真相世界(The truth world)

200608A級戦犯合祀は神道の理にかなっているか?

昭和天皇「私はあれ以来参拝していない」 A級戦犯合祀

古代においては「政」を「まつりごと」と読み、政治・宗教と渾然一体となっていた。
近代以降においては、両者は明確に分離したものとして扱うのが当然であろう。そもそも宗教行事を政治的に扱うことは、近代以降の政治理念からするとおかしな話なのである。

靖国神社が政治結社ではなく純然たる宗教団体なら、ここでいうA級戦犯を祀ろうが祀るまいが、宗教法人の勝手であり、他人がとやかく言うことはできない。
オーム真理教が麻原彰晃を教祖としようが神としようが、その教団内で完結している限りにおいては自由であるのと同じ理屈だ。

宗教活動に関しては、一般的に受け入れられないような特殊な思想であっても、信者が社会的規則に抵触しない限りにおいて、その表現法については保証されなければならない。

ところで、神道は他の宗教と異なり、「敗者」を重要視する。世界の大方の宗教では勝者こそ正義であり規範である。敗者は勝者である神にたてついた悪魔として認識される場合が多い。

ところが日本では「敗者」が重要な意味を持っている。有名なところでは出雲大社の大国主命。出雲大社自体は大国主命を幽閉していた牢屋が原型であるという説まである。
諏訪大社の建御名方神(たけみなかたのかみ) 。 日本神話の男神で大国主命(おおくに ぬし)の子であるが天照大神の使いの建御雷神の命に服さず力くらべをしたが負け、信濃国( 長野県)諏訪湖まで逃れ、同地に鎮まった。

外国人には理解できない祀り方であることがわかる。どうして負けた存在を祀るのか。それは「鎮まった」という表現が解答を与えてくれる。

敗者は当然恨みを持って死んだわけだから、怨念を持っている。怨念が強ければ強いほど祟るのである。
どうか気を晴らしてください。祟らないでください。と言う気持ちが「鎮め」である。

菅原道真を祀る天満宮は、学問の神様として受験生の参拝が後を絶たないが、ご存じのように、平安時代は最大級の祟り神であった。
御霊神社は早良親王や井上内親王、橘逸勢、吉備真備など、非業の死を遂げた人々を祀る神社で、彼らは靖国神社のA級戦犯と何らかわりはない。

A級戦犯が祟ると考えるならば、祀るしかないのである。一度祀ったあげく、政治的な都合で分祀などしたら、どのような災いが発生するか、考えただけでも怖ろしい。というのが神道的な正しい解釈となるであろう。A級戦犯は靖国神社に祀られている他の英霊に比べて図抜けて怨念が強いのである。


さて、政治的な話に戻ると、なぜ当初祀られていなかったA級戦犯が靖国神社に祀られるようになったか。
どのマスコミもその経緯について情報をつかんでいないようである。一番考えられるのはアメリカの指令によるものである。戦後の靖国神社は完全にアメリカの管理下に置かれていたと考えてもよいだろう。
それではなぜアメリカはそんなことをしたのかという疑問が残るが、一番考えられるのは、東京裁判の有名無実化ではないだろうか。自ら処したあまりにも不合理な裁判結果を隠滅するための手段の一つとして、戦犯祭祀を実行したのではないだろうか。
さらに考えるのは死刑を免れ、アメリカの傀儡として職権回復した政治家や役人達の便宜を図った。下記の表を見れば納得するだろう。

(裁判を免れたA級戦犯被指定者)
青木一男(不起訴により釈放)
安倍源基(不起訴により釈放)
天羽英二(不起訴により釈放)
安藤紀三郎(不起訴により釈放)
石原広一郎(不起訴により釈放)
岩村通世(不起訴により釈放)
岸信介(不起訴により釈放)
葛生能世(不起訴により釈放)
小泉親彦(自殺)
児玉誉士夫(不起訴により釈放)
後藤文夫(不起訴により釈放)
近衛文麿(自殺)
笹川良一(不起訴により釈放)
正力松太郎(不起訴により釈放)
須磨弥吉郎(不起訴により釈放)
高橋三吉(不起訴により釈放)
多田駿(不起訴により釈放)
谷正之(不起訴により釈放)
寺島健(不起訴により釈放)
徳富蘇峰(不起訴により自宅拘禁解除)
梨本宮守正王(不起訴により釈放)
西尾寿造(不起訴により釈放)
橋田邦彦(自殺)
本庄繁(自殺)
本多熊太郎(不起訴により釈放)
真崎甚三郎(不起訴により釈放)

この連中が戦後の日本植民地化計画を推進した人物達であることは疑いようもない事実である。

次期総裁と目される安倍は岸直系である。なぜか突然公表された昭和天皇メモ。どうしてこのタイミングで公表されたのか。こんなメモいつでもその気があれば公表できたはずである。
朝日新聞は知ってか知らずか脳天気に、鬼の首を取ったようにはしゃいでいるが、メモが公表されるに至った必然的理由についてはなにも言及していない。

「小泉の靖国参拝への面当てができてざまーみろ」とまるで人民日報の記事ような軽薄な文面が踊っているが、もしかしたら乗せられているのでは、くらいの警戒感は持ってもらいたいものである。同調する他のマスコミも情けない。(まとめて安倍とグルなのかもしれないが)

福田氏、総裁選に立候補せず…「安倍政権」有力に

かなり前から腰が引けていた福田康夫が完全に断念した。

これとメモ公表との因果関係を思い浮かべるものはいないのだろうか。

結論を言おう。突然のメモ公表は、小泉内閣幕引きに関わるやらせである。やらせているのはアメリカ。
対中政策の重要な変更が主目的であろう。

A級戦犯合祀に関して言えば、中共や韓国が騒ごうが、つい最近までほとんどの国民は無関心だった。小泉が参拝するたびに中共や韓国が騒ぎ、マスコミも多少騒いだので、少しくらいは脳裏をかすめるが、もともとどうでもいい話題であり、忘れ去っていたはずである。

ここに来て昭和天皇のメモを見せつけられ、あらかたのマスコミがA級戦犯合祀反対と騒ぎ立てれば、単純な大衆は、韓国人の竹島同様、操り人形のような行動をとることは見え見えである。

すっかり悪役にされてしまった靖国神社がまともな反論をするか、注視したい。


(記事)
 昭和天皇が死去前年の1988年、靖国神社にA級戦犯が合祀(ごうし)されたことについて、「私はあれ以来参拝していない それが私の心だ」などと発言したメモが残されていることが分かった。当時の富田朝彦宮内庁長官(故人)が発言をメモに記し、家族が保管していた。昭和天皇は靖国神社に戦後8回参拝。78年のA級戦犯合祀以降は一度も参拝していなかった。A級戦犯合祀後に昭和天皇が靖国参拝をしなかったことをめぐっては、合祀当時の側近が昭和天皇が不快感を抱いていた、と証言しており、今回のメモでその思いが裏付けられた格好だ。

 メモは88年4月28日付。それによると、昭和天皇の発言として「私は 或(あ)る時に、A級(戦犯)が合祀され その上 松岡、白取(原文のまま)までもが 筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが」と記されている。

 これらの個人名は、日独伊三国同盟を推進し、A級戦犯として合祀された松岡洋右元外相、白鳥敏夫元駐伊大使、66年に旧厚生省からA級戦犯の祭神名票を受け取ったが合祀していなかった筑波藤麿・靖国神社宮司を指しているとみられる。

 メモではさらに、「松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々(やすやす)と 松平は平和に強い考(え)があったと思うのに 親の心子知らずと思っている」と続けられている。終戦直後当時の松平慶民・宮内大臣と、合祀に踏み切った、その長男の松平永芳・靖国神社宮司について触れられたとみられる。

 昭和天皇は続けて「だから私(は)あれ以来参拝していない それが私の心だ」と述べた、と記されている。

 昭和天皇は戦後8回参拝したが、75年11月の参拝が最後で、78年のA級戦犯合祀以降は一度も参拝しなかった。

 靖国神社の広報課は20日、報道された内容について「コメントは差し控えたい」とだけ話した。

 


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コメント一覧

imacoco
森羅万象
http://blog.goo.ne.jp/imaima_07
※上記の書き込みは私ではありませんので

>神道は他の宗教と異なり、「敗者」を重要視する。世界の大方の宗教では勝者こそ正義であり規範である。敗者は勝者である神にたてついた悪魔として認識される場合が多い。
・・・これは違うと思いますね。「神道」は自然と調和して生きる「生き方」ということで、それに相反する戦争自体を「森羅万象」は憂いの眼で見ていることでしょう。人間は、何時「真実」に気がついてlove&peaceに暮らしはじめるのか・・神は気長に待っているのだと思いますよ。
通りすがり男
↑あんたよりはマシだ。
では。
imacoco
失礼しますよ・・
非常に 暇な方なんですね^^
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