くくの心

政治・経済・社会から裁判まで独自の視点でバッサリ!ニュースなブログ

お知らせ

2005-06-09 22:08:17 | エトセトラ
 諸般の事情により、当分の間休ませていただきます。
たくさんのアクセス、コメントありがとうございました。

                    2005年6月9日

死んではいけないと言うけれど…

2005-06-05 22:12:01 | 社会
 自殺者の数が高止まりしている。昨年は、3万2325人で
7年連続で3万人を超えた。動機別では、健康問題が1万4786
人で最も多く、経済・社会問題が7947人で続く。一方で、
若者の集団自殺も無視できなくなっている。この点を取り
上げてみたい。

 『くくの心』はインターネットを通じて見ることができる。
トラックバックやブックマークなどにより、さまざまなブ
ログにいくこともできる。だが、同じネットでも使い方に
よっては死に導くこともある。自殺を呼びかける掲示板も
その一つだ。

 初対面同士の人が一緒に自殺するケースが増えていると
いう。宮城県の24歳の男性と北海道の15歳の少女は、死に
場所を探している途中、警察に発見された。少女は、「これで
死ねなくなったなという気持ちと、助かってホッとしている気
持ちが半分かな」と語った(『朝日新聞』2005年6月5日朝刊)。
後半の「助かってホッと」の部分は注目に値する。100%死のう
とは思っていなかったのだ。もしかしたら、助かるかもしれな
い。こうした心理状態に、光を見出せないだろうか。自殺願望の
ある人を色眼鏡で見るだけでは、何の解決にもならない。

 ネット特有の環境により、「ゾーン」に入っているのではな
いだろうか。最初は、なにげなく自殺サイトをみていた。しかし、
次第に深入りする。さらには、「やはり死ぬしかない」と思い込む。
最後は志願者を集い、決行してしまう。ここには、生身の人間の
介入がない。思いがエスカレートしても、止める手立てがない。
「ゾーン」に入ってしまうと抜け出すのは難しいのではないか。
「自殺はいけない」と口で言うのは簡単だが、予防するのは容易
ではないだろう。

 集団というのも、悪影響を与えていると思う。6人で集団自殺を
行うことになったとする。その中のCさんは、当日になって急に死
にたくなくなった。だが、他の人のことを考えれば、一緒に行くし
かない。土壇場で揺れる心理状態を他者に合わせてしまう人もいる
のではなかろうか。人間の心は日々変化する。今日は死にたくても、
明日になれば生きたくなることも多々ある。内面の変化をどうキャ
ッチするか。今後の重要なテーマになるのではないか。  

 個人の問題といってしまえばそこまでだ。一方、自殺願望を持つ
人からすれば、「手助け」などというのは大きなお世話と感じるか
もしれない。交わることのないレールをどう近づけていくのか。3万
という数字が深刻なものであることは確かだ。


    ←ありがとうございます!

さまざまな「壁」

2005-06-02 23:07:13 | エトセトラ
 文系、理系の区分にこだわる時代は終わったのではな
いか。これからは、文系でも理系的センスを、理系にも文
系的思考が必要ではないか。そう問い続けているのが毎日
新聞の連載企画「理系白書'05」(毎週水曜朝刊掲載)だ。
今週は、元村有希子、永山悦子両記者が「文系学生 科学
を学ぶ」と題してレポートしている。

  お茶の水女子大が毎週水曜に開講する文理共通の「基礎
 ゼミ」。理学部の服田昌之・助教授(生物学)が担当する
 「科学ニュースを読みとく」は受講希望者が多く、抽選になった。
 文系6、理系13の計19人が参加する。(…)発達心理学を学ぶ1年
 の森澤友紀子さんは「高校時代、数学も理科も好きだったけど、
 先生は『急いで解け、暗記しろ』ばっかり。だから嫌いになった」
 と振り返る。そんな文系学生の目を、どうすれば科学に向けられる
 か。一つのカギは、日常生活と関連付けて、学ぶ意味を明確に示す
 ことだ。 


 約1500字の記事の前半部分をまとめると、このような感じになる。
理系科目を文系科目のような詰め込み型で教えることの弊害がよく
わかる。なぜ、高校の先生は「急いで解け、暗記しろ」と言ったの
だろうか。一つは、日本の受験システムが挙げられるだろう。大学
受験勉強は、理論よりも「テクニック」が重視される。その科目が
好きか嫌いかは関係ない。とにかく、点数が取れればいい。こうした
考え方が依然として横行している。結果として、森澤さんのように
「理系嫌い」になった生徒は多い。

 もう一つは、先生自身が数学や理科を愛していないのだ。もし、敬
愛しているのなら「暗記しろ」などといったことを軽々しく口にしない
と思う。少なくとも、正解にいたるプロセスは説明するはずだ。さらに
一歩先をいく教師なら、その科目の楽しさまで伝えるだろう。真のおも
しろさよりも点数アップ。こう考える先生が多いのは、受験システムと
自身の視野の狭さからくるのではないか。

 本来、「日常生活と関連付けて、学ぶ意味を明確に示す」のは、低年
齢時からすべきではないか。例えば、大学生と小学生を比べれば、小学
生の方が感受性が豊かだ。同じ現象をみても、小学生の方が素直な反応
を示す。大学生はなまじっか勉強しているため、感動は薄い。つまり、
年齢が低ければ低いほど文理の壁は壊せると思う。その点、中学受験な
どはネックになっているのではないか。いい学校に入り、高い教育を受
けたい。そう思うのもわかる。ただ、代償として「学ぶ意味」をどこかに
置き去りにしている気がしてならない。

 小、中、高、そして大学。日本はこの4区分の連携が薄い気がする。数
年前から沸き起こった学力低下論争は、大学が震源地だった。その後、中、
高などにも広がっていくが、意識の共有はみられない。みんなで日本の教
育を変えていく。そのような気概はないようだ。まずは、学校(小・中・高・
大)間の壁を壊し、活発な意見交換から始めるべきではないか。

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第3回「推理であそぼ」

2005-06-01 21:18:48 | エトセトラ
 今回は、「半分の真実」というタイトルの問題です。
わかった方は、コメント欄に答えをお書き下さい。

≪問題≫
 ペイリー家の3兄弟とトムソン家の3兄弟の計6人のう
ち、3人はつねに真実を語り、3人はつねにうそをつきま
す。そして、どちらの兄弟のなかにも少なくとも1人、う
そつきがいます。
 最近、この6人は以下の発言をしました。だれの姓が何
であり、だれが真実を語り、だれがうそをついているか、
あなたはわかりますか?

 アラン 「ぼくの兄弟2人はともにうそつきです」
 ボリス 「ぼくの兄弟2人はいつもほんとの事をいいます」
 チャック 「アランとボリスは2人ともうそつきです」
 ドルマン 「チャックとぼくは兄弟です」
 エドウィン 「ボリスとぼくは兄弟です」
 フィニ 「エドウィンはほんとの事をいいます」
 フィニ 「ボリスとペイリー家の1人です」
 (講談社ブルーバックス『論理パズル101』より)

   

茨城でふと思う

2005-05-30 23:52:32 | エトセトラ
 この週末は、茨城に遊びに行ってきた。友人に会うの
が主目的だが、いくつか見所も回った。なかでも、茨城
県立歴史館は展示内容が充実していた。

 江戸時代の中ごろ、日本では「南画」と呼ばれる画風
が誕生する。中国の「南宗画」を基にし、古来のさまざ
まな流派の技法を取り入れたものだ。展示では、林十江
(じっこう)と立原杏所(きょうしょ)の画が並べられてい
た。二人とも水戸の画人だが、画風が正反対だ。個性的
で奇抜な絵を描いた十江と、堅実なタッチで見る人を魅
了する杏所。違いがはっきりしているだけに、興味深い。
十江の作品では「松下吹笛図(しょうかすいてきず)」
好きだ。「澄み渡った空間の中で笛の音が聞こえるよう
な詩情あふれる作品」(キャプション)である。夢がある
作品はいい。写真と違って絵画は、理想も現実も描ける。
カバーできる範囲がより広いといえるだろう。この画は、
前者だ。

 杏所の作品では、「高山流水図」が強く印象に残った。
キャプションには「渇筆で描かれたブロックのような岩山
が一層峻厳な様相を呈する」とある。かすれて(=渇筆)い
るので、素人目にはよさが分からない。だが、書道に精通し
ている人が以前、「べったり塗りたぐられているものより、
かすれている方がかえっていい」と言っていた。その観点か
らみれば、やはり「見事な画」であろう。

 館内の一橋徳川家記念室には、「絵画と絵巻の名品」と題
するコーナーがあった。狩野探幽・尚信・安信の「三福神図」
三兄弟による合作という点で異色だ。「各々草々たる描線で、と
くに衣に溌墨風に大胆に筆を入れるなど、画体も合わせており、
三兄弟の画の技量を直接比較できる」(キャプション)ところが
いい。私は、中央に描かれた探幽のものにひかれた。

 茨城ゆかりの人物といえば、徳川光圀や間宮林蔵などが有名
である。実際、水戸市内には光圀公像がいくつかある。けれど
も、こうした“メジャー”な人だけが歴史を彩ったわけではな
い。十江や杏所、狩野三兄弟らの画を見てその思いを再確認し
た。

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傷つきやすいタイプ

2005-05-27 22:14:30 | エトセトラ
 傷つきやすい若者が増えている。ちょっと注意された
だけでふくれてしまう人、つまづきから立ち直れない人、
攻撃的になる人…。根本橘夫著『傷つくのがこわい』(文
春新書)では、傷つきやすい人を6つに分けている。

 ①完全防御傷つきタイプ
 ②自信欠如傷つきタイプ
 ③自罰的傷つきタイプ
 ④被害妄想的傷つきタイプ
 ⑤被虐的傷つきタイプ
 ⑥自己中心的傷つきタイプ

 
 あなたはいずれかに当てはまるだろうか。一つずつみて
いく。表面では弱みを見せずに必死にがんばっている。し
かし一方で、劣等感や空虚さを感じている。こういった人
は①である。劣等感というのは、ふとしたことから攻撃に
転じやすい。「こんな奴に負けるものか」と歯向かうもの
の、返り討ちにあい、さらに傷つく。こうした悪循環に陥
る人もいる。

 自分が傷つきやすいことを強調することで自分を守って
いる人が、②にあたる。「私はダメ人間で、傷つきやすい
から」と宣伝することによって、周囲から気遣ってもらう。
同時に、防御線を張る自分に対してやるせない気分になる。
常に、気持ちが内に向かっているのかもしれない。

 何事にも自分を責めて、傷つく。③のタイプだ。道端で
見ず知らずの子どもが泣き叫んでいる。自転車から転倒し
たようだ。だが、自分は急いでいたため、無視した。この
ような場合、③は「悪いことをした」と後々まで引きずる。
必要以上に自分を責めてしまうのだ。歯止めがきかなくな
った場合が恐い。

 すぐに拗ねる人は、④タイプが多い。A、B、C3人の人間
がいるとする。④のCは、A、Bが2人だけで話している内
容が気が気でない。自分の悪口を言っているのではないか。
どうせ俺は蚊帳の外だ。次第に、膨れる。この場合、A、Bも
「いちいち拗ねるな」と気を悪くするだろう。

 傷つける言葉や行為を引きおこしやすい被虐的な要素を
持っている人もいる(⑤)。どことなく弱々しい。いじめら
れても反撃してこない。こうした態度がいじめる側をさらに
つけあがらせる。不幸なことに、相手が傷つけたくなる「何か」
を持っているのだ。

 ⑥には、身勝手な人が多い。自分のことを評価してくれる
人とはとことん付き合う。一方で、自分を好んでない人のこ
とは徹底的に批判する。これは表裏一体なので、相手は「危な
いな」と感じる。つまり、「今は私のことを絶賛しているけど、
いつ手のひらを返されるか分からない」となる。そして、離れ
ていく。⑥は裏切られたと思い、攻撃に転じる。友達はどんど
ん減っていく。「悪のスパイラル」だ。

 ①や③のような「いい人」でも、④や⑥のような「イヤな
奴」でも傷つく。人間は根本的に弱いのだ。かくいう私も、
ひょんなことから傷つくことがある。そういう時は、「人生
いろいろあるさ」とケロっと忘れるようにしている。大切な
のは、傷ついた時に自分なりの「処方箋」を持つことではな
かろうか。


   ←今日もありがとうございます!

悪徳業者に注意せよ

2005-05-25 23:48:12 | 社会
 最近、リフォーム業者に狙われる老世帯が増えている。
先日も、埼玉県富士見市で、認知症(痴呆)の老姉妹が
16社のリフォーム業者の標的にされ、全財産を失った。
毎日新聞の連載『リフォーム 狙われる老世帯』をもとに
みていく。

 まず目に付くのが「無料点検商法」だ。阪神、新潟、福
岡など大地震が立て続けに起きている。そこで、「無料で
耐震診断をする」と持ちかける業者があらわれた。彼らは、
ビデオで屋根を撮影するのだという。「瓦がずれている。
今なら安くできる」などと言い、契約を結ぶ手法だ。高齢
者の心理をもてあそんでいるとしかいいようがない。無料
点検という「入口」と、高額リフォームという「出口」が
かけ離れている。「振り込め詐欺」もそうだが、高齢者は
精神的な揺さぶりに弱い。罠にかかったと思った時は、す
でに時遅しだ。高齢社会の新たな闇を見ているようで、許せ
ない。

 なぜ、年間1万件近い相談が寄せられるほど、リフォーム
トラブルが相次ぐのか。背景には、「リフォーム業界を規制
する法律がない」という大問題がある。500万円未満の軽微な
建設工事なら、国土交通大臣や都道府県知事の許可は不要だ。
この「法の隙間」をかいくぐって、悪徳業者が参入している。
これだけ多数苦情が寄せられているのなら、金額の引き下げ
も必要ではないか。なんでも法律で縛るのには抵抗がある。だ
が、規制しなければならないほど世の中が荒んでいるのも事
実だ。

 身寄りのない人や家族から離れている人が訪問販売被害に
遭いやすいという。合点がいく。近所づきあいが薄く、地域で
孤立しやすい。そこを付け入るのだ。古典的なやり方で、あく
どい。けれども、こうした人びとを被害から守るのは、意外に
難しい。今春施行された「個人情報保護法案」が立ちふさがる
からだ。あの人はどういう暮らしぶりをしているのだろう。場
合によっては、手助けしなければならない。そう思っても、役
所は情報を提供してくれない。善意であってもダメ。このあた
りに、法律の難しさがある。緩めれば悪用されるし、きつけれ
ば自分の手を縛る。実に厄介だ。

 この問題は、なかなか解決策が見出せない。それどころか、
高齢単身世帯の増加により、さらに社会問題化するかもしれな
い。被害を少なくするにはどうすればいいのか。知恵を絞って
いきたい。

   ←今日もありがとうございます!

たまには絵画もいい

2005-05-23 23:56:16 | エトセトラ
 先日、横浜美術館に『ルーヴル美術館展』(横浜美術
館・ルーヴル美術館・日本テレビ放送網・読売新聞東京
本社主催)を見に行った。日本初公開の作品が56点に上
ることもあり、館内はごった返していた。

 展示室は7つのコーナーに分かれていた。最初は「歴
史画」だ。歴史上の事件や、古代の英雄や神々、キリス
ト教の聖人たちの物語を題材とする絵画をさす。ジョゼ
フ=ニコラ・ロベール=フルーリの『ヴァティカンの宗教
裁判所に引き出されたガリレオ』
 が最も印象に残った。
「枢機卿と軍人のあいだでこちらを向くガリレオが、いま
まさに自説の撤回を口にしようとする瞬間」(キャプショ
ン)の絵だ。ガリレオは苦虫をつぶしたような表情をして
いる。学者にとって自説を撤回するのは、自分の人生を否
定するようなものだ。その感じがふんわり出ていてよい。

 次は「オリエンタリスム」というコーナーだ。ヨーロッ
パにとっての東方、とくにトルコ、アラブの異国情緒に対
してヨーロッパの人びとが抱いた趣味や憧れをいう。ここ
での目玉はやはり、ジャン=オーギュスト=ドミニク・ア
ングルの『トルコ風呂』だ。作品の前には、人の輪が幾重
にもなっていた。キャプションには「空想のオリエンタル
の官能と、画家の生涯にわたる造形的探求が結合した珠玉
の一点」とある。私は、「トンド」と呼ばれる技法に興味
を持った。円形画のことだが、のぞき窓のようだ。細部に
技がきいている。

 「時事的絵画」は、フランス革命を契機に、絵画の重要
なジャンルとなっていく。ジャン=ピエール・フランクの
『エジプト遠征からのボナパルト帰還前のフランス国家の
寓意』
という作品に感銘を受けた。ストレートに描くの
ではなく、ひと捻りあるところがいい。女性の姿をしたフ
ランスが、ナポレオンに手を差しのべ、助けを求めている。
「彼女(フランス)は、短刀をもつ『罪』、松明をかざす
『不和』、目隠しをした『激怒』に脅かされている」(キャ
プション)のだ。説明がなければ、私のようなずぶの素人
には何の絵だかさっぱり分からないだろう。この作品を見
ることができただけでも、行った甲斐があった。

 他にも、「風俗画」(その時代に生きる名もない人びとの
日常を描いた絵画)の『アトリエの中』や、「風景画」(19世紀
中頃を境として、絵画の最も重要な主題のひとつとなって
いくジャンル)の『森の落日』なども好きな作品だ。普段は、
絵画にほとんど興味がない。だが、たまに見に行くといろ
いろ発見があるな。そう思える美術館展だった。

 ・ルーヴル美術館展オフィシャルホームページ
 
   ←読んでいただきありがとうございます!

朝青龍4連覇!

2005-05-22 22:53:27 | スポーツ
 若貴時代はとうに去り、大相撲は人気低迷が続いている。
だが、今こそ私たちは国技に目を向けるべきだ。なぜなら、
大相撲史上1、2を争う「最強横綱」が土俵にいるからだ。

 第68代横綱・朝青龍明徳(本名:ドルゴルスレン・ダグ
ワドルジ )は1980年9月27日にモンゴルで生まれた。99年
1月に初土俵を踏み、丸2年で幕内に昇進した。初優勝は、
2002年11月場所だった。この時の横綱・大関の成績は次の
通りである。

 東横綱 武蔵丸 4勝2敗9休  西横綱 貴乃花 全休
 東大関 魁皇 2勝2敗11休  西大関 千代大海 6勝3敗6休
 東大関 朝青龍 14勝1敗  西大関 武双山 10勝5敗
 東大関 栃東 8勝7敗 


 まさに「上位陣総崩れ」である。2横綱5大関と人材豊富にも
かかわらず、千秋楽まで土俵に上がったのは3人だけ。実に情け
ない。これでは「相撲離れ」が進むのも当然だ。そんな中、朝
青龍は出世街道を駆け上っていく。翌2003年は6場所中3場所を
制す。2004年は4連覇を含む5度の優勝。今年は、1、3、5月の
全ての場所で賜杯を手にしている。ちなみに、昨年の九州(11
月)場所から2度目の4連覇中だ。確かに、周りの力士がふがい
ない。けれども、ここまで圧倒的な強さを誇る横綱は過去に数
人しかいない。

 双葉山、大鵬、北の湖、千代の富士、貴乃花が私の「BIG5」
である。ここでは、後ろの2人と朝青龍を比較する。千代の富士
は大器晩成型の力士だった。初優勝は25歳のときで、30歳を過ぎ
てからの優勝が18回もあった。通算1000勝、九州場所8連覇、53連
勝(歴代2位)、優勝回数31回(歴代2位)など数々の記録を打ちた
て、国民栄誉賞にも輝いた。特に昭和の最後の3年間(61~63年)
は18場所中12場所を制し、全盛期だった。

 貴乃花は最年少記録を次々に塗り替えていったが、晩年はケガ
に苦しんだ。一時は大鵬の最多優勝回数32回を抜くのではと期待
されたが、22回でストップした。90年代前半に、兄の若乃花とと
もに「若貴ブーム」を起こしたことは記憶に新しい。20代前半か
ら中盤が最盛期だった。

 24歳の朝青龍はすでに、12回優勝を飾っている。この人のすご
さは「慢心のなさ」だと思う。4度の全勝優勝という記録にも表れ
ている。たとえ、14日目で優勝が決まっても決して気を緩めない。
ひたむきさは抜きん出ている。もっとも、以前は「素行不良」が
取りざたされたことがあった。「生意気だ」「なぜ、懸賞を右手
で取らないのか」など難癖をつけられた。昭和の大横綱・大鵬は
「地位が人を育てるもの。温かく見守ってほしい」と語った。その
言葉どおり現在の朝青龍は表情も穏やかで、風格も出てきた。いつ
からか懸賞も右手で受けるようになった。年齢を重ねれば重ねる
ほどストイックになる。こういった力士を相手にするのは、容易
なことではないだろう。今の心構えを忘れなければ、朝青龍の天
下はまだまだ続くに違いない。今年に入って44勝1敗。「生きる伝
説」が目の前にいるのだ。リアルタイムで見られることを私は嬉
しく思う。
  

【参照】
goo大相撲 

     ←今日もありがとうございます!

 

「天職」にもいろいろある

2005-05-21 00:00:00 | 社会
 職業人口という統計があったら、この人たちは最下位を
争うのだろう。でも、ロマンがあっていいじゃないか。秋
山真志著『職業外伝』(ポプラ社)を読んで、「達人の生
き方」に感銘を受けた。

 この本では、12人のエキスパートが紹介されている。飴
細工師、へび屋、街頭紙芝居師、彫師、真剣師…。いずれ
も絶滅寸前の職業だ。その中で今回は、俗曲師を取り上げ
る。

 桧山うめ吉。この名前を聞いて、女性と分かる人はどれ
くらいいるのだろうか。私はまんまと引っ掛かった。著者
によると、俗曲師とは「日本庶民の伝統的な歌舞伎音曲を
三味線をつま弾きながら唄い、時には踊る、エンターテイ
ナー」
だという。うめ吉は数少ない若手女性俗曲師だ。

 「上京してひょんなことから友達と新橋の芸者衆の“東を
 どり”(*)を見たんですね。私はいままで洋モノばかりやっ
 ていて、初めて日本の伝統的な踊り、芝居、音曲の世界
 を目の当たりにして、あまりのカルチャーショックに驚
 きました」


 ひょんなことから“東をどり”を見にいくところがすごい。
その後、「芸者になりたい」と思い、実際になってしまうのだ
からさらにすごい。長唄、清元、端唄、鳴り物(太鼓)など、
お囃子(はやし)に必要な技能をみっちり教え込まれた。飲み
込みが早く、どんどん上達していったという。お囃子となって
から5年後、うめ吉は俗曲師になる。文章で書けば一行だが、
5年という期間は短いようで長い。しっかり下積みをしてきた
証拠だ。だから、ちょっとのことではへこたれない。本物の
においがする。よほど意志の強い人なのだろう。 

 「世界に羽ばたく、俗曲師、唄って踊れる三味線弾きを
 目指しています。(…)私の唄や踊りで、日本ってこういう
 良さがあったんだとお客さんに少しでも“なごみ”を感じて
 いただくことができたら、こんなにうれしいことはありませ
 ん」


 うめ吉はこう語る。全国に10人ほどしかいないという俗曲師
だから、今後も引っ張りだこだろう。日本の伝統文化を守りつ
つ、客を魅了する。いい職業ではないか。うめ吉ははじめ、バ
レリーナと看護師が夢だったという。だが、ならなくてよかっ
たと思う。「人数が極端に少なく、誇りをもてる仕事」に就け
るのは幸せではないだろうか。桧山うめ吉はこれから長きにわ
たって、色物として活躍するに違いない。まずは一度、寄席で
生の芸を堪能したい。

(*)大正14年、新橋の芸妓たちが京都の“都をどり”に倣って
はじめた舞踊。

   ←今日もありがとうございます!

 

御法川法男

2005-05-19 21:19:49 | エトセトラ
 アノ男が朝の時間帯に進出してから2ヵ月近くになる。
今回は、高額納税者常連(*)の彼が始めた“ニュース
ショー”を取り上げてみたい。

 TBSはこの春、大きな改編を行った。「朝・みの、昼・
めぐ、夕・三雲」をキャッチフレーズにワイド番組を一新
した。昼は恵俊彰司会の『きょう発プラス!』、夕方は三
雲孝江がメインの『イブニング・ファイブ』、そして朝が
『みのもんたの朝ズバッ!』(毎週月~金、朝5:30~
8:30)だ。

 「いや、どうもみなさんおはようございます。5月19日
 木曜日の『朝ズバッ!』の時間がやってまいりました」


 毎日、このような感じではじまる。みのは、「60歳の青
春と思い…」と語っていたが、まさに謳歌(おうか)して
いるようだ。普通、朝の5時半からハイテンションにはなれ
ない。おそらく、3時半とか4時には局入りしているだろう。
還暦を迎えた人が働く時間帯ではない。それでも、新たな
帯番組(月曜から金曜まで毎日放送するもの)を始めたの
には、それなりの理由があると思う。

 最たるは、同年齢の久米宏(1967年TBS入社)の存在だ。
久米は85年10月から18年半にわたり、『ニュースステーショ
ン』のメインキャスターを務めた。番組の評価はさまざま
あるが、ニュース番組に「革命」を起こしたことは間違
いなかった。キャスターが私情をはさむ、軽いノリ、わか
りやすく伝える―。これらは、久米が元祖といっていいだ
ろう。そんな同期をみのもんた(1967年文化放送入社)は
常に意識していた。だが、『おもいッきりテレビ』(日本
テレビ系)以外は長らく、ヒット番組に恵まれなかった。
50代半ばになってからやっとブレイク。その頃から「久米
君のようなニュース番組をやりたい」と公言するようにな
った。久米の「Nステ」が終了する際は、「20年はやって
ほしかった」と残念がった。名実ともに日本を代表する司
会者になったみのは、『みのもんたのサタデーずばッと』
(TBS系)で報道への足がかりをつかみ、『朝ズバッ!』
で念願を達成した。

 それだけに、報道への思い入れは強いようだ。5時55分
から始まる「朝刊ざっと見!」もその一つだ。一般紙6紙
(朝日、毎日、読売、産経、日経、東京)とスポーツ紙6紙
(ニッカン、スポニチ、報知、サンスポ、デイリー、トー
チュウ)の1面がボードにのせられる。それをみのが、し
たり顔で“解説”するコーナーである。

 「毎日新聞の方では、1面は、幽霊会社で再契約して
 いる元社員が暗躍したのではないか、顧客名簿という
 個人情報の問題が来ているんですが…」


 文字に起こしてみると、何のことだかさっぱりわからない。
理由は「見出しをつなげて読んでいるだけだから」だ。だい
たい、12紙をたった4分あまりでチェックするというのが乱暴
である。結局、「みのが新聞1面を料理する」という場面を視
聴者に見せたいだけではないのか。見出しを読み上げる姿は、
自分に酔っている中年男にしかみえない。

 『朝ズバッ!』はみのにとって、自分のためにやっている
番組なのだろう。もしかしたら、番組が始まった時点で目標が
達成したのかもしれない。いつまで続くかはわからない。「あ
んな脂ぎった顔を早朝から見たくない」との声も多いだろう。
一ついえるのは、どの番組よりも「言いたい放題やりたい放題」
ということだ。

 
* ◆県内の高額納税者トップ10◆
  順位   氏名      住所   納税額(円)
  6   御法川法男   逗子市  2億101万
      (みのもんた)  
 (『朝日新聞』2005年5月17日朝刊「第2神奈川」面より抜粋)

  ←いつもありがとうございます!

時事雑感 「岡田代表就任1年」

2005-05-18 23:15:49 | 政治
 民主党の岡田克也氏が代表に就任して、今日で1年にな
る。今回は、民主党のこの1年を振り返ってみる。

 思えば1年前、国会は年金未納問題で揺れていた。閣僚
にも飛び火し、福田康夫官房長官(当時)の辞任にまで
発展した。民主党も大きなダメージを受けた。中川昭一・
麻生太郎・石破茂の3議員を「未納三兄弟」と揶揄してい
た菅直人代表(当時)自身の未納が発覚する。「菅、お前
もか」という空気が流れる中、進退問題で突っぱねた。結
局、退いたものの後味の悪さが残った。その「火中の栗」
を拾ったのが岡田氏だった。

 最初に、手腕を試されたのが7月の参院選だった。自民
党を上回る50議席を獲得し、比例区では第1党となった。
上々の滑り出しである。小泉純一郎首相の「人生いろいろ」
発言があった頃だ。岡田代表の生真面目さが新鮮に映った
のかもしれない。だが、それも長続きはしなかった。小沢
一郎氏を副代表に据えるなど、党内融和をはかるもうまく
いかない。最近は公然と党首批判が聞かれるようになった。
なぜか。

 岡田代表のリーダーシップが欠如している点に尽きる
のではないか。「私は日本をこうしたいんだ」という姿が
見えない。いい悪いはべつとして小泉首相には郵政民営化
という「改革の本丸」がある。岡田代表にはそれがない。
ある時の党首討論でのことだ。岡田氏は「自民党内の問題
だから」との理由で郵政民営化問題をとりあげなかった。
ところが、党内から反発の声が出た。すると一転、次の回
では攻勢に出た。攻めるのか無視するのか。方針も決めら
れないのが民主党の現状なのだ。もともと、郵政民営化論
者だった岡田代表は、小泉政権との「色」の違いを出すた
めに反対に回るというのは納得できないのではないか。自
分を殺してでも党をまとめていくのか、自分の主張を出し
て党を引っ張っていくのか。小泉首相は後者だが、岡田代
表はどうか。どっちつかずでは民主党は沈没する。「政権
準備党」(岡田氏)の資格などないだろう。

 現在、民主党が国会で蚊帳の外に置かれているようにみ
えるのはなぜか。小泉首相の「演出」にはまっているから
だと思う。郵政政局で「小泉VS.郵政族」の対立構図を国民
に示し、「小泉は四面楚歌の中で闘っている」とのイメー
ジを植えつける。それは、最近になって再び上昇し始めた
支持率にも表れている。まだ、この手は通用するのだ。で
は、岡田代表は次の衆院選まで何をすべきか。

 原点に戻り、徹底的に小泉首相との違いを出すべきでは
ないか。実直で生真面目という点を前面に出す。「政治は
パフォーマンスじゃない」ということを国民に真摯に訴え
る。小泉政権が米国にベッタリなら、民主党はアジア重視
政策をとる。こちらに政権がくれば必ず、日中・日韓関係
は良好になる。こうした大胆さが必要ではないか。もしか
したらやっているのかもしれないが、私には自民、民主の
カラーの違いが見えてこない。とにかく、国民に対立軸を
示し、「選択してもらう」選挙にすることが不可欠だ。
それができなければ、次回も、国民の半数近くが投票に行
かない“国政選挙”が実施されるだろう。民主党がどこまで
やれるのか。岡田代表のリーダーシップに期待したい。

≪参考≫
・『読売新聞』2005年5月17日朝刊
・『朝日新聞』2005年5月18日朝刊
・『毎日新聞』2005年5月18日朝刊

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時事雑感 「NPTで核を抑止できるのか」

2005-05-17 22:22:18 | 政治
 北朝鮮が核保有を宣言し、世界に揺さぶりをかけている。
核に関する世界的な枠組みといえば核拡散防止条約(NPT)
が知られている。ところが、この条約はどこかいびつなの
だ。緊迫した世界情勢の中、はたして機能しているのだろ
うか。

 NPTに加盟しているのは現在、189カ国である。その中
で、アメリカ合衆国、ロシア、イギリス、フランス、中国
の5カ国は核を保有している。「核兵器を減らす努力は必要
だが、保有は認める」という特権階級だ。一方、日本を含め
た184カ国は核兵器保有を認められていない。原子力エネル
ギーの平和利用は認められているものの、第三者の調査を
受け入れる義務が課されている。核兵器の開発に転用しよう
としていないかみるためだ。不公平ではないか。米露英仏中
は、国連安保理常任理事国と同じ顔ぶれである。拒否権を持
ち、核兵器も保有する。「ないないづくし」の日本からみれ
ば、脅威以外の何者でもない。

 第一、NPTが発効されたのは1970年のことだ。35年も経
てば世界情勢は大きく変わる。北朝鮮の核開発もその一例だ。
けれども、核兵器を「持つ国」と「持たない国」という構図
は変わらない。既得権を守るという意味では、政治家も国家
も一緒なのか。「うちは減らす努力はするよ。君らは持っちゃ
ダメだよ」というのは、虫がよすぎる。ロシアは1985年ごろ
をピークに、核兵器保有数を減らしている。現在は、10000基
あまりだ。アメリカは90年ごろまでは削減努力をしていたが、
その後は横ばいだ。しかも、今のブッシュ政権は核軍縮に消
極的である。「自分のところを棚に上げて」と批判されても
致し方ない。

 加盟国間の「格差」とともに問題なのが、未加盟核保有国だ。
インド、パキスタン、イスラエル、イラン、北朝鮮(03年NPT脱
退)などがあたる。中でも北朝鮮は、核を「外交カード」に利用
している。冷静に考えれば、とんでもない国である。だが、核保
有国のアメリカが交渉にあたっても説得力がない。「そっち(米国)
が攻撃しないといえば、核開発はやめる」「そちら(北朝鮮)が
核開発をやめれば、攻撃しない」の応酬では埒が明かない。もっと
建設的な議論はできないのだろうか。もう一点、小泉純一郎首相
が二度も平壌を訪問したのに、なぜ日本の発言力は弱いのか。北
朝鮮の核やミサイルで実害を被る可能性が高いのは、韓国であり、
日本だ。なんとも歯がゆい。

 各国の思惑が交錯するNPT体制。本当に今の枠組みでいいのか。
問題点を洗い出し、再検討してもらいたい。


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自助努力の時代

2005-05-16 23:40:47 | 経済
 税金を払えば国から見返りがある。この当たり前のこ
とが、当たり前でなくなる時代が来るかもしれない。そ
の時、求められるものは何か。自助努力である。

 医療費は社会保障の中でも、身近なものだ。2004年度
の医療費は、約32兆円である。厚生労働省の推計では、
年に3~4%ずつ伸び、2025年度には69兆円になるという。
この増加分をどのように賄うのか。本人負担にした場合
の試算は次のようになる。 

☆医療費が増える分を本人負担にしたら…
              (月額、単位は万)
            現在     20年後
70代後半夫婦  1.4(13.1)   9.1(22.2)
50代夫婦     1.23(4.1)   3.3(5.1)
30代夫婦     0.57(1.9)   1.5(2.4)

※1 試算は、税と保険料の負担を国民総生産の伸びの範
 囲に抑え、残りは窓口負担で賄った場合を前提にした。
※2 カッコ内の数字は医療費
           (『朝日新聞』2005年5月15日朝刊)

 医療費全体のうち、本人負担の占める割合を並べてみる。
70代後半夫婦では10.7%→41.0%、50代夫婦では30%→
64.7%
、30代夫婦では30%→62.5%となる。70代後半で4
割、現役世代では6割負担だ。これでは、おちおち病院にも
いけない。自己負担が増えれば病院が「高齢者の溜まり場」
でなくなるという見方もできる。なぜなら、「平均的な年金
収入の4割近くを医療に充てなくてはならない計算」(『朝日』
記事)だからだ。暮らしていくには、医療費を抑えなくては
ならない。そう考える家庭も増えるのではないか。

 国に期待するか、自分で努力するか。近い将来、選択を迫
られそうだ。税金を納めているんだから、国が面倒を見るの
が当然だ。こうしたまっとうな意見が通用しなくなるかもし
れない。この国は先行き不安だ。国と地方を合わせた借金
(公債残高)は2005年度末で700兆円を超す見込みで、先進国
では最悪水準である。いざとなっても国は助けてくれない。
ならば、自助努力しかないのか。悲しい消去法だ。

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写真というジャンル

2005-05-15 23:03:36 | エトセトラ
 戦時中は、国策により「事実」はいくらでも歪められる。
日本新聞博物館の企画展『戦後60年 写真が伝えた戦争』
(日本新聞博物館、社団法人共同通信社主催)を見て、そ
の思いを強くした。
 
 今回の企画展は、共同通信社がデーリー・ニューズ社(ニュ
ーヨーク)より入手した約2万9000点にのぼる戦争報道写真の
コレクションのうち、約200点を展示したものである。日中戦
争、太平洋戦争、朝鮮戦争の3つのセクションに分かれていた。
私の印象に残ったものをいくつか挙げる。

 「WARS!JAPS BOMB U.S.BASES」。1941年12月8日の『ロ
サンゼルス・タイムズ・エクストラ』の1面見出しである。「真
珠湾攻撃」を報じたものだ。「JAP」と書いているあたりから憎
しみが伝わってくる。この号外は、事件が起きてから記事になる
までタイムラグがない。しかし、アメリカ合衆国は太平洋戦争の
序盤では真相を隠すケースが多かった。キャプションには次のよ
うにあった。

 「太平洋戦争でも、当初日本軍が有利な時期の日本側の発
 表は大筋において正確である。むしろアメリカ側が真相を秘匿
 しているケースが目立つ」


 「炎上する戦艦ウエスト・バージニア」などは典型例だ。ウエ
スト・バージニアは日本の奇襲で炎上した戦艦である。開戦直後
に攻撃されたが、新聞に公表されたのは1942年12月6日。真珠湾
攻撃からほぼ1年後である。この頃には、アメリカは態勢を整え、
日本は劣勢になっていた。勝算が見込めるまでは、マイナス情報
は流さない―。当時の政府の目論見が見え隠れする。この点では
日本も多分にもれない。1942年6月のミッドウェー海戦ごろから
形勢が逆転する。「鬼畜米英」のもと、誇大発表、秘匿が増える。
新聞などのメディアは完全に「政府広報紙」と化した。次に、1枚
の写真をめぐり、国によって解釈が全く違う例を紹介する。

 プレス・ユニオン・フォト・サービス(PUP)は、上海の共同租
界内に事務所を構え、外国の通信社や新聞社に向けて写真を配信
することで、日本の対外宣伝活動に従事した組織だ。ここに「破
壊された上海中心部」という写真がある。1937年8月、爆弾で破
壊された上海・共同租界のキャセイホテル(現・和平飯店)を写
したものだ。この写真は、PUPから各国に配信された。読売新聞
号外(1937年8月18日付)では、「非戦闘員の邦人に死傷者を出
した中国の空爆」と紹介している。一方、デーリー・ニューズの
掲載紙では「日本軍の爆撃」となっている。全く逆だ。このよう
にそれぞれの国策により「事実」は歪められていった。

 パンフレットには、「1枚の戦争写真が戦争そのものの展開に
影響を与えた例もありました」と書いてある。今でも通用するの
だろうか。テレビやネットの発達で映像メディア全盛の時代だ。
写真はどのように存在感を示していくのか。写真メディアの行く
末を考える意味でも、有意義な企画展だと思う。

  ・日本新聞博物館

   ←読んでいただきありがとうございます!