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やくざ映画

2015年02月21日 | word
 やくざを主人公にした映画の総称であるが、これが<時代劇に匹敵する>ジャンルとみなされるようになったのは1960年代に入ってからのことである。すなわち、<時代劇の王国>として栄えてきた東映が、60年代に入って勢いが衰えてきたときに、その路線を現代活劇に転換し、63年の≪人生劇場・飛車角≫(沢島忠監督)と≪暴力街≫(小林恒夫監督)と≪昭和侠客伝≫(石井輝男監督)という3本の<現代ヤクザ劇>(東映の大川博社長は当時の談話で<ヤクザもの>という表現も使っている)の好評をきっかけに、<東映任侠映画路線>を打ち出し(のち70年代に入ってからは《仁義なき戦い》シリーズとともに<実録路線>となる)、時代劇に代わるプログラム・ピクチャーの主流として多数の観客を動員し、一大ブームになってからのことであった。田中純一郎(《日本映画発達史》)によれば、これらの映画は<芸術映画>に対して<低俗娯楽映画>の代名詞として<好色もの>(緑魔子らが出た非行少女もの、悪女ものや、梅宮辰夫主演の夜もの)と同列に扱われ、また<ヤクザ賛美映画>(岩崎昶)と批判され、さらには<たんなるヤクザの喧嘩にすぎない貧しい内容を侠客の精神みたいなものに近づけて感動をねらおうとしている>(小川徹)、あるいは<時代劇がその中に悲劇も喜劇もスペクタクルも含む多様な作品の総称であるのに対して、やくざ映画はそのほとんどすべてがおなじひとつのストーリーのバリエーションといっていいものであり、悲劇的な情念や見せ場のつくりかたもほとんど同じパターンのくり返しである>(佐藤忠男)といったように酷評された。
 しかし、そういった評価にもかかわらず、まさにそうした通俗性やマンネリズムによって、かつての時代劇映画の伝統を一つのパターンとして継承するとともに、映画の本質的な魅力である活劇性をきわだたせて、日本映画の<最後のプログラム・ピクチャー>としておおいに隆盛し、≪日本侠客伝≫シリーズ(1964-71)、≪網走番外地≫シリーズ(1965-72)、≪緋牡丹博徒≫シリーズ(1968-72)等々のヒット・シリーズや、≪明治侠客伝・三代目襲名≫(1965、加藤泰監督)、≪博奕打ち・総長賭博≫(1968、山下耕作監督)などの名作を生んだ。