創価学会内部改革派憂創同盟

創価学会内部改革派憂創同盟

創価学会内部改革派  蘇生の選択   (9)

2013-01-30 19:28:00 | 宗教

 池田大作は海外から名誉学術称号を200個以上貰っているが、講演したものの称号が与えられなかった大学は、ハーバード大学、カリフォルニア大学ロサンゼルス校、コロンビア大学、フランス学士院などがある。
 ハーバード大学では2回も講演を行っているが称号は貰えてない。お金に困っていない大学からは貰えない。
 ハーバード大学での講演のビデオがあった。聴取者は居眠りをするものが多く、席もまばらであった。講演の間中、池田大作は原稿とにらめっこし、顔を上げない。
 自分が書いた原稿でないから読むことさえ困難であったのであろう。
 内容は理解できないで口を動かしていたはずである。
 池田大作はずっと原稿とにらめっこをしながら口を動かすが、欠伸をする者、居眠りをする者が多くビデオに映っていた。
 講演の途中で退場する者も多かった。講演が終わるとほとんど拍手はなく、ほとんどの人は時間を損したという表情で帰って行っていた。

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 例えば、ブラジル創価学会ではシルビア斉藤が責任者であったが、シルビア斉藤の夫人は池田大作との関係を隠すどころか、それを誇らしげに見せたことで有名である。
 そのためにブラジルでは創価学会から法華講への転向が非常に多く現れた。
 聖教新聞などではもちろん、1990年頃にシルビア斉藤の夫人が死亡したことを報道しなかった。
 また、シルビア斉藤の夫人が死亡して数年後、シルビア斉藤はブラジル創価学会の責任者の地位を追放された。
 これはブラジル創価学会が追放したのか、池田大作が追放したのか、真実は解らない。
 全国各地にある学会施設には池田専用の極めて豪華な部屋(その学会施設の半分以上の費用を掛けている。その施設の掃除は信仰堅い女子部幹部に任せられていたが、あまりの豪華さに疑問を抱き、創価学会より離反していった女子部幹部は多い)が造られており、そこに泊まるときには必ず学会幹部の夫人、または第一庶務の女性を伴い奉仕させていた。
 学会幹部の夫人ということが納得がいかなかったが、それら夫人は池田大作のお下がりであり、お下がりと結婚すると学会内での昇進は約束されるそうである。
 29歳で亡くなった池田大作の次男も池田大作のお下がりとの結婚を強制され結婚したが、その煩悶の末に胃潰瘍となり「胃穿孔」を起こし死亡したと言われる。
「池田大作の女性関係は凄まじい」のがこれほどであることは信じ難いが、真実であるようだ。
 宗教者としては完全に失格である。これではノーベル平和賞は絶対に貰えない。

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「裏切り者は自殺するまで追い込め!」と第六天の魔王である狂気の池田大作が言い放っている。一般的に人が良い学会員も池田大作の狂信者ならばこの前まで友であった者を自殺するまで追い込む。宗教は狂気に通じる。池田大作のためなら何をしても良いという考えが熱心な創価学会員には支配的である。
 日蓮宗の論理として「国の法律より、仏法律が上」というものがある。これは創価学会に於いては更に激しくなり、「国法を犯しても、それが仏法、即ち創価学会と池田大作のためなら何でも許される」という考えになる。これが宮本邸盗聴事件、NTTドコモ事件などを生んできた。
 同じことが脱会者に向けても行われる。殺人事件こそ未だ浮かび上がってこないが、すでに殺人事件は数件、起こっているはずである。ただ、公明党が都議会で大きな力(警視長官の任命権、警察への予算)をもっているため、警察は動かないでいるだけである。
 矢野絢也氏もずっと後を付けてきたトラックに幅寄せされたり、地下鉄を待っているとき真後ろに誰かに立たれ突き落とされそうになったことを公表している。
 池田大作は「脱会者は自殺まで追い込め!」と言い放っているが(これが宗教者の言う言葉であろうか? 池田大作は精神的病気に冒されている。それは妄想型統合失調症と思われる)、自殺まで追い込まれた脱会者は10名を下らないと推定される。脱会者に対する厭がらせは池田大作の命令であり、完全に厭がらせの範囲を超えており、完全な犯罪行為、または殺人行為である。これは宗門に移る学会員を少なくするするための処置である。宗門に移るのは命懸けである。公明党が与党であるため、また、東京都議会に於いて公明党が警察人事、警察予算の主導権を握っているため、警察は動かないし、動けないのである。
「国法を犯しても、それが仏法、即ち創価学会と池田大作のためなら何でも許される」という論理が現在の創価学会に厳然として存在する故、創価学会は数々の反社会的行為を平然と行っている。この論理は犯罪に対する自制心を取り除く効果を生む。こうした論理が極端な「倫理喪失人間」を大量生産する原因となっている。それに加え、創価学会には池田大作が呼び込んだ無数の悪鬼が暗躍し、犯罪を唆している。山崎正友氏は「刑務所の25~30%は創価学会員、極悪犯罪になるとこの割合は更に多くなる」と書かれていた。池田小学校大量虐殺事件などを考えれば解る。

 藤原行正氏暗殺計画があったことを矢野絢也氏は暴露している。
 しかし押し留める声があり、実行には移されなかった。だが今は池田大作の横暴を押し留める者はいない。イエスマン以外は排除されている。

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 謗法の罪は少なくとも三世に渡る。祖父・祖母が熱心な創価学会員の場合、孫が異常に、または不幸になることが多い。それは悲惨な現象であるが、祖父は祖母は孫の不幸が自分のためであるということが分からない。「狂信」故に分からない。長年、信じてきた信仰に洗脳されきっている。孫が可愛いならば創価学会を辞め法華講に入るべきである。周囲が反対するであろう。長年、親しく付き合ってきた人たちから絶縁されるであろう。そのために寂しい思いをするであろう。また、迫害のようなことを受けるかもしれない。しかし、可愛い孫のことを考えるなら創価学会を脱会し法華講に入るべきである。正邪を見抜く目を持たないといけない。少なくとも池田大作の傲慢不遜には気づかなければならない。

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 創価学会には池田大作のため悪鬼が雪崩の如く入り込み、“うつ病性障害”など精神障害の異常多発などが起こっている。精神障害だけでなく、様々な不幸なことが異常多発している。これらはオカルト的にしか説明できない。これは社会問題として取り上げられるべき事であるが、マスコミは創価学会の金力に屈し、報道しない。

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 創価学会は現在、あまりにも“うつ病性障害”が多すぎる。“うつ病性障害”で入院までする患者が少ないが、“うつ病性障害”で入院する患者の90%を創価学会員で占めている。これは自分の病院での統計である。
 創価学会員でない“うつ病性障害”の患者は短期の入院で済むが、創価学会員の“うつ病性障害”の患者は入院が非常に長期化する。そして状態が良くない。保護室使用もあるくらいだ。保護室とは統合失調症あるいは知的障害者が主に入る隔離室のことである。“うつ病性障害”で保護室使用になることは滅多にない。自分の経験では創価学会員以外にはない。
 創価学会の場合は、容易に生活保護になっている。創価学会の“うつ病性障害”の患者はほとんどが生活保護になっているようだ。一般の“うつ病性障害”の患者は滅多に生活保護になれない。

 先日、少年部・中等部の頃、部員会にいつも一緒に行っていた友から電話が掛かってきた。十万円貸してくれとのことであった。もちろん断った。創価学会は金銭貸し借りは厳禁のはずである。ところが男子部・壮年部では意外と守られていない。
 彼女が創価学会員で“うつ病性障害”で入院中。弟も“うつ病性障害”で入院中と言うことであった。二人とも生活保護を受けている。彼女にはちゃんと両親が居る。弟もその友と同居であった。しかし二人とも生活保護を受けるために別居させられたという。生活保護を受けるため公明党の市会議員が知恵を貸したのである。二人ともアパートは公明党の市会議員から紹介されて入ったという!! これは国会で取り上げるべき事である。日本の生活保護の何十%が創価学会員なのだ?!! 少なくとも新規の生活保護はほとんどが(もしかすると地域に依れば全てが)創価学会員であろう。

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 どの仏教書を読んでも「五時八教判」は完全に否定されています。すなわち、釈迦は原始仏教のみを説いた、法華経は紀元1世紀頃に成立したと書かれてあります。
 しかし、創価学会と日蓮正宗は頑なに「五時八教判」を主張しています。御書には至る所に「五時八教判」が出て来ます。
 仏教の様々な教典が完全に違うことを主張しています。これらをすべて釈迦が説いたとなると釈迦は最重度の多重人格障害となります。
 創価学会と日蓮正宗は「五時八教判」を否定し、新しい教学を建てるべきではないかとも思います。しかし、そうすると自宗を否定することになります。日蓮宗(創価学会と日蓮正宗を含む)の教学は「五時八教判」の土台の元に成り立っています。
 悩んでいます。ご助言をお願いします。何回も「五時八教判」のことで質問してすみません。納得のいく回答をお願いします。
 今まで一度も回答のない創価学会の方も今回は回答をお願いします。


 日本の仏教は釈迦が仏教の様々な教典を説いたとしていますが、それは現代仏教学では完全に否定されています。釈迦は原始仏教しか説いていないとされています。釈迦が大乗仏教を説いたと言う仏教学者は存在しない。
 日本の様々な仏教はそれ故に教義が破綻していることを気付いている団体も多いのではとも思います。

「読むな、聞くな、信じるな」これは創価学会での現代仏教学の本に対して言われていた言葉です(これは現代仏教学の本を読んで五時八教判の矛盾を問うた自分に副会長が言われた言葉でした。副会長自身、現代仏教学の本を読んだことはありませんでしたし、知りませんでした)。
 実際、創価学会青年部では現代仏教学の本を読む者は居ませんでした。創価学会青年部では、時間があれば、勤行唱題、テレビやお酒でした。
 少なくとも創価学会に於いては「五時八教判の矛盾」を言っても何のことか分かる人は皆無でした。
 大乗教典は釈迦の死後、500年頃から起こった物と現代仏教学ではされています。この考えは正しいと思います。
 五時八教判という土台の上に成り立っている仏教というものはことごとくが理論的土台を失うのです。残るのはまやかしの理論のみです。
 五時八教判の矛盾を知りながら信仰を貫いている人は自分の心を騙している人です。

 無量義経に書かれている「四十四年未顕真実」と言う文句が、法華経を真実の経典とする典拠になっているのです
が、この無量義経と言うのが、中国で創られた偽書と言う可能性が高いわけです。
 法華経成立は、釈尊の死後、数百年経った後であり、釈尊自身の言葉とするにも、ムリがあります。
 そういう事を考えると、日蓮聖人が、他宗批判した論拠の大半が失われる事になり、われわれが既成教学の中で学んで来た事は、改めねばならないのです。

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 五時八教判の矛盾を知りながら創価学会の信仰を貫いている人は自分の心を騙している人です。
「五時八教判の矛盾を知りながら、どうして創価学会の信仰を貫くことができるか!!」自分にはできません。他の人はどうなのでしょうか?? お答えください。
 五時八教判という土台の上に成り立っている仏教というものはことごとくが理論的土台を失うのです。残るのはまやかしの理論のみです。五時八教判は間違い、すなわち創価学会の教学は土台から破綻しているのです。
 創価教学の矛盾を知りながら創価学会を信じている人の心が解らない。お教えください。

P.S. 五時八教判の矛盾とは本を読めば中学生でも解ることです。五時八教判の矛盾とは何か?という質問には答えません。また、屁理屈は辞めること。創価学会の人からの回答はないと思われるが、創価学会の人からの回答を求める。創価学会の方にお尋ねする。お答えください。
 大乗教典は釈迦の死後、500年頃から起こった物と現代仏教学ではされています。この考えは正しいと思います。
 前回、納得のいく創価学会員からの回答がなかったため、再質問です。

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御書を勉強していると、神社への参拝を禁止する項目は出ていません。
日蓮大聖人は斬首系の直前に神社の神を激しく叱咤されました。
御本尊には神社の様々な神の名が書かれています。
御書を勉強していて浮かんだ単純な疑問です。
回答お願いします。

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 “魔”の御本尊(日寛上人の御本尊)についてーーー題目三唱もしてはいけない、完全に無視すること
 平成5年から配布された創価学会製である御本尊は“魔”の御本尊である。しかし、長く創価学会に属していた家庭の御本尊は日達上人の御本尊であっても創価学会の魔性が色濃く住み着き、“魔”の御本尊とあまり変わりなくなっている(このときは住職より“お清め”を受ける)。早く日蓮正宗寺院へ行って勧誡式(御授戒のようなもの)を受け、そして正しい御本尊を受けるべきである。
 しかし、脱会および退会届を提出することは家人および親族が熱心な創価学会である場合は非常に困難である(退会届を出すことイクオール離婚、家庭崩壊の処は多い)。そのため現在では退会届を出さなくとも住職の判断で入講(勧誡式を受けること)することができるように成っている。また、退会せずに入講する場合はある書類にサインする寺院もあると聞く。離婚・家庭崩壊を避けるため、家族に内緒で法華講に移っている元・創価学会員は多い(その人は未だに創価学会に籍がある。大部分が壮年部と男子部で、婦人部は少ないようである。創価学会の名簿は幽霊会員が大部分である極めて適当な名簿である。聖教新聞を取っている会員の十倍近くの会員がいることになっている)。
 私は上記のことを知らずに三年間余り、家人などには内緒にインターネット上で創価学会内部改革派憂創同盟と名乗り、極めて批判的な創価学会員のままで過ごした。創価学会を退会しないと法華講に入れないものとばかり思っていた。私にとって創価学会を退会することは離婚を意味する故にできないことだった。現在は法華講員として五座三座を大石寺の方角へ向かって行っている。唱題も一日平均五十分ぐらい行っている。週に一回、お寺に行って勤行唱題を二時間ぐらいしている。これだけ行っているがうつ病性障害の再燃は全く気配さえない。御本尊授与も勧められたが、家人が御不敬する確率が非常に高いため辞退している。法華講にうつ病性障害など精神障害の人は自分が知っている範囲では一人もいない。法華講は現在、折伏に燃えている。創価学会の昭和48年ぐらいに相当すると思われる。
“魔”の御本尊に祈り、うつ病性障害になった人は非常に多い。
“魔”の御本尊に向かって勤行をする度にリストカットする男子部幹部がいる。勤行するとリストカットしたくてたまらなくなるそうだ。そのため創価学会員の精神科医より勤行は厳禁されているが熱心なあまり勤行をしてしまうそうである。
 また、“魔”の御本尊の半径二メートル以内では『死ね、死ね』という幻聴が聞こえる婦人部が居る。二メートルを超えると声は聞こえなくなるそうだ。
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 眠った人々(創価学会に退会届を出さずに法華講に入れる)

 創価学会の壮年部、男子部には信仰する気を無くし、勤行唱題・学会活動を全く行わない人々が多く存在する。これらを眠った人々と言う。
 彼らは池田大作の本性を見抜いた人々である。しかし、婦人が熱烈な池田教の信者であることがほとんどであり、日蓮正宗法華講に入ることができない。女性は洞察力が弱く、池田大作の本性を見抜くことは少ない。
 自分は創価学会に退会届を出さずに日蓮正宗法華講に入った。
 女房の一族が狂信的な池田教の信者であるため退会届は出されない。出すことはイクオール一家離散である。
 自分は創価学会に退会届を出さずに日蓮正宗法華講に入れることを知らずに3年間、創価学会改革派のまま過ごした(1年間は完全に眠っていた)。
 自分のような壮年部、男子部がたくさん居ると思い、インターネットを使って、創価学会に退会届を出さずに日蓮正宗法華講に入れることを知らせようとした。
 すると反対のメールが日蓮正宗法華講員と名乗る人から幾つも来た。
 このことを知られると10万人ぐらいの壮年部、男子部が一挙に日蓮正宗法華講に雪崩れ込むから、それを防ぐための創価学会の日蓮正宗法華講に成りすましからの反対のメールだと考えた。
 創価学会なら日蓮正宗法華講に成りすます人間がたくさん居ると考えた。過去のスパイ事件を考えてもそうだった。
 しかし、次第に、お寺によって、御住職の考えによって、創価学会に退会届を出さずに日蓮正宗法華講に入れるらしいと考えるようになった。
 創価学会の名簿は幽霊会員がほとんどの適当な名簿である。日本共産党の幹部もキリスト教の牧師も創価学会の名簿に入っている。退会届を出さない限り、永遠に創価学会の名簿に載り続けるのである。死んでも解らないから載り続ける。実際の創価学会員の十倍近くが幽霊会員である。選挙の時のためにこの名簿を使っているらしい。
 25年前、退会届のことを知っている人はまず居なかった。だから、みんな、退会届を出さずに創価学会を辞めて行っていた。彼らは皆、未だに創価学会の名簿に残っている。
 創価学会に退会届を出さずに日蓮正宗法華講に入れる寺院、御住職が増えることを願う。
 自分は「何故、創価学会に退会届けを出さなければ、日蓮正宗法華講に入れないことが多いのか」全く理解できない。仏法は慈悲ではないのか?
 また、そうならないと、創価学会を辞めたくても家庭の都合上、辞められない人が可哀相である。彼らは日蓮正宗法華講で信仰をしたくて堪らないのである。創価学会が、池田大作が、大嫌いなのである。また、“魔”の御本尊が厭なのである。“魔”の御本尊が怖いのである。
 創価学会に退会届を出さずに日蓮正宗法華講に入れる寺院、御住職が増えると、広宣流布は一歩大きく前進すると思う。
『これは最近あったことですけども、法華講に入講した方の処に、学会員が複数でやって来て、「学会を辞めるなら退会届を書いてください」と言って書かせるんです。そして「もう一枚お願いします」と言って、続けて二枚書かせるのです。
本人は「退会するには二枚書類が必要なのかな」と思って「退会届」を二枚書いたつもりなんですが、実はそのうちの一枚は「脱講届」だったというわけです。そういう事件がありました』
(妙教 平成二十二年7月号 69頁)
             (完)

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    創価学会の没落

 以前は、生きている一瞬一瞬が歓喜になるという歓喜が創価学会にも有った。それが無くなったのは何時からだろう。創価学会製の御本尊の配布とともに消えていったような気がする。
 この歓喜は何なんだ!という歓喜が以前はあった。これも創価学会製の御本尊の配布とともに少しずつ消えていったような気がする。
 創価学会は元気にはなるが、同時に不思議なほどの悪いことが起こっていた。
 日蓮正宗に移ってからは元気になっても悪いことは起こらなくなった。創価学会に憑いていた悪鬼のために悪いことが同時に起こっていたのだと解釈している。
 平成5年から配布された創価学会製の御本尊に祈っても歓喜は少ししか湧かない。ほとんど湧かないと言っても良いであろう。全く湧かないと言っても良いかも知れない。ただ、勤行をした、唱題をした、という満足感が湧くのみである。
 創価学会は創価学会製の御本尊の配布とともに活力を失ってきている。以前は喧しいほどの活力があった。選挙の投票数は自民党などとの関連があり、あまり当てにならないらしい。しかし、その投票数も確実に減ってきている。創価学会は折伏を実質上中止し、選挙至上主義になっているにも拘わらず、この得票数である。現在の創価学会員は選挙のためだけに信仰をしていると言っても過言ではない。選挙のため、友好活動を重要視している。友好活動のため折伏する暇はない。
 平成5年の午前1時、自分の通う寺院の玄関を蹴破り、乱入してきた男子部たちが居たが、今や、その活力は創価学会には存在しない。選挙至上主義で社会に溶け込み、友好活動に没頭している。選挙で1票取るのも、一人折伏するのも同じ功徳があると平然と言われている。
 日蓮正宗の御本尊は大石寺の大御本尊に繋がる。創価学会製の御本尊はどこに繋がるのだろう。創価学会本部の御本尊にだろうか?
 今や、創価学会員は勤行唱題を長時間する人は極めて少なくなってきている。創価学会製の御本尊に祈っても歓喜がほとんど湧かないからだ。それに比べて、創価学会製の御本尊に替えなく、日達上人の御本尊のままの人は、勤行唱題すると歓喜が湧くため以前のように長時間、勤行唱題を行っていることが多いようだ。
 このまま創価学会製の御本尊しか会員に渡さなければ、創価学会は更に活力を失ってゆく。
 創価学会の再生には宗門と縒りを戻すほかに方法はない。宗門と縒りを戻せなかったら衰亡の道しか残されていない。

(完)

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  厳しい現実を元気に生き抜く
                             不思議な元気になる信仰


 00さん。今朝、「ヤフーの知恵袋」であなたの質問を見て答えましたが、非常に引っかかって居るのがありますので再び書きます。ここは職場でインターネットはありません。
 今から3日3晩の当直ですから帰る月曜の朝にはもう質問は閉じているかも知れません。閉じていたら、自分からあなた宛に質問することになりますが、すみません。
 あなたは創価学会から日蓮正宗、そしてスピリチュアルへと渡り歩いているそうですが、自分によく似ています。自分も小さい頃から創価学会でしたが“魔”の御本尊、池田大作などの件で創価学会改革派に移りました。
 創価学会はおかしい、池田大作はおかしい、変えなければ、と思っている人は多いのです。でも改革派の人も大部分は改革不可能と判断して日蓮正宗に移っているようです。
 創価学会改革派は3年間しました。しかし創価学会改革派のときシルバーバーチを1年間しました。「外典を読め」という創価学会の指導が悪いのだと創価学会の責任にします。自分は創価学会というか池田大作の同時放送での横暴な姿と言動に厭気がさしてスピリチュアルに走ったのでした。
 創価学会改革派では家庭崩壊する、しかし、シルバーバーチなら女房も許してくれる、家庭崩壊までには至らない、変なことを始めたぐらいしか思わない、という打算があったのです。そして自分は元気がなくなるシルバーバーチへの道を選んだのでした。家庭崩壊だけは避けようと思ったのです。創価学会改革派は限りなく日蓮正宗に近いものです。
 スピリチュアルはほとんどあらゆる本を読みましたが、シルバーバーチ以外は信じられませんでした。しかし、シルバーバーチは信じられました。そしてシルバーバーチの日本の拠点である「心の道場」に連絡を取り、そこからニューズレターという3ヶ月に一度発刊されるのを全て取り寄せ(これは取り寄せなくともインターネットで全て読めます)シルバーバーチに凝りました。丸1年間、シルバーバーチに凝りました。シルバーバーチのお祈りも毎日熱心にしていました。その贖罪のためにこれを書いています。
 しかし、シルバーバーチには力がないことが分かりました。そのために創価学会改革派に戻りました。理論的には疑うことの無いほど完璧ですが力がありません。創価学会改革派のように元気が湧いてきません。「厳しい現実を元気に生き抜く」力が湧いてきません。もう一度書きます。「厳しい現実を元気に生き抜く」力が湧いてきません。一日一日に喜びがあまりありません。明るくなれません。挫け果てた自分になってしまいます。そうして自分は創価学会改革派に戻りました。文証、理証より現証です。
 創価学会改革派では元気が湧いてきます。怖いものがなくなります。明日を思い煩うことがなくなります。悲しみも喜びに変わります(これは決して大袈裟ではありません)。
 つまり自分は元気になるから、この信心をしています。ところが、創価学会製の御本尊に対して勤行唱題してもあまり元気にならないので悩んでいました。日達上人の御本尊に勤行唱題したときは「生きている一瞬一瞬が歓喜となる」となっていました。
 創価学会の邪宗化は池田大作が会長になったときから少しづつ始まっていると思っていますが、創価学会が邪宗化する以前、社会の底辺で苦しんでいた人々に生きる力と勇気を与えてきたのは創価学会でした。それが折伏大行進の時代でした。
 折伏大行進の時代は、現在、顕正会が激しすぎる折伏をしていると言われていますが、その比ではありませんでした。池田大作(池田大作の生まれながらの名は池田大作。27歳頃、変名した)も5時間粘られて根負けして入信したのです。「人間革命」に書かれていることは創作です。
 Youtube に昭和32年の創価学会の折伏の映像が載っていましたが驚きます。もの凄く激しい邪宗排撃です。恐喝・恫喝の連続です。今なら警察沙汰になると思います。その頃は自分の知っている人も折伏折伏で勤行する暇が無くて歩きながら勤行していたと語っていました。
 00さんは日蓮正宗が他宗をあまりに悪く言うのに厭気がさしてスピリチュアルに移ったとのことですが、創価学会も他宗をもの凄く悪く言います。顕正会も同じです。創価学会と顕正会は日蓮正宗から派生したものです。ですから創価学会、顕正会、日蓮正宗、すべて教義は同じです。創価学会が他宗排撃が激しくないように見えたのは「選挙」のためのカモフラージュです。
「この信心しても他の信心しても同じ」と言うならその宗教の存在価値がないと思う、というのは極論でしょうか?
 ただ創価学会は「選挙のため」他宗を悪く言うことを現在、控えるようになっています。第一、折伏を実質上、中止して選挙のみに賭けているくらいです。「選挙のため」です。選挙がなかったら創価学会も他宗をもの凄く排撃し続けているはずです。
 日蓮正宗もそんなに他宗を悪く言いませんが、たまたま酷く悪く言う住職に当たったのでしょう。
 他宗を悪く言うのは他の宗教でも同じです。キリスト教、モルモン教、エホバの証人、イスラム教、みんなそうです。イスラム教の過激派は他宗の人間は殺して良いと言っているようです。スピリチュアルでも内紛が激しいです。スピリチュアル同士、派が異なると、悪口を怖ろしいほど言い合っています。
 日蓮大聖人は日本国民が不幸なのは間違った宗教をしているからだと他宗を酷く批判しました。それは日本国民を救うための慈悲から来たものでした。他宗を悪く言うのも他宗で不幸になっている人達を救うためです。他宗を悪く言うのは慈悲の行為なのです。
 キリストはユダヤ人でした。つまり代々ユダヤ教徒でしたが、ユダヤ教を酷く悪く言い続けました。そして磔の刑になったのです。
 そして00さんが入ったという「幸福の科学」も「創価学会ドラキュラ論」という本を書いています。自分はそれを持っていますし、読みました。他にも創価学会を攻撃する本が書かれているかも知れません。おそらく数冊は書かれているはずです。創価学会が「幸福の科学」をかなり悪く言っていたことを憶えています。「幸福の科学」は他宗攻撃の本を多数書いているはずと思います。
 日蓮正宗、創価学会、顕正会より他宗を更に悪く言うのに不受不施派があります。日蓮大聖人の御遺文を極めて厳しく守っています。これは日蓮正宗の元である日蓮宗富士派から別れたものと思われます。不受不施派は現在、岡山県にお寺が一つだけありますが、江戸時代までお寺は一つもありませんでした。不受不施派に入ると必ず(かんぎょうしょ)を幕府に提出しなければ成らず、そのため遠島になっていました。仲間を喋らないよう、拷問を受けても耐えられるように日頃から厳し過ぎるほどの鍛錬を欠かさなかったと言われています。つまり日頃から拷問に耐える訓練を行っていたのです。もの凄いです。
 また、仲間を知らないようにするため、仲間を知ることはほとんど無かった、つまり先輩後輩3人ぐらいのグループで信仰をしていたと言うことである。その伝統は現在も受け継がれ、信者同士隔絶されており、同じお寺に属しながらも顔も名も知らないことがほとんどであると言われる。現在も、何故、信者同士を隔絶しなければいけないのか理解に苦しみます。
 二世三世の新しい創価学会員と違い、古い創価学会員は他宗をもの凄く悪く言います。「折伏経典」というのがあり、折伏大行進の時代はそれを片手に折伏して回っていたのですが、それには他宗をもの凄く悪く書いてあります。一度読まれると驚くと思います。ずっと前に廃版になっています。古い創価学会員の家にあるかもしれません。今は選挙のために幹部がその「折伏経典」を回収して回っているそうです。世間に知れたら選挙に拙いからです。自分の実家にもありますが、自分の実家は田舎であり創価学会が低迷している処であるため回収は行われていません。
 自分は今、日蓮正宗に属して信仰をしています。日蓮正宗が最も正しい、と判断したからでした。まだ、数ヶ月かしか経っていません。やはり、元気一杯になる、怖いものがなくなる、一日一日が歓喜に包まれる、となります。創価学会の頃と違って悪いことが起こりません。創価学会の頃は非常に悪いことが信じられないように次から次へと起こっていました。
 自分は日蓮正宗に対し、教義的にいろいろ疑問を持っていますが、信仰は理屈ではなくて「感性」と思っています。日蓮正宗と創価学会の教義は、創価学会は日蓮正宗から別れたものですから、ほとんど同じです。ただ、創価学会が自分に都合の良いように勝手に少しづつ変えているようです。選挙に都合が良いように外見のみ変えているようです。
 自分の女房の一族は熱烈な創価学会です。自分一人隠れて日蓮正宗の寺院に通っています。毎日の勤行は大石寺の方角に向かってしています。隠れながら勤行をしています。見つかったらヤバイです。隠れ日蓮正宗です。隠れキリシタンも厳しかったと思いますが、隠れ日蓮正宗もなかなか厳しいです。
 では。日蓮正宗に戻られることを祈ります。文証、理証より現証です。日蓮大聖人が元々、他宗排撃が非常に激しかったのです。だから、竜口の法難や佐渡流罪など様々な難に合われました。創価学会が他宗排撃が激しくないように見えたのは「選挙」のためのカモフラージュです。
 とても長くなりました。長すぎるので、どうしようかと迷っています。
              (完)
          
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   創価学会に退会届を出さずとも日蓮正宗法華講へ入講できる

 創価学会は大石寺の大御本尊を偽物呼ばわりしている。これは古い学会員は知らないことが多い。大石寺への登山を行っていた古い学会員は知らないことが多い。インターネットから隔離されているからと「創価新報」を取っていないからである。年配の学会員は「創価新報」は取らないことが多い。またインターネットも行わないことがほとんどである。
 創価学会が昭和四十年代の創価学会から大きく変化していることを知らない古い学会員は多い。聖教新聞の第一面が毎日毎日、池田大作およびその家族を礼讃する記事で埋まっていることに不審を抱いている古い学会員は多いかも知れない。
 しかし古い学会員は高齢となり、近所の学会員の世話を受けて生活していることが多い。日常生活品の買い物を代行してもらっている年老いた学会員は多い(これは自分の両親のことでもある)。
 彼らは創価学会を脱会して日蓮正宗法華講に入ることは極めて困難である。高齢の学会員は、創価学会の変質、池田大作の悪を認識しても、創価学会を脱会して日蓮正宗法華講に入ることは極めて困難である。また、高齢の学会員はインターネットを出来ない人が大部分であり、正しい情報から隔絶されている。正しい情報を得ることができない環境にある。ほとんどの高齢の学会員は聖教新聞と一般の新聞とテレビからしか情報を得ることができない。真実を知ることができないのである。
 また、狂信的な池田教の学会員は高齢者に対しても脱会届を出したことを知ると厭がらせを行うと言われている(しかし、現在は、そういう熱心な創価学会員は極めて稀になってきている)。
 そのため、脱会届を出さずに日蓮正宗法華講に入ることになるが、聖教新聞・大白蓮華を断ることが非常に難しい。
 日蓮正宗はそれらのことを考慮して、脱会届を出さずに日蓮正宗法華講に入れるように改正されたが、その改正が無かったようにすなわち「創価学会に退会届を出さない限り、法華講に入講できない」と数名のYahooの宗教カテの自称・法華講員が主張している。
「創価学会に退会届を出さずとも日蓮正宗法華講へ入講できる」ことが知れると、多数の壮年部、男子部などの創価学会員が雪崩を打ったように法華講に入ろうとするため(その数は数万から十万に達するだろう。不満を持っている壮年部、男子部は非常に多い。自分もまた、それを知らなかったため、不満分子として創価学会に留まっていた。もう一度書く。その数は数万から十万に達するだろう。不満を持っている壮年部、男子部は非常に多い。自分もまた、それを知らなかったため、不満分子として創価学会に留まっていた)、Yahooの宗教カテに於いて法華講員に成りすました創価学会員が複数でそれが知れるのを阻止しようとしているのではないかと以前から自分は疑っていた。または活動に参加していない故に知らない法華講員ということになる。
 今もその疑いは消えない。創価学会なら、そのような非常に手の込んだ大変なこともする。創価学会の過去のスパイ事件を考えると決して自分の疑いは間違いでもないことが分かるはずである。
 一度、創価学会に退会届を出し正式に退会し、日蓮正宗法華講に入講したにも拘わらず、再び創価学会に入会し直す人が多い。彼ら彼女らは「心」が創価学会から退会していなかったのである。
 名簿上は創価学会を退会しなくても「心」が退会していれば良いのではないか、と考えるのは極端であろうか? 
 創価学会の名簿は極めて適当なものである。自分が知っている範囲でも、日本共産党の幹部、キリスト教の牧師が名簿上、創価学会員である。退会届を出し正式に退会しないことには何時までも名簿上は創価学会員として残り続ける。それは幽霊会員と呼ばれる。把握されていないから死んでも名簿に名前は残り続ける。幽霊会員の数は正式な創価学会員の数の十倍近くに上る。様々な地区で名簿を見てきたが、十倍近くであった。形式よりも「心」を大切にするべきと自分は信じる。
 老人だけではない。たくさんの壮年部・男子部が創価学会を退会し、日蓮正宗法華講に入りたがっている。しかし彼らは様々なしがらみのため退会届を出すことができない。女房一族が非常に熱心な池田教信者であったりするためである。彼らに救済の道を開けることが必要である。それ故に日蓮正宗はそれらのことを考慮して、創価学会に脱会届を出さずとも日蓮正宗法華講に入講できるように改正された。
『これは最近あったことですけども、法華講に入講した方の処に、学会員が複数でやって来て、「学会を辞めるなら退会届を書いてください」と言って書かせるんです。そして「もう一枚お願いします」と言って、続けて二枚書かせるのです。本人は「退会するには二枚書類が必要なのかな」と思って「退会届」を二枚書いたつもりなんですが、実はそのうちの一枚は「脱講届」だったというわけです。そういう事件がありました』
(妙教 平成二十二年7月号 69頁)
 これからもに「創価学会に退会届を出さずとも日蓮正宗法華講へ入講できる」ことは明らかである。妙教とは法華講が月一回発行する機関誌である。創価学会の大白連華にあたる。このように「創価学会に退会届を出さずとも日蓮正宗法華講へ入講できる」ことを法華講員が知らないことは奇妙なことなのである。Yahooの宗教カテに於ける創価学会の法華講員への成りすましの疑いは消えない。または活動に参加していない故に知らない法華講員がYahooの宗教カテに参加していることになる。

(次に法華講の上級幹部から来たメールを添える)
日付:Sat, 22 Aug 2009 11:44:36 +0900
差出人:"垢重丸" <shougi@at-do.jp>
件名:はじめまして(垢重丸)
宛先:vvv23274@yahoo.co.jp
創価学会内部改革派憂創同盟 発起人 様
はじめまして。『百禍繚乱』『正しい宗教と信仰』というサイトを制作・運営させていただいております、日蓮正宗法華講の垢重丸(くじゅうまる)と申します。
もしかしたらすでにご覧いただいたことがあるかもしれませんが、サイト URLは、
■百禍繚乱
http://www13.ocn.ne.jp/~ryouran/
■正しい宗教と信仰
http://www.at-do.jp/
となっております。
 先日、貴殿の『創価学会内部改革派憂創同盟 最後の警告』というページを見つけ、ひととおり拝見させていただきました。
学会本部に脱会届を出さなくても、お寺様で勧誡式をいただき、法華講となることは可能です。隠れ法華講のようですが、そのようにされている方々は多くいらっしゃいます。
 そうすれば、お寺様に通って寺院行事に参詣し、また勤行・唱題もできますし、総本山へ参詣して本門戒壇の大御本尊様の御開扉をいただくこともできます。
 可能であれば、一度お会いしてお話を伺えれば幸いに存ずる次第です。
 ここまで学会の誤りをつぶさに認識しておられるのであれば、一日も早く、大聖人様の正しい信心に帰ってこられるべきと思います。
 必ず、御本尊様に護っていただけます。
 ご返信、お待ち申し上げております。
 垢重丸(日蓮正宗)
shougi@at-do.jp

 また、こういうことも考えられる。
 現在、何処の寺院においても創価学会からの移転者が大部分を占める。創価学会からの移転者は活動的で熱心であり、昔から続いた法華講員は隅に追いやられるように自然と成ってきている。
 とくに、日如上人の時代になり、折伏が非常に重要視されるようになった。創価学会からの移転者は折伏に積極的であるが、旧来の法華講員は折伏にあまり積極的ではない。自然と旧来の法華講員はますます存在意義が薄くなってきている。土曜日に行われる折伏推進会に於いて旧来の法華講員は発言する余地がないほどである。
 私の所属する寺院においても平成五年頃の創価学会男子部の夜撃ちに対して毎晩のようにお寺に泊まり込んでいたのは元創価学会員であった。それほど住職も信頼を置かれていた。旧来の法華講員には家庭を犠牲にしてまで信仰活動することは考えられなかった。
 男子部の夜撃ちは現実に起こり、玄関は蹴り破られ、警察が呼ばれた。夜1時頃の出来事であった。身を挺して闘った元創価学会員に住職はさらに信頼を寄せた。 
「創価学会に退会届を出さずとも日蓮正宗法華講へ入講できる」ことが創価学会員に知れ渡ると、創価学会からの移転者は急増することになる。一気に何万人から10万人もの移転者が発生する可能性もある。
 そうなると旧来の法華講員はますます存在意義が無くなってしまう。それ故にYahooの宗教カテに於いて「退会届を出し正式に退会しないと法華講には移れない」と嘘を言っていたのであろう。
 仏法者にはあるまじき妬み、自己保身があったのではないかと疑うのである。
(補足)五時八教判などへの疑念は、勤行するのと勤行しないのとでは、この信仰を続けるのと続けないのとでは、全然違うため、また「南無__は歓喜の中の大歓喜なり」があるため、そんなのはどうでもいいことだ、その当時の仏教界の通説であった、信仰は理屈ではない、と思っています。
        (完)


創価学会内部改革派  蘇生の選択   (8)

2013-01-30 19:26:37 | 宗教

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   池田大作 政界進出の失敗
 創価学会は政治に進出したために敵を多く作った。政治に進出しなかったら大票田である創価学会は、いろんな政党から味方に付けようとされ守られていただろう。池田大作の最大の失敗は政治に進出したことである。
 政治にも参加する奇妙な宗教団体と世間は思った。これが折伏を妨げた一つの大きな要因と成った。政界進出を行わなかったなら創価学会は現在の二倍から四倍の規模になっていたと考えられる。
 創価学会は860万所帯などと公表しているが、実質上160万所帯と考えられる。聖教新聞の発行部数が550万部、一所帯で2部、3部と取っているところは多数ある。筆者の家もそして実家も読むことはないのに2部取っている。実家は以前、6部取っている状態が20年近く続いた。聖教新聞をたくさん取ると功徳があると幹部より唆されてのことである。10部近く取っている所帯も多数ある。1部しか取らないのは一人暮らしか未活動の家に限られる。聖教新聞を取らない創価学会の所帯はない。創価学会でない所帯でさえ聖教新聞を取っている。
 選挙運動により折伏への力をかなり奪われていた。選挙運動により創価学会への入会を拒んだ人、選挙運動に疑問を感じ創価学会から離れていった人は多い。創価学会から選挙運動に疑問を感じ離れていった人は大部分が信仰を止めている。創価学会を辞めて日蓮正宗法華講に移った人は少なくとも昭和52年までは少ない。
 昭和45年の言論問題(言論出版妨害事件)は政界進出していなかったら起こらなかった。藤原弘達氏の「創価学会を撃つ!」という本は政界にも進出していたから「この日本をどうする?」という危機感の元に書かれたのである。政界に進出していなかったら書かれなかった。
 言論問題により池田大作が社会に謝罪し、それ以降、強引な折伏は原則として行われないようになった。また、同時に創価学会の拡大もほとんど止まった。創価学会の灼熱の勢いは言論問題により強引な折伏を原則として中止するという宣言とともに止まったと言って良い。折伏大行進は昭和45年までであった。
 すでに昭和42年頃から創価学会の所帯数の増加は頭打ちになっていた。それ故、創価学会の拡大が止まったのは、強引な折伏を行わなくなったためだけではない。日本国内の創価学会に入会するような人が枯渇し始めていた、また池田大作の謗法故に創価学会に悪鬼が怒濤のように滲入し創価学会員に悪いことが非常によく起こるようになっていたため、と考えられる。
 かつては選挙運動より折伏に力が注がれており、選挙運動は従であった。それが逆転したのは平成になってからであろうと思われる。
 筆者は、仏法対話において「宗教団体が何故、政治をする」と反論されることが非常に多くあった。反論の第一は「宗教団体が何故、政治をする」であり、他教批判よりも選挙運動、政治活動を批判されていた。
 創価学会は昭和45年以降、微増の状態となった。昭和55年以降はほぼ平衡の状態となった。すなわち創価学会に入る人と辞めていく人が同じ数の状態となった。
 現在(平成22年)も一年間に1万人が創価学会に入会しているが退会しているのも同じだけある。
 戸田先生は参議院までの進出であって衆議院への進出は考えておられなかった。戸田先生は権力は志向されていなかったのである。
 政界への進出すなわち衆議院への進出は池田大作の「天下を取ろう!」「天下を取ってやる。この信仰を利用して天下を取ってやる」という醜い欲望から生まれた。池田大作には信仰心はなかった。だからこの信仰を利用して天下を取れれば、それで満足だった。――信仰利用の極限の姿がここにある。
 広宣流布などどうでも良かった。他人の幸福などどうでも良かった。ただ、自分が誰よりも偉くなれれば良かった。人を蹴落として自分が一番になれれば良かった。世界は自分のためにある。天下は自分のためにある。自己愛性パーソナリティ障害である。妄想性障害と言っても良いかもしれない。
 日蓮正宗には「王仏冥合」という理論がある。「王」は政治、「仏」は仏法を指す。つまり「王仏冥合」とは政治と仏法が深いところで一緒になる、仏法の精神で政治を行い民衆の幸福を実現させる、ことである。池田大作はこの理論を自らが権力を握るために悪用して用いたのである。つまり、自分が総理大臣になるためである。公明党の結成は昭和39年であり、昭和42年に創価学会は衆議院選挙に初めて参加した。初参加だったが25名の当選者を獲得した。この頃、創価学会は順調に勢力を拡大しており、この調子で勢力拡大が続けば、公明党が政権を取ることが見えていた。
 池田大作は自己愛性パーソナリティ障害に罹患しており、自分がトップにならないと気が済まなかった。池田大作本仏化はそれ故に起こった。池田大作は自分を仏に見せるため様々な策を講じた。
 池田大作本仏化は池田大作が自分が本仏で思われるように振る舞って造ったものである。様々な芝居を側近は暴露している。有名なものとして、千葉県の日蓮大聖人が修行された寺院でそこの境内の近くに植わっていた木に「やあ、久しぶりだなあ。750年ぶりかなあ」と話しかけたことがある。しかし、その木は樹齢400年であった。この行為を自分を本仏に見せかけるために行った芝居であったならば自己愛性パーソナリティ障害で止まるが(同行していた側近は芝居と思っていたそうであるが)、本気で行ったとすると妄想性障害または妄想型統合失調症となる。
 また、自分がトップにならないと気が済まない故に、創価学会員の増加が止まり、自分が総理大臣になれないと分かると、宗門より上に立とうという野心を持った。日蓮正宗国際センターを造るという案は池田大作自身が作った。それは池田大作自身が宗門より上に立つという構想であった。池田大作がそのトップになり日蓮正宗を支配下に入れるという構想であった。しかし、日達上人はそれを作ることを拒否された。それを造ったときは創価学会と分かれるという強い意見であった。それ故に起こった宗門戦争、そして日蓮正宗よりの独立である(平成3年の破門は池田大作が故意に引き起こしたものである。昭和52年の頃は宗門からの独立は時期尚早と考えお詫び登山などを行い、破門を逃れた)。池田大作は自分が総理大臣なり、閣僚を創価学会員で占めるという名簿を造っていた。その名簿は妄想による産物と言っても良かった。
 昭和44年の衆議院選挙で47議席であった公明党議員は昭和47年の衆議院選挙では半数近くの29議席となる(昭和51年の衆議院選挙では55議席と復活している)。言論問題が災いしたのである。言論問題により行わざるを得なかった政教分離宣言が創価学会員の公明党を支援する意欲を大きく低下させたからであった。
            (完)

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池田大作に信仰心はない。これは「月刊ペン事件」で池田大作側から裁判所に提出された池田大作の一日の行動記録を見たらはっきりとする。池田大作は仏壇の前に一日に五回座っていることになるが、勤行はしていない。唱題を数分間行っているのみである。これには唖然とする。

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「国法を犯しても、それが仏法、即ち創価学会と池田大作のためなら何でも許される」という論理が現在の創価学会に厳然として存在する故、創価学会は数々の反社会的行為を平然と行っている。この論理は犯罪に対する自制心を取り除く効果を生む。こうした論理が極端な「倫理喪失人間」を大量生産する原因となっている。それに加え、創価学会には池田大作が呼び込んだ無数の悪鬼が暗躍し、犯罪を唆している。山崎正友氏は「刑務所の二十五~三十%は創価学会員、極悪犯罪になるとこの割合は更に多くなる」と書かれていた。池田小学校大量虐殺事件などを考えれば解る。

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     創価学会の宗教被害
 rsd氏、余計なことと思いますが、誤解されていることがありましたので、ここに書きます。rsd氏は極めて知識豊富で尊敬しております。rsd氏の過去ログを見て現代仏教学および日蓮正宗の勉強を致しております。立正大学の教授と推察しております。多忙と思われますから、これに答えられなくてよいです。
 法華講員は大衆の面前で他宗の仏壇を壊すような過激なことは行いません。つまり日蓮正宗の御住職が他宗の仏壇を壊すように指図するということはあり得ません。それを行っていたのは創価学会です。創価学会員の自発的意志で行っていたか、創価学会の幹部の指示で行っていたのです。
 創価学会の末端はほとんど日蓮正宗の寺院とは昭和40年代50年代も隔絶していました。暗に「お寺と創価学会は別である、お寺にはあまり行くな! お寺とは関係を持つな! 謗法になる、罰が当たる」という考え(内部指示)が末端の創価学会員の間にはありました。すでに、お寺と創価学会員の間には溝ができてしまっていたのです。お寺と創価学会は少なくとも池田大作の時代からは仲が良くなかったのです。お寺には御授戒の時に行くだけで、他の時は創価学会の活動を優先するような指導が暗に行われていました。
 戸田先生の時代にはありませんでしたが、池田大作の時代になり、お寺を軽視する内部通達のようなものがあったようです。池田大作は自分がトップになりたかったが、宗門がそれを邪魔しているのを根に持っていました。池田大作には宗門が邪魔で仕方がなかったのです。平成3年の破門はもちろん創価学会(池田大作)の側から仕掛けたものです。
 自分の前の女房は、創価学会員が他宗の仏壇を大勢で大声を上げながら壊すのを見て、子供心に創価学会とは暴力団よりも怖いと思ったそうです。その恐怖心が大人になっても残っていました。
 今こそ創価学会は選挙のために反社会的なことは控えていますが、以前は他宗の仏壇を私道か公道に於いて集団で叩き壊すことは日常的に行っていたようです。それが創価学会員の士気を高めることにも繋がっていたようです。
 法華講員は大人しい。創価学会員は喧しいほど活発である。これは20年ほど前、自分が法華講に入りかけたときに感じたことです。結局、その20年前は「家庭崩壊する」とお寺の御住職の奥さんより諭され、入講を思いとどまりました。
 宗教被害は未だに創価学会が一番多い。顕正会は過激な勧誘で公安当局にマークされているが、数が少ないためか、その被害は意外と少ない。
 自分はこの10年間に男子部員の自殺を2件経験してきた。いずれも20代の若い青年である。22歳、26歳である。2人とも前途有望な好青年であった。自分が入会させたのではないが、入会に際し自分が大きく関わっていたこともある。
 何故か、2件ともビルからの飛び降りであった。一人は自身の社会不安障害(対人恐怖症)に絶望して、一人はうつ病性障害であった。
 うつ病性障害の患者の方は完全に創価学会の信仰が彼を追い込んだ。創価学会に入れば病気が治ると入会し(自分が入会させたのではないが入会させた整体院を紹介したのは自分であった)、毎日、拠点で勤行唱題に励んだ。
 家は20年前、母親が病気で寝たきりであり、彼が幼いときに病気が治ると創価学会に入会し、結局、却って重症化して自殺した。それは彼が物心付くか付かないかの幼い頃の出来事であり、彼は覚えていない。それ故に親兄妹は彼が創価学会に入会することに猛反対であった。母親の病気が何であったのかは知らない。
 また、そのため御本尊を安置できず、毎朝4時頃から、拠点に行って勤行唱題をしていた。朝、早くからの仕事をしていた。
 激しい倦怠感にも拘わらず、彼は勤行唱題と学会活動を続けた。聖教新聞啓蒙を10部行い、表彰されたこともある。そのときは、知人の家を「聖教新聞を取ってください」と一件一件回り、あるときは酷い倦怠感を治すようにと2000円の牛肉を食べに連れて行かれたこともある。聖教新聞が月1880円であるから聖教新聞を取る代わりに牛肉を食べに連れに行かれたのである。この啓蒙は相手が聖教新聞代を出す啓蒙であった。
 選挙依頼も外部の友人が多いためもあり、彼がダントツでトップであった。入会直前まで行っていた友人も数名いた。
 創価班に入ったが、午後11時からの勤行会に参加することが困難であり、創価班の着任は一回も行ってない。
 結局、彼は追い込まれ、ビルより飛び降り自殺をした。26歳の若さであった。遺書には創価班に着任できない苦悩が綿々と綴られていた。母子二代、創価学会の信仰で自殺したのである。
 もう一人、社会不安障害(対人恐怖症)の22歳の青年がマンシヨンより飛び降りて自殺した。発症ははっきりとしないが、中学3年生ぐらいの時期と思われる。それまで腕白坊主だった少年が人との交わりを避けるようになった。祖母が古くからの創価学会員であり、家に“魔”の御本尊が安置されていた。祖母は熱心な創価学会員ではなかった。活動はほとんど行ってなかった。
 彼の社会不安障害(対人恐怖症)の発症には御本尊の存在が原因と見られる。創価学会員にはうつ病性障害とともに不安障害が非常に多い。パニック障害、社会不安障害(対人恐怖症)、強迫性障害など外来患者に占める割合は非常に多い。
 熱心に創価学会の信仰をしていて発症した人、創価学会の信仰をある程度行っていた人、そして家人が創価学会員であるだけで自分自身は信仰は全く行っていなかったのに発症した人の三種類が存在する。彼はほとんど信仰は行っていなかった。
 平成5年から創価学会員の家庭に配布された創価学会製の御本尊は“魔”の御本尊と言われる。この御本尊の配布開始の時期と創価学会員にうつ病性障害などの精神疾患が急増した時期が一致している。
 しかし、“魔”の御本尊の配布以前から、創価学会員にはうつ病性障害などの精神疾患が異常に多かった。彼の社会不安障害(対人恐怖症)の発症も“魔”の御本尊の配布以前のことである。“魔”の御本尊の配布の3年前に彼は発症している。“魔”の御本尊は創価学会員のうつ病性障害など精神障害の発症を急増させただけである。
 創価学会員に精神障害が異常に多発し始めたのはいつ頃からか? それは池田大作の会長就任の時期が始まりと思われる。池田大作の会長就任とともに悪鬼が創価学会に怒濤のように雪崩れ込み、創価学会員に不幸なことが異常に多発するようになった。また、精神障害の異常多発も同時に起こった。
 創価学会の宗教被害として現在は選挙が主体と成っている。以前の折伏大行進の時の折伏による被害は現在はほとんど見かけなくなっている。
 選挙運動は折伏を阻害する。このことが池田大作には分からなかったらしい。ただ、“天下取り”を焦って“選挙”“選挙”と浮かれ足だって居たのが池田大作である。自分で自分の首を絞めていたことに気付かなかった池田大作である。
「一票取るのも一人折伏するのも同じ功徳がある」と会員を唆し、純真な会員を懸命な選挙運動に駆り立ててきた。
 極めつけの例を紹介しよう。
 ある男子部が雪の降る中、「公明党に一票を!」と戸外に立ち尽くした。家の人が断り続けても「公明党に一票を!」と戸外に立ち尽くした。
 明くる朝、戸を開けると、未だに「公明党に一票を!」と戸外に立ち尽くしていた。雪は帽子に高く積もり、厚い防寒着を着ていた。「公明党に一票を!」と依然として言い続けた。家の人は怖ろしくなり、警察を呼び、男は逮捕された。
 筆者もたった一人の知人を年賀状より000選挙区に見つけ、同じ男子部とクルマで選挙依頼に行ったことがある。高速道路を何時間も飛ばし、ナビゲーターを頼りに相手の家を探した。公明党に入れなかったことは確実である。しかし、それでも選挙依頼をするのが創価学会である。相手が入れようと入れまいと、選挙依頼をするのに功徳があると幹部から言われ、それに従うのが創価学会員である。
           (完)

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  サークル化しつつある創価学会(創価学会の互助組織化)
 創価学会のサークル化は昭和45年の言論問題事件から始まった。以来、灼熱のエネルギーは創価学会から次第に消えていった。
 いや、創価学会がもっとも燃えていたのは昭和30年頃と推定する。しかし、昭和45年までは燃え続けていた。サークル化が顕著になってきたのは創価学会が独自の御本尊を配布するようになった平成5年頃からと推測する。それを境に会員が勤行唱題をあまり行わなくなったからである。また、勤行が省略化されたことも大きく影響しているようである。婦人部の会合でも少人数の場合は勤行唱題をせず、お喋りで終わることが多くなった。婦人部は良く喋る。良く喋るためペリカン部とも言われている。
 以前の座談会では体験発表に花が咲いていた。体験はないが体験発表させられていた。当然、功徳でもないことを功徳というのがその当時のしきたりであった。とくに婦人部に功徳でもないことを功徳という傾向があった。罰を功徳と発表することは非常に多かった。それは体験発表の半分に達していたと思い出される。体験発表の半分以上が罰の体験を功徳の体験と勘違いして発表していることが多かった。不思議だった現象は全て功徳の体験と成っていた。
 今、平成22年。創価学会は選挙集団と化し、折伏を放棄している。折伏らしきものもするが、それは勧誘である。
 サークル化し創価学会は平和になったとも言えよう。近所の互助組織ともなっている。高齢で歩くことも困難な人の代わりに買い物に行ったり、大丈夫にしているか?お見舞いにも来る。一人住まいの学会員の老人の死亡発見者はほとんどが同じ学会員である。自分の親戚の学会員も一人住まいしていたが、近所の学会員から最近姿が見えないと訪問され、死亡しているところを発見された。
 幼稚園での催しに手伝いに来てくれるのも近所の学会員である。自分は日曜日は仕事であるため日曜日の催しには出られない。自分の代わりに出てくれるのが近所の学会員である。子供2人が同じ幼稚園のため2人の保護者が必要なのである。
 これはよく言われることであるが、学会員は人が良い。他に友人を作りたいとは思わないほどである。
 婦人部は良く喋る故、その情報網はもの凄い。ペリカン情報網とも言われている。日本共産党の情報網を越えたと言われている。男子部、壮年部が「何処からその情報が漏れた?!?」と疑う場合は婦人部である。
 この創価学会のサークル化は池田大作が死亡すると更に加速することが予想される。創価学会は信仰心が弱まり、代わりに互助組織として機能するようになった。

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 ある経を何年間、説いた後に、全く内容の異なるある経を何年間、説くと言うことを、現代人は信じることは出来ない。
 最重度の多重人格障害でもあれほど全く異なる教典を説けない。
 昔の人は信じることが出来たのかも知れない。しかし、現代人は信じることは出来ない。信じるとしたら狂信、盲信である。
 死ぬ前の一日で、あれだけ膨大な「涅槃経」を説けるはずがない。
 第一、インド史の研究により、大乗教典は釈迦の死後、300~400年以上経ってから造られ始めたとなっている。
 釈迦は原始経典のみ説いた、または人の道を説いた、となっている。これらは現代仏教学で確立されている。仏教学者でこのことに反論する人はいない。
 もはや仏教、キリスト教などは“伝説”“遺物”でしかない。キリスト教は神学を、仏教は教学を立てた。難しい神学、教学を立てて信者を煙に巻いている。
 未だに「四十余年未顕真実」を教義とすることは間違っている。これが書かれている「無量義経」は偽経と定まっている。
「五時八教判」を教義の土台とする宗派は教義が音を立てて崩れてゆく。

 今まで反論のない創価学会に反論してもらいたい。
 何故、創価学会からは反論がないのか? 創価学会は「選挙、選挙、友好運動」で教学をする暇がないからである。 
 
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 大乗仏教の経典の中には、その前に「開経」を置き、その後に「結経」を持つものがある。法華経の開経は「無量義経」で、オペラで言えば序曲のようなものである。オペラの序曲は美しい旋律を持ち、それを聴いただけで聴衆はそのオペラの華麗な風光の中にひきこまれて、陶然とするのである。
 その「無量義経」のなかに「四十余年未顕真実」が書かれている。日蓮大聖人はこれをもって他宗を激しく批判した。
「無量義経」は中国人が創作した偽経であることは現代仏教学の常識である。「無量義経」を偽経と言わない仏教学者は存在しない。「無量義経」を釈迦が説いたものと信じれ!!という人間は完全に洗脳されている。創価学会のときはそのように無理矢理に信じ込まされようとされてきた。現代仏教学の本を読んでいた自分は信じることは出来なかった。

 しかも日本に輸入された翻訳本はほとんどが破戒僧・羅什による訳である。
 「羅什は火葬されたが舌は焼け残った」と書かれている。ここにも中国人の迷信深さが表れている。

 今まで反論のない創価学会に反論してもらいたい。
 何故、創価学会からは反論がないのか? 創価学会は「選挙、選挙、友好運動」で教学をする暇がないからである。 

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 池田大作は会長就任(昭和三十五年)後、時の日蓮正宗の管長である日達上人を学会本部に呼びつけ、露骨な恫喝を行った。山崎正友氏は、後日、日達上人が「何で池田の若造に法主の私が呼びつけられドヤシつけなくてはならないのか後で悔しくて涙が出ましたよ。だかあの時は相手も若いことだし我慢しました」と語られたことを明らかにしている。(懺悔の告発:山崎正友;日新報道:1994:p80)

 ――――上記より創価学会は昭和三十五年には謗法団体になっていたのである。

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 昭和五十九年十月三日、東京都内の病院で、池田大作の次男・城久氏が二十九才という若さで亡くなった。死因は胃穿孔(胃に穴があく病気)であった。
 城久氏は、創価大学を卒業後、同大学の職員として勤務し、将来は、創価学会の後継者となる人物と目されていた。池田自身、自分に体型もよく似た城久氏を大変かわいがっていた。
(しかし、池田大作は自分の愛人の一人を次男・城久氏に無理矢理、結婚させている。その煩悶のため、次男・城久氏はストレス性の胃潰瘍になったのである。胃潰瘍のため、池田大作の側近である産婦人科医の婦人部の経営する病院に石川伸一という偽名で入院していた。病気をするものは信心が成ってない、という創価学会に蔓延していた邪義からの非難を避けるための処置であった。
 ストレス性の胃潰瘍は入院させストレスから遠去けることにより快癒することが多い。しかし、城久氏が負っていたストレスは入院したとしても軽くなるストレスではなかった。
 池田大作には日本だけでなく海外も含めると二十数名の愛人が居たと言われる。その中でもその愛人を池田大作はことのほか目に入れていたようだ。それを自分の最愛の息子に譲るというとんでもないことを平気で池田大作は行った。最愛の息子がストレス故に胃潰瘍になり胃穿孔で死亡することは自分がまいたものであった。池田大作は人間の心を持たないのだろうか?
 池田大作はこの城久氏の通夜の夜、当時、公明党委員長の竹入義勝氏、公明党書記長の矢野絢也氏と三人で今後の政策について長時間、話し込んでいる。普通の場合、最愛の息子が死んだ夜、そういうことはできないはずである。池田大作は城久氏に愛情をあまり持っていなかったと考えられる。愛情をあまり持っていなかったため、自分の愛人を強引に結婚させるという驚くべきことを行ったとしか思われない。昭和五十九年十月には差し迫った重大事はなかったはずである。池田大作は子供の死より政策の方が大切だったと思われる。池田大作は愛情欠如症候群に罹患していたと思われる。池田大作は通夜の席に出席せず、一室で竹入義勝氏、矢野絢也氏と数時間に亘る今後の政策について話し込んでいる。
 日本での愛人と落ち合うところは日本中に造られていた池田専用室であった。池田専用室とは研修道場などに設置される池田大作個人が使うことになっている莫大な金をかけ贅をこらした部屋のことである。それらの部屋は研修道場建築に使用される費用の半分近くを掛けるのが普通であった。
 その愛人は人妻であることが多い。その旦那は学会で一気に副会長にまでなってしまう。妻を池田大作に差し出す旦那は副会長に多数存在することになる。池田大作はオットセイまたはトドとまで言われていた。欲望の凄まじさは激し過ぎる。
 その池田専用室は全国に百以上有ると言われ、昭和五十二年には民主党がそれを国会で取り上げると公明党に文書で脅し、急遽、ほとんどの池田専用室は牧口記念館や戸田記念館に改装されたり、取り壊されたりした。その改装と取り壊しの費用は莫大であったと言われる。
 しかし、民主党と選挙協力をすると約束し、国会で取り上げられることはなかった。民主党が国会で取り上げないと解ると、再び日本全国に池田専用施設が新たに莫大な費用を掛けて再築された。これらの費用はほとんど広布基金で賄われていたと言われる)
 その城久氏が、なぜ、手遅れにならないかぎり死に至ることのない、胃穿孔で急死したのか――。
 
 それを予言したかのような記述が池田大作著『人間革命』第十巻「嶮路の章」に出ている(『人間革命』は東大卒で小説家志望だった篠原善太郎氏が書いたものであり、池田大作は本を書いたことは全くない。池田大作にはゴーストライター軍団が存在していた。会長室の上にゴーストライター軍団の部屋があった。創価学会本部職員は知っている)。
「(ニセ本尊を自ら作った)岡田一哲の父は胃穿孔で悶死した」
 池田大作も、ニセ板本尊を作るという大謗法を犯して、時の御法主日達上人の御宸襟(しんきん)を悩まし奉った昭和五十二年から数えて、まさに七年後に、最愛の後継者を胃穿孔で死なせてしまったのでした。 


(池田大作・創価学会の真実:原島嵩:日新報道:2002:p164 )

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 東京??には無宿人にたいしご飯の炊き出しを行っているキリスト教の教会がある。なぜ、創価学会も同じようなことをしないのか疑問に思う。創価学会には財力も人力も余っている。無宿人への炊き出しをするべきだ。

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 東京の創価学会本部には毎週精神科医が来ています。学会本部の職員と家族に“うつ病”など精神疾患があまりにも異常多発しているからです。薬を処方するには精神科クリニック開設の手続きをしなければいけませんから(精神科クリニックを本部会館内に開設して、これが暴露されたら創価学会は大打撃を受けます。ですから精神科クリニックの開設はしないはずです)カウンセリングだけのようです。カウンセリングしてどこどこの精神科を紹介するということをしているようです。
 どこにこういう本部があるでしょうか?
 近くに創価学会専用の精神科クリニックがあり、そこには数人、精神科医が常駐していますが、そこで診ることができないほど創価学会には“うつ病”が多いのです。ある大学病院の“うつ”外来では「半分が創価学会員、半分がクリスチャン」と言っています。

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フランス下院、創価学会に警告
 昭和六十年にフランスの下院は創価学会に対して次のような警告を発しました。
「今日、私はフランスであなた方の組織の金銭に関する『いかがわしい』関係について、あなたに注意を喚起します。三つの点を取り上げましょう。
会員に金を払わせるための圧力
集めた資金の管理を要求する会員に対する暴力
日蓮正宗欧州協会とフランス日蓮正宗の会計上の混同」
 フランス下院は創価学会を「エセ仏教」「セクト」と断定し、同国に於ける金集めに手厳しい批判を加え、池田に書簡を送り、議会で取り上げたのです。学会は「日本の恥」以外の何ものでもありません。

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 池田大作はタゴール平和賞やアインシュタイン平和賞を受賞しているが、このどちらの賞も池田大作以外に受賞した人はいない。
 つまり、この二つの賞は池田大作だけのために造られた賞である。どのくらいの金額が掛かったのかは不明である。
 スペインSGIの責任者は「スペインの大学に行って池田大作に授与する賞を貰ってこい!」と日本の創価学会本部から指令を受けたと告白している。
 つまり各国のSGIは池田大作顕彰のための斡旋機関でもある(スペインは国ごと宗門に寝返った。国ごと寝返ったのは他にガーナがある)。

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創価学会内部改革派  蘇生の選択   (8)

2013-01-30 19:26:08 | 宗教

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   池田大作 政界進出の失敗
 創価学会は政治に進出したために敵を多く作った。政治に進出しなかったら大票田である創価学会は、いろんな政党から味方に付けようとされ守られていただろう。池田大作の最大の失敗は政治に進出したことである。
 政治にも参加する奇妙な宗教団体と世間は思った。これが折伏を妨げた一つの大きな要因と成った。政界進出を行わなかったなら創価学会は現在の二倍から四倍の規模になっていたと考えられる。
 創価学会は860万所帯などと公表しているが、実質上160万所帯と考えられる。聖教新聞の発行部数が550万部、一所帯で2部、3部と取っているところは多数ある。筆者の家もそして実家も読むことはないのに2部取っている。実家は以前、6部取っている状態が20年近く続いた。聖教新聞をたくさん取ると功徳があると幹部より唆されてのことである。10部近く取っている所帯も多数ある。1部しか取らないのは一人暮らしか未活動の家に限られる。聖教新聞を取らない創価学会の所帯はない。創価学会でない所帯でさえ聖教新聞を取っている。
 選挙運動により折伏への力をかなり奪われていた。選挙運動により創価学会への入会を拒んだ人、選挙運動に疑問を感じ創価学会から離れていった人は多い。創価学会から選挙運動に疑問を感じ離れていった人は大部分が信仰を止めている。創価学会を辞めて日蓮正宗法華講に移った人は少なくとも昭和52年までは少ない。
 昭和45年の言論問題(言論出版妨害事件)は政界進出していなかったら起こらなかった。藤原弘達氏の「創価学会を撃つ!」という本は政界にも進出していたから「この日本をどうする?」という危機感の元に書かれたのである。政界に進出していなかったら書かれなかった。
 言論問題により池田大作が社会に謝罪し、それ以降、強引な折伏は原則として行われないようになった。また、同時に創価学会の拡大もほとんど止まった。創価学会の灼熱の勢いは言論問題により強引な折伏を原則として中止するという宣言とともに止まったと言って良い。折伏大行進は昭和45年までであった。
 すでに昭和42年頃から創価学会の所帯数の増加は頭打ちになっていた。それ故、創価学会の拡大が止まったのは、強引な折伏を行わなくなったためだけではない。日本国内の創価学会に入会するような人が枯渇し始めていた、また池田大作の謗法故に創価学会に悪鬼が怒濤のように滲入し創価学会員に悪いことが非常によく起こるようになっていたため、と考えられる。
 かつては選挙運動より折伏に力が注がれており、選挙運動は従であった。それが逆転したのは平成になってからであろうと思われる。
 筆者は、仏法対話において「宗教団体が何故、政治をする」と反論されることが非常に多くあった。反論の第一は「宗教団体が何故、政治をする」であり、他教批判よりも選挙運動、政治活動を批判されていた。
 創価学会は昭和45年以降、微増の状態となった。昭和55年以降はほぼ平衡の状態となった。すなわち創価学会に入る人と辞めていく人が同じ数の状態となった。
 現在(平成22年)も一年間に1万人が創価学会に入会しているが退会しているのも同じだけある。
 戸田先生は参議院までの進出であって衆議院への進出は考えておられなかった。戸田先生は権力は志向されていなかったのである。
 政界への進出すなわち衆議院への進出は池田大作の「天下を取ろう!」「天下を取ってやる。この信仰を利用して天下を取ってやる」という醜い欲望から生まれた。池田大作には信仰心はなかった。だからこの信仰を利用して天下を取れれば、それで満足だった。――信仰利用の極限の姿がここにある。
 広宣流布などどうでも良かった。他人の幸福などどうでも良かった。ただ、自分が誰よりも偉くなれれば良かった。人を蹴落として自分が一番になれれば良かった。世界は自分のためにある。天下は自分のためにある。自己愛性パーソナリティ障害である。妄想性障害と言っても良いかもしれない。
 日蓮正宗には「王仏冥合」という理論がある。「王」は政治、「仏」は仏法を指す。つまり「王仏冥合」とは政治と仏法が深いところで一緒になる、仏法の精神で政治を行い民衆の幸福を実現させる、ことである。池田大作はこの理論を自らが権力を握るために悪用して用いたのである。つまり、自分が総理大臣になるためである。公明党の結成は昭和39年であり、昭和42年に創価学会は衆議院選挙に初めて参加した。初参加だったが25名の当選者を獲得した。この頃、創価学会は順調に勢力を拡大しており、この調子で勢力拡大が続けば、公明党が政権を取ることが見えていた。
 池田大作は自己愛性パーソナリティ障害に罹患しており、自分がトップにならないと気が済まなかった。池田大作本仏化はそれ故に起こった。池田大作は自分を仏に見せるため様々な策を講じた。
 池田大作本仏化は池田大作が自分が本仏で思われるように振る舞って造ったものである。様々な芝居を側近は暴露している。有名なものとして、千葉県の日蓮大聖人が修行された寺院でそこの境内の近くに植わっていた木に「やあ、久しぶりだなあ。750年ぶりかなあ」と話しかけたことがある。しかし、その木は樹齢400年であった。この行為を自分を本仏に見せかけるために行った芝居であったならば自己愛性パーソナリティ障害で止まるが(同行していた側近は芝居と思っていたそうであるが)、本気で行ったとすると妄想性障害または妄想型統合失調症となる。
 また、自分がトップにならないと気が済まない故に、創価学会員の増加が止まり、自分が総理大臣になれないと分かると、宗門より上に立とうという野心を持った。日蓮正宗国際センターを造るという案は池田大作自身が作った。それは池田大作自身が宗門より上に立つという構想であった。池田大作がそのトップになり日蓮正宗を支配下に入れるという構想であった。しかし、日達上人はそれを作ることを拒否された。それを造ったときは創価学会と分かれるという強い意見であった。それ故に起こった宗門戦争、そして日蓮正宗よりの独立である(平成3年の破門は池田大作が故意に引き起こしたものである。昭和52年の頃は宗門からの独立は時期尚早と考えお詫び登山などを行い、破門を逃れた)。池田大作は自分が総理大臣なり、閣僚を創価学会員で占めるという名簿を造っていた。その名簿は妄想による産物と言っても良かった。
 昭和44年の衆議院選挙で47議席であった公明党議員は昭和47年の衆議院選挙では半数近くの29議席となる(昭和51年の衆議院選挙では55議席と復活している)。言論問題が災いしたのである。言論問題により行わざるを得なかった政教分離宣言が創価学会員の公明党を支援する意欲を大きく低下させたからであった。
            (完)

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池田大作に信仰心はない。これは「月刊ペン事件」で池田大作側から裁判所に提出された池田大作の一日の行動記録を見たらはっきりとする。池田大作は仏壇の前に一日に五回座っていることになるが、勤行はしていない。唱題を数分間行っているのみである。これには唖然とする。

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「国法を犯しても、それが仏法、即ち創価学会と池田大作のためなら何でも許される」という論理が現在の創価学会に厳然として存在する故、創価学会は数々の反社会的行為を平然と行っている。この論理は犯罪に対する自制心を取り除く効果を生む。こうした論理が極端な「倫理喪失人間」を大量生産する原因となっている。それに加え、創価学会には池田大作が呼び込んだ無数の悪鬼が暗躍し、犯罪を唆している。山崎正友氏は「刑務所の二十五~三十%は創価学会員、極悪犯罪になるとこの割合は更に多くなる」と書かれていた。池田小学校大量虐殺事件などを考えれば解る。

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     創価学会の宗教被害
 rsd氏、余計なことと思いますが、誤解されていることがありましたので、ここに書きます。rsd氏は極めて知識豊富で尊敬しております。rsd氏の過去ログを見て現代仏教学および日蓮正宗の勉強を致しております。立正大学の教授と推察しております。多忙と思われますから、これに答えられなくてよいです。
 法華講員は大衆の面前で他宗の仏壇を壊すような過激なことは行いません。つまり日蓮正宗の御住職が他宗の仏壇を壊すように指図するということはあり得ません。それを行っていたのは創価学会です。創価学会員の自発的意志で行っていたか、創価学会の幹部の指示で行っていたのです。
 創価学会の末端はほとんど日蓮正宗の寺院とは昭和40年代50年代も隔絶していました。暗に「お寺と創価学会は別である、お寺にはあまり行くな! お寺とは関係を持つな! 謗法になる、罰が当たる」という考え(内部指示)が末端の創価学会員の間にはありました。すでに、お寺と創価学会員の間には溝ができてしまっていたのです。お寺と創価学会は少なくとも池田大作の時代からは仲が良くなかったのです。お寺には御授戒の時に行くだけで、他の時は創価学会の活動を優先するような指導が暗に行われていました。
 戸田先生の時代にはありませんでしたが、池田大作の時代になり、お寺を軽視する内部通達のようなものがあったようです。池田大作は自分がトップになりたかったが、宗門がそれを邪魔しているのを根に持っていました。池田大作には宗門が邪魔で仕方がなかったのです。平成3年の破門はもちろん創価学会(池田大作)の側から仕掛けたものです。
 自分の前の女房は、創価学会員が他宗の仏壇を大勢で大声を上げながら壊すのを見て、子供心に創価学会とは暴力団よりも怖いと思ったそうです。その恐怖心が大人になっても残っていました。
 今こそ創価学会は選挙のために反社会的なことは控えていますが、以前は他宗の仏壇を私道か公道に於いて集団で叩き壊すことは日常的に行っていたようです。それが創価学会員の士気を高めることにも繋がっていたようです。
 法華講員は大人しい。創価学会員は喧しいほど活発である。これは20年ほど前、自分が法華講に入りかけたときに感じたことです。結局、その20年前は「家庭崩壊する」とお寺の御住職の奥さんより諭され、入講を思いとどまりました。
 宗教被害は未だに創価学会が一番多い。顕正会は過激な勧誘で公安当局にマークされているが、数が少ないためか、その被害は意外と少ない。
 自分はこの10年間に男子部員の自殺を2件経験してきた。いずれも20代の若い青年である。22歳、26歳である。2人とも前途有望な好青年であった。自分が入会させたのではないが、入会に際し自分が大きく関わっていたこともある。
 何故か、2件ともビルからの飛び降りであった。一人は自身の社会不安障害(対人恐怖症)に絶望して、一人はうつ病性障害であった。
 うつ病性障害の患者の方は完全に創価学会の信仰が彼を追い込んだ。創価学会に入れば病気が治ると入会し(自分が入会させたのではないが入会させた整体院を紹介したのは自分であった)、毎日、拠点で勤行唱題に励んだ。
 家は20年前、母親が病気で寝たきりであり、彼が幼いときに病気が治ると創価学会に入会し、結局、却って重症化して自殺した。それは彼が物心付くか付かないかの幼い頃の出来事であり、彼は覚えていない。それ故に親兄妹は彼が創価学会に入会することに猛反対であった。母親の病気が何であったのかは知らない。
 また、そのため御本尊を安置できず、毎朝4時頃から、拠点に行って勤行唱題をしていた。朝、早くからの仕事をしていた。
 激しい倦怠感にも拘わらず、彼は勤行唱題と学会活動を続けた。聖教新聞啓蒙を10部行い、表彰されたこともある。そのときは、知人の家を「聖教新聞を取ってください」と一件一件回り、あるときは酷い倦怠感を治すようにと2000円の牛肉を食べに連れて行かれたこともある。聖教新聞が月1880円であるから聖教新聞を取る代わりに牛肉を食べに連れに行かれたのである。この啓蒙は相手が聖教新聞代を出す啓蒙であった。
 選挙依頼も外部の友人が多いためもあり、彼がダントツでトップであった。入会直前まで行っていた友人も数名いた。
 創価班に入ったが、午後11時からの勤行会に参加することが困難であり、創価班の着任は一回も行ってない。
 結局、彼は追い込まれ、ビルより飛び降り自殺をした。26歳の若さであった。遺書には創価班に着任できない苦悩が綿々と綴られていた。母子二代、創価学会の信仰で自殺したのである。
 もう一人、社会不安障害(対人恐怖症)の22歳の青年がマンシヨンより飛び降りて自殺した。発症ははっきりとしないが、中学3年生ぐらいの時期と思われる。それまで腕白坊主だった少年が人との交わりを避けるようになった。祖母が古くからの創価学会員であり、家に“魔”の御本尊が安置されていた。祖母は熱心な創価学会員ではなかった。活動はほとんど行ってなかった。
 彼の社会不安障害(対人恐怖症)の発症には御本尊の存在が原因と見られる。創価学会員にはうつ病性障害とともに不安障害が非常に多い。パニック障害、社会不安障害(対人恐怖症)、強迫性障害など外来患者に占める割合は非常に多い。
 熱心に創価学会の信仰をしていて発症した人、創価学会の信仰をある程度行っていた人、そして家人が創価学会員であるだけで自分自身は信仰は全く行っていなかったのに発症した人の三種類が存在する。彼はほとんど信仰は行っていなかった。
 平成5年から創価学会員の家庭に配布された創価学会製の御本尊は“魔”の御本尊と言われる。この御本尊の配布開始の時期と創価学会員にうつ病性障害などの精神疾患が急増した時期が一致している。
 しかし、“魔”の御本尊の配布以前から、創価学会員にはうつ病性障害などの精神疾患が異常に多かった。彼の社会不安障害(対人恐怖症)の発症も“魔”の御本尊の配布以前のことである。“魔”の御本尊の配布の3年前に彼は発症している。“魔”の御本尊は創価学会員のうつ病性障害など精神障害の発症を急増させただけである。
 創価学会員に精神障害が異常に多発し始めたのはいつ頃からか? それは池田大作の会長就任の時期が始まりと思われる。池田大作の会長就任とともに悪鬼が創価学会に怒濤のように雪崩れ込み、創価学会員に不幸なことが異常に多発するようになった。また、精神障害の異常多発も同時に起こった。
 創価学会の宗教被害として現在は選挙が主体と成っている。以前の折伏大行進の時の折伏による被害は現在はほとんど見かけなくなっている。
 選挙運動は折伏を阻害する。このことが池田大作には分からなかったらしい。ただ、“天下取り”を焦って“選挙”“選挙”と浮かれ足だって居たのが池田大作である。自分で自分の首を絞めていたことに気付かなかった池田大作である。
「一票取るのも一人折伏するのも同じ功徳がある」と会員を唆し、純真な会員を懸命な選挙運動に駆り立ててきた。
 極めつけの例を紹介しよう。
 ある男子部が雪の降る中、「公明党に一票を!」と戸外に立ち尽くした。家の人が断り続けても「公明党に一票を!」と戸外に立ち尽くした。
 明くる朝、戸を開けると、未だに「公明党に一票を!」と戸外に立ち尽くしていた。雪は帽子に高く積もり、厚い防寒着を着ていた。「公明党に一票を!」と依然として言い続けた。家の人は怖ろしくなり、警察を呼び、男は逮捕された。
 筆者もたった一人の知人を年賀状より000選挙区に見つけ、同じ男子部とクルマで選挙依頼に行ったことがある。高速道路を何時間も飛ばし、ナビゲーターを頼りに相手の家を探した。公明党に入れなかったことは確実である。しかし、それでも選挙依頼をするのが創価学会である。相手が入れようと入れまいと、選挙依頼をするのに功徳があると幹部から言われ、それに従うのが創価学会員である。
           (完)

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  サークル化しつつある創価学会(創価学会の互助組織化)
 創価学会のサークル化は昭和45年の言論問題事件から始まった。以来、灼熱のエネルギーは創価学会から次第に消えていった。
 いや、創価学会がもっとも燃えていたのは昭和30年頃と推定する。しかし、昭和45年までは燃え続けていた。サークル化が顕著になってきたのは創価学会が独自の御本尊を配布するようになった平成5年頃からと推測する。それを境に会員が勤行唱題をあまり行わなくなったからである。また、勤行が省略化されたことも大きく影響しているようである。婦人部の会合でも少人数の場合は勤行唱題をせず、お喋りで終わることが多くなった。婦人部は良く喋る。良く喋るためペリカン部とも言われている。
 以前の座談会では体験発表に花が咲いていた。体験はないが体験発表させられていた。当然、功徳でもないことを功徳というのがその当時のしきたりであった。とくに婦人部に功徳でもないことを功徳という傾向があった。罰を功徳と発表することは非常に多かった。それは体験発表の半分に達していたと思い出される。体験発表の半分以上が罰の体験を功徳の体験と勘違いして発表していることが多かった。不思議だった現象は全て功徳の体験と成っていた。
 今、平成22年。創価学会は選挙集団と化し、折伏を放棄している。折伏らしきものもするが、それは勧誘である。
 サークル化し創価学会は平和になったとも言えよう。近所の互助組織ともなっている。高齢で歩くことも困難な人の代わりに買い物に行ったり、大丈夫にしているか?お見舞いにも来る。一人住まいの学会員の老人の死亡発見者はほとんどが同じ学会員である。自分の親戚の学会員も一人住まいしていたが、近所の学会員から最近姿が見えないと訪問され、死亡しているところを発見された。
 幼稚園での催しに手伝いに来てくれるのも近所の学会員である。自分は日曜日は仕事であるため日曜日の催しには出られない。自分の代わりに出てくれるのが近所の学会員である。子供2人が同じ幼稚園のため2人の保護者が必要なのである。
 これはよく言われることであるが、学会員は人が良い。他に友人を作りたいとは思わないほどである。
 婦人部は良く喋る故、その情報網はもの凄い。ペリカン情報網とも言われている。日本共産党の情報網を越えたと言われている。男子部、壮年部が「何処からその情報が漏れた?!?」と疑う場合は婦人部である。
 この創価学会のサークル化は池田大作が死亡すると更に加速することが予想される。創価学会は信仰心が弱まり、代わりに互助組織として機能するようになった。

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 ある経を何年間、説いた後に、全く内容の異なるある経を何年間、説くと言うことを、現代人は信じることは出来ない。
 最重度の多重人格障害でもあれほど全く異なる教典を説けない。
 昔の人は信じることが出来たのかも知れない。しかし、現代人は信じることは出来ない。信じるとしたら狂信、盲信である。
 死ぬ前の一日で、あれだけ膨大な「涅槃経」を説けるはずがない。
 第一、インド史の研究により、大乗教典は釈迦の死後、300~400年以上経ってから造られ始めたとなっている。
 釈迦は原始経典のみ説いた、または人の道を説いた、となっている。これらは現代仏教学で確立されている。仏教学者でこのことに反論する人はいない。
 もはや仏教、キリスト教などは“伝説”“遺物”でしかない。キリスト教は神学を、仏教は教学を立てた。難しい神学、教学を立てて信者を煙に巻いている。
 未だに「四十余年未顕真実」を教義とすることは間違っている。これが書かれている「無量義経」は偽経と定まっている。
「五時八教判」を教義の土台とする宗派は教義が音を立てて崩れてゆく。

 今まで反論のない創価学会に反論してもらいたい。
 何故、創価学会からは反論がないのか? 創価学会は「選挙、選挙、友好運動」で教学をする暇がないからである。 
 
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 大乗仏教の経典の中には、その前に「開経」を置き、その後に「結経」を持つものがある。法華経の開経は「無量義経」で、オペラで言えば序曲のようなものである。オペラの序曲は美しい旋律を持ち、それを聴いただけで聴衆はそのオペラの華麗な風光の中にひきこまれて、陶然とするのである。
 その「無量義経」のなかに「四十余年未顕真実」が書かれている。日蓮大聖人はこれをもって他宗を激しく批判した。
「無量義経」は中国人が創作した偽経であることは現代仏教学の常識である。「無量義経」を偽経と言わない仏教学者は存在しない。「無量義経」を釈迦が説いたものと信じれ!!という人間は完全に洗脳されている。創価学会のときはそのように無理矢理に信じ込まされようとされてきた。現代仏教学の本を読んでいた自分は信じることは出来なかった。

 しかも日本に輸入された翻訳本はほとんどが破戒僧・羅什による訳である。
 「羅什は火葬されたが舌は焼け残った」と書かれている。ここにも中国人の迷信深さが表れている。

 今まで反論のない創価学会に反論してもらいたい。
 何故、創価学会からは反論がないのか? 創価学会は「選挙、選挙、友好運動」で教学をする暇がないからである。 

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 池田大作は会長就任(昭和三十五年)後、時の日蓮正宗の管長である日達上人を学会本部に呼びつけ、露骨な恫喝を行った。山崎正友氏は、後日、日達上人が「何で池田の若造に法主の私が呼びつけられドヤシつけなくてはならないのか後で悔しくて涙が出ましたよ。だかあの時は相手も若いことだし我慢しました」と語られたことを明らかにしている。(懺悔の告発:山崎正友;日新報道:1994:p80)

 ――――上記より創価学会は昭和三十五年には謗法団体になっていたのである。

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 昭和五十九年十月三日、東京都内の病院で、池田大作の次男・城久氏が二十九才という若さで亡くなった。死因は胃穿孔(胃に穴があく病気)であった。
 城久氏は、創価大学を卒業後、同大学の職員として勤務し、将来は、創価学会の後継者となる人物と目されていた。池田自身、自分に体型もよく似た城久氏を大変かわいがっていた。
(しかし、池田大作は自分の愛人の一人を次男・城久氏に無理矢理、結婚させている。その煩悶のため、次男・城久氏はストレス性の胃潰瘍になったのである。胃潰瘍のため、池田大作の側近である産婦人科医の婦人部の経営する病院に石川伸一という偽名で入院していた。病気をするものは信心が成ってない、という創価学会に蔓延していた邪義からの非難を避けるための処置であった。
 ストレス性の胃潰瘍は入院させストレスから遠去けることにより快癒することが多い。しかし、城久氏が負っていたストレスは入院したとしても軽くなるストレスではなかった。
 池田大作には日本だけでなく海外も含めると二十数名の愛人が居たと言われる。その中でもその愛人を池田大作はことのほか目に入れていたようだ。それを自分の最愛の息子に譲るというとんでもないことを平気で池田大作は行った。最愛の息子がストレス故に胃潰瘍になり胃穿孔で死亡することは自分がまいたものであった。池田大作は人間の心を持たないのだろうか?
 池田大作はこの城久氏の通夜の夜、当時、公明党委員長の竹入義勝氏、公明党書記長の矢野絢也氏と三人で今後の政策について長時間、話し込んでいる。普通の場合、最愛の息子が死んだ夜、そういうことはできないはずである。池田大作は城久氏に愛情をあまり持っていなかったと考えられる。愛情をあまり持っていなかったため、自分の愛人を強引に結婚させるという驚くべきことを行ったとしか思われない。昭和五十九年十月には差し迫った重大事はなかったはずである。池田大作は子供の死より政策の方が大切だったと思われる。池田大作は愛情欠如症候群に罹患していたと思われる。池田大作は通夜の席に出席せず、一室で竹入義勝氏、矢野絢也氏と数時間に亘る今後の政策について話し込んでいる。
 日本での愛人と落ち合うところは日本中に造られていた池田専用室であった。池田専用室とは研修道場などに設置される池田大作個人が使うことになっている莫大な金をかけ贅をこらした部屋のことである。それらの部屋は研修道場建築に使用される費用の半分近くを掛けるのが普通であった。
 その愛人は人妻であることが多い。その旦那は学会で一気に副会長にまでなってしまう。妻を池田大作に差し出す旦那は副会長に多数存在することになる。池田大作はオットセイまたはトドとまで言われていた。欲望の凄まじさは激し過ぎる。
 その池田専用室は全国に百以上有ると言われ、昭和五十二年には民主党がそれを国会で取り上げると公明党に文書で脅し、急遽、ほとんどの池田専用室は牧口記念館や戸田記念館に改装されたり、取り壊されたりした。その改装と取り壊しの費用は莫大であったと言われる。
 しかし、民主党と選挙協力をすると約束し、国会で取り上げられることはなかった。民主党が国会で取り上げないと解ると、再び日本全国に池田専用施設が新たに莫大な費用を掛けて再築された。これらの費用はほとんど広布基金で賄われていたと言われる)
 その城久氏が、なぜ、手遅れにならないかぎり死に至ることのない、胃穿孔で急死したのか――。
 
 それを予言したかのような記述が池田大作著『人間革命』第十巻「嶮路の章」に出ている(『人間革命』は東大卒で小説家志望だった篠原善太郎氏が書いたものであり、池田大作は本を書いたことは全くない。池田大作にはゴーストライター軍団が存在していた。会長室の上にゴーストライター軍団の部屋があった。創価学会本部職員は知っている)。
「(ニセ本尊を自ら作った)岡田一哲の父は胃穿孔で悶死した」
 池田大作も、ニセ板本尊を作るという大謗法を犯して、時の御法主日達上人の御宸襟(しんきん)を悩まし奉った昭和五十二年から数えて、まさに七年後に、最愛の後継者を胃穿孔で死なせてしまったのでした。 


(池田大作・創価学会の真実:原島嵩:日新報道:2002:p164 )

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 東京??には無宿人にたいしご飯の炊き出しを行っているキリスト教の教会がある。なぜ、創価学会も同じようなことをしないのか疑問に思う。創価学会には財力も人力も余っている。無宿人への炊き出しをするべきだ。

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 東京の創価学会本部には毎週精神科医が来ています。学会本部の職員と家族に“うつ病”など精神疾患があまりにも異常多発しているからです。薬を処方するには精神科クリニック開設の手続きをしなければいけませんから(精神科クリニックを本部会館内に開設して、これが暴露されたら創価学会は大打撃を受けます。ですから精神科クリニックの開設はしないはずです)カウンセリングだけのようです。カウンセリングしてどこどこの精神科を紹介するということをしているようです。
 どこにこういう本部があるでしょうか?
 近くに創価学会専用の精神科クリニックがあり、そこには数人、精神科医が常駐していますが、そこで診ることができないほど創価学会には“うつ病”が多いのです。ある大学病院の“うつ”外来では「半分が創価学会員、半分がクリスチャン」と言っています。

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フランス下院、創価学会に警告
 昭和六十年にフランスの下院は創価学会に対して次のような警告を発しました。
「今日、私はフランスであなた方の組織の金銭に関する『いかがわしい』関係について、あなたに注意を喚起します。三つの点を取り上げましょう。
会員に金を払わせるための圧力
集めた資金の管理を要求する会員に対する暴力
日蓮正宗欧州協会とフランス日蓮正宗の会計上の混同」
 フランス下院は創価学会を「エセ仏教」「セクト」と断定し、同国に於ける金集めに手厳しい批判を加え、池田に書簡を送り、議会で取り上げたのです。学会は「日本の恥」以外の何ものでもありません。

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 池田大作はタゴール平和賞やアインシュタイン平和賞を受賞しているが、このどちらの賞も池田大作以外に受賞した人はいない。
 つまり、この二つの賞は池田大作だけのために造られた賞である。どのくらいの金額が掛かったのかは不明である。
 スペインSGIの責任者は「スペインの大学に行って池田大作に授与する賞を貰ってこい!」と日本の創価学会本部から指令を受けたと告白している。
 つまり各国のSGIは池田大作顕彰のための斡旋機関でもある(スペインは国ごと宗門に寝返った。国ごと寝返ったのは他にガーナがある)。

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創価学会内部改革派  蘇生の選択   (7)

2013-01-30 19:25:14 | 宗教
 学会製の“魔”の御本尊とうつ病性障害
 学会製の“魔”の御本尊がうつ病性障害などの精神障害を多発させると言われるようになって久しい。
 筆者も3年半前まで10年間、うつ病性障害で苦しんだ。
 御本尊は学会製の“魔”の御本尊であった。
 発病したときも学会製の“魔”の御本尊、10年間苦しんだときもずっと学会製の“魔”の御本尊であった。
 寛解(うつ病性障害の場合は治癒とは言わない、必ず再発するので寛解と言う)したのは学会製の“魔”の御本尊のことをインターネットで知り、その“魔”の御本尊に向かって祈らなくなってからである。
 大石寺の方角に向かっての遙拝勤行が始まった。
 劇的にうつ病性障害は寛解した。
 それからはうつ病性障害再燃(うつ病性障害の場合は再発とは言わず、再燃と言う)の気配も感じられない。
 インターネットは非常に良く嗜んでいたが、“魔”の御本尊のことは知らなかった。
 創価学会本部主催の掲示板であるVOICE には“魔”の御本尊のことは載ってなかった。
 VOICE はやがて創価学会員のうつ病性障害やパニック障害などの精神障害の人が非常にたくさん発言するため、そのことで創価学会の信仰に疑いを持つ人が続出したためだろう、実質上廃止になった。
「やりました。できました」という発言しか載らなくなった。
 うつ病性障害で勤行唱題することは非常に難しい。
 うつ病性障害が重度の時は題目三唱も唱えることが非常に難しい。
 自分は重症化しているときは題目一唱も唱えることができなかった。
 うつ病性障害で勤行唱題ができるのは軽症の時のみである。
 それも長時間はできない。
 方便品自我解を一回唱えるのみで精一杯である。
 創価学会の勤行が方便品自我解一回のみになったのは、創価学会にうつ病性障害があまりにも蔓延したからではないかとも推測される。
 他に、池田大作が勤行唱題が大嫌いであるからとも言われている。
 インターナショナル勤行とは言い訳に過ぎないとも推測される。
 そして不思議なことに、“魔”の御本尊に対しては題目一唱を唱えることさえ難しいのに、日達上人の御本尊に向かっては全く不便なく勤行唱題ができることである。
 とても不思議であった。
 実家は日達上人の御本尊である。

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「僕もTさんも広宣流布のために病気になったんです。そしてそれを誇りにしています」
「御書にあります。黒金を鍛え抜けば疵のあらわるるが如し」
「海をのんびり見ている余裕がないのです。もし、海をのんびりと見ていたら癒されるでしょう。しかし、きっと、海を見ている途中で、いたたまれなくなってしまうでしょう。そしてそれが、僕たちの病気の…」
「それは兄弟抄か佐渡御書にあります。大聖人様が極寒の佐渡で著された御文です」
 革命のために命を捨てる、その覚悟をしたとき、魔は憤然として競い起こってきます。適当に信仰していたら病気にもならず良いような、そんな気になってしまいます。本当はそれではいけないのでしょうけれど、現世安穏をどうしても最優先にしてしまいます。一生懸命、信仰することにためらいを感じてしまいます。
 もし、法難が起こったら自分は信仰を捨てるでしょう。そんな弱い信仰ではいけないと思いつつも、命を捨てる覚悟にはどうしてもなれません。命を捨てる覚悟で信仰している人はこの日本ではほとんど居ないでしょう。
 弱い信仰でも良い、一生涯貫き通すことが大切だ、と言われたら安心します。今の日本ではまず法難は起こらないでしょう。ですから弱い信仰でも、一生涯貫き通すことができると思います。
 しかし御書には命を賭けて信仰するようにとも書かれています。また、水の信仰で一生涯信仰を貫き通すようにとも書かれています。炎となり易い自分には水の信仰を心懸ける方が良いと思います。
 炎となって燃え尽きて退転した学生時代のことが思い出される。しかし、自分は中学・高校と炎となって燃え続けたようにも思います。小さな炎でしたが、自分はその厳しい少年時代、燃え続けました。
 少年時代、自分は病気との闘いでした。鼻の病気、喉の病気、そして高校3年の終わり頃に掛かった0000、自分には心の安らぐ暇がありませんでした。苦しい学校生活が終わって家で御本尊様の前に座り一生懸命題目を唱え続けて耐えてきました。
 この信心をしたら宿業がでる。棄教をも考えていた。大聖人様の教えを完全に信じるか、否定して棄教するか、瀬戸際だった。   
(未完)

Tさん:男子部の部長時代、Tさんの部は常に先駆を切っていた。とても厳しい人だったが自分はとても懇意にしていた。鉄の信仰の人である。壮年部に移行した翌年、壮年部ブロック長の時、パニック障害とうつ病性障害に倒れ、生活保護になった。今も病気は良くならず、生活保護のままである。しかし、壮年部ブロック長を続けている。
僕:三船敏郎のこと
(これを書いたのは10年ほど前のことになるだろう。僕が一生懸命、創価学会の信仰をしている時のことだ)

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“魔”の御本尊の恐怖
「ただ、大御本尊だけは、われわれは作るわけにはゆかない。日蓮大聖人様のお悟り、唯授一人、代々の法主猊下以外にはどうしようもない。だから、佛立宗や身延のヤツラが書いた本尊なんていうものはね、ぜんぜん力がない。ニセですから。力がぜんぜんない。むしろ、魔性が入っている。魔性の力が入っている」(『大白蓮華』昭和34年7月号9頁・戸田城聖)

 平成5年より配布された創価学会製の御本尊は“魔”の御本尊である。これを拝むと心は“うつ”になる。歓喜が湧かない。
 以前、日達上人の御本尊ではもの凄く歓喜が湧いていた。それが“魔”の御本尊では歓喜は気分的にしか湧かない。
 自分はうつ病性障害に罹患していたことがある。
 創価学会で一生懸命に活動していたときのことである。
 平成8年から平成17年にかけてのことになる。
 何故、自分がうつ病性障害に罹患したのか納得がいかなかった。
 学会活動は積極的に行っていた。
 勤行は欠かさず行い(その頃は五座三座の勤行であった)唱題も平均すると一日2時間を越えていた。
 仕事も「徹せよ」という全国青年部幹部会(?)第1回総会の時の指導に感激し、その1ページほどの部分を切り取り、仏壇の横に置き、徹して仕事をしていた。
 自分が日達上人の御本尊と“魔”の御本尊に祈ったときの違いに気付いたのは、平成16年頃、実家の近くの病院に転勤するか迷っていたときであった。まだ、00にアパートは置いていた。
 実家に泊まり、朝、日達上人の御本尊に五座の勤行と1時間余りの唱題をしたとき、少なくとも10年間は経験していない歓喜が湧いた。
「南無__は歓喜の中の大歓喜なり」である。
 そしてその日は元気いっぱいの自分であった。
 その頃、うつ病性障害に罹患しており不安感、焦燥感そして倦怠感が常に自分につきまとっていた。
 それが綺麗に消えていた。
 その日は、患者さんに元気一杯に対応することができた。
 その日は当直、そして00のアパートへ戻った。
 思えば自分は中学2年の頃、一生懸命に信仰をしていたとき、毎日のようにあのような歓喜に包まれていた。
 そして元気すぎるほど元気な自分であった。
 あまりにも元気すぎた。
 歓喜が無くなったのは自分が実家から離れて00へ住むようになってからであった。
 平成5年の時のことであった。
 偶然にも“魔”の御本尊が配布され始めたときのことであった。
 “魔”の御本尊を受けた。
 今までの御本尊より少し大きめであった。
 そのため古い仏壇では入りきれないことが多いといわれた。
 自分は17万円出して新しい仏壇を買った。
 それから週3回の当直、厳しい大学病院勤務に、その御本尊に祈りつつ耐えてきた。
 歓喜の湧くのが少ないということは、気付いていたと思う。
 しかし、疑いを起こすほど はっきりとは気付いていなかったと思う。
 また疑いを起こすほどの余裕はなかった。
 その頃は厳しい日々であった。

 “魔”の御本尊に祈る人は高率にうつ病性障害に罹患する。
 日本のうつ病性障害の半分は創価学会員と言われる。
 うつ病性障害はもっとも治りやすい精神疾患である。
 数ヶ月で治ることが普通である。
 ところが創価学会員のうつ病性障害は治らない。
 しかも入院を必要とするほど重症であることが非常に多い。
 これらはもちろん聖教新聞などでは報道されない。
 同時放送でも言われない。
 マスコミも沈黙を貫いている。
 自分は一度、「創価学会員に多発するうつ病性障害の精神病理学的特徴」という論文を書き、幾つかの出版社に出したが、創価学会から訴えられると全て断られた。
 創価学会は訴訟を乱発するカルトとして怖れられている。
 創価学会員のうつ病性障害は10年20年30年と長引く。
 決して治らない。
 治るのは創価学会の信仰を放棄した会員か、不熱心な会員だけである。

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“魔”の御本尊の恐怖(2) 
 東京に創価学会員専門の精神科クリニックがある。
 ここでは「勤行唱題、学会活動の禁止」を指導する。
 ここの医師は創価学会員の精神疾患の原因は創価学会の信仰にあると気付いているらしい。
 創価学会員の精神科医数人で運営されているらしい。
 この精神科クリニックの指導に反発し従わない創価学会員は多い。
 もともと非常に熱心であったから精神疾患に罹患したのである。
 しかも幹部が多い。
 このクリニックの指導を悪し様に罵り従わない精神疾患に罹患している創価学会員は非常に多い。
 以前(12、3年ほど前)、voiceという創価学会本部が運営するインターネット上のサイトがあったが、自分はここでこのクリニックの治療方針を知った。
 このサイトはあまりにもうつ病性障害やパニック障害を罹患している創価学会員からの投稿が多すぎるためか実質上、閉鎖し、今はこのサイトは「やりました!できました!」という内容の投稿しか載せなくなっている。
 “魔”の御本尊の直径2m以内では「死ね、死ね」という幻聴の聞こえる婦人部員がいる。
 2mを越えると聞こえなくなるそうである。
 また、“魔”の御本尊に勤行唱題すると手首をカミソリで切る男子部員がいる。
 この男子部員はもちろん勤行唱題を厳禁されているが、熱心なあまり勤行唱題をしてしまうそうである。
 この男子部員は東京の創価学会員専門の精神科クリニックで治療されている。
 “魔”の御本尊に変わって、その変化に気付かないのは、ちょうど、信仰を退転したが、信仰を行っていたときの歓喜を忘れてしまい面倒な勤行唱題をしないでよくなった、と嬉しがる退転者と同じである。
 歓喜を忘れた創価学会は活力を急激に失い、弱小化すると推測される。

     (完)

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 日蓮正宗法華講に属さずとも一人で大石寺の大御本尊に向かい勤行唱題を行ってゆくことは可能でしょうか? 心は日蓮正宗法華講としても、お寺には行かないことにすることです。
 もう一度書きます。心は日蓮正宗法華講としても、お寺には行かないことにすることです。
 現在、自分は、それを選択するを得ない極めて厳しい局面に立たされています。現在こそ、隠れ法華講員で済ませていますが、隠れが何時まで成功するか極めて難しいと思われます。お寺に入るところを創価学会員に見つかったら最後です。
 隠れて遙拝勤行するのも何時見つかるか危ないところです。日蓮正宗の経本を入れた袋を何時見つかるか危ないところです。
 女房の一族は狂信的な池田教の信者で、他の人を折伏することはできますが、女房およびその一族を折伏することは不可能に近いことです。
 女房はどうでも良いですけど、2歳と4歳の子供がいます。2歳と4歳の子供が大切です。
 同じようなことを質問しているかも知れませんが、それほど深刻な問題なのです。
 遙拝勤行を見つかっても、日蓮正宗の経本を見つかっても「一人で信心しており、お寺(日蓮正宗)とは関係ない」と言えば大事には至らないと思われます。
 一人法華講を選択せざるを得ない厳しい状況です。
 一人での信仰は広宣流布を無視した良くない卑怯な方法でしょうか?

(補足)五時八教判などへの疑念は、勤行するのと勤行しないのとでは、この信仰を続けるのと続けないのとでは、全然違うため、また「南無__は歓喜の中の大歓喜なり」があるため、そんなのはどうでもいいことだ、その当時の仏教界の通説であった、信仰は理屈ではない、と思っています。
 日如上人様なら自分の厳しい状況、分かってくれると思っています。

(補足)遂、弱音を吐いてしまいました。自分はこれからも法華講員としてお寺に行きます。一人信心は行いません。

           (完)

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 原田会長へ (11月14日金曜 夜)
 原田会長、本山無しでやって行くことは不可能であることは分かっておられると思います。創価学会だけで一つの新興宗教としてやって行くことは不可能であることは分かっておられると思います。昔の富士大石寺は間違った教団でありました。それでもあれほど強い歓喜がありました。日蓮宗富士派のいろんな宗派には力があるのです。不受不施派など不可思議な教団が存在したのは不可思議な強い歓喜があったから存在したのです。苦しみも喜びに変わる歓喜があったから存在したのです。

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 shokupanman008さん
 僕、三船敏郎のことでしょうか?

 自分は創価学会が保田妙本寺を本山にするように微力ながら勧めているのです。
創価学会員には無知な人があまりにも多すぎる。
ネットを持たない70歳以上の老人は全く池田大作の悪を知らない。
 
せめてネットをしている創価学会員に池田大作の悪を知らせ、目を開かせたい。
 
ネットをして創価学会批判のサイトを読めば創価学会の悪さを知ることができるだろう。

批判のサイトを置いているだけでは不十分と思い、このカテに来ています。
創価学会員で信仰を続けている人達は「何かおかしい」と思いながらも疑うと罰が来ると思って疑うことを辞めてしまう。


自分もそうでした。「何かおかしい」と思いながらも創価学会の信仰に凝っていました。厳しい現実を凌ぐための心の支えが必要だったのです。そのため、「何かおかしい」と思いながらも創価学会の信仰を続けていました。この信仰を続けていれば幸せになれる、病気が治るという幹部の指導どおりに動いていました。


処が自分の場合は同時放送での池田大作のあまりもの傲慢な言動と態度に呆れ果てて、以前、入りかけた創価学会内部改革派憂創同盟を思い出し、自分一人で創価学会内部改革派憂創同盟を名乗ってインターネットで自分一人で反創価学会活動を始めました。


ホームページを造っているのでときどき賛同や応援のメールも来ますが、このカテは日本に於いては大きな影響力を持っています。だからこのカテに参加しています。


無知な創価学会員に真実を知らせたい一心でこのカテに参加しています。
http://sky.geocities.jp/mifune008/

創価学会内部改革派憂創同盟党首の三船敏郎(三船、血印)

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 私は、せめて「先生をお守りしたいばっかりで」というのが精一杯でした。すると「私なんか守らなくていい。私は牢をも辞さない男なんだ」とののしり断言しました。その罵声の激しさは、数人のまわりの側近たちさえ震え上がるほど凄まじいものでした。その時、平成十八年十一月九日に選出された原田新会長がいましたが、私に「原島さんの言っていたことは正しい」とただ一人、私に同調して語っていました。
(絶望の淵より甦る:原島嵩:日新報道:2007:p157 )
―――――池田大作は大阪事件の時、警察におびえて、二十一人の仲間を売った男です。“私は牢をも辞さない男なんだ”とはとうてい言えない人間のはずです。

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「人間革命」は現代の御書、と書いたら反発が強かったので驚いて書きます
 自分が男子部で活動していた10年前、「人間革命」は現代の御書と言われていました。今は言われなくなったのかな?と思います。
 宗門から批判されて急遽、引っ込めたのかな?とも思います。
 婦人部の幹部は「池田先生が書かれた人間革命が現代の御書で古い御書は古いので必要ない」と言っていました。

 男子部でも人間革命の読み合わせ会はするが、御書の勉強会は一切開いていませんでした。
 10年前から15年前にかけてのことです。
 だから男子部には人間革命の本は持っているが御書は持っていないというのが多かったです。
 御書は一回も読んだことがないという男子部が多かったです。
 人間革命の本を古本屋から探して買って、人間革命の本を持っていない男子部に渡していたりしました。
 大きいのは荷物になるから小さい文庫本が良いという男子部が多かったです。

「博文堂」という本屋がすぐ近くにあって、そこは人間革命の新しいのが売り出されると山積みにして売っていました。
 人間革命の第11巻あたりがその頃、発売されていたと記憶します。
「博文堂」が学会系列の本屋と言うことはずっと後になって知りました。
 アダルト系の本も売ってあったと記憶しています。
 すぐ近くにあったので本屋はそこをメインにしていました。


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日蓮正宗法華講のカルト化を期待するべきか否か?
 日蓮正宗は創価学会を破門し、信者数が20万人にまで減少した。中枢部は信者に信者数の急激な増加を督促しているが、激しく活動しているのは創価学会からの渡り信者が大部分を占める妙観講のみである。法華講は少なくとも地方では依然として大人しい。
 妙観講も創価学会からの移転者を1万人造ったが、その活動は創価学会の昭和30年代の折伏大行進に比べると見劣りがする。創価学会の昭和40年頃を彷彿とさせる。それでも世間は妙観講をカルトと考えている。
 妙観講の活動量は顕正会と同レベルと推測される。顕正会は勧誘に暴力沙汰となることを行い公安からマークされている。妙観講は未だ警察沙汰になるようなことは行っていない。
 筆者も日蓮正宗法華講に属しているため日蓮正宗法華講がカルト化することは好まない。
 日蓮正宗には法力がある。しかし、日蓮正宗より破門になった顕正会、創価学会には法力が喪失しており、顕正会は入会者を造るのに非常に苦しんでいる。創価学会は折伏を放棄し、選挙活動のみに力を入れていると言っても過言ではない。
 全国の日蓮正宗の寺院には各々妙観講員が数名いることが普通である。筆者の所属する寺院の人は折伏を妙観講員頼みにしている傾向がある。折伏に妙観講員を連れて行くことが多い。
 日蓮正宗がカルト化して自分自身も激しい折伏を行わねばならなくなるのは苦しい。創価学会の広宣流布の挫折を見てきた自分は、再び折伏大行進のようなことを行うことはおそらくできないだろう。年齢的にも自分はもう純粋な若者ではない。

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(弁護人・西川)「特別書籍部の関係なんですけれども、二十一世紀への対話というのでトインビー博士と池田さんの対話があったですね。これが代作であるというのは、どの部分が代作なのですか?」
(原島嵩)「往復書簡の形を取っておりますが、その往復書簡は、池田さんの問いについての内容、それからまたトインビー博士から質問が来ます。それに対する答えの内容、それを全てまとめた人が桐村泰次さんです。そういう意味です」
(弁護人・西川)「それから、キッシンジャーへの書簡、これについてはいかがですか。これも書簡の原稿を」
(原島嵩)「それは全面的に松本和夫氏(新・人間革命の著者)がつくったということです」
   (法廷に立った池田大作――続「月刊ペン事件」:山崎正友:第三書館:2001:p151-2 )
 そして御義口伝講義は池田大作・著となっているのに驚いたが、あれは原島嵩氏が書いたものである。池田大作はあのような難しいものは全く何も書けない。

創価学会内部改革派  蘇生の選択   (6)

2013-01-30 19:24:21 | 宗教


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狂顎教授ウイルス殿が池田大作を師匠として仰ぐ不可解
 狂顎教授ウイルス殿が池田大作を師匠とし続けることが理解できなく、今回はこれを主題として追及してゆこうと思います。
 狂顎教授ウイルス殿は正本堂御供養金に新聞配達までしてお金を稼がれました。
 また、私は、その頃、正本堂御供養金のためにおからしか食べていなかった創価学会員一家が近くに住んでいました。伝言ではありますが、その姿を今も鮮明に覚えています。その家庭はストーブを焚くための灯油を買うお金もなく正本堂御供養金に貢がれました。練炭火鉢しか炊くことができず、本当に一酸化炭素中毒の一歩手前で生きられていたことは確かなようです。狂信的すぎて周りの学会員も付き合いを避けていました。統合失調症あるいはそれに類する疾患に罹患されていた可能性は極めて高いと推測しています。当時は現在と異なり、統合失調症であっても創価学会に無理矢理に入会させていました。
 因果の理法は厳しく、その一家は十年後、何のためにその家の母親がサラ金からお金を借りまくったのか理由が不可解ですが、一家離散になりました。このように熱心に池田大作を師匠と仰ぐ人達は悲惨な行く末を迎えているのです。
 狂顎教授ウイルス殿はそれでも池田大作を師匠として仰ぐのですか? 正本堂とは池田大作の野心と狂気で建てられたものです。日本共産党の国立戒壇での追及をかわすために造られたものです。すなわち正本堂とは国家戒壇では全くありません。政治の駆け引きとして末端の創価学会員の悲惨な犠牲の下に造られたものです。狂顎教授ウイルス殿は新聞配達までしてお金を稼がれたのです。
 国立戒壇は日本国家が建てるものであることは小学生でも分かることです。それを創価学会の池田大作が勝手に建てたのです。池田大作は国立戒壇論を全く理解していなかったとしか考えられません。小学生でも分かることを理解できない池田大作はやはり統合失調症であったと考えて良いかも知れません。
 池田大作は末端の創価学会員がどんなに苦労して正本堂御供養金のために苦労したかを理解せず、自分の半裸体のレリーフを大御本尊の前に彫らせました。これからも池田大作が狂気すなわち自己愛性パーソナリティ障害あるいは妄想型統合失調症であることが伺えます。
 人の不幸を考えることができない、人の不幸をせせら笑う池田大作です。藤原行正氏が著作にそう書かれてありました。池田大作は人の不幸を見てせせら笑う人間だと。池田大作は自分さえ良ければそれで良いのです。末端の創価学会員の不幸は眼中に全くないのです。究極のエゴイストが池田大作です。
 池田大作はヒットラー、スターリン、金正日などと並ぶ歴史に残る究極のエゴイストと成ることは間違い有りません。狂顎教授ウイルス殿はそういう人間(人間ではなく獣と言うことが妥当と思えます)を師匠とする矛盾を観じないのでしょうか? それならば狂顎教授ウイルス殿は狂人であります。私は狂顎教授ウイルス殿だけは話の通じる人と期待をしていましたが、私の期待は浅はかな考えだったのですね。
 もう一つ、狂顎教授ウイルス殿が池田大作を師匠として仰いでいる理由として次のことが挙げられる。
 狂顎教授ウイルス殿は池田大作を師匠として仰いでいる訳ではなく、それは表向きのポーズに過ぎない。狂顎教授ウイルス殿は創価学会が近いうちに武力革命を行うことを知っているから池田大作を師匠として仰いでいる振りをしているのである。フランスで核技術を奪おうと創価学会員であるフランスの現職警察官がインターネットよりフランスの原子力発電所のホームページに不正アクセスし逮捕された事件、原子力発電所の周囲の土地を創価学会が買い占めていたこと、このことを説明でき得ることは、創価学会が原子力技術を奪い日本(そして世界をも)を武力支配しようとしていたと考えるしかない。折伏による日本支配が不可能と分かった池田大作はそういう計画を立てていた。狂顎教授ウイルス殿はそのことを知っていたと思われる。
 創価学会はすでに核技術を盗み取ることに成功したと見るのが一般的見解である。フランスで表面化した事件は失敗例に過ぎない。創価学会は各技術者をも会員に持っている可能性は高い。池田大作は核により日本の支配を実現する予定であった。そしてその計画は池田大作の側近に受け継がれている。側近はその為もあり、反逆しないでいると見ても良いと思われる。
 その計画は原島嵩氏、山崎正友氏が反逆した昭和55年頃には存在しなかったか、原島嵩氏、山崎正友氏は知らなかったものと思われる。池田大作が内密に一部の計画実行部隊に命じていただけであった可能性は高い。とくに山崎正友氏は宗門と親しい危険な人物として昭和50年頃には警戒されていた。
 創価学会が核技術により、すなわち武力により、日本を支配したとき、池田大作を師匠として仰いでいるポーズを取っていないと非常に不利益になる。創価学会の武力政権は妙観講、日本共産党などを外国の反対を考え粛正はしないと思われるが、狂気の創価学会である。反対者を粛正する可能性は十分にある。ここに創価学会の日本支配は実現される。
 しかし、日蓮大聖人が武力による広宣流布を願望していたかという問題がある。日蓮大聖人は国主に立正安国論を送呈された。日目上人などは天皇への国家諫業を四十何度も繰り返され、最後には国家諫業の途上で亡くなられた。これらを故意に曲解して池田大作は武力による広宣流布を目指していた可能性は十分にある。
 池田大作の場合は広宣流布というより日本支配である。池田大作は広宣流布すなわち民衆救済はどうでも良かったのである。池田大作は日本支配だけが願望にあっただけである。日本の国主になることだけが願望にあった。それ故の池田大作による折伏大行進であった。戸田城聖氏の折伏大行進と池田大作の折伏大行進はその意味で全く異なっていた。
 戸田城聖氏の折伏大行進は民衆救済のためであった。池田大作の折伏大行進は日本支配のためであった。
 もう一度書く。
 戸田城聖氏の折伏大行進は社会の底辺で喘ぐ人々の民衆救済のためであった。池田大作の折伏大行進は単なる日本支配のためであった。
 創価学会は核技術を既に取得していることは明らかであるようだが、それをどのように使用して日本支配を行おうとするのであろう。核爆弾を造ることであろうか? 核爆弾を南の島で予告爆発させ、それをテレビで流して日本国民を恐怖に陥れる。そして国会議事堂を創価学会青年部で支配し、日本支配を打ち立てようと計画しているのであろうか? 日本国民はそういう創価学会の武力支配に従うであろうか?
 日本国民の大多数が創価学会による日本支配に反対することは明らかであるが、核爆弾を日本各地に散在させ、それをリモートコントロールにより爆発させると脅しを掛けるなら日本国民は従わざるを得ない。核爆弾は全国の創価学会会館または日本各地の創価学会墓苑に置かれることになる。
 武力政権が日本国民の支持を得る良い政治を行うかどうかが焦点になる。今までになかったような国民の支持を得る良い政治を行えば日本国民は創価学会政権に大人しく従うだろう。
 しかし、国民の反対だけでなく、官僚の反対が起こることは間違いのないことである。官僚だけでなく大企業の反対も起こり得る。
 そして創価学会の武力政権が瓦解すると創価学会もともに瓦解することになる。
 そこまでの危険を冒してまで武力革命を起こすことは狂気の池田大作が去った現在、行われることはないと考えるのが一般である。
 しかし、狂顎教授ウイルス殿はその武力革命が起こり、そして成功すると考えているらしい。日本経済を活性化させる秘密の大きな要因があると考えているのであろう。
 すなわち、創価学会による武力革命が起こるのは日本経済がどん底に陥ったときと思われる。
 東シナ海の海底油田にそのキーポイントがあるような気がする。そのために創価学会は今まで中国との友好関係を大事にしてきたものと考えられる。純粋な創価学会員は中国や韓国などとの友好関係を大事にしてきたのは中国や韓国などに創価学会の信仰を弘めさせるためと考えてきたと思われる。しかし、池田大作は東シナ海の豊富な海底油田の情報を掴んでいた故に、将来の武力革命の時のために中国との友好関係を大事にしてきたのであろう。その東シナ海の豊富な海底油田の情報は中国などに知られることを怖れ、日本政府は秘匿し続けてきたと考えられる。
 日本では新潟県で僅かに石油の生産が行われているのみである。それは既に江戸時代から生産されている。新潟県でのみ石油が得られることは一つの謎である。石油は我々が知らないところに埋蔵されており、埋蔵されている石油を探索する技術は人工衛星を使用したものが既に出来上がっているが、秘匿され続けていると考えられる。中東の石油を吸い尽くした後に、その技術が公開される予定になっているらしい。それは一つの国家戦略である。

 以上、狂顎教授ウイルス殿ほど知性のある人が池田大作を師匠として仰ぐ謎を考察してきた。「宗教はアヘン」という言葉では説明不可能なことと判断しての考察であった。
 しかし、狂顎教授ウイルス殿ほど知性のある人でも遁れられないほど宗教というものは麻薬なのかも知れない。創価学会の中枢幹部は大部分が有名大学卒であるが池田大作を師匠として崇めているようである。しかし大部分はその振りをしている可能性も高い。
 そこには拭い難い宗教の魔性があると断定して良いのかも知れない。原島嵩氏、山崎正友氏が反逆したのは日蓮正宗への信仰があったからであった。また、池田大作の人間性に愛想を尽かしたからでもあった。他に池田大作への憎悪から反逆した藤原行正氏、竜年光氏などの人達も存在する。竜年光氏は「世紀末の大狂人」と著書(池田大作・創価学会の脱税を糾弾する:日新報道:1994)の中で池田大作を言い放っている。
 私には十九歳の時に聞いた創価学会会館の一室から漏れ聞こえてくる池田大作の婦人部総会での声が“魔”の声と聞こえた過去がある。その頃、必死に創価学会活動に没頭していた自分はその疑いを必死に押し殺して創価学会の活動を以降も懸命に続けた。
 私には電話の声で相手の心を読める能力がある。誰にでもその能力はあると思われるが私のその能力は普通の人より数倍優れていると自負している。
 狂顎教授ウイルス殿はやはり自分の心に嘘をつき続け煩悶している、または、惰性で池田大作を師匠と仰ぎ続けていると見た方が無難なようである。
 惰性はやがて止まる。そのとき狂顎教授ウイルス殿が創価学会内部改革派の中心者として活躍されることを望む。
 しかし、創価学会の核による政権樹立の可能性は高く、警察は強い監視を怠ってはいけない。創価学会は旧ソ連と強い結びつきがあり、そこから核技術を取り寄せたものと思われる。核物質の輸入も旧ソ連から行われる、または既に行われていると見た方が良い。池田大作の死後も狂信的な男子部・壮年部は実行に移す可能性は極めて高い。

           (完)

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 池田大作が権力の魅惑に囚われてしまって広宣流布と民衆救済を見失ってしまっただけです。池田大作が間違ってしまって創価学会員に不幸が立て続けに起こるようになって広宣流布が頓挫したのです。
 創価学会を立て直せば良いのです。創価学会は権力志向を捨てなければなりません。政治は戸田先生の仰られていた通り参議院に限定するべきです。総体革命は捨てなければなりません。戸田先生の純粋だった創価学会に戻すべきです。戸田先生の講演集を御書のようにして行けば良いと思います。公明党、民音、博文堂など存在価値が全く理解できない余計な物は解散するべきです。それらの存在意義は無いと思います。しかし、宗門にも腐敗は存在すると思います。
 創価学会は独立して世界広布に向かっていっても良いと思います。しかし、このことは世界広布を考えると確かに一考しなければいけないと思います。難しい問題です。ただ、池田大作はたしかに完全に間違っていたと思います。
 今の創価学会には選挙と財務だけで広宣流布、民衆救済の情熱が薄れています。創価学会は折伏をしなくなっています。これは改めるべきことです。

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――――「水滸会記録」を国会で追及し、創価学会会長または池田大作の国会喚問を行うのです。創価学会男子部は池田大作の命令があれば平気でクーデターを起こします。池田大作を止めること(諫めること)のできる人物は現在の創価学会には存在しません。完全に池田大作の言いなりが公明党と創価学会です。創価学会男子部は池田大作の狂信者が多い。男性および青年は純情で熱情家である。本気でクーデターの危険性を考慮するべきと思われます。
 日本共産党さん、国会で「水滸会記録」を追求してみてください。クーデターの危険性は高いのです。狂信的な信者である危険因子は一般的な布教では広宣流布が不可能なことを悟り武力により広宣流布を行うことを考えています。彼ら一部の狂信者(青年部および壮年部)はインターネットで連絡を取り合っている可能性が考えられます。

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 池田大作の月刊ペン事件は本当のことです。池田大作は日本中に20名あまりの愛人を持っていました(オットセイ池田とも言われていました)。
 そのため各研修道場などに池田大作の超豪華な私室を造らせていたのです。その20人あまりは正式な愛人ではなく、副会長の嫁さんだったりしています。結婚したあとも、池田大作とその愛人の関係は続くのです。夫は黙認を強いられます。池田大作のお気に入りの女性と無理矢理に結婚させられた気の毒な夫はトントン拍子で副会長まで出世してゆきます。
 例えば渡部道子は月刊ペン事件で有名な人物ですが、渡部道子と無理矢理に結婚させられた渡部一郎は国会議員になりました。おまけに渡部道子も国会議員になりました。この夫婦関係は池田大作のため完全に冷え切っていました。
 もう一人、池田大作の愛人が国会議員になりました。つまり池田大作は2人の愛人を国会議員にしたのです。これは国民を愚弄していることであり、許されることではありません。
 池田大作は異常に国会喚問および裁判所出廷を怖れる。これが何に由来するのか様々に思考したが、それは池田大作の被害妄想から来るものと捉えるのが最も適切と判断される。統合失調症特有の被害妄想と捉えることで全ての辻褄が合う。池田大作も他の新興宗教の創始者と同じく統合失調症と考えるのが最も適応と思われる。池田大作の鉄のように強い妄想は国会喚問および裁判所出廷を異常に怖れさせた。
――――これらは国会で取り上げるべきことと思います。

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「財務」に強制はないと主張する意見が多いが、それは学会活動の非活発な地区の話であろう。自分は毎年百万円の財務を行ってきたが、初めこそ自分の意志で百万円財務してきたのであるが、ある地区に引っ越したところ、男子部のある幹部から、あからさまに「百万円は財務しろよ!」と脅迫まがいに言われてきた。「車なんか買うな! 車は動けば良いんだ!」との指導をそのままに実践してきた。そして百万円以上の財務を十数年間続けてきたのである(自分は比較的高額所得者なのである)。
 運命は確実に下降線を描いていた。もう下降できないというところで、創価学会(池田大作)の矛盾に気付いた。遅かった。もう少し早く気付いていたらと悔やまれてならない。十年間、“うつ病”に苦しんだ果てのことであった。間違った結婚もしてしまった。
 自分はその頃、財務は会館の維持などに大部分が使われていると思っていた。池田大作の海外のお城の購入やノーベル賞取りなどに使われているとは全く知らなかった。
 金返せ!!

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 池田大作が同時中継の時、秋谷会長に「踊れ!」と命じ、踊らせたのは平成三年のことであるらしい。あれを見て約五万人ほどが疑いの心を起こし退転した。五万人でなく三十万人が退転したかもしれない。
 その数年後から、創価班、牙城会は希望者はほとんど全員成ることが出来るようになった(それまでは面接が非常に厳しかった)。
 また、その数年後から男子部の班長も勤行唱題さえ行っていれば、ほとんど全員成ることが出来るようになった。
 学会離れがその「踊れ!」に連動しているように思えてならない。今では勤行唱題を行ってなくても男子部の班長になれる。
 その「踊れ!」を見て疑いの心を起こさなかった人は何かが抜けているか狂信的な池田大作教信者であることになる。自分は仕事で出られず、見ることができなかったし、このことを自分に言う人はいなかった。自分がこれを知ったのは十七年後のことであった。
 同時放送は雲の上の人とされていた池田大作を引き下ろし、その実在を一般の創価学会員に見せつけた。良識のある創価学会員はそのあまりもの傲慢な姿を見て宗門に寝返ったりなど退転していった。
 誰が同時放送を始めることを命じたのかは不明であるが、同時放送は狂信的または無感覚な創価学会員を創価学会に残す結果と成った。大きな画面に映し出されたあまりにも傲慢な姿は良識のあるものならば疑いを起こさずには居られなかったであろう。
 同時放送はこのように創価学会潰滅への一つの試金石となった。池田大作に反感を持っていた副会長の一部が動いて全国への同時放送を推し進めたのかもしれない。
         
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 自分が創価学会の謗法を知り、家の“魔”の御本尊に祈らなくなって変わったことは「今まで起こっていた余りにも悪過ぎる偶然が起こらなくなったこと」です。
 一回、気が変わって“魔”の御本尊に祈ったときがありました。
 するとその夜、ムカデが腕を這っていたのです。
 びっくりして窓を開け、外に捨てて刺されませんでしたが、こんな経験はもちろん初めてでした。
“魔”の御本尊に祈った罰と思い、それ以来、怖ろしくて“魔”の御本尊には祈っていません。
 実家のことですけど、実家は日達上人の御本尊様ですけど、何故か実家で勤行唱題すると歓喜は大いに湧くのですが悪いことが同時に起こっていました。
 しかし、ある日、仏壇の部屋に飾っていた「池田大作の額縁」を取り除いてからは悪いことが起こらなくなりました。
「池田大作の額縁」が元凶だったのです。
 創価学会の矛盾、池田大作の悪行には早くから気付いていましたが、“魔”の御本尊のことにはインターネットを詳しく読むまで気付いていませんでした。
 実家の日達上人の御本尊様に勤行唱題するともの凄く歓喜が湧くのに家の新しい日寛上人の御本尊に祈っても歓喜が湧かないことを不思議に思っていた頃でした。     
 そしてこのことを幹部に相談していました。
 幹部の答えは適当でした。
 狂信者の答えに過ぎませんでした。
 池田大作の悪行を知らない創価学会員は非常に多い。
 インターネットをしている創価学会員にも池田大作の悪行を認識している人はごく僅かです。
 洗脳の強さ、理解力の無さなどが原因していると思います。
 どうしようもないお人好しが創価学会を支えているのだと思います。
 普通では創価学会の矛盾に気付くはずです。
 選挙、選挙ばかりです。
 そして池田大作を神様にしています。
 同時放送での池田大作の余りもの傲慢さに気付かないのがおかしい

                             創価学会内部改革派憂創同盟残党!!


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 高速道路で十時間の墓園
 この墓園造りで創価学会は多額の収入を得た。土地代も含めて十五万円掛からない墓を百万円近くで販売した。福岡の国会議員(大橋氏)が何の縁故もない北海道の墓を買わされたことを暴露した話は有名である。多くの場合に於いて墓は墓の購入者の住むところより非常に離れており、そんな遠くまで墓参りには行かないと思われる。
 高速道路で十時間は普通。筆者の家も妻が強引に高速道路で八時間の処の墓を九十五万円で買った。誰も入らないと思われる。これは詐欺罪になると思われる。
 この墓園は財務で集めたお金で造った。つまり、創価学会は二重に儲けたことになる。純粋な創価学会員は二重に搾り取られたことになる。池田大作はお墓は多数持っていた方が良いと同時放送で言い放っている! お墓は多数持っていたらお墓参りが大変になることを池田大作は考えないのだろうか? 池田大作の父親の墓は謗法の他宗の墓であることは有名である。
 創価学会の墓を買おうとする婦人部と、創価学会の墓は必要ないという壮年部の喧嘩は非常に多く、その仲裁には非常に苦労した。百万円近くの墓を購入することは普通のサラリーマンの家庭では非常に困難である。それを婦人部は夫に無断で購入している家庭が多い。勝手に生命保険を解約したりして購入している。しかし、サラ金まで至った例は知らない。
 このことによる離婚騒動は数多くあった。創価学会より法華講に最近移った人は皆、百万近く出して購入した墓を転売できないかと考えている。大謗法の墓には絶対に入らない。それより先祖代々の墓に入った方がずっと良い。
 筆者の家も現在このことで非常にもめている。妻の実家は別に遠方の墓を購入している。高速道路でもとても行けない遠いところである。飛行機でなければ行けない遠いところである。
 会館まで電話して問い合わせたところ、購入したものは払い戻しできないと断られた。しかし、多数の人達が立ち上がれば、購入した墓の払い戻しも可能になると思われる。
 親兄妹、先祖代々の墓に入りたいのが普通の信条である。縁もゆかりもない墓へ入ることは通常、考えられないことです。

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00県00市
創価学会文化会館殿

 私の家は00県に創価学会の墓を購入しましたが、それは妻が勝手に購入したものであり、その墓に入ることは決してありませんので、早急に払い戻すことをお願いします。
 騙して取った金を返せ!
 返さなかったら自分と同じ考えの人が数人います。
 また、インターネットで募集するとたくさんの人が集まると思われます。訴訟を起こします。
 これは必ず週刊誌が飛びついてきます。訴訟が起こる前に払い戻すことが賢明と思われます。
 返事は必ずしろ。複数の週刊誌および国会議員にメールを出す準備は既に整っています。数人の同士で結束しています。
 電話では喧嘩になるのでメールを希望する。

00県00市00町  00000
       0000-000-9999
       メール:yyyyyy@kkkkkk.co.jp

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   創価学会の没落
 以前は、生きている一瞬一瞬が歓喜になるという歓喜が創価学会にも有った。それが無くなったのは何時からだろう。創価学会製の御本尊の配布とともに消えていったような気がする。
 この歓喜は何なんだ!という歓喜が以前はあった。これも創価学会製の御本尊の配布とともに少しずつ消えていったような気がする。
 創価学会は元気にはなるが、同時に不思議なほどの悪いことが起こっていた。
 日蓮正宗に移ってからは元気になっても悪いことは起こらなくなった。創価学会に憑いていた悪鬼のために悪いことが同時に起こっていたのだと解釈している。
 平成5年から配布された創価学会製の御本尊に祈っても歓喜は少ししか湧かない。ほとんど湧かないと言っても良いであろう。全く湧かないと言っても良いかも知れない。ただ、勤行をした、唱題をした、という満足感が湧くのみである。
 創価学会は創価学会製の御本尊の配布とともに活力を失ってきている。以前は喧しいほどの活力があった。選挙の投票数は自民党などとの関連があり、あまり当てにならないらしい。しかし、その投票数も確実に減ってきている。創価学会は折伏を実質上中止し、選挙至上主義になっているにも拘わらず、この得票数である。現在の創価学会員は選挙のためだけに信仰をしていると言っても過言ではない。選挙のため、友好活動を重要視している。友好活動のため折伏する暇はない。
 平成5年の午前1時、自分の通う寺院の玄関を蹴破り、乱入してきた男子部たちが居たが、今や、その活力は創価学会には存在しない。選挙至上主義で社会に溶け込み、友好活動に没頭している。選挙で1票取るのも、一人折伏するのも同じ功徳があると平然と言われている。
 日蓮正宗の御本尊は大石寺の大御本尊に繋がる。創価学会製の御本尊はどこに繋がるのだろう。創価学会本部の御本尊にだろうか?
 今や、創価学会員は勤行唱題を長時間する人は極めて少なくなってきている。創価学会製の御本尊に祈っても歓喜がほとんど湧かないからだ。
 それに比べて、創価学会製の御本尊に替えなく、日達上人の御本尊のままの人は、勤行唱題すると歓喜が湧くため以前のように長時間、勤行唱題を行っていることが多いようだ。
 このまま創価学会製の御本尊しか会員に渡されなければ、創価学会は更に活力を失ってゆく。
 創価学会の再生には宗門と縒りを戻すほかに方法はない。宗門と縒りを戻せなかったら衰亡の道しか残されていない。

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