★★★★★ 鷲尾ミサゴの不思議な世界 ★★★★★

アニメーション『ニルスの不思議な旅』と航空機、日本国自衛隊、その他諸々の、バラエティーに富んだ話題をお届け致します。

米軍横田基地・『日米親善友好祭』 8月23日

2009年08月23日 23時00分00秒 | 日本国自衛隊 各基地/各駐屯地 一般公開
 皆様、今晩は

 わたしは、明日(22日)と今日(23日)の2日間にわたって、米軍横田基地で開催される、『日米親善友好祭』に出掛けていたのである
 今日は、その第2日目なのである

 わたしは、昨日と同様に、午前6時00分に家を出発して、陸上自衛隊立川駐屯地を経由して、五日市街道を西進 してから、午前7時00分を少し過ぎた頃に、米軍横田基地に到着したのである
『日米親善友好祭』の会場への入口となる、第5ゲートには、今朝は徒歩 の入場者の他にも、わたしより先に、2台ほど自転車の人間が到着していたのである。わたしは、青になると同時に、国道16号線を渡渉して、米軍横田基地の防音壁に並んだのだが、国道16号線をひっきり無しに通行する車輛  に巻き込まれないように、自転車を出来るだけ車道から離しながら、徒歩 の入場者と共に、待っていた。
 第5ゲートの開門までは、余裕があり過ぎるので、わたしは用意していたCDを聴きながら 、待ち続けていた。

 そして、第5ゲートの、開門の瞬間が来た
 例年は、午前9時00分に第5ゲートが開門するのであるが、今日は開門が、昨日よりも、10分ほど早められた。それもその筈で、国道16号線の交差点に、あまりにも大勢の人々が集まり過ぎていたのである。様々なファッションの人々が集まっていた。飛行機大好き人間の多くは昨日と同様に、ロッキード・マーチンF―22・ラプター戦闘機を見に来た人々であろう
 横断歩道からはみ出さんばかりに溢れかえっていて、福生警察署と第9機動隊の警察官が、交通規制にあたっていた。M―9自動拳銃や無線機などを腰に提げた、日本人警備員の誘導によって、わたし達は米軍横田基地の中に入って行った。わたしの愛用の自転車は、駐輪場に置いた。

 第5ゲートに設けられた「関所」では、昨日と同様、M―9自動拳銃や無線機などを腰に提げた、空軍憲兵隊による手荷物検査が行われてから、一斉にわたし達は米軍横田基地の中を走り出したのである。勿論、お目当ては、F―22・ラプター戦闘機なのである
 わたしは、様々な模擬店がずらりと立ち並ぶ、メイン会場を通り抜けて、航空機展示場であるエプロン(駐機場)に向かって、息が切れるまで走って行った

 航空機展示場の航空機とその配列は、昨日と同じなので省略するが、F―22・ラプター戦闘機×2機を、大勢の人々が、砂糖の山に群がり集う蟻 の大群のように取り囲んで、F―22・ラプター戦闘機×2機が格好の被写体になっていた事は、書くまでも無いであろう。わたしは昨日に引き続いて、C―5B・ギャラクシー軍用超大型長距離輸送機に向かって、全速力で走って行った。コクピット(操縦室)の操縦席に座るのが、目的であり、夢だったのである
 昨日も書いた 通り、わたしは昔から、米軍横田基地で開催される『日米親善友好祭』で、C―5A/B・ギャラクシー軍用超大型長距離輸送機が展示されるのならば、わたしはコクピット(操縦室)に登って その操縦席に座りたくなるのである
 わたしは早いうちに行列に並んでいて、胴体前部左側から出る階段を経て、機内の前部左側の階段を登って 、コクピットに入って、わたしが『スターの座』と呼んでいる(この詳細は、昨日の書き込み を参照して下され)、操縦席に座っての撮影の後で、わたしはゆったりとした気持ちで、休憩室 の椅子に腰掛けて、暫しくつろいでいた
 C―5B・ギャラクシー軍用大型長距離輸送機にいた時間の方が、長かったように思えるのである
 
 わたしは昼食の時間帯になると、エプロンの一角にある模擬店で「ホットリンクス」という、パンに太いソーセージを挟んだだけの、実にシンプルなホッドドッグを2~3本買った(この詳細は、昨日の書き込み を参照して下され)。本当なら「ステーキセット」を買いたかったのだが、エプロンとメイン会場を往復するのが大変な為、今回は「ホットリンクス」で、素早く済ませたのである。勿論、ビール もさる事ながら、コーラ や水が、飛ぶように売れていたのも、当然の成り行きと言えた事であろう

 また、昨日と同様に、沖縄県の米陸軍鳥居通信基地の第1特殊部隊第1大隊によるパラシュート降下のデモンストレーションも、行なわれたのである。第36輸送飛行隊のC―130H・ハーキュリーズ大型輸送機×3機  のうち2機(一番先頭の1機は先導役)から1機につき6名、計12名の特殊部隊隊員が、次々に降下して、晩夏の空に緑色の花を咲かせたのである。こちらは、一般的な、スタティックライン・ジャンプ(自動索開傘式のパラシュートによる空挺降下)なのであるが、高度は500m~600mだと思う

 高高度まで上昇していた1機のC―130H・ハーキュリーズ大型輸送機から、スポーツのスカイ・ダイビングで使用するものと同じ、四角いスクウェア・タイプのパラシュートで、5名の特殊部隊隊員が降下して来た。これは、一定の高度まで自由降下した後、パラシュートを開傘する、HAHO(高高度降下低高度開傘)という、特殊部隊でよく使用されている、『高等テクニック』なのである
 西暦2005年(平成17年)2月11日(建国記念の日)、わたしが『ニルスの不思議な旅』TVシリーズのDVD―BOX全2巻を同時に買った時も、これと同じような気持ちだったのである

 第1特殊部隊第1大隊の5名の特殊部隊隊員が、見事に、しかもわたし達大勢の人々のすぐ近くにまで「ピンポイント降下」で降りて来て、素早くパラシュートを畳んで、大きなカバン に入れて歩いて来ると、5名の特殊部隊隊員が降下して来るのを見ていた大勢の人々から、殆ど同時に、大きな拍手が起こったのである。わたしもまた、
「HAVE A NICE DAY
 と言いながら、拍手を送った。
 労いの意味で、特殊部隊隊員の肩を叩いて行く人もいれば、記念写真を撮影している人もいる。パラシュートで降下して来た、特殊部隊隊員に向けられる視線は、航空機パイロットに向けられる視線とは、少し違うようである
「空挺隊員」(日米)、「降下猟兵」(ドイツ)などと、国によって呼び方は違うのであるが、何処の国でも空挺部隊は、エリート中のエリートとして、また緊急展開部隊としても、一目置かれている。
 特殊部隊は、空挺部隊のさらに上 を行くエリート部隊なのであるが、特殊部隊の将兵は、空挺部隊やレンジャー部隊から選抜された者が多いのは言うまでもない。

 午後2時00分頃になって、空軍憲兵隊によって、規制線がエプロンに張られた。日本国自衛隊や米海兵隊などの、一部の外来機の帰還の時間が来たのである。
 午後3時00分頃になってから、陸上・海上・航空の、各自衛隊の外来機は各々のホームベースに帰り始めたのであるが、ランウェイ18(箱根ヶ崎寄り)から離陸して、一度米軍横田基地の上空を一周した後、再びランウェイ18に進入して、主翼や胴体を左右に振る「さよならバンク」で飛び去って行くのが多かった。日本国自衛隊の駐屯地祭か基地の航空祭で、またお会い出来ます事を

 岐阜基地の飛行開発実験団のXF―2B戦闘機が、離陸して、上空を一周した後、再びランウェイ18に進入して、「さよならバンク」をした後、ハイレート・クライム(垂直離陸)して行くと、あっという間に雲海の中に消えてしまった。わたしは、XF―2B戦闘機を、『ニルスの不思議な旅』最終回“さようなら アッカ”のラストで、アッカ隊長が率いる雁の群れを見送る ニルスのような目で、見送っていたと思う。

 近隣の立川駐屯地の、東部方面航空隊の2機―富士ベルUH―1J・イロコイス汎用ヘリコプターとOH―6D・カイユース観測ヘリコプター―の2機は、ランウェイ18をストレートに離陸して、上空を最小旋回半径で一周した後、立川駐屯地に向かって、飛び去って行った。わたしはその2機を見送りながら、富士ベルUH―1J・イロコイス汎用ヘリコプターにわたし自身と愛用の自転車を搭載して、立川駐屯地まで帰還するついでに、送って行ってほしいものだな……と思ったのである。そうなれば、自転車を走らせる距離も半減する

 日米両軍の軍事演習では、よくある事なのであるが、前述 のUH―1・イロコイス汎用ヘリコプターや、UH―60・ブラックホーク汎用ヘリコプターの機体両側に特製のラックを装着して、そこにオフロード・バイクを搭載して、飛行している事が多い。これはヘリコプターとオフロード・バイクとの連携によって、キメ細かな敵情偵察 を行なおうというものであるが、こうした事は、ベトナム戦争の経験からも来ている事なのであろう
 ヘリコプターとオフロード・バイクの連携は、何も戦時ばかりではなく、大震災などの「災害派遣」の時にも、被災者や生存者の捜索救助に、大いに役立つのである

 毎年10月 下旬(今年は10月 26日に開催予定)に、立川駐屯地で開催されている『立川防災航空祭』では、最大の見せ場となる「災害派遣訓練展示」で、地元の東部方面航空隊のUH―1・イロコイス汎用ヘリコプターが、被災地に設定された会場正面に着陸すると同時に、東部方面隊第1師団・第1偵察隊 (練馬駐屯地)の排気量250ccクラスのオフロード・バイク×2台を、機内から素早く降ろして、状況確認の為に被災地に向かう、というシークェンスがよくあるのだが、最近の防災訓練では、意外な事に、航空自衛隊のUH―60J救難ヘリコプターに、陸上自衛隊の偵察隊 の排気量250ccクラスのオフロード・バイク×2台を搭載して、着陸すると同時に、機内から素早く降ろして、やはり状況確認の為に被災地の偵察に向かう、という、ユニークな場面もあった。それと同様に、やって頂きたいものである

 そして、入間基地に帰還する、航空総隊司令部飛行隊のT―4練習機も、第402飛行隊の川崎C―1輸送機も、厚木航空基地に帰還する第3航空群第3航空隊のP―3C哨戒機も、同じように、主翼や胴体を左右に振る、「さよならバンク」で各々のホームベースに向けて、飛び去って行った。
 北宇都宮駐屯地に帰還する、第12空中機動旅団第12ヘリコプター隊・第1飛行隊のUH―60JA汎用ヘリコプターとCH―47JA大型輸送ヘリコプターもまた、他の航空機やヘリコプターに負けじとばかりに、機動力の高さを、そして第12空中機動旅団独自の、「意地」 を見せつけたのである。同じように、栃木県に帰る人々も、
「抽選の上、発表を以って」
 北宇都宮駐屯地の、第12空中機動旅団第12ヘリコプター隊・第1飛行隊のUH―60JA汎用ヘリコプターとCH―47JA大型輸送ヘリコプターに乗せてやれば良いのだが(クイズ番組でもあるまいし)。

 午後5時00分。
 日本国自衛隊や、米海兵隊などの、一部の航空機帰還した後で、もう一度、エプロンが開かれた。それでも、午後6時00分には、花火大会の為にエプロンが閉鎖になるのだから、わたしはその前に、ロッキード・マーチンC―5B・ギャラクシー軍用超大型長距離輸送機をバックにして、最後の記念写真を撮影したのである。

 最後に、米軍横田基地の花火大会も、見て行こうかと思ったのであるが、さすがに歩き疲れたものだし、多くのブースのディナーも、売り切れてしまっていたものだから、わたしは米軍横田基地の『日米親善友好祭』から離脱する事に決定した。昨日と同じように、牽引車を改造した「トレインライド」100)に乗って、第5ゲートに向かったのである
 1日中歩きづめで疲れた人は、100を払って、「トレインライド」を利用して、第5ゲートに向かっていたのである。歩き疲れた人は、みんな同じ事を考えて、「トレインライド」を利用するのか。

 わたしは「トレインライド」に乗って、第5ゲートの付近に到着してから「トレインライド」を降りると、自転車駐輪場に向かって行った。そして、ゲートの哨舎の前を通る時に、米軍制式自動小銃・コルトM―16A2のバリエーション、M―4A1カービン銃をスリング(吊り革)で肩から掛けて、腰にM―9自動拳銃を提げて、哨舎の前に立っていた空軍憲兵隊に、敬礼した。
 それから、自転車駐輪場に行って、朝の入場の時から、そこに止めておいた愛用の自転車に乗ってから、国道16号線から五日市街道を経由して、帰宅したのである。 しかしながら、わたし自身の本音としては、前述 の、陸上自衛隊立川駐屯地・東部方面航空隊の富士ベルUH―1J・イロコイス汎用ヘリコプターに、わたし自身と愛用の自転車を搭載して、帰還するついでに送って行って欲しかった

 足の皮が破れてしまうのでは と思ったほどに、歩いたり 、走ったりして、時としては疲れたりもしたが、結論としては、とても楽しい2日間であった
 機会があれば、また米軍横田基地の『日米親善友好祭』に行きたい ものである