました。そこで、なぜ鞭で自分の子どもを叩くエホバの証人がいるのか、自分なりに調べてみました。

 

聖書には親が子どもを鞭で懲らしめるという記述があります。「父はお前たちを鞭で懲らしめたが、私はさそりで懲らしめる。」(歴代誌下10章11節)

エホバの証人の用語集である【聖書に対する洞察2巻】には、[棒、杖、むち棒]という項目があり、その中でむち棒は子供に対する親の権威の象徴として用いられるという記述があります。下記は解説のために引用されている聖句(新世界訳と世界協会共同訳)です。

「少年を懲らしめるのを控えてはならない。むちで打つ場合、彼は死なない。彼をむちで打つべきである。彼を墓から救うためである。」(格言23章13,14節、新世界訳)

「若者を諭すことをためらってはならない。杖で打っても死にはしない。あなたが彼を杖で打てば、その魂は陰府から助け出される。」(箴言23章13,14節、世界協会共同訳)

「むちを控える人は子供を憎んでいる。子供を愛する人は懲らしめを怠らない。」(格言13章24節、新世界訳)

「自分の子を憎む者は杖を控え、子を愛する人は努めてこれを諭す。」(箴言13章24節、世界協会共同訳)

 

続いて、エホバの証人が発行する出版物の中で、懲らしめや鞭に関する記事を紹介します。

まずは、【目ざめよ!】誌に書かれている記事を紹介します。1984年12月22日号です。

ここには、「改心を促した、愛のむち棒」というタイトルで、日本人の経験が載せられています。内容を要約すると、エホバの証人でもある中学校教諭が、非行に走る生徒を改心させたという話です。どうやって改心させたかというと、先述した聖句にある、「むちを控える人は子供を憎んでいる」という言葉を引き合いにして、喫煙や学校の公共物を破壊することなどの違反に対して厳しい懲らしめを与えるべきであると提案しました。そして、暴力に対しては背中を叩くという行動を取ったようです。何か物で叩いたのか、手で叩いたのかは記述がありません。非行に対して、背中を叩くという行動を続けた結果、生徒を改心させたという経験です。新聞にも取り上げられたと書かれています。

これだけを読むと、懲らしめのために叩く=暴力をふるうことが必要であり、エホバの証人の中で推奨されているようにも見えます。

 

次に、同じく【目ざめよ!】誌の1992年9月8日号です。

「聖書の見方「懲らしめのむち棒」-それは時代後れですか」というタイトルの記事です。

毎年、親の身体的な虐待により死亡している子供たちが多数いることから、聖書に出てくる「懲らしめのむち棒」について激しい論争があることを認めています。

「愚かさが少年の心に深く根差している。こらしめのむちがそれを取り除く」(格言(箴言)22章15節、新世界訳)

「体罰はいかなるものであれ感情的な虐待であり、認められるべきではない」(エホバの証人に寄せられた匿名の親による言葉)

この匿名の親の言葉に対して、同意するのではなく論争が生じていると言っていることと、この記事の中で「聖書で認められている体罰」と書かれていることから、エホバの証人はある程度の体罰は認めているということになります。ではどの程度の体罰なら認めているのでしょうか。具体的なことは書かれていません。ただし、このような助言があります。

  • 「あなた方の子供たちを決して憤怒させてはなりません」。
  • 「あなた方の子供を矯正しすぎてはなりません。さもないと、彼らをすっかり落胆させてしまうことになります」。

上記の言葉は、それぞれ下記の聖句を基にした助言となっています。

  • 「父親たち、子どもを怒らせず、主のしつけと諭しによって育てなさい。」(エフェソの信徒への手紙6章4節)
  • 「父親たち、子どもたちをいらだたせてはなりません。いじけるといけないからです。」(コロサイの信徒への手紙3章21節)

そして、「体罰は必ずしも最も効果的な教え方とは言えないということが認められています。」と記事にあるように、体罰を推奨しているわけではありません。何気ない普段のコミュニケーションの中で、道徳観を教えるよう勧めています。

続いて「むち棒」についての解釈も書かれています。「むち棒」という言葉は、原文では[シェーベト]というヘブライ語が使われており、それは羊飼いが羊たちを誘導するために用いる棒または杖を意味していました。つまり、厳しく残虐な使い方をするものではなく、正しい方向に導くための道具です。聖書の中で使われる「むち棒」という言葉は、文字通りの意味の時もあれば、親の権威を意味する象徴的な意味で使われることもあると書かれています。そして、懲らしめが必要な場面でも、大抵の場合、体罰は必要ないともあります。身体的な懲らしめが必要な場面は、その他の方法が効かなかった場合と書かれています。つまり、口で言ったり、親自身の行動で手本を見せたりしても効果がなかった場合ということです。その場合は、ただ痛めつけたらいいのではなく、子供自身がなぜ懲らしめを受けているのか、つまりなぜ怒られているのかを理解していなければなりません。

エホバの証人自身、この記事の中で「むち棒」を誤用している人が多いのは嘆かわしいと書いていることから、聖書の教え(エホバの証人の教え)に反したむち棒の使い方をする人がいることを認めています。さらにこの記事の脚注では、「怪我をさせるほどの力で手加減することなく叩いた場合は児童虐待となり得る。叩くための道具を使ったり、傷つきやすい部分(顔、頭、おなか、背中、陰部)を叩くと児童虐待になる可能性は大きい。」というように警告もしており、「聖書は虐待を勧めてはいない」と断言しています。

 

次に、同じく【目ざめよ!】誌の1983年10月8日号です。

「懲らしめのむち棒が折られるとき」という記事の一部を紹介します。

懲らしめのために多少の体罰は容認されていることが先述の記事で分かります。この記事でも、「体罰を与えることにはそれなりの価値のある場合があります。」と書かれています。ですが、「懲らしめは必ずしも、皮ひもの先端で行なうべきものではありません。」とも書かれています。

同じく【目ざめよ!】誌の1979年8月8日号です。

「子供に体罰を与えるのは正しいことですか」という記事の一部を紹介します。

親は子供たちを訓練するために体罰を与える権威を神から与えられていると書かれています。しかし、「怒りに駆られてむちを加えたり、打ちつけたりすることを容認していません。そうした体罰は幼い子供に傷を負わせ、ある場合には子供をかたわにすることさえあるのです。それは愛ある懲らしめではなく、子供の虐待です。」とも書かれています。

インターネット上で、親から皮ベルト等で虐待を受けたと声を上げている人がいますが、これは完全にエホバの証人の教えに反していることがわかります。この親はエホバの証人の教えに沿って懲らしめをしたと思っているのでしょう。しかし、40年前の記事で、そのやり方を否定しているのです。この記事では、体罰よりも話し合いで諭すほうが効果的としています。

※かたわ・・・片端、片輪。身体障害者を意味する。現在では差別用語として扱われている。

 

今日紹介したように、エホバの証人は体罰を全否定しているわけではありません。ただし、道具を使った体罰は否定しており、また身体に傷跡が残るような体罰は虐待となるため勧めていません。それなのに皮ベルト等を使って身体に跡が残るほどの虐待をしたエホバの証人がいるのは非常におかしい話ですね。恐らく、数十年前は現代と比べると比較的体罰に対する見方が緩かった時代だったと思います。学校教育の中でも、竹刀で叩かれたり、げんこつを食らうことがたくさんあったでしょう。懲らしめとして体罰をしたエホバの証人も、そういった社会の影響を受けたのだと思います。また、日本人は礼を重んじる国民性があるため、懲らしめとして叩く前に「お願いします」と言わせたり、叩かれた後は「ありがとうございました」と言わせたりしたのでしょう。

 

エホバの証人は聖書に出てくる言葉をそのまま用いているので「懲らしめ」という言葉が出てきますが、平たく言うと「躾け」のことです。

子供をどのように育てるのか、躾けるのかは、親の責任です。躾けのために体罰をするのかしないのかも、親の責任です。エホバの証人は体罰を容認している部分はあるものの推奨していません。懲らしめと称して鞭でたたく行為はエホバの証人の教えでは否定されています。実際に鞭で叩かれたという事例もありますが、それはエホバの証人の教えに反した行為であり、個人の問題です。多くの人が、そういった事例を耳にすることにより、エホバの証人は体罰をする宗教だと思っているでしょう。ただ、このブログで紹介したように、行き過ぎた行為を否定しています。

 

この内容は、あくまで筆者が自分なりに調べた結果です。実際に自分の子供を鞭で叩いたという人から直接話を聞いたわけではないので、この考察が正しいのかどうかは分かりません。

鞭等の道具で子どもが叩かれたという事例があるのは事実です。エホバの証人の出版物に体罰を推奨していないと書かれているのも事実です。どう判断するかは、皆さん次第です。

インターネット上に色々な情報がある中、皆さんが判断する助けになれていたら幸いです。



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