こういう本は読まずに大人になったので未知の文化というか、それは後述で。

左:浪速ゆう:作/間明田:絵「年下男子のルイくんはわたしのことが好きすぎる! 誘惑だらけ⁉︎小さな王子サマとのお勉強会」
右:村田真優:原作/はのまきみ:著/吉川菜美:脚本「ハニーレモンソーダ」
以前武蔵境に行った時に駅前の図書館の児童文学コーナーで「渚くんをお兄ちゃんとは呼ばない」という本を見つけて、児童文学にこんな少女漫画みたいな本があるの!?という衝撃を受けたのがはじまり。
小説はいいけど漫画はダメ、という家庭に配慮したものかと思ったのですが、学校とかで読める敷居の高くない本ということでしょうか。
で、恋愛小説(笑)書きとして、この「渚くんをお兄ちゃんとは呼ばない」が気になったは気になったのですが、"お兄ちゃん"がお相手っていうのことで、ちょっと躊躇してしまいまいた(後に同い年だと知る)。あと主人公が自分と似た属性なのも躊躇い(いわゆる"オタク"系)
でも児童文学ということは対象年齢は小学生・中学生であり、それくらいの年齢向けは基本的に主人公も同年代に設定されがちなのを前提として、小説版少女漫画ということは主人公は小学生女子。
そして小学生女子が年下男子を好きになるか?という問いに、わたくしの肌感覚は「NO」を突きつけている。同い年なら全然アリなんですけど。
よってこの類いの本で年下男子をフューチャリングしたやつはないね、と決めてかかっていたところに現れたのがこの本。
実をいうと、「これが恋かな」という本を同じく武蔵境の図書館で見つけ、その本を探していたのですが、わたくしの行った本屋にはありませんでした。
で、他の本のあらすじを結構読んだりして、わたくしは恋愛モノについてはヒロインに口うるさいので。まずオタク系は嫌。しかしアイドルとかもダメなので、地味な学級委員長とか平凡な女の子(めちゃモテしてる段階で矛盾)みたいな設定が好きなんですよ。
「渚くんをお兄ちゃんとは呼ばない」は確か小学生女子の話なんですけど、当初の目的だった「これが恋かな」と、今日買ったルイくん云々は主人公が中学生女子です。ルイくん云々のほうのお相手のルイくんは小6ですね。1コ違い。
からの感想。ただもしかしたらちょっと辛口かも分からないのでご注意を。

まず、「少女漫画系児童文学を買いにいく」という目的設定がなかったら自ら関わりにはいかないタイプのタイトルです。でもタイトルで「おっ」と惹かれてしまったジレンマ。やっぱり分かりやすくなければ手に届かない。タイトルでお相手が「年下男子」と背表紙で分かり、あらすじを読むに至るわけですから。
やっぱりわたくしの訳分からんタイトル、不親切だし自ら顧客()を逃してるのでゎ?
説明的タイトル、打ち込むのが一文になっている分、かったるいけどめちゃ便利なのワンチャンも百チャンもあるな。
一人称視点で書かれています。多分なのですが、この少女漫画系児童文学だと一人称視点が主流なのかな。ティーンズラブは分からないのですが、野いちごとかベリーズカフェ系で投稿されているアマチュア作品では一人称視点のものをよく見かけました。
かといって基本的にティーンズラブ小説やアマチュアのデジタル媒体投稿作品読まないのでサンプル数少ないだけに偏った見方の可能性も否めない。
わたくしがBL創作一人称視点でやりまくった地の文の口語。でもわたくしのほうが砕けまくって最早ふざけているレベルなので、あまり同列に語れないし、わたくしのは弱小アカウントの過疎コンテンツ。片や商業作品。比べるのは烏滸がましい。
気持ちとプライドだけは大御所売れっ子ベストセラープロ作家なので……
一人称視点の地の文が口語文体のほうが確かに親近感が湧くんだよな、文学に。
文学というものがお高くとまっているから読書を面倒になるのもあるのかもね。
まず子どものうちは文学との距離を詰めるほうがいいのかも分からん、というと裏を返せば口語文体disとも受け取れてしまう。
話を戻すと、
「~したんだ」の多用と「このあいだ」を意味する「こないだ」が気にはかかったのですが、一人称視点ゆえの"口語"文体と考えればそんな不自然ではないのかもしれません。
わたくしが「こないだ」警察なので。「すみません」が「すいません」になってないかどうかさえも野獣の眼光でパトロールしてますからね。「すいません」じゃないよ。吸え。吸うんだよ、ほら。
(🚬 ՞ਊ ՞)=☞)՞ਊ ՞)💨
ちなみにこの本だと「すみません」は「すみません」になっているので、「すいません」警察は安心してください。
※何度か当ブログでdisり散らかした「こないだ」という言葉は"正しい"表記のようです。「此間(こなひだ)」。完全にわたくしのお気持ちでした。でもわたくしのお気持ちとしてなんかダサいので嫌です。
基本的にティーンズラブに出てくる通称「ヒーロー」、わたくし界隈では「オムファタル」について"こんな男いねぇな。存在しない"が大前提なのですが、それを度外視して、"現実なら"「こんな小6男子は存在しない」と思ってしまったのがまず第一。わたくしが子供と関わる仕事をしていて最近感じていることが、小学生男子の求めているものは"男性"からの承認なのかも知れぬ、という肌感覚。「父殺し」^1の認識があるからも知れんが。
そのために1コ上の女子に執着できる感じがこう、嘘臭いとまではジャンルがジャンルなので思わないけれども、わたくしの頭の上に曇天がある感じだった(対象年齢、わたくしの年齢の2分の1の純情な感情やぞ。そこは川本真琴の「1/2」でイケただろ。)
^1…自分よりも社会的、立場的に上位の男性を超えたという認識のもとに精神的成長をするというやつ。兄貴越え。
それと同時に、都会の私立学園のガキならワンチャンあるな、とも思う。
田舎のガキよりも利口な意味での小生意気さはありますが、聡明であることもまた否めない。ゆえに利口な子と凡俗な子の差が激しめではある。怖いよ、都会のガキ。
あと基本的にこれタイトルにナンバリングがないので、1巻完結でわたくしは1巻を読んでいるつもりでいたのですが、シリーズもので2巻目だったらしいです。四葉のクローバーのアイテム交換のくだりが主にそうだったり、秋月ぱいせんとルイくんとのやりとりが初対面じゃなかったりと内容に前話があったらしい匂わせはあるのですが、確定的ではなかったし、これ1冊でも話が分からんということはないので、少なくともサブタイが「なんたらかんたら勉強会」のやつはこの1冊だけでも大丈夫です。
そしてわたくしが捻くれまくってるし、しかも対象年齢から大きく外れているということもあり、好きな人と感情を共有できることが「愛」というか「好いこと」みたいなのが子供の恋愛なのかもな、と思いました。
共感は大事なんですけど、もし大人の恋愛で、或いは結婚生活でそれやると共倒れか共依存になるな、って思いました。
ルイくんが主人公が嬉しければ自分も嬉しいし、悔しければ云々のところ。
あと野いちごとかベリーズカフェとかによくある作風の原点ってもしかしてこの少女漫画系児童文学なのかな、という感じ。
とても読みやすく、少女漫画児童文学という"侮り"と捉えられかねない表現にはなるのですが、鬱展開はないだろう、このキャラクター死ぬんか?という警戒や、グロくて引き摺るゎ……という描写はなかろうという観点での感情労働はせずに済むので、さくさく読み進められますね。
1日で読めました。絵柄もかわいいです。
主人公も真面目でひたむきでかわいらしいと思います。
ルイくんがヘソ曲げたとき、ちょっとルイくんに対して「やっぱガキだな…」と思ったのですが、その後の展開でそんなガキでもないか、とヘイト溜まることもなくてよかったです。
好きな子が自分のことそんな好きじゃなくて他に好きな人いるの仕方ないじゃん、とちょっと思ってしまって。
ルイくんを、わたくし創作【蒸れ夏】の瑠夏ぴょんとちょっと重ねて見てしまっただけに、瑠夏ガキみたいにはなるな、って思ったわけです。インセルくそ野郎には。
好きな子が自分のこと好きじゃなくて他に好きな人いるの赦せんから八つ当たりすぞ!ってのが瑠夏ぴょんで、どうして応援できないのだろう負の感情を持ってしまうのだろう自分が悪い!ってのが舞夜よな。
児童文学で公序良俗的で自己犠牲、譲り合い精神の全体主義な"正しさ"が書かれるとは限らないしな。