神の戦車メルカバー |
旧約聖書の中で最も不可解かつ神秘的な一書『エゼキエル書』、ここには数世紀もの間神秘主義者たちを悩ませてきた奇妙な記述がある。それはエゼキエルが幻視した神の本質、そして宇宙の真理である。人はそれを『メルカバー』と呼ぶ!
わたしが見ていると、北の方から激しい風が大いなる雲を巻き起こし、火を発し、周囲に光を放ちながら吹いてくるではないか。その中、つまりその火の中には、琥珀金の輝きのようなものがあった。またその中には、四つの生き物の姿があった。その有様はこうであった。彼らは人間のようなものであった。それぞれが四つの顔を持ち、四つの翼を持っていた。脚はまっすぐで、足の裏は子牛の足の裏に似ており、磨いた青銅が輝くように光を放っていた。
また、翼の下には四つの方向に人間の手があった。四つともそれぞれ顔と翼を持っていた。翼は互いに触れ合っていた。それらは移動するとき向きを変えず、それぞれ顔の向いている方向に進んだ。その顔は人間の顔のようであり、四つとも右に獅子の顔、左に牛の顔、そして四つとも後ろには鷲の顔を持っていた。顔はそのようになっていた。
翼は上に向かって広げられ、二つは互いに触れ合い、他の二つは体を覆っていた。それらはそれぞれの顔の向いている方向に進み、霊の行かせる所へ進んで、移動するときに向きを変えることはなかった。生き物の姿、彼らの有様は燃える炭火の輝くようであり、松明の輝くように生き物の間を行き巡っていた。火は光り輝き、火から稲妻が出ていた。そして生き物もまた、稲妻の光るように出たり戻ったりしていた。(「エゼキエル書」第1章4~14節)
奇妙なことに、別の箇所では牛の顔の代わりにケルビムの顔となっている。
ケルビムにはそれぞれ四つの顔があり、第一の顔はケルビムの顔、第二の顔は人間の顔、第三の顔は獅子の顔、そして第四の顔は鷲の顔であった。(「エゼキエル書」第10章14節)
神の戦車は神界のあらゆる叡智と神の奥義を凝縮した『命(生命)の樹』の象徴である。「大いなる雲」と「火」はともに神の炎である『ケルビム』を表し、「琥珀金の輝き」とはカヴォド――すなわち神の栄光を表す!ケルビムには四つの顔があり、また四つの翼を持っている。四つの顔、すなわち、「人間の顔」「獅子の顔」「牛の顔」「鷲の顔」はカッバーラでいう四位階に対応している。具体的に、四つの位階とは「流出界」「創造界」「形成界」「活動界」である。流出界から放たれた神の意思は、最頂部のケテルから滅びの世界のマルクトまで電撃のように駆け下る。四つの位階は神の創造の業の段階的構造を象徴的に表しているのである
メルカバーにおける四つの動物は、各自がそれぞれの動物界を代表する長である。人間は全ての動物の上に立つ長、獅子は百獣の王、牛は家畜の王、鷲は鳥の王である。すなわち、人間が「流出世界」、獅子が「創造世界」、牛が「形成世界」、鷲が「活動世界」に対応する。ここでいう「人間の顔」とは、人類最初の人間「アダム」の顔を指すと推測される。アダムは神に似せて造られたとあり、生命の樹の基底となる存在であるからだ。生命の樹は、三本の柱や逆さになった樹木で象徴されることが多いが、ときに人型で表されることもある。それこそが「アダム・カドモン」である。すなわち、生命の樹は神に似せて造られたアダムと同様、絶対三神の似姿であり、その栄光を具現しているのだ。
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ケルビムは妖怪変化のような不気味な形態をしているが、それは象徴であり実際の姿ではない。ケルビムの形態はそれ自身がカッバーラの生命の樹である。まず、ケルビムは基本的には人間の姿をしている。これは神の似姿であり、アダムカドモンを表している。また、ケルビムには四つの翼があり、互いに重なり合っている。ここで注意すべきは、四人のケルビムがカッバーラの四位階を象徴すると同時に、個々のケルビムもまた四つの顔によって四位階を表しているということだ。もっといえば、一人のケルビムは四人のケルビム(四つの動物=四位階)の複合形態であり、それが翼を共有することによって、重なり合った四位階を象徴しているのだ。
分かりにくいだろうか?すなわち、天使としてのケルビムは通常、二枚の翼しか持っていない。しかし、メルカバーの場合は、「人間」「獅子」「牛」「鷲」の四人のケルビムが各自の二枚の翼を有すると同時に、その翼は隣り合うケルビムの有する翼でもあるのだ。これは流出・創造・形成・活動の四位階が重なり合うと同時に、永遠の循環として全体的に円を描いており、「初めなり、終わりなり」と語ったヤハウェ=イエス・キリストの教義を具現していることを示唆している。
ちなみに、黙示者ヨハネが幻視した四つの動物は4枚の翼ではなく、三対(6枚)の翼であった。しかし、彼の場合は、個々のケルビムがそれぞれの四位階を有しているのではなく、四人のケルビムが全体として一つのヒエラルキーを構成している。しかし、四人のケルビムが四つの生命の樹を象徴していることに変わりはない。その証拠に個々のケルビムは四位階構造の変わりとして、カッバーラの三段階世界「至高世界」「中高世界」「下層世界」が基本構造となっている。それが三対の翼である。生命の樹は四を基本単位としてフラクタル的に拡大していく。それは宇宙を創造する絶対神の業なのだ。
この玉座の中央とその周りに四つの生き物がいたが、前にも後ろにも一面に目があった。第一の生き物は獅子のようであり、第二の生き物は若い雄牛のようで、第三の生き物は人間のような顔を持ち、第四の生き物は空を飛ぶ鷲のようであった。この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その周りにも内側にも、一面に目があった。(「ヨハネの黙示録」第4章6~8説)
ケルビムは子牛のような足の裏をしている。古代ユダヤの慣習では牛は生来の罪がない聖なる動物であるとされる。その根拠は蹄が完全に分かれていることである(レビ11:2)。すなわち、足の裏が子牛に似ているとは蹄が完全に分かれているということであり、罪のない神聖なる存在であることを示しているのだ。また、青銅のように輝きまっすぐに伸びた二本の足とは、カッバーラでいう「知識(=ダアト)の門」のことである。それはソロモン神殿の入り口に据えられたという青銅で鋳られた二本の柱――「ヤキン」と「ボアズ」――が示している象徴と同じ意味を有する。すなわち、旧約の神ヤハウェと新約の神イエス・キリストが合わせ鏡の同一神であり、ヤハウェ=イエス・キリストを受け入れなければ、最も聖なる領域に立ち入る事が許されないことを意味しているのだ。
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生き物の頭上にある大空の上に、サファイヤのように見える王座の形をしたものがあり、王座のようなものの上には高く人間のように見える姿をしたものがあった。腰のように見えるところから上は、琥珀金が輝いているようにわたしには見えた。それは周りに燃えひろがる火のように見えた。腰のように見えるところから下は、火のように見え、周囲に光を放っていた。周囲に光を放つ様は、雨の日の雲に現れる虹のように見えた。これが主の栄光の姿の有様であった。(「エゼキエル書」第1章26~28節)
四人のケルビムの上には王座があり、そこにはエリュオニムである絶対神が座っている。これはカヴォドと呼ばれる神の栄光であり、生命の樹の象徴図形では、最上部の三つのセフィロト「ケテル」、「コクマー」、「ビナー」が構成する『至高世界』と対応している。腰から上の“琥珀金の輝き”は神の栄光を表す流出世界、腰から下の“虹の輝き”は神の玉座を表す創造世界である。さらにケルビムとガルガリンが神を賛美する世界は形成世界であり、エゼキエルが座す地上は人間が活動する世界、すなわち活動世界となっている。
わたしが見ていると、四つの車輪が、ケルビムの傍らにあるではないか。一つの車輪が、ひとりのケルビムの傍らに、また一つの車輪が、1人のケルビムの傍らにというように、それぞれの傍らにあって、それらの車輪の有様は緑柱石のように輝いていた。それぞれの形の有様は、四つとも同じで、一つの車輪がもう一つの車輪の中にあるかのようであった。
それらが移動するときは、四つの方向に進み、移動するときに、向きを変えることはなかった。先頭のケルビムが向かうところに他のものも従って進み、向きを変えなかったからである。ケルビムの全身、すなわち、背中、両手、翼と、車輪にはその周囲一面に目がつけられていた。ケルビムの車輪は四つともそうであった。それらの車輪は『回転するもの』と呼ばれているのが、わたしの耳に聞こえた。(「エゼキエル書」第10章9~13節)
四つの車輪とはヒエラルキー(=四位階)を象徴する。上の図を見てほしい。ヒエラルキーは四つのセフィロト、「ケテル」「ダアト」「ティファレト」「イエソド」を中心に、重なり合った四つの車輪で象徴される。ケテルの車輪は半分しかないが、ケテルは同時にマルクトを表すため、生命の樹の永遠の循環を象徴している。注意してほしいが、四つの車輪は四人のケルビムと一体であるため、純粋に霊的な物体である。ケルビムが止まると、車輪も止まり、ケルビムが上ると、車輪も共に上った。生き物の霊がその中にあったからである。(「エゼキエル書」第10章17節)
四つの車輪はあくまでも「緑柱石のように輝いていた」のであって、緑柱石で造られていたのではない。輝く緑柱石とは、絶対神の周囲を覆うケルビムの炎の象徴であり、『ガルガリン=回転するもの』と呼ばれるように、くるくる回る炎のようなものと考えるのが一番よい。すなわち、創世記に記された“回る炎の剣”と同じものなのだ。ケルビムの脚が「救いに至る門」ならば、回る炎の剣は「滅びに至る門」である。救いに至る門は狭く、入る人も少ないが、滅びに至る門は大きく口を開き、入る人も多い。神は人を追い出し、エデンの園の東に、ケルビムと、回る炎の剣とを置いて、命の木の道を守らせられた。(「創世記」第3章24節)
これは口語訳聖書からの引用であるが、新共同訳では『回る炎の剣』ではなく、『きらめく剣の炎』となっている。しかし、ヘブライ語の単語、「ハミトゥハペヘット」の本来の意味は「回っている」であるため、回転する炎と考えてさしつかえはない。一般にこの部分の解釈は、アダムとエバがエデンの園に立ち入らないように、エデンに至る東側の道路を炎で隔離したとされるが、それは違う。これはメルカバーと同じく、生命の樹の象徴を指しているのだ!同じく、旧約の預言者ダニエルは、神の玉座を回る炎として表現している。
なお見ていると、王座が据えられ『日の老いたる者』がそこに座した。その衣は雪のように白く その白髪は清らかな羊の毛のようであった。その王座は燃える炎 その車輪は燃える火……(「ダニエル書」第7章9節)また、詩編77:19には、「あなたの雷鳴は旋廻する車輪のように転がり」と訳せる箇所があり、燃える車輪は地上に顕現する神の威厳と栄光の象徴であることがわかる。聖書学的には、エデンとは人類の初穂が住まう世界であり、特定の地域を指す言葉ではない。エデンは人類史の三段階世界である『至高世界』『中高世界』『下層世界』にそれぞれ一つずつ存在する。
具体的に、下層世界=星の輝きのエデンは「イエソド」に対応し、アダムとエバが住んだ世界である。中高世界=月の輝きのエデンは「ティファレト」に対応し、恐竜と巨人族を滅ぼした大洪水の後、ノアと選ばれた動物たちが受け継いだ世界である。そして、至高世界=太陽の輝きのエデンはイエスが統治する至福千年王国の後、更新された地球によって全地が神の栄光に満ちた世界である!わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去っていき、もはや海もなくなった。(「ヨハネの黙示録」第21章1節)そのとき、人類は再び生命の樹を手にすることになる―――!!