ある掲示板に書いたものの再録です.典拠は省略してあります.
-------------------------
第2次ブルガリア帝国(1187-1396)の皇帝になった1人のチンギス裔の人物がいる.
ジュチ・ウルス(キプチャク汗国,金帳汗国)右翼の主ノカイは13世紀後半に,ガリチア(今のウクライナ東部)から,ドナウ河口方面への攻勢を強めていた.
第2次ブルガリア帝国の皇帝(ツァーリ)ゲオルギ1世テルテル(在位1280-1292)は1285年にノカイに服属し,ジュチ・ウルスの属国となった.ちょうどルーシ諸公国が属国となったと同様の状況と推察される.
したがって,ジュチ・ウルスの最大版図には第2次ブルガリア帝国を含めるべきと私は考えている.
ゲオルギ1世の次にはスミレフ(1292-1298)が登極し,その次に短期間(1299-1300)ではあるが,チャカがツァーリとなった.
このチャカはチンギス・ハーンの子孫である.
チンギス・ハーンの子ジュチ(ジュチ・ウルスのカン),その子ボアル(右翼の主),その子タータール,その子ノカイ(右翼の主),その子がチャカである.
チャカはゲオルギ1世の娘婿となっており,チャカの父はビザンチン皇帝ミカエル8世の娘を娶っている.通婚関係によって当時のジュチ・ウルス右翼は東欧,ないしバルカン地方と結びついていたと推察される.
チャカの次にはテオドル2世スヴェトスラフ(在位1300-1320)がツァーリとなった.
テオドル2世はその名を刻んだコインを遺している.おそらくその治世にジュチ・ウルスの羈絆を脱したのであろう.
知る人ぞ知るチンギス家出身のブルガリア皇帝(ツァーリ)チャカを紹介してみた.
--------------------------------
-------------------------
第2次ブルガリア帝国(1187-1396)の皇帝になった1人のチンギス裔の人物がいる.
ジュチ・ウルス(キプチャク汗国,金帳汗国)右翼の主ノカイは13世紀後半に,ガリチア(今のウクライナ東部)から,ドナウ河口方面への攻勢を強めていた.
第2次ブルガリア帝国の皇帝(ツァーリ)ゲオルギ1世テルテル(在位1280-1292)は1285年にノカイに服属し,ジュチ・ウルスの属国となった.ちょうどルーシ諸公国が属国となったと同様の状況と推察される.
したがって,ジュチ・ウルスの最大版図には第2次ブルガリア帝国を含めるべきと私は考えている.
ゲオルギ1世の次にはスミレフ(1292-1298)が登極し,その次に短期間(1299-1300)ではあるが,チャカがツァーリとなった.
このチャカはチンギス・ハーンの子孫である.
チンギス・ハーンの子ジュチ(ジュチ・ウルスのカン),その子ボアル(右翼の主),その子タータール,その子ノカイ(右翼の主),その子がチャカである.
チャカはゲオルギ1世の娘婿となっており,チャカの父はビザンチン皇帝ミカエル8世の娘を娶っている.通婚関係によって当時のジュチ・ウルス右翼は東欧,ないしバルカン地方と結びついていたと推察される.
チャカの次にはテオドル2世スヴェトスラフ(在位1300-1320)がツァーリとなった.
テオドル2世はその名を刻んだコインを遺している.おそらくその治世にジュチ・ウルスの羈絆を脱したのであろう.
知る人ぞ知るチンギス家出身のブルガリア皇帝(ツァーリ)チャカを紹介してみた.
--------------------------------