41年前、1972年8月27日(日)。高校1年生の私は、瀬戸・陶生病院の屋上にいた。飛び降り自殺をするためであった。厭世的であった。生きていても意味はないと思っていた。夏休みの宿題は何一つやっていなかった。親とも衝突した。計画的ではなかったが。
8階くらいだったと思う。陶生病院を選んだのは、ウチの近くで一番高いビルであったことと、何度も行ったことのあるところだったからだ。下を見た。怖かった。飛び降りることができなかった。
もし、あの時。同級生の誰かに「死ね!」と冗談でも言われたら。「ああ、死ぬ」。「うそ、お前になんか、飛び降りられるわけないだろう」などというやりとりがあったとしたら…。
私は意地になって飛び降りていたに違いない。同級生は冗談に違いない。けっして本気ではない。
南区の中学2年生がマンションの11階から飛び降り自殺をした。報道によればいじめもあったらしい。いじめがからめば、問題はさらに深刻である。だが、なんであれ、自殺してはいけない。
41年前の自殺未遂。死ななくてよかったと心から思う。生きることは、なんとおもしろく、すばらしいことだろう、と心の底から思っている。すてきな人がたくさんいる。すてきなことがたくさんある。
今でも、私はどこかで厭世的である。人はいずれ死ぬ。生きることに大きな意味はあまりない、とも思っている。だが、私は絶対に自殺しない。死ぬまで生きる。こんなにおもしろいことがあるのだから、死ぬわけにはいかない。あの時、死ななくてよかった、と心から思う。
冗談でも「死ね」と言ってはいけない。絶対にいけない。相手がどんな心理状態なのか、そんなことはわからない。中日新聞によると、南区の中学生は書き残したメモに「『悪いのは自分と一部の人』だから、いじめがあることを自分から隠し、大丈夫なように振る舞っていたと打ち明け、『気づいてあげられなかったなどと後悔しないでください』とつづった」とある。死にたいと思っているかどうか、周囲は容易にはわからない。
冗談であれ、本気であれ、「死ね」と言った相手が本当に死んでしまったとしたら、取り返しがつかない。別れ話のもつれから、恋人に死ねと言ったら、その恋人が自殺してしまい、それを悔やんで自殺してしまった女性を私は知っている。
「死ね」とは、冗談でも、別れ話のもつれであっても、言ってはいけない。私もかつては言ったことはある。幸いにして何も起きなかった。それはまさに幸いにしてなのである。
私が君たちに一番伝えたいことは、生きることのすばらしさ、楽しさ。そして、人のすばらしさである。自分がすてきに生きることが何よりものメッセージだと思っている。
自殺してはいけない。その時は苦しいだろうが、だが、人生は絶対にすばらしいものである。
そして、人を死に追い込むかもしれないことを、絶対に言ってはいけない。その人に取り返しがつかないこと、自分についた心の傷も取り返しがつかなくなることを、よく覚えておいてほしい。
8階くらいだったと思う。陶生病院を選んだのは、ウチの近くで一番高いビルであったことと、何度も行ったことのあるところだったからだ。下を見た。怖かった。飛び降りることができなかった。
もし、あの時。同級生の誰かに「死ね!」と冗談でも言われたら。「ああ、死ぬ」。「うそ、お前になんか、飛び降りられるわけないだろう」などというやりとりがあったとしたら…。
私は意地になって飛び降りていたに違いない。同級生は冗談に違いない。けっして本気ではない。
南区の中学2年生がマンションの11階から飛び降り自殺をした。報道によればいじめもあったらしい。いじめがからめば、問題はさらに深刻である。だが、なんであれ、自殺してはいけない。
41年前の自殺未遂。死ななくてよかったと心から思う。生きることは、なんとおもしろく、すばらしいことだろう、と心の底から思っている。すてきな人がたくさんいる。すてきなことがたくさんある。
今でも、私はどこかで厭世的である。人はいずれ死ぬ。生きることに大きな意味はあまりない、とも思っている。だが、私は絶対に自殺しない。死ぬまで生きる。こんなにおもしろいことがあるのだから、死ぬわけにはいかない。あの時、死ななくてよかった、と心から思う。
冗談でも「死ね」と言ってはいけない。絶対にいけない。相手がどんな心理状態なのか、そんなことはわからない。中日新聞によると、南区の中学生は書き残したメモに「『悪いのは自分と一部の人』だから、いじめがあることを自分から隠し、大丈夫なように振る舞っていたと打ち明け、『気づいてあげられなかったなどと後悔しないでください』とつづった」とある。死にたいと思っているかどうか、周囲は容易にはわからない。
冗談であれ、本気であれ、「死ね」と言った相手が本当に死んでしまったとしたら、取り返しがつかない。別れ話のもつれから、恋人に死ねと言ったら、その恋人が自殺してしまい、それを悔やんで自殺してしまった女性を私は知っている。
「死ね」とは、冗談でも、別れ話のもつれであっても、言ってはいけない。私もかつては言ったことはある。幸いにして何も起きなかった。それはまさに幸いにしてなのである。
私が君たちに一番伝えたいことは、生きることのすばらしさ、楽しさ。そして、人のすばらしさである。自分がすてきに生きることが何よりものメッセージだと思っている。
自殺してはいけない。その時は苦しいだろうが、だが、人生は絶対にすばらしいものである。
そして、人を死に追い込むかもしれないことを、絶対に言ってはいけない。その人に取り返しがつかないこと、自分についた心の傷も取り返しがつかなくなることを、よく覚えておいてほしい。
生きている限りは楽しもう。 まだまだ辛い状態の私でさえそう思ってるんだよ。 添うちょっとでも思ったら 愛知ボラセンと一緒に 十八成にいらしてみませんか/ そして 死ね と人に言いそうだと思う人も。
死ね という言葉は毒だと知ってほしい。