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『世界も自分も変えるシゴト』とやらをやってる人たち。

2014-01-28 | 協力隊論
さて帰国から数ヶ月。

生活環境も大きく変わりました。

JICAという組織と関わった2年間。
言いたいことはたくさんありましたが、『協力隊』から少し距離をおいて、またいろいろ見えてくるものもありました。


前提として『青年海外協力隊』という制度はすばらしいものだと思います。
この間に多くの人と出会い、今まで知らなかった世界を教えていただきました。
協力隊に行ってよかった思うことのひとつは、そんな人たちとの出会いです。

彼らと話をしていると、協力隊員が協力隊になった理由というのは大きく3つではないかと思われます。
①見識を広め、その後のステップアップのため
②自分のスキルを試すチャレンジのため
③日本社会に適応できなかったため

まず①見識を広め、その後のステップアップのため
協力隊全体の平均年齢は27~28程度。
20代、特に平均年齢以下で応募する人の多くはこの理由ではないだろうか。僕もここです。

次に②自分のスキルを試すチャレンジのため
30以降の方はこの理由が多いようです。ある程度日本の社会でキャリアを積み、そのスキルを途上国で還元する。働き盛りのころに会社を辞めてやりたいことをやる。そんな人は帰国後の就職についても自分で切り開いていく力があるようです。

そして③日本社会に適応できなかったため
どんな社会でもその社会に適応できない人というのは一定数いてるとは思うが、協力隊員のなかにはその割合は高いのではないだろうか。“ボランティア”という性質上、利益や成果というものが求められないので、軽い気持ちでシゴトを行なえるのだろう。それでいて現地の人たちを小馬鹿にしています。彼ら自身は「日本社会に適応できなかったから協力隊に応募しました」なんて言えないので表面上は②を装うわけです。でもやっぱりソレはアレなわけです。事務所の人にもこのタイプは結構いるように思います。




それぞれ思うことがあって応募してきてるんだろうから、まあそれで良しではないだろうか。

③の人たちと関わることは自分にとって、とても大きな財産になった。
『あんなダメな人間になってはダメ』という教訓を教えていただいた。

人間の向上心に必要なのは『こうなりたい』よりも『こうはなりたくない』ではないか。

帰国とか。

2013-10-15 | ガーナ生活
気がつけば帰国から数週間。

日本に戻って数日間はなんだかフワフワした感じで実感もなく
この2年間が夢だったような変な気分だった。

日本人はみんな黒やグレーの地味な服を着て
足早に歩いて、スマホをいじって、
そんな人たちが妙に気持ち悪くて。


向こうにいるときから就活をやっていたおかげか
そういう気分もすぐに抜けてしまった。

慣れとは怖いもので、時間通りに来る電車が日常になって。



この『青年海外協力隊』というシゴト。

不満もいっぱいあったけど、ここでは書けないようなこともあったけど
無駄ではなかったと思う。

言いたいことも言えないこんな世の中だけど、楽しかったです。



気が向いたらまた更新します。

おわり。

もうすぐ。

2013-09-17 | ガーナ生活
気がつけば帰国間近です。


部屋の片づけ。

挨拶まわり。

引き揚げ。

そして帰国報告会。


日本人とか。 【#98】

2013-08-12 | ガーナ生活
今回の記事で、ガーナに来てから98回目の更新となるようです。

過去97回のなかの登場人物に日本人というのは、たぶん ほとんど なかったと思う。
別に意識してそうしてたわけじゃないけど、なんとなくそんな感じになりました。

今回はそんな『日本人コミュニティ』のお話。


任地タマレ近郊には日本人が多い。

現在ボランティアならタマレ市内に5人。隣町に3人。
他に国際機関に勤める方がご夫婦で駐在してます。

車で1時間以内の範囲に10人の日本人が住んでいるということ。

首都アクラや第2の都市クマシなら
大使館関係者やJICAの専門家がそれなりに暮らしているようだが
田舎町に配属されがちな協力隊としては
これだけの人数が固まってるのは珍しい。

田舎に配属された隊員なら、一番近くの日本人でもバスで3時間なんてよくある話。
みんなで飲み会をするとなれば数時間かけて州都まで出て、その日はそこに1泊したり。



さてそんな在留邦人の多いアフリカの地方都市での生活。

正直、週末ごとに食事会やら飲み会やらあるのが
赴任当初イヤで仕方なかった。
『なんでアフリカまで来て日本人で群れないといけないんだ』と。
ある種、非日常の生活に憧れがあって来たのに。

もちろん日本語をしゃべって、ガーナ料理ではない食事をするのは、
大きなストレス発散方法のひとつだけど。

だから、そういう食事会なんかは程好く距離を置くようにしていた。
今思えば先輩隊員たちからは付き合いの悪いやつだと思われていたんじゃないだろうか。


でもそのおかげか、赴任してすぐにガーナ人の友達ができたし、
彼らに色々連れまわしてもらったおかげで、
普通ならなかなか見れないようなものも見れたと思う。
そして、そういう『非日常』の方が楽しかった。

けど、その『非日常』の生活がだんだんと『日常』になってきて。

日本人会というものが週末のサイクルになってきて。


一番近くに住む日本人は、うちから徒歩30分くらいの所に住んでいる。
彼は同級生で気の合うやつだったので、なんだかんだと一緒に過ごすことが多かった。

職種こそ違うものの同じ教師隊員なので活動について相談し合あったり
彼から学ばされることも多々あった。


日本人との集まりに行って良かった思えるのは、
コネができることと刺激がもらえること。
アフリカを訪れる人は、やっぱり面白い経歴の人が多い。
自分の知らない世界を改めて知れたり。

特にここ数ヶ月は、そういう集まりが毎週毎週。


任期が残り少なくなってきて、日本人ばかりで集まってるのが
なんだか勿体ないような気がしてきて
最近は意識してガーナ人と過ごす時間を増やすようにしている。
すると2年間過ごしたけど、まだ全然知らなかったことがあったり。
ガーナ人と過ごすのも、それはそれでまた知らない世界を知れたり。


日本人だけで過ごす時間。
ガーナ人と過ごす時間。
どっちも学ぶことの多いものだったり。

平和とか。 【#97】

2013-08-05 | ガーナ生活
世界中の協力隊員、それぞれの仕事だけじゃなくて、日本の紹介というのも活動のひとつ。

広島の事務所から提供してもらった資料をもとに『平和展』なるものを開催しました。

ちょうど日本でも『平和学習』というものをやってる時期でしょうか。



もともとは去年、先輩隊員がやってるのも見せてもらって
そのときに「来年やってみれば?」と言われて
ふたつ返事で「じゃあ、やります」と答えたのが始まり。

6月くらいには開催を…と考えて企画をスタートしたものの
ずるずる先延ばしになって、気がつけば8月。



ヒロシマ、ナガサキ、原爆。
もしあなたの友達が殺されたら?
もし戦争が始まったら?
そして震災のこと、原発のこと。


難しいことは分かりません。

考える「きっかけ」のひとつになればいいかなという思いです。



そろそろ書かないといけない報告書が溜まってきました。