1953年にClef Recordsからリリースされた、事実上の『ファースト・アルバム』(ジャケット裏のライナーノーツにもそう書いてある)。スーパーバイザーとしてノーマン・グランツがクレジット、前述のライナーノーツも執筆している。
一般的に知られるバーニー・ケッセルの初リーダー作といえば通常はCD化もされているContemporaryからのものを指すが、本盤はさらにそれ以前に45回転の7インチ(所謂ドーナツ盤)レコードに片面2曲ずつ、計4曲をギュウギュウに収録し、アメリカのシングル盤には無いきちんとした写真入りデザインを施されたジャケットにも収めたれっきとした「アルバム」である。
なお収録曲は1955年にノーマン・グランツ自身によって『Oscar Moore / Barney Kessel / Tal Farlow – Swing Guitars』というコンピレーションLPに纏められて全曲再発された。
A1 Heat Wave
A2 East Of The Sun (West Of The Moon)
B1 All The Things You Are
B2 Crazy Rhythm
A2 East Of The Sun (West Of The Moon)
B1 All The Things You Are
B2 Crazy Rhythm
Barney Kessel, Jim Wyble (guitar) Morty Corb (bass) Shelly Manne (drums)
Los Angeles, CA, July 23, 1952
Los Angeles, CA, July 23, 1952
有名な『ポールウイナーズ』より5年も早く、ドラムにシェリー・マンが既にここで参加している。サイドギター入りのカルテットという編成も珍しい。
さて、バーニー・ケッセルというと判で付いたように我が国では「チャーリー・クリスチャン直系」という説明がされてハイおしまい、という事が多いのだが個人的にそれには長年不満を持っている。確かに本人も生前はクリスチャンへのリスペクトを折に触れて公言していたが、ソロラインにも時にはクリスチャンからの影響は感じても別にそっくりさんではないし、大きな手を生かしたモダンなコードワークなど、独自の個性もある。バーニー・ケッセルという人はギターこそ独学だが、若いころから演奏活動で稼いだ金を酒や麻薬ではなく、有名な教授による楽典や編曲の高額なレッスン代に費やして必死に音楽の勉強をした人で(アメリカの芸術や芸能界には実はそういう人がたくさんいる。)、その甲斐あってハリウッドのスタジオからファースト・コールでお声がかかる売れっ子となった。それは単にギターがチャーリー・クリスチャンみたいに弾けたからでは駄目で、スタジオ・ワークで要求される高度な楽譜や音楽理論、編曲などのしっかりとした力量あってこその賜物だ。事実50年代、60年代のバーニー氏の主要な収入源はこのスタジオ・ワークによるものであり、お陰で多くの同時代に生きたジャズマンのように巡業による荒んだ生活とは真逆の、カリフォルニアの一等地に豪邸を買い、普通の人と同じように家庭を持ち、スタジオに"毎朝出勤する"という安定した生活を送ることもできた。
この人のディスコグラフィーを丹念に追ってゆけば、ジャズギターの名演ばかりでなく、数多くの『軽音楽ギター』ともいうべき音盤がたくさんある事に気づくはずだ。そこでは必ずしも「クリスチャン直系の」バップ・フレーズをキメているわけではなく、映画や劇音楽のスコアを軽音楽ジャズ化したものや、ラテン調、ボサノバから時にはズンドコ調のロックまで、時代の変化に応じてアメリカ家庭のオーディオに求められる音楽を提供したアーチスト、という面が実は大きい。この視点から見れば、彼が60年代にはソフトロックの大名盤であるビーチボーイズの『ペットサウンズ』でも弾いている(バーニーに発見されたジャズウクレレの名手でもあったライル・リッツもベーシストとして参加していた)とか、息子たちが二人とも70年代にはフィル・スペクターのアシスタントになっていたりいう事実にもさほど不思議はないわけだが、「チャーリー・クリスチャン直系」という見方だけではここはサッパリお話が繋がらないではないか。
70年代以降、ロック、クロスオーバー、フュージョンとギタースタイルが急速に多様化する中で流行と自身のスタイルが乖離しはじめると、次第にスタジオワークでの需要は減り、以降はジャズ・ギタリスト向けのクリニック活動、教則本やフィルムなどの通販ビジネスなどに加え、『グレートギターズ』などでの巡業、欧州や日本も含む海外遠征も増えていったようだ(そのまま欧州に生活拠点を移していた時期もある)。元妻の書いた伝記本によれば、こうした巡業活動やサイドビジネスから安定的に収入を得る為にも、晩年までコンスタントに自身の新譜が出てレコード店に売られている事に非常に拘りを持っていたという。そのためか欧州や日本でも多数の現地ミュージシャンとの録音盤がある。