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1C通信

名古屋にある高校の学級通信ブログです。
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自殺してはいけない。「死ね」と言ってはいけない。

2013年07月12日 | 日記
41年前、1972年8月27日(日)。高校1年生の私は、瀬戸・陶生病院の屋上にいた。飛び降り自殺をするためであった。厭世的であった。生きていても意味はないと思っていた。夏休みの宿題は何一つやっていなかった。親とも衝突した。計画的ではなかったが。
8階くらいだったと思う。陶生病院を選んだのは、ウチの近くで一番高いビルであったことと、何度も行ったことのあるところだったからだ。下を見た。怖かった。飛び降りることができなかった。
もし、あの時。同級生の誰かに「死ね!」と冗談でも言われたら。「ああ、死ぬ」。「うそ、お前になんか、飛び降りられるわけないだろう」などというやりとりがあったとしたら…。
私は意地になって飛び降りていたに違いない。同級生は冗談に違いない。けっして本気ではない。

南区の中学2年生がマンションの11階から飛び降り自殺をした。報道によればいじめもあったらしい。いじめがからめば、問題はさらに深刻である。だが、なんであれ、自殺してはいけない。

41年前の自殺未遂。死ななくてよかったと心から思う。生きることは、なんとおもしろく、すばらしいことだろう、と心の底から思っている。すてきな人がたくさんいる。すてきなことがたくさんある。

今でも、私はどこかで厭世的である。人はいずれ死ぬ。生きることに大きな意味はあまりない、とも思っている。だが、私は絶対に自殺しない。死ぬまで生きる。こんなにおもしろいことがあるのだから、死ぬわけにはいかない。あの時、死ななくてよかった、と心から思う。

冗談でも「死ね」と言ってはいけない。絶対にいけない。相手がどんな心理状態なのか、そんなことはわからない。中日新聞によると、南区の中学生は書き残したメモに「『悪いのは自分と一部の人』だから、いじめがあることを自分から隠し、大丈夫なように振る舞っていたと打ち明け、『気づいてあげられなかったなどと後悔しないでください』とつづった」とある。死にたいと思っているかどうか、周囲は容易にはわからない。

冗談であれ、本気であれ、「死ね」と言った相手が本当に死んでしまったとしたら、取り返しがつかない。別れ話のもつれから、恋人に死ねと言ったら、その恋人が自殺してしまい、それを悔やんで自殺してしまった女性を私は知っている。
「死ね」とは、冗談でも、別れ話のもつれであっても、言ってはいけない。私もかつては言ったことはある。幸いにして何も起きなかった。それはまさに幸いにしてなのである。

私が君たちに一番伝えたいことは、生きることのすばらしさ、楽しさ。そして、人のすばらしさである。自分がすてきに生きることが何よりものメッセージだと思っている。

自殺してはいけない。その時は苦しいだろうが、だが、人生は絶対にすばらしいものである。
そして、人を死に追い込むかもしれないことを、絶対に言ってはいけない。その人に取り返しがつかないこと、自分についた心の傷も取り返しがつかなくなることを、よく覚えておいてほしい。


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1 コメント

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Unknown (阿部邦子)
2013-07-12 20:35:24
過去  3歳ぐらいの時に川に落ちたことから始まって 何度も何度も死にかけた。 7回の全身麻酔の時には 深い眠りにつく瞬間に 「このまま起きないことを死ぬって言うんだな」と思った。 今年 恭一氏が交通事故で 救急車で搬送と聞いた時には身体が震えた。 がん闘病の時親しくなった友人たちが 何人も力尽きて亡くなった。 そして東日本最震災では 悔しい亡くなり方をした方が山ほどいた。  人間いつかは死ぬ。 それは自然の摂理。 でも悔しい死に方だけは絶対にしてほしくない!!! ゲームってよくないね と言った人が何人もいる。 「ゲームでバトルすると 簡単に死んで そしてもう一回できると思う。 人間は 死んじゃったら再挑戦できないってことに対して 鈍くなってる」   さもありなんと思えた。 ある教室で 葬式ごっこと称して ある生徒の机の上に 菊の花と線香を添えて それを担任まで面白がった という事件もあった。 わたしは中学時代苛められた。 娘がいじめにあっているとしったら 両親が悲しむだろうなと思った。 だから家では楽しげにふるまった。 なんでいじめられるのだろうと分析した。なんのことはない 教師たちに可愛がられたから。 なんだ と思った。 ねたんでるんだ。 そんな奴らにまともにたちあう気など 失せた。 そして あと半年我慢したらこの状態からきっと抜け出せると自分に言い聞かせた。 わたしは決して強いのではない。 弱くて傷つきやすいから 傷つかなくて済む考え方を求める。 そして偶然か 「もうこいつらなんか気にしない」 と思って以来 いじめはなくなった。 なぜだかはわからない。 大震災の後 生き続けるのが辛かった。 「もう、いい」と、ふっと思いそうになった。 でも自分で死のうとは思わなかった。 わたしにも どうしても相いれない人はいる。 あくまでも私から見て、ではあるが 感性も価値観も人生観もまるで合わず、 おまけにわたしへのねたみがあると聞いている。 わたしをおもしろがれる人は間違いなく大もの。  おもしろがれない人は・・・・・ どうぞご勝手に と思うしかない。 わたしはそういう人より 一日でも長生きして 一つでも多く この世を楽しもうと思っている。 
 生きている限りは楽しもう。 まだまだ辛い状態の私でさえそう思ってるんだよ。 添うちょっとでも思ったら 愛知ボラセンと一緒に 十八成にいらしてみませんか/  そして 死ね と人に言いそうだと思う人も。

死ね という言葉は毒だと知ってほしい。 
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