裏一青窈ジャーナル

一青窈ジャーナル・番外編(ジャーナリズムの中のもうひとつの一青窈)

琉球新報 一青窈の血筋

2006年06月18日 01時08分17秒 | 裏一青ジャーナル・家族
◇『琉球新報』(2006年6月5日)<渡辺ゆきこ>【琉球新報社】
*アジアウイークリー  【チャイナ網路】一青窈の血筋


 <<一青季経由で琉球新報の記事「一青窈の血筋」読む。一青窈の父親は「台湾の財閥」出身である、という書き込みをよく見かける。一青の台湾名は「顔窈」。当然、台湾5大財閥の顔家では、と推測される。しかし、具体的な根拠を示す記述は見たことがないので、「ガセ」の可能性もあると考えていた。この記事も、顔家の「血を引いているのだという」としているから、確かな事実を掴んでいるわけではないようだ(また、記事には、台湾で「さすが顔家の血筋」と評されたとあるが、いったい誰がそう評価したのか)。

 台湾の財閥といわれる一青窈の父親は、「顔恵民」だという書き込みがいくつかあった。その名でネット検索すると、学習院関係のサイトに載せられた『雪山の楽しければ 回想・顔恵民』という書籍に行き着く。内容は「17回忌を期に発行された当書ば単なる追悼文集と言うだけでは無く、終戦前後の学習院学生の揺れた心情、更に明治時代からの学習院の山とスキーの実績を示す貴重な記録と言える」と説明されている。ホームページの日付が2002年。この年近辺に出版されたとして、17回忌ということは1985年。1976年生まれの一青窈は、小2(1983頃)で父を亡くしたと語っている。時期的にはほぼ合っている。そして、『ダ・ヴィンチ』2005/12月号のインタビューで、「父は山の写真ばかり撮ってましたね。スキーや登山の好きな人だったので」と発言、確信した。

 結局、いまだ財閥の「顔家」との関わりについては定かでない。しかしながら、顔恵民氏とは、「日台の歴史」に重要な足跡を残している人物であることは間違いないようだ。>>

ダ・ヴィンチ 一青窈のふむふむのヒトトキ 横尾忠則 (後)

2006年06月11日 23時59分17秒 | 裏一青ジャーナル・スタイル
■『ダ・ヴィンチ』(2003年12月号・月刊誌)
      2頁<取材、文・瀧晴巳/撮影・冨永智子>【メディアファクトリー】

*連載・一青窈のふむふむのヒトトキ(4回)
 [ 横尾忠則 X 一青窈 (後編) ]


横尾忠則
“あなたはステージでは大きく見えるよね”“存在感でウワーッと大きく見せちゃうんだね。歌い方も独特で、遊泳しているみたいな……。ほら、子供がよく自分で作詞作曲して遊びながら歩いてたりするじゃない?歌いながら”“ところが話すとちゃんと論理的で、そのギャップがあるんだよね”

表口

ダ・ヴィンチ 一青窈のふむふむのヒトトキ 横尾忠則 (前)

2006年06月11日 23時56分40秒 | 裏一青ジャーナル・家族
■『ダ・ヴィンチ』(2003年11月号・月刊誌)2頁
      <取材、文・瀧晴巳/撮影・冨永智子>【メディアファクトリー】

*連載・一青窈のふむふむのヒトトキ(3回)
 [ 横尾忠則 X 一青窈 (前編) ]


横尾忠則
“あなたのライブ、テレビでちょっと観ましたよ。雨が降っている中での”“天まで見方にしちゃうんなら、たいしたもんですよ”

“あなたも、子供の頃、両親をなくされたわけで、強い絆でつながっていたものがこの世から消えちゃった。それは絶対的な暗黒と同じくらい暗闇の中に立たされた状態ですよね”

表口

『ブルータス』  澤田知子vs一青窈

2006年06月05日 01時31分38秒 | 裏一青ジャーナル・作詞
『ブルータス』(2005/10/15)「人間関係~台風直下 
             澤田知子 一青窈<写真・篠山紀信>
 

<<篠山の写真の撮影は、一青窈の『月天心』の歌詞が生まれた公園(世田谷区)にて、とある。『月天心』が生まれた背景は、一青窈のふむふむのヒトトキ(8回)のひとと語録を参照。この記事ではその公園を特定していないし、写真も全景がわかるわけではない。が、かなり特徴のある公園なので、どこだかわかってしまった!『月天心』にふさわしいたいへん雰囲気のある公園だ。>>

澤田知子:“大阪での、窈ちゃんのインストアライブを見て、言葉にできない感情が湧き上がってきたんです。体の底がジーンと熱くなって、気がつくと涙が止まらなくなっていました”
表口