If my wishes can be true Will you change my sighs to roses, whiter roses decorate them for you Thinkin ’bou you every night and find out there I am I am noto livin'n your heart
Don't you remember when you were here without a thinking we were caught in fire I've got a love song but where it goere three loving hearts are pullin'apart of one Can't stop you, Can't hold you Can't wait no more I'm just a woman, Fall in love I'm just a woman, Fall in love
浴衣はだけて颯爽と自転車をこぐ!
かっこういいですね!
旅の宿からカキコです!
今の日本。女の子が浴衣姿で膝小僧だして自転車こぐなんて、これまた風流じゃない!
A n j e もやってみたいな!
【旅の宿 】 吉田拓郎
浴衣のきみは 尾花のかんざし
熱燗徳利の首つまんで
もういっぱい いかがなんて
みょうに色っぽいね
ぼくはぼくで あぐらをかいて
きみの頬と耳は まっかっか
ああ 風流だなんて ひとつ俳句でもひねって
部屋の 灯をすっかり消して
風呂あがりの髪 いい香り
上弦の月だったけ
ひさしぶりだね 月見るなんて
ぼくはすっかり酔っちまって
きみの膝枕にうっとり
もう飲みすぎちまって
きみを抱く気にもなれないみたい
(作詞:岡本修己)
う~む、しゃむにに形振り構わず、・・・こりゃ博多の女も強そうです。
だからマイウェーの九州男子は、お連れさんに甘えておれるのかも。
今年の夏祭りには出掛けてないし、小ギャルの浴衣姿を拝見してない・・・で、ちょっと姿がぴ~んと来ませんね。
浴衣で奴姿になって自転車で走る姿は、小・中学生か高校生かによって、微妙にしてかなり違うような気がしますが・・。
今の小中学生はかなり無邪気ですからね。
どんな踊りか知りませんが、スタンッツとかいう踊りを、のりのりで無邪気に楽しんでいます。
余談ですが和服と云えば、先日見かけた小顔で色白、絣の姿は未だ焼き付いています。
ローギアの小ギャルの奴姿にはどうだろうかな・・。
取り敢えず歓迎ですが、拝見しないと合格かどうか、保留です!
必ず浴衣姿もこちらで見付けます。
確か「ゆかたがけ」という演題でした。
「ゆかたがけ」のような美しい日本語が死後になりつつあるのは残念だ、といったような内容だったと思います。
やっこ凧さんたちも、きっと「浴衣がけ」なんて言葉、使わないのでしょうね。彼女たちは、ただ急いでいただけだと思いますよ。型を崩そうなんて大それた考えはないでしょう。
それよりも、私は京と紅子のことが気になります。あと三か月で本当に二人の仲は終わってしまうんですか?どんな結末になるんでしょう!
紅子さんの描写、恋する女性の心理をとてもうまく描いていると思うけど、なんだかふにおちない点もあります。
紅子さんって、ただ恋だけに生きられるほど平凡で非力な女性なんでしょうか?なんか違う気がするんだけど。恋以外のものにも生きがいを感じられる能力や才能のある人なんじゃないかな。
いや、そもそも、なんで京みたいな男にいかれちゃったんでしょう?
何を今さらって感じですが、やっぱり最初の結びつきの部分に何か大切な(紅子の)心理描写が欠けていたような気がします。
「透光の樹」を読んだ時には、お金による結びつきが真の愛情に発展していく過程がすんなりのみこめたけれど、上海甘苦の展開には少し違和感があるのです。
京が紅子にひかれる理由は、氏家の登場で、とてもよくわかるようになりました。でも、紅子さんの気持ちが、同じ女性でありながら、今ひとつよくわからないのです(彼女の恋の苦しみは手にとるようにわかりますがー)。
京に出会う直前の独身経営者としての紅子さんの心の闇みたいなものを、もう少し読み込みたい気がします。わがままな読者でごめんなさい。
そう、よく考えると、わけがあるのかなあ!
しかし、変なところから恋が芽生えている?
ぼくは<青い山脈>の川土手を、やはりひざ小僧丸出しで自転車を颯爽と繰る、戦後まもないころの乙女たちを思い浮かべました。
自由奔放な若者の姿は美しい。
昨年冬、2月初めスペインをツアー旅行しましたが、最年少のギャル三人組はことさらに目を惹きました。
コルドバの花の小路など徒歩で2時間あまり市内観光しました。
霧のような小雨が降っていて、石畳は滑りやすく、添乗員からくれぐれも歩きやすい靴で、と言われていました。
ところがギャル三人組はいずれも忠告もものかわ、石畳にカツカツとハイヒールを響かせ颯爽と歩く。
渋草色の皮ジャン、薄手の花柄のスカートに黒タイツ。
二人目は白のミニスカート、黒のタイツに黒のコート、ハイヒールには帯飾りが付いている。
もうひとりは黒の長いコートに赤いバッグが印象的。
三人三様のファッションでなかなか格好いい。
日本の元気ギャルここにあり!という心意気を感じました。
みずうみさんがおっしゃるように京の気持ちはよくわかるが,紅子さんの心の動きについていけない。
もともと,紅子さんが京に引かれたところの記述はなかったのでは。いきなり京の部屋から小姐を追い出すシーンから始まった記憶がある。
プラタナスの濃い緑の下ではっとなるほど美しい京に偶々逢った紅子さんが一目ぼれして,京は京で,失った夫人の面影をやどす紅子さんに当然のように惹きつけられる。(単純化し過ぎてすみませんm(_ _)m)
女と男はだから面白い,だから身体に堪える。
京をコントロールしているようにみえる紅子さんだが,実際は紅子さんのダメージの方が大きいのかもしれない。
趙には迷惑な話だけど,危険のないように二人の行く末を見守ってね。
台風8号がもしかしたら上海方面に向かうかも。嵐にならなければいいが。。。
それを活字だけで伝えるのはかなり大変ですが、恋愛小説にはそれが求められます。
「この男(女)は、どうして相手に惹かれたのよ」と読者が疑問を持つとき、それは、読者自身も登場人物に「惹かれたい」のに「惹かれ足りない」のだと思います。
恋愛小説での感情移入は、つまりは一緒に「恋愛したい」ということなのでは無いでしょうか。
理屈の通じない、理屈の必要でない場所に、読者を連れて行かなくては、恋愛小説は成功とは言えないのでしょう。
大変ですが、がんばります。
反感をかう人もそれなりに・・・
小説の中で燃焼しなければならないってことも、
あるじゃないですか。。
本当は気性は高樹さんのような人間だとして・・
高樹さんの小説のように生きていけない人が、
沢山いると思うのですけれどもね。
日経連載ということで、
摩擦も多いことでしょうが、
しょせん小説。
万民の楽しみであっていいのではないでしょうか。
小説の世界でだから自分も楽しみたい人って・・・
いると思いますよ!
私は・・・
浴衣を着たら「熱燗徳利」で色っぽくないと許せません。
膝小僧をむき出しにしながら浴衣を着て自転車をこぐ、、
私の感覚の中ではあり得ない光景です。
若い人は大好きですが、
若い人にも情緒というものを楽しんで(知って)もらいたいですね。
オバサン感覚爆裂!です(苦笑)
miriamさんのおっしゃるように、私も普段の高樹小説で存分に楽しませて頂いております。また、恋に理由が必要だとも思いません。むしろ、理由もわからずにしてしまうのが恋なのでは?とも思います。
しかし、短編と新聞連載のような長編では、小説の果たす役割が違うような気がするのです。
(京は十分に魅力的な男として描かれていますので御心配なく)。
長編小説には、大河の流れの背景にあるかのような普遍的な大義名分があった方がその小説が強くなるような気がします。私は、まだ、甘苦上海にそれをを見いだせないでいるのです。「百年の預言」には、それがありました。
紅子は、なぜ、働くのか?今の時代を生きる女性の苦しみって何か?紅子の生きる時代の時代的背景も含めて、そういった記述がもう少しあれば、逆に、なぜ彼女が京のような男にひかれたのかが浮き上がってくるような気がするのです。
偉そうなことを言ってすいません。言葉が過ぎましたら御許し下さい。
新聞小説の特徴として、保存し、改めて読み直すことが(簡単には)出来ません。また、自分の好きなペースで読み込むことも出来ません。気持ちが、その意味で、若干、緩慢になってしまいがちと思います。
毎日、読後は残念ながら廃棄してしまう新聞でもあり、最初の頃の文章を読み返せないので、印象のみでお話しますことお許しを。
そう、私にとって、紅子の心象描写は最初から強烈でした。彼女は運転手の車に乗っていて、車が揺れると、自分の心まで揺れるのではないかと、慌てて身を起こす、といった部分がありました。既に一度京には会っていて、その京の住むアパートに行くことで、彼女は既に心が揺れていたのです。
そして、小姐との行為の続きなら、私は嫌よ、と撥ね付ける出会い。スゴイ。車で揺られて、身を正した紅子に、既に感情移入してしまった私は、ここでも小気味良く頷くのでした。
ビジネスで成功を収めているかもしれないけど、ふと振り返り、違う人生もあったかもしれない、と思う心の揺れ。ビジネスを成功に導くためのグッズで完璧に身を固める紅子にとって、これまで追随したりおべっかを使う男達はいても、京の様な態度をとる人はいなかったのではないでしょうか。
人生は選択の連続であり、後悔しない人生を歩んできたと思っても、ふと、自分に欠けているものに気がつく瞬間。そんな揺れた心の動きの中での出会い。
自分が自分らしくなくなり、泣きたくなって、自分が情けなくなる程の思い。。。 作者の意図は、また別のものとしても、私には紅子の気持ちがとっても分かるのですが。。。
紅子をチベットの彼が救ってくれないかしら。死によって解決しようなんて、あんまり情けないことはしないで欲しいな。全てには確かに終わりがある。でも、自分で幕を引く必要なんてない。辛くても生きて欲しい。生き続けて欲しい、と強く願います。
あ、なんと、ハチャメチャな文書になってしまいました。お許しを。。。
恋に理屈は必要ない。同感です。
対象となる人の情報が、視覚を通じて脳内に入り、扁桃核で好き嫌いを瞬時に判断して、その情報を前頭葉でその理由づけをしているとのことです。
理屈は後付ですね。でも理屈で恋を確定させている。
紅子さんの心理描写には圧倒されるものがあります。
人間の心理はこんなに多様性に満ち溢れているものかと、自分のそっとふたをしている深層心理をかき乱し、気持ちを泡立たせる思いです。
多様な思いという偶然性が、行動と時間の経過により必然性(理由のあとづけ)となっていく様がよく描かれていると思います。私には思いも及びません。
でも紅子さんの行動にはどうしても着いて行きにくいですね。
どういう目的で上海に事業進出したのか、何をどのようにしたかったのかよく分かりません。
また石井とどのようにしたいのかもよく分かりません。
ストーリーの展開も急にコロッと変わってしますし・・・
「惹かれ足らない」とのことですが、残念ながら惹かれる要素が少ないです。
石井京が魅力的というかたもおられますが、私には人物が見えてきません。
中年の大学院生で業績もなければ、邪魔な存在かも。新聞社でもスクープを狙わなければならないほどの実力だったのでは。
有能な記者は、何でもない題材の中から本質を見出して、えっ!というような写真と記事をさり気なく書きあげてしまいます。
最悪は、「薩摩切り子」を壊したところ。
石井がガラスの破片を片付けていたところ、紅子さんが「明日メードにさせればいい」と言い、石井は、「肺に悪いから」と言って片付け、それからセックスをして、それで終わり。
この二人は、どんなレベルでしょうか? 特に石井。私の周辺にはこんな人は見かけません。
「百年の予言」では、しっかりした空間(社会設定のもと)で、もっと知的な人間関係が展開されたのに比べると・・・
「草食系男子」というのがはやっているそうですが、「弱さ」を「優しさ」と勘違いしているケースをよく見かけます。
真の優しさは、「強さ」に裏打ちされたものであると思います。強くなければ、優しくなれない。
松本(平凡で特に魅力はありませんが)も、企業内では不遇のようですが、それなりの強さも兼ね備えているようなので、何か期待できそうですね。
同様に、哀れみと愛情も違いますよね。
ちょっといやなことを書きすぎましたが、ランダムな展開も、終局から遠望すれば、「騙し絵」がセットされているかもしれませんね。
「せつないカモメたち」のモーモーアイスのように、急な展開をセットされていることと期待しております。
「13cm」の頃の紅子さんはどこに行ってしまったんでしょう。
最後には、スカッと、あっというような結末にしてくださいね。
あっ、もうすぐ(午前1時前後)日経朝刊が届きそうです。
感謝です。
紅子の、置かれている立場をおさらいしてみました。
初心に戻って。
新聞小説とは、なんともどかしいものでしょうね。
男に惹かれる理由はさまざまでしょうから、何ともいえませんが紅子のような職業は、美に対して、より敏感に反応するかもしれません。
何の、秀でた才能も無いごく普通のありふれた主婦だったら、京のような男は通り過ぎた風景のような男だったかもしれませんし。
彼の魅力に気がつかなかったというよりも、彼のような男を避けると思うのです。
う・・でも、彼は、過去に人妻を死に追いやったりしてるし・・そのことで苦悩しているわけだし・・・
そうそう、一時のアバンチュールでも良いという人もいるわけだし・・・
またまた、迷路にはまってしまいました。
恋の成就ならば、もう果たしているわけですから、
これから二ヶ月半の間、どのように話を展開させるか、これはもう小説家の腕の見せ所なんでしょうが、凡人たる我は、想像さえも付きません。
話は前後しますが、京の魅力というのは掴みどころの無い、
退廃的な死への憧れだったりはしないでしょうね。
これを書いているうちに、どなたかが良きコメントを書いてくださっているかもしれません。これだけ書くのに、20分以上費やしました(笑)
しかし、「うまくいかないのが恋」にあったような、お互いの「背伸び」や「成長」が見られないのも物足りないところです。
「恋は苦しい」ということですが、若い人には当てはまっても、30代以上のある程度人格形成が出来た大人で、主体的・自律的な生き方が出来る方であれば、「ちょっと苦しい」か「ほとんど苦しくない」状態にコントロールできると思うのですが。素敵な恋愛空間と恋愛関係。
経験がない?のであくまで推測ですが・・・
気に障った方には、ごめんなさい。
西湖のあたりがでてきましたが
西湖には錦帯橋があります。
岩国の錦帯橋とは姉妹橋縁組を結んでいます。
断橋の方が有名ですが
小説に錦帯橋が登場すれば・・・。
と思って書かせていただきました。
◆東京で読む新聞は挿絵がカラーですが
岩国では白黒です。
日経さんカラーでお願いします。
それだけ読まれているってことですね。
春火ちゃん、私も気になります。生まれ変わった春火ちゃんが残り3ヶ月の間に再登場して、物語を展開させてくれるのではないか!?と期待しています。
そして、恋をした紅子さんも京さんも生まれ変わったりしないかなぁ…
勝手な期待です。
こういう読者の反応を、高樹先生はよしよし引っ掛かってるな!?って思って続きを書いておられるのでは?
新聞連載は完成品の切り売りとは違い、未完成品を同時進行だから毎日楽しみです。
え!?ここでおしまい?続きが気になる、毎回そういう思いです。
高樹先生、頑張ってください。
手応えを感られて、嬉しいです。
とことん苦しんだ人間は、生まれ変われると思っています。
コンの時のように、いい終わり方を。
今も耳を澄ませば、春秋小学校(以前のブログ紹介の光景と共に)の子供たちの完成が聞こえてくるような気がします。
余韻が残っています。
いつまでも深く心に余韻が残る最終話を!
昨夜書いたのをうっかりしてました。
何気なく気付いていたことでもコメントします。
紅子や京の人物についての肉付けは、所謂感覚派やファンタジー小説にはそれ程必要ないだろう。
恐らく人物が諄(くど)くなるだけで、ファンタジーとして読み手に伝わらないし、グロになり読み手も軽く自己投入できる方は、きっとかなり少ないでしょう。
感覚派にはストーリィにさえも、さして拘らない映像作家がいます。
この点で御手洗さんやみずうみさん達の、捉え方とは僕は全く対極です。
春に高樹さんは紅子のイメージは「椿」と言われていましたが、ちょっと違う感じがしていました。
先日、実家の庭の片隅にある、海棠(花海棠)枝振りを眺めていたら、潮風に吹かれ立っているような風情。
荒涼にして繊細でクリスプな枝の流れ、これが紅子の心象イメージに近いかな、と直感しました。
海棠について調べると、中国では古代から海棠と牡丹は最も好まれている花木。
これは少し意外でした。
35種類の海棠の中、中国には25種類も有り、小さなリンゴに似た果実も市場に出回っているようです。
海棠の有名な産地は『河北省の懐来県で、海棠の花を楽しもう-中国国際放送局』の紹介サイト。
ところで杭州に浅い湖の西湖が有りますが、先日観たスケッチは西湖の湖岸から、山か島の塔状建物に向かって描かれてました。
西湖は内陸ですが宋?時代まで海水の入る広大な干潟、後に淡水化されたそうです。
浴衣の君が走っていた大濠公園の池も、この西湖を模して工事されたとか。
やっと記事に結び付きましたね。
海棠、リンゴの匂いも好いと思います。
苦しみが待っているなんて知らずに背負い込む恋。
理性で分かっていても、いえ、理性で分かっているだけに、辛い恋。
それが、大人の恋なのかも知れません。
人間は、自然界によって、現状維持が出来ず、前(死)に進むことを余儀なくされています。
恋の成就?何をもって成就と言うのか?
何が得られれば満足し、もう十分と言えるのか?
共有できた時間を大切に、心の宝として、これからも生きてゆくのか、ゆけるのか?
人それぞれが、それぞれに答えを出して生きていくのだと思います。
未来が描けない恋。。。
そう分かっていても、その時は何かに憑かれたように狂ってしまう想い。。。
紅子はこれまで得られないものはなかったのかも知れません。
自分の思い通りにはならない現実を初めてつきつけられ、自分自身の新たな発見をしている紅子は、確かに何かを学んでいると思うのですが如何でしょうか。例えば、京との関係がなかったら、運転手の彼の実家なんかには行かなかったのでは?デパ地下であふれんばかりの日本食を買い込み、無様にコケた瞬間、彼女は何かを剥ぎとったのでは、と思います。もしかしたらプライドかもしれません。日本人として異国で肩肘張ってハイヒール履いて頑張っている紅子。痛々しいばかりじゃあないですか。人間として大切な何かを今、手にしようとしている紅子。いつかはやってくる死。誰にでもやってくる死。だから、決して、自分から、そのタイミングを決めないで下さい。今から私も紅子と京にジョインしたくなりました。逸る気持ちを抑えきれなくなってきています。。。
理性で抑えきれるものばかりが恋ではないでしょう。
紅子さんのように支離滅裂なのが恋なのではないでしょうかね。
年齢が上がると穏やかに自制心も身について、
羽目はずしの行動なんてできないと・・・
諦めている人もいるのではない?
私は・・そんなことは無いと思う。
恋をしたい?ではなくて、
私は恋は「落ちる」ものだと思っています。
落ち方も様々ですけどね。。
そういう恋愛体質の人を批判するような人は・・・
きっと、
本当の恋を知らないのではないかな。
こちらのコメントで、
高樹さんに異常に反感を持つコメントを残す人は・・・
きっと真面目な、普通の感覚の方なのだと思います。
普通の方は普通に、
今ある幸せに浸っていらっしゃったらいいのでしょう。
常識では計り知れない支離滅裂な行動こそが「恋」なのでしょう?
破滅的なものだとしても。
「恋」は落ちるものだと思うのです。
私は・・・
紅子さんの気持ちや行動に疑問がわきません。
正直・・・ハルヒも行きずりの人なのであまり心に残っていません。
それにしても・・・
反感を買う人も随分、高樹さんの小説を読み込んでいるのだな~って驚いているところです。
それだけ高樹さんの小説が皆の何か?に「ひっかかっている?」ということなのかもしれませんね。
「死」をいっとき意識した私です。
「死」を乗り越えるのに「恋」がかなりな薬になったことは事実ですので・・・
そのあたりはご理解くださいませね。
「恋心」は、
これは死ぬエネルギーにもなるかもしれませんが、
生きるエネルギーにもなるのだということを、、
皆さんにご理解いただきたいですね。
三途の川を渡りかけた私としてみれば、
「恋」は・・・
生きるエネルギーそのものなのです。
誰かに恋しながら生きていく楽しさよ。。
あと三か月で、どんなふうに展開していくのか、とても楽しみです。高樹先生、頑張って下さい。
miriamさんのお話ー死に瀕した際に恋が支えになったというくだりー心に響きました。私は死に面したことはまだありませんが、生活の苦しみを乗り越えるために恋をしてしまうーいや、おちてしまうーことはよくあります。だからこそ、紅子さんが京に恋した最初のきっかけがよくわからなかったのです。容姿端麗という理由だけで若い男にひかれるのでしょうか?違うような気がするんだけど・・・。
そうそう。色んな意見があって当然!
辛いだなんて、どうぞ思わないで下さいね。
何故、紅子が京に魅かれたか。
確かに、一番最初の出会いが書かれておらず、さらりと数行で説明されているだけですよね。
でも、詳細に書かれていないものを想像することも、小説を読む楽しさなのでは?
私は、一方通行の想いって、あったとしても長続きはしないのかな、と思っています。
京の方が、きっと、紅子を見てぎょっとしたんだと思いませんか?氏家がそうであったように。
彼(氏家)がへべれけになったのも、紅子に会って、彼の心の何かが音を立てたからじゃないかしら。
紅子を見てぎょっとした京。
食い入るように見つめたと思いませんか?紅子のことを。そんな京の視線を紅子が感じ取った。
心ではなく、むしろ動物的に。
そして、つい馬鹿な話に乗ってしまった。学生崩れの、どこの骨かも知らない、自分よりも相当若い男に金銭的な援助をすることに。
但し、その資金の使い道を説明するといった条件で(じゃなかったかしら?)。それって、もっと彼のことを知りたくなっているってこと。
そう、京の視線を感じ取った、その瞬間から、紅子は恋に落ちていた。
なああんて、私が勝手に解説しても、つまらないですよね。失礼しました。
みずうみさんも、ご自分の感性で感じられたこと、大いに書いてください!いつも楽しみにしています。勿論、他の方のコメントも同じです。なんて、これは高樹先生のおっしゃることでしたか。たはは、失礼を。。。
ひょんなことから恋に落ちちゃうことってあるのよね!
それにコメントはいらないかも。
If my wishes can be true
Will you change my sighs
to roses, whiter roses
decorate them for you
Thinkin ’bou you every night
and find out there I am
I am noto livin'n your heart
Don't you remember
when you were here
without a thinking
we were caught in fire
I've got a love song
but where it goere
three loving hearts are
pullin'apart of one
Can't stop you, Can't hold you
Can't wait no more
I'm just a woman, Fall in love
I'm just a woman, Fall in love
(by 詞 湯川れい子 曲 小林明子 )
こんなにいろんな読者にいろんなことを考えさせるんですから!
本を読んでいると、自分の読むスピードがもどかしくて、つい最終ページあたりをパラパラっとめくって結末を先に読んでしまうズルい読書の仕方をよくするので、今回のように新聞連載は先がわからないのがもどかしくもあるけど、かえって新鮮です。
紅子さんの恋の行方だけでなく、気になることもまだまだあります。
春火ちゃんを心配する紅子さんに阿樹菩の不夜さんが「春火は生まれ変わる」と謎めいた言葉を残しています。
高樹先生のコメントから、生まれ変わるのは春火ちゃんだけじゃないかも!?と期待しています。
それに紅子さんは確かデスクの小物入れに春火ちゃんのキラキラ携帯電話を置いたままです。
そして死んでしまったけど、コンはどうしてコンなのか、京さんは教えてくれてないですよね。
皆さんが行間まで深く読んでおられるので、表面しか私は読んでないのかもしれないですけど…
重箱の隅をつつくようですみません。。。
気になったもので…。
南仏はともかく、パリでは蝉がいません。カキ氷もない夏なんて!!!まん丸のスイカもそうそうお目にかかれません。真っ黒なスイカの種を食べちゃあ、お臍から芽が出ると怒られた幼い頃。。。
岩をも貫く声ですか。すごいな。
芭蕉が聴いた蝉は、なんとなく、一匹、しんみりと。。。違うかしら。だって、ミンミン蝉にしろジージー蝉にしろ、わんさかいたら、やっぱり、染み入るではなく、貫く(!)になりそうですもの。。。
一昔前に芭蕉研究家がアブラゼミと推測してましたが、僕は高音で周波の高いニイニイゼミだと思います。
ワイフの実家が白河なので、昔々夏にも句碑辺りに立ち寄ってみましたが、ニイニイゼミと時おりミンミンゼミが鳴いていましたね。
ニイニイゼミは沢山鳴いても、一音に束ねて聴こえ易いように感じまが・・・。
瀬戸内で子供の頃、朝から煩くて暑くて
、桜のクマゼミを退治してました。
閑さや岩にしみいる蝉の声
ですね。話しは、一連の流れから少し(いや大いに)ずれますが、この句に対する僕の思い入れを書いてみたくなりました。
この句の眼目は、閑さと蝉の声の対比にあると考えます。この場合の蝉の声は一匹ではなく、無数の蝉の声です。だから普通の人ならしずけさどころではなく、騒々しさしか感じないところです。しかし芭蕉はこれをしずけさの象徴に転化したのですね。ここで重要な役割を果たしているのが、「岩にしみいる」という言葉です。「岩にしみいる」という絶妙ないいまわしによって、騒々しさが閑さの象徴に転化しているのです。
大きな岩があちこちに点在する静寂に包まれたお寺(この場合山形県の立石寺)の森のなかで、ひたすら蝉の声だけが降り注いでいる、そういう情景が眼に浮かびます。
私も一瞬、ピースリヴァー先生と立石寺にご一緒している気分になりました。絶妙な。。。
改めて味合わせていただきます。