でもこれ、具体例の出しような気がするな。
作者の評判が悪いからその作品もクソ、というのでいいのか?と思うのに、
作者の評判が良いから手放しにその作品もネ申(古ッ)っていうのも激ヤバな気がする。
実はこの話を昨日職場の人としてて、ついさっきnoteでもそんなテーマの記事を見かけたんですよね。
職場の人は、作者嫌いになるとその作品も好きにはなれないと語っていたのですが、わたくしは場合による。
たとえば好きな作者が浮気や不倫をしていたとしたら、それは家庭のことだから…って思ってしまえる。違法薬物使用だか所持だかもまぁまぁ、正直、スルーできる気がするな。
でも性加害とかだったら無理だなぁ。あとは"とんでもないレベル"の女性差別的言動とか思想の表面だったら。軽度ならいいのか、って感じだけど、差別意識って有無ではなくて程度問題だと思っているので。
ただ、その作品を見ていて作者の嫌な印象を連想してしまうってのは分かるんだよね。
このキャラクターのその言動や行動は作者のこういうところの顕れだったんだ…みたいなのも思わなくはないが早計かな、とも思うんだけど。
話変わるか地続きかは分からないんですけど、官能小説家にも女性作家っているわけで、わたくしは官能小説()の書き専なのでほぼほぼ読まないのですが、なんか、女性作家の書いた作品のほうが、もうやめてくれ~ってレベルで残酷だったりするらしいんですね。ということを前提にして。
ンで、よく「少女漫画に性加害的な描写があるのは、"作者が"そうされたいからだ」というような言説を一時的聞いたことがあって、しかしながら、この例は少女漫画なんですけど、官能小説家のほうも女性"作家が"そうされたいからなのかという疑問には、実はひとつ答えが出ているんですな。
違ったら申し訳ない!記憶違いの可能性が否めないのですが、↓この本
に書いてあった(ような記憶がある)んですよ。
女が憎いから。
だそうです。いいや、一例です。そういう動機の人もいると。
わたくしはヒロインが可愛いからいぢめたくなるんですけどね。
なんでそんな陰惨な真似できるのかって言われたことあるんですが、わたくしの中ではそんな陰惨なつもりはなかったんです。
リョナラーっていうジャンルがあって、猟奇的な描写に萌~ッ!する人のことなんですけど、わたくしも若干軽度にその傾向がなきにしもあらず。
で、このリョナラーは、リョナ対象のキャラクターを憎んでいるのか?恨んでいるのか?嫌っているのかというとそうではないんですよね。
前に旧Twitterのツイート()でも見たことあるんですけど、理解のない人にネット界の嫌われ者のリョナコンテンツ作りましょうみたいなこと言われたらしくて、そうじゃないんだよな。
わざわざ嫌いなものを目の前に持ってきて向き合わなきゃいけない不快感が趣味に成り得るはずもなくて、むしろそれできる人のほうがリョナラーよりリョナラーだろうと思ってしまいました。
好きで、可愛いから、いぢめたい。いぢめられている姿も想像できる。
加害行為はセクシーで性的だと、刷り込まれているんだな。そうでなければ、繁殖してこられなかったんじゃないかな。
Q.話逸れてない?
A.逸れてます。
そして、クソして(してない)、わたくしの場合はもう創作とわたくしさん切り分けることできない気がする。
わたくしさんでなければそのキャラクター性や言動や風景描写や政治思想にしろ宗教思想にしろ、出せないと思うので。
わたくしも自分のオリジナリティに戸惑うというか、"無意識に"パクってるんじゃないか?みたいなこと考えて憂鬱になったりするんですけど、いうてオリジナリティってものは1本の紐ではなく、三つ編みや八つ編みだったりするわけです。糾(あざな)える縄の如し^1というやつのような気がするな。
糾うってのはめちゃくちゃ簡単にいうと編むみたいな感じ。
^1…正しくは、「禍福は糾える縄の如し」
これは公私混同じゃないですけど、「公」を創作だとしたら、公私混同を敢えてやる作家と、公私混同しない作家、いる気がするので、「作者と作品は分けて考える」って話は受け手の裁量みたいなところはあるんだよな~。
作者と作品を分けて考えちゃったら、作者は代替可能ってことになるわけてすわ。
わたくしもONE PIECEや鬼滅の刃が描けるって……コト!?
ま、あんまり公序良俗に反してないないのなら、多少どこかおかしいろくでなしでもないと面白い作品出せないとは思う。
この世が等価交換ならね。
間違いを犯さない、後ろめたさもない、清廉潔白な人間の捻りのない創作、多分パターンが読めると思う。
パターンの読める、そのときはまぁまぁ面白いかも知れないが印象に残らなければ感情を揺さぶられることもない、疲れないコンテンツ。
ま、わたくしもすぐ失望しちゃう人間だからな。でもド素人なので許される。
プロだったらSNSはやらないか、私見を晒すことは諦めたほうがいいね。
「作者と作品を分けて考えべきだ」って、「作者が酷いから作品も酷い」っていうことよりも、「作者が素晴らしい人だから作品も素晴らしい」ってなることの危懼だと思うな。
あの人は医者だから、僧侶だからマトモ、偉い、みたいな話とちょっと違うけど似てる気はする。
だからつまり抽象化すること、自分で考えないことの危懼なんだろうね。
でもダブスタとか言われるもんなぁ。
(23/11/19 15:33)
※追記
要は、作者と作品は切り離せないけれども、作品が好きであるから作者を好きにならなければならないということはない。その必要は。
ただ切り離せないのだ、という苦しみを抱く葛藤が、娯楽税であり業であり、こだわりや各々の持つ精神の潔癖性との戦いだよなっていう。もし作者まで愛そうとするのなら、それが愛情の本質であって、難なく受け入れられることが愛情ではないのかも知らんぞな。
何の躊躇もなく見られるコンテンツなんてその場限りで消費されてしまうつまらんものかも分からんしな。