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ty270410随想

折に触れての感想,感慨を書き留めてみます.

ジュチ・ウルス:ブルガリア皇帝チャカ

2010-02-13 21:09:30 | 歴史
ある掲示板に書いたものの再録です.典拠は省略してあります.

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第2次ブルガリア帝国(1187-1396)の皇帝になった1人のチンギス裔の人物がいる.

ジュチ・ウルス(キプチャク汗国,金帳汗国)右翼の主ノカイは13世紀後半に,ガリチア(今のウクライナ東部)から,ドナウ河口方面への攻勢を強めていた.

第2次ブルガリア帝国の皇帝(ツァーリ)ゲオルギ1世テルテル(在位1280-1292)は1285年にノカイに服属し,ジュチ・ウルスの属国となった.ちょうどルーシ諸公国が属国となったと同様の状況と推察される.

したがって,ジュチ・ウルスの最大版図には第2次ブルガリア帝国を含めるべきと私は考えている.

ゲオルギ1世の次にはスミレフ(1292-1298)が登極し,その次に短期間(1299-1300)ではあるが,チャカがツァーリとなった.

このチャカはチンギス・ハーンの子孫である.
チンギス・ハーンの子ジュチ(ジュチ・ウルスのカン),その子ボアル(右翼の主),その子タータール,その子ノカイ(右翼の主),その子がチャカである.

チャカはゲオルギ1世の娘婿となっており,チャカの父はビザンチン皇帝ミカエル8世の娘を娶っている.通婚関係によって当時のジュチ・ウルス右翼は東欧,ないしバルカン地方と結びついていたと推察される.

チャカの次にはテオドル2世スヴェトスラフ(在位1300-1320)がツァーリとなった.
テオドル2世はその名を刻んだコインを遺している.おそらくその治世にジュチ・ウルスの羈絆を脱したのであろう.

知る人ぞ知るチンギス家出身のブルガリア皇帝(ツァーリ)チャカを紹介してみた.

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