We Save the Farmers プロジェクト

東日本大震災で被災された農家地域支援プロジェクトのBlogです。
チャリティーTシャツ販売中。

「We Save the Farmers プロジェクト」について <補足>

2011-07-15 00:34:11 | news
時間がたってしまいましたが、プロジェクトについての経緯や趣旨の部分を具体的に書かせてもらおうと思います。

3月11日の震災で農場がある常陸太田市でも道路の陥没や家屋の倒壊、ライフラインが数日間に亘って遮断されるといった被害がありました。

最初の数日は収穫期の真っ最中であるイチゴの心配や、止まない余震、いつになるだろうライフラインの復旧、友人・知人の安否確認などあわただしく過ぎていき、そこに非日常性を感じずにはいられませんでした。

そして電気が復旧しテレビで震災の様子が確認できるようになった時、初めて「福島第1原発事故」のことを知りました。それでも最初は生活の立て直しに必死だったし、原発から120キロほど離れていることもありそれほど大ごとになるとは思っていませんでした。

しかし3月19日、茨城県のホウレンソウから高い値の放射性ヨウ素が検出されたとニュースになりました。少しづつでも立ち直りつつあった中で衝撃的な知らせでした。イチゴには検出されませんでしたが今後どうなるか分からないし、この地で農業を続けていけるかとういう不安も初めて生まれました。

その日からテレビで農家が収穫した作物、収穫する前の作物を廃棄する光景を目にするようになりました。その光景は同じ農家として本当に胸が痛むものでしたし、その姿は未来の自分になるのではという恐怖心もありました。

「イチゴでは放射性ヨウ素が検出されていないが、販売を続けていていいのか。いっその事今年の販売は中止した方がいいのか。」とも考えました。でもそのような状況の中で買いに来て下さるお客様もいらっしゃって、「大丈夫だよ。」「気にしてないよ。」と言葉をかけて頂き、まだイチゴを楽しみにして下さるお客様がいらっしゃるならそれに応えようと今シーズンの販売を続けることを決めました。

そんな時、県南に住む酪農家の友人から電話があったのです。電話の内容は「県内の原乳が出荷自粛になった。」というものでした。ショックでした。今までテレビでは観ていましたが、ついに身近なところで起こったということ、そして「牛乳」にまで広がっているということ。

電話でも友人はかなりショックを受けているようでした。現在はもう出荷制限解除になりましたが、当時はいつ解除になるか分からず、絞った牛乳も自分で処分しなくてはならなかったためかなり落ち込んでいました。私も電話で何て声を掛けていいか分からず、最後に「大丈夫だよ。」と根拠のない言葉をかけるのが精いっぱいでした。

彼との電話が終わった時、私はあることを実行することに決めました。それがチャリティーTシャツを作るということでした。

私は、多くの方々がそうであるように、音楽やファッションや映画やデザインや芸術といった物が好きで、人生において多大な影響を受けてきました。そして様々なことを学んできました。今の自分があるのもそのおかげだと思っています。

震災翌日、物が散乱した部屋の中で自分の好きな服に着替えた時は元気がでました。その服はこの困難に立ち向かう勇気をくれました。音楽もそうでした。最初はラジオで震災情報ばかり聞いていましたが、ある程度落ち着いてきた時、新たな一歩を踏み出す力をくれたのは音楽でした。私はそういうもの力を信じています。

このTシャツはこの時代を生き抜くために、PUNKの精神的な力強さを借りて表現してみました。音楽はその音ではなくそのアティチュード(態度)だと思っているからです。

今まで被災経験もなく生きてきて今回被災してはじめてその気持ちが分かりました。私の住む地域は立ち直ってきましたが、東北地方にはまだ辛い思いをしている方が大勢いらっしゃいます。同じような思いをした者だからこそ、何か力になれたらとそう思うのです。



この時代を共に生きる方々へ

未来は僕等の手の中 - THE BLUE HEARTS


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