つばさ日記0404朝「出かけた際の出来事【後編】、ハレの日が終わり、ケの日が始まる銅鑼の音」
4/2(土)朝、前記事末尾の通り、再び脊椎に違和感が発生、これまた再びお風呂を急遽、準備してもらい入浴する。やはり小一時間で急速に回復する。かなり不自由な体になったものである。親戚には迷惑をかけてばかりである。一体、何しに来たのか。距離がある割には頻繁に顔を見せに行く親戚ではあるが、もう少し回復してから再訪することを決めた。
法事での正座の際、可能な限りまともな姿勢になろうと努力した。結果、足はほとんど痺れなかった。脊椎の位置取りが非常に難しく、考え抜かないと位置を定めることができない。これも小脳に覚え込ませなければならない。あとは読経の息継ぎ、ブレスの位置が気になった。経本の段落変えの空白部分から意図的に一文字ずらしてブレスしている、と法事後の食事での参列者の間で一致を見た。この食事の席では、私と同様に親に宝物を捨てられた事がある、という経験談も飛び出し、どこでも同じであるのだと実感できた。また、私が歳を取ったと実感できることもあった。以前より聞く力が明らかに低下している。気持を入れ直す。どうやら考え事をしていると耳からの言葉が頭に入らないようだ。私も一つ、発達段階が進んだのかもしれない。
せっかく山を降り、里に出たので法事の後も可能な限りの予定を詰め込んでいる。睡眠不足に陥るが、それを取り戻すのは帰宅後である。多数の話題が出たが、ここに出して差支えないものというと、米ドラマの「This is us」が凄い、という情報を得た事がある。あとはちょっとしたなぞなぞを出された。頭の中に入れておけば寝ている間に考えているかもしれない。と思っていたら、答えが浮かんだので連絡を入れた。たぶん正解である。
書いておきたいことが一つあった。二十年というと大袈裟だが、ここ十数年、チマチマと通っている店がある。その店では私の変化にあっさりと気付かれた。人を見るプロなのだから当たり前なのかもしれない。まあ、そもそも私が猫を飼い始め、ブログを始める、という時点でかなり変なのだが。脳への入力、つまり人の話を聞く力が落ち始め、出力、つまり自分語りをすることが多い高齢者の段階へと確実に一歩進もうとしている。判っておれば、ある程度は止められるものなのではないかと期待している。
里の方で大きな移動を二回、行ったが、ブレーキを左足ですることで、かなりの改善が見られた。左右差を極力なくす体の動かし方、使い方が重要だと痛感した。自宅への帰路も同様で、これだけでもかなり変わってくる。最初の一歩から大きく間違っていたという事である。
夕方に帰宅、仏壇、夕食、片付けが中途半端なまま夜早くに一旦横になる。この際、1/17以降、初めて横を向いて寝た。右を下にして寝ていたのである。半ば寝ぼけながら体をモゾモゾ動かすと、腰椎が今までで最大の音を立てて離れた。脳にまで響く大きな音であった。この音を持ってハレの日は終わる。ケの日が始まる銅鑼の音である。日付の替わる寸前に起床、日常に戻る。いや、少しばかり変化した日常が新たに始まる。