覚触の三つの意味
・坐禅において、昏沈(いねむり・ぼけ)や散乱(雑念・妄想)に気づき、 坐禅そのものにもどる事。
・ヨーガにおいて一心集中からハズレたのに気づき、一心集中にもどる事。
・生命活動の全てにおいて、よく気づき・認め受け容れ・執着なく手放す事。
(興味ある方、面白いサイト見つけました
一度ご覧あれ
覚触)
昨日は月に1度のBODY WORKの勉強会の日でした
今回の学習内容も、実際の実践と、その後に行うイメージトレーニング後の実践でした
例えば、始めに右足が頭の上にどれくらい上がるか確認し、
ある体操の一連の流れを体の右側で実践
。
再び、右足が頭の上にどれくらい上がるか確認。
一回目よりもどうなのかを感じる
。
そして、
左足も同様に、まず始めにどのくらい頭の上に上がるか確認。
ココからがみそ
右で行った一連の流れを体は覚えているので、
それをイメージだけで左側を実習する
最後に、左足が頭の上にどれくらい上がるか確認。
一回目よりもどうなのかを感じる
すると、実習者のほとんど全員、実際の実習後の足の上がり方、イメージでの上がり方が同じくらい
一回目よりも軽くなったと感じた
この実習で大切な事は、シヴァナンダヨガのように、
体操するごとにヨガでいうシャバアーサナで、休み、体を感じる
体は自然に良かった感覚を記憶するので、
すぐ前にした体操への自分の思いを捨て、新たに行う実習を感じる
何となくするのではなく、覚触する事が大切
勉強会の終わりに、1人の仲間が、
「先生、それじゃあ、BODY WORKを実習して、体が軽くなったら、心も良い状態へ変わる事ができるんですか??』
と聞いた
先生は、
「幸せの感じ方は人それぞれ違う。
軽い状態を幸せと決めてしまった瞬間から、
重たくなった状態を不幸せと感じ、
軽い状態を作ろうとする。
どちらが、幸せ、不幸と決めることをなくす練習が大切。」
ふむふむ
一生ものの学習に手を出してしまった
最後に先生が、
「業感。
私達の感情は、生まれた時からの経験の積み重ねで、
この時は、こう感じなければならないと、決めつけている。
ということは、その状態は自分の力で変える事ができる。」
と言った
なるほど。
そうやって、
いらない感情を執着なく捨てることを、
ヨガやBODY WORKを使って私は練習しているんだ。
だけど、
最近思う。
なぁ~んにも、ない毎日。
楽しい事ないかなぁって思う日々。
あれ??
当たり前と思っている、今の状態がシアワセなんじゃない
?
家族、友人、周りの方々に感謝して
シルシアーサナからウールドヴァ・アーサナを練習しようと、
スーリヤ・ナマスカーラA・Bをした直後に、
LADYS DAYになってしまったmayuの今日の一日始まるよ
長々と書いちゃった