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対抗文化

2016年04月30日 | word
counterculture: ある社会の支配的文化に対し、敵対し反逆する下位文化(サブカルチャー)を、一般に対抗文化(カウンターカルチャー)あるいは敵対的文化(アドバーサリー・カルチャー)と呼ぶ。だが現代におけるカウンターカルチャーは、先進産業社会とくにアメリカにおいて、1960年代から70年代初め、すなわち人種問題の激化、ベトナム戦争の拡大、公害問題の深刻化などを背景とする時代に盛りあがりを見せた、青年の反逆現象ないし<異議申立て>のなかで生み出された思想、価値体系およびライフスタイルを指す。合理主義と業績主義に価値を置き、効率と豊かさを追求してきた産業社会の<体制>から<ドロップアウト>した若者たちは、H.マルクーゼのいう、いわゆる<一次元的な抑圧的寛容>に覆われた社会の期待する<役割演技>から離脱することによって、政治的・道徳的・規範的言語に支配された日常世界の外に出る体験を求めた。<すべてを権威的把握におしこめてしまう言語からの解放の第一歩は、どこかへ行けば言語の外になってしまうような場所があるという実感をもつこと>(D.スミス)だったから、マリファナやLSDなどのドラッグによる<トリップ>、ロック・ミュージック、サイケデリックアート、非正統的な諸宗教が空前の流行をよんだ。それらに媒介されて<拡張された>意識によって、テクノクラシーのもとで支配的な権威を与えられている<客観的>意識から解放された<著しく個人至上主義的な共同体感覚>に基盤を置くニューレフト(新左翼)、ヒッピー、コミューン生活者によって対抗文化は担われた。
 <対抗文化>という概念を社会的に確立したローザク Theodore Roszak の<対抗文化の形成>(1968)によれば、その核心にあるのは近代合理主義のもたらした科学的世界観を相対化する、シャーマニズム的な世界観の導入だった。アメリカの文学的遺産からは、文明と物質主義を嫌い、ひとり森に入って<貧しい生活と高い思索>を実践した≪ウォールデン≫のH.D.ソローや≪草の葉≫で魂と肉体の合一を歌いあげたW.ホイットマンが呼びもどされた。彼らを再評価したビート・ジェネレーションのA.ギンズバーグをはじめとする詩人たちも活躍した。G.スナイダーは、<革命はイデオロギーの問題ではなくなった。そのかわりに、ひとびとはそれをいま試行しつつある――ちいさな共同体での共産主義、あたらしい家族組織、アメリカで百万人とイギリスとヨーロッパで百万人……>と書いている(≪地球の家を保つには≫1969、片桐ユズル訳)。日本での先駆的なグループだった<部族>(1967結成)による諏訪之瀬島での共同体にも参加したスナイダーによれば<つねにヒゲ、長髪、はだし、ビーズだとはかぎらない。しるしはきらきらした、やさしい顔つき、しずかさとやさしさ、いきいきとして気らくな立ち居ふるまい。みんないっしょに時を知らぬ愛と知恵の小道を、空、風、雲、木、水、動物たちと草木を友としながら行こうとする男たち女たち子どもたち――これが部族だ>(同上)。
 こうして、対抗文化は現在の産業社会を支える競争と消費に追われる中産階級のライフスタイルを批判し、それにとって代わるべきオルタナティブな社会を提起する文化的総称の一つとなった。身体のとらえ直し、性の解放、共同体の実験、手仕事の復権、自然との調和、神秘的・宗教的経験の重視など、人間性の全体的回復をうたう広範な主張とともに、個人の自己実現(アイデンティティの獲得)を第一に据えること、すなわち自己の意識、自己の生活様式の変革から進めようとする点においてそれは<意識革命>ないし<文化革命>として特徴づけられる。70年代中葉から80年代にかけて突出的風俗としては目だたなくなったが、対抗文化の意識は西ドイツの<緑の人びと(通称<緑の党>)>のようなエコロジー運動にもうけつがれ、女性解放運動、協同組合運動、環境保全―反核運動、有機農法―自然食運動、代替エネルギーや適正技術(AT)の開発、さまざまな健康法や東洋医学の探求など多様な分野の運動体やグループが、産業社会の行きづまりに対抗するもうひとつの社会を模索する<ネットワーク>の結びつきを広げた。