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日本の歴史についての私見をみせるブログ

永仁元年から三年にかけての関東(鎌倉)大地震について

2012年12月03日 22時49分13秒 | 歴史
今日も、ぎりぎり体に感じられる地震が2回くらいありました。まだまだ東日本大震災の余震はつづくのでしょうか?そこで、鎌倉時代の永仁元年(正応六年)四月十三日の関東大地震の余震とか、その他雷などの記事を45日分ピックアップしました。湯浅吉美さんの研究によれば、吾妻鏡には100年弱で200件ほどの地震の記事があって決して少なくないとされていましたが、これは、たったの2年半で、45件弱の地震の記事があるのだからなかなかすごいことだとおもうんです。何日も連続して地震に見舞われていたり、鶴岡八幡宮寺の鳥居のことかとおもうが、鳥居のほとりに被災した死骸が集められていたり規模はデカい。また、東日本大震災のいわきと近いかなとおもうのは、藤原(三条)実躬の日記に「関東大地震。数刻に及ぶの間(中略)多くもって破損」とあることに注目したい。長いことゆれ続けたので、多くの建物が破損したというのだ!

1は、京都の地震で、2は、おそらくは、年代記の作者の間違いのように見えますが、いずれも参考までと、のせてみました。2年半程度の記録しか追っていませんし、自宅にある本でしかめくっていません。またまた、原文は和様漢文体ですが、歴史を専攻したものとしての責任とプライドがだめにならない程度に、テキトーに読み下しています。たとえば、虫食いを予測で、1字勝手に補ってみたり、誤字だとおもわれるものは、積極的に直しちゃったりとか、「江嶋」を現在の表記に合わせて「江ノ島」としたり、地震と雷の記事を集めるためだけのノートとしてつくっていますので、ご寛恕ください。


1●永仁元年(1293)四月十二日(京都)=5月19日
暁天におよび地震。(実躬卿記)

2●永仁元年(1293)四月十二日(鎌倉)
大地震。建長寺、地震によって顛倒。一寺も剰さず焼く。「大地震。打ち殺さる者一千七百余人(1,700人余)。」(鎌倉大日記)※おそらくは翌日の誤り

3●永仁元年(1293)四月十三日(鎌倉)=5月20日
(1)○天陰(くもる)、ただし雨降らず。卯時、大地震。先代未曾有の大珍事。(中略)堂舎・人宅ことごとく顛倒。上下死去の輩、幾千人かを知らず。同じき時、建長寺炎上。(蘭渓)道隆禅師影堂のほか一宇も残さずと云々。(親玄僧正日記)
(2)○寅刻、大地震。山くずれ、人屋顛倒す。死者その数知らず。大慈寺丈六堂以下埋没。寿福寺顛倒。巨福山(建長寺)顛倒。すなわち炎上。所々の顛倒、計を称するにいとまあらず。死者二万三千廿四人(23,024人)と云々。(鎌倉年代記裏書)
(3)○寅刻、大地震。山くずれ、人屋顛倒す。死人二萬三千卅四人(23,034人)と云々<関東の分なり>。大慈寺顛倒と云々。同日、建長寺炎上。(武家年代記裏書)
(4)○(京都)廿四日(中略)去る十三日の暁、関東大地震。数刻に及ぶの間、将軍御所および若宮より始めて在家・民屋等に至るまで、多くもって破損す。人また多く死去すの由、風聞すと。山・岸等また散々。およそ言語のおよぶところにあらずと云々。先代未聞の珍事なり。「建長寺顛倒。よって火出来焼失と云々。」(実躬卿記)

4●永仁元年(1293)四月十四日(鎌倉)
天晴、なお小地震。時々刻々間断なし。(中略)死人、鳥居のほとりに百四十人(140人)のよし、人これを申すと云々。(親玄僧正日記)

5●永仁元年(1293)四月十五日(鎌倉)
天晴、辰時内六箇度(地震)。(親玄僧正日記)

6●永仁元年(1293)四月十六日(鎌倉)
天晴、(中略)時々刻々地震間断なし。(親玄僧正日記)

7●永仁元年(1293)四月十七日(鎌倉)
天晴、卯時、地震もってのほか久し。(中略)午半刻ばかりにまた地震。なお超過しおわんぬ。(親玄僧正日記)

8●永仁元年(1293)四月十八日(鎌倉)
天晴、酉時ばかり、降雨しおわんぬ。地震時々、興隆せず。(親玄僧正日記)

9●永仁元年(1293)四月十九日(鎌倉)
降雨、辰時、小地震。酉時またまた地震もってのほかなり。十三日以後はこの震動もってのほかなり。戌時また震おわる。(親玄僧正日記)

10●永仁元年(1293)四月廿日(鎌倉)
降雨、夜に入りて、地震もってのほかなり。(親玄僧正日記)

11●永仁元年(1293)四月廿一日(鎌倉)=5月28日
天陰(くもる)、夕方小雨下る。卯時、また地震。十三日以後、今日の震動は打ちまかせ、大震動と称すべきなり。(中略)夜以後、六箇度震動と云々。巳時ばかり震おわる。(親玄僧正日記)

12●永仁元年(1293)四月廿九日(鎌倉)
天晴、(中略)地震。(親玄僧正日記)


13●永仁元年(1293)六月六日(鎌倉)=7月11日
天晴、(中略)午時地震もってのほかなり。(親玄僧正日記)


14●永仁元年(1293)六月八日(鎌倉)
天晴、申刻、降雨雷鳴。(親玄僧正日記)


15●永仁元年(1293)七月十八日(鎌倉)=8月21日
天晴、辰時、地震。(親玄僧正日記)


16●永仁元年(1293)八月十日(鎌倉)=9月11日
降雨、亥時、大地震。卯に終わるほどに、降雨おわる。(親玄僧正日記)

17●永仁元年(1293)九月十五日(鎌倉)=10月15日
天晴、子時、地震。(親玄僧正日記)

18●永仁元年(1293)十月廿一日(鎌倉)=11月20日
天陰(くもる)、辰のはじめ降雨、午のはじめ雷鳴、卯刻、江ノ島鳴動、二箇度。また辰のはじめ鳴動。(親玄僧正日記)

19●永仁二年(1294)七月廿三日(鎌倉)=8月15日
天晴(中略)、未時地震。(親玄僧正日記)

20●永仁二年(1294)十一月十日(鎌倉)=11月29日
天晴、寅時地震、数刻におよびおわる。(親玄僧正日記)

21●永仁三年(1295)正月七日(鎌倉)=1月23日
晴、地震大動、辰に終わる。(太田時連日記)

22●永仁三年(1295)正月廿日(鎌倉)
晴、地震、卯に終わる。(太田時連日記)

23●永仁三年(1295)二月二日(鎌倉)=2月28日
風雪、(中略)雪中雷鳴ただ一声を聞く。俗に内に怖れ有りと云々。(太田時連日記)

24●永仁三年(1295)二月廿一日(鎌倉)
晴、地震大動、巳刻。(太田時連日記)

25●永仁三年(1295)四月廿四日(鎌倉)=6月8日
晴、(中略)地震、未に終わる。(太田時連日記)

26●永仁三年(1295)四月廿五日(鎌倉)
晴、(中略)地震。(太田時連日記)

27●永仁三年(1295)四月廿六日(鎌倉)
晴、地震。(太田時連日記)

28●永仁三年(1295)四月廿七日(鎌倉)
晴、地震。(太田時連日記)

29●永仁三年(1295)四月廿八日(鎌倉)
晴、地震。(太田時連日記)

30●永仁三年(1295)五月一日(鎌倉)=6月14日
雨、(中略)地震。(太田時連日記)

31●永仁三年(1295)五月二日(鎌倉)
雨、(中略)地震。(太田時連日記)

32●永仁三年(1295)五月三日(鎌倉)
晴、地震。(太田時連日記)

33●永仁三年(1295)五月四日(鎌倉)
晴、地震。(太田時連日記)

34●永仁三年(1295)五月七日(鎌倉)
陰(くもり)、地震。(太田時連日記)

35●永仁三年(1295)五月八日(鎌倉)
晴、地震。(太田時連日記)

36●永仁三年(1295)五月九日(鎌倉)
雨、地震。(太田時連日記)

37●永仁三年(1295)五月十日(鎌倉)
晴、地震。(太田時連日記)

38●永仁三年(1295)五月十二日(鎌倉)
晴、地震。(太田時連日記)

39●永仁三年(1295)五月十四日(鎌倉)
晴、地震。(太田時連日記)

40●永仁三年(1295)五月十六日(鎌倉)
晴、地震。(太田時連日記)

41●永仁三年(1295)五月廿三日(鎌倉)
晴、地震。(太田時連日記)

42●永仁三年(1295)六月廿三日(鎌倉)
晴、地震。(太田時連日記)

43●永仁三年(1295)七月五日(鎌倉)
晴、(中略)地震、辰に始まる。大動。(太田時連日記)

44●永仁三年(1295)八月三日(鎌倉)=9月13日
晴、地震。(太田時連日記)

45●永仁三年(1295)八月九日(鎌倉)
陰(くもり)、雨、風、(中略)地震数箇度。(太田時連日記)















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