会員コラム

会員さんのコラムをつづっております(^^)

「知恩報恩」  小牧由章会員

2006-09-26 13:10:48 | Weblog
「弱き者は悲しいかな敗者としてこの世から葬り去られるのか」決して人を殺して云々という物騒な話ではないが、G党ならなるほどとうなずける話である。
気比高出身の内海投手が今年ようやく花が開けてきたのに、現在のG軍は周知の通りである。テレビ中継が、視聴率が取れないから離れていった。
悲しいかな弱者は葬り去られたのである。
その点、T軍は素晴らしい、弱いときでも深い愛情で支えている。
苦しいときに人から助けてもらえば、その恩を決して忘れずに恩に報いることをしなければファンとしても見離してしまう。
T軍は実にうまいタイミングで恩に報いている。
私も深い愛情で支えてみよう・・・。

無題  宇野美和会員

2006-09-26 10:53:45 | Weblog
うちの庭園は割と広くて結構古い。その庭園を先日、大勢の人と共に掃除した。
もちろん伸びすぎた枝の剪定や下草刈りなども行ったが、その量が半端でなくあとの始末がそれはそれは大変であった。
普段はあまり目に止まらない場所に思わぬ雑草が繁茂していたり、しばらく手入れしていなかった笹が想像以上に増殖しすぎていたりと、ここ十年ほど忙しさにかまけて放っておいたツケがきっちり回ってきたためだ。
しかし植木や造園についての知識がほとんどない素人ながら、久しぶりに結構楽しく心地よい汗を流すことができた。
これほど丁寧に雑草を取り払ったのは何十年かぶりである。すると、これまで埋もれていた立派な石組みがあちらこちらから現れて、石ひとつひとつに込められた昔の人の思いと共に、庭自体が持つ泰然とした本来の風格が蘇ったように感じられた。
経済至上主義にて激しく迷走する今の日本、「自然に感謝してものを大切にする心」や「たすけあい」「親孝行」など古くから日本人が培ってきたとても大切なものが、何の考えもなくどんどん捨て去られていくように感じる。
大変な事態に陥る前に、一度自分の生活観を見直し、元に返って先人の思いに触れることが大切だと強く思う。


ノーブレス・オブリッジ(Noblesse Oblige)  刀根莊兵衛会員

2006-09-14 15:53:35 | Weblog
ノーブレス・オブリッジ(優者の責任)と言う言葉がある。辞書を調べると、高い身分に伴う道義上の義務とある。力や富、地位をもつ者は、それを持たない弱者を救う責任を果たしてこそ『選ばれた者』として賞賛され、矜持(きょうじ、自分の力を信じていだく誇り)つまり自信とプライドをもてるという意味だそうだ。尊敬する西村二郎PDG(京都南RC)は『ロータリアンはエリートでなければならない、そして誇りを持って行動しなければならない』と言われた。まさに、ノーブレス・オブリッジということを言われているのではないだろうか。戦後、日本の教育は極端な結果平等主義に陥り、『みんなとおなじ』、『普通並』という生き方が最上の人間の基準として教え込まれてきた。そしてこの偏った教育のために、社会の指導者たる人間においてさえも、『選ばれた者』としての自覚を持ち、そしてその責任を果たそうとする考えが欠落してしまったようである。昨今、バブルが崩壊し、勝ち組・負け組み、上流社会・下流社会などと言う言葉が流行語となっているが、このような格差社会を生み出す背景になったのも、逆に、戦後の平等教育の結果かもしれない。弱者は、みんな平等なのだから、いつか誰かが救ってくれると考え、期待し続けている。しかし、『選ばれた者』の意識のない社会では、弱者を救うシステムや人はなく、弱者はいつまでも取り残されていくのではないだろうか。日本も昔の『おしん』の時代には、確かに貧富の差はあったが、格差などと言う言葉はなかった。と言うより、そのような実感はなかったのではないだろうか。
たとえ、その時は貧しくても、懸命に努力し、真面目に働けば、いつもその先に希望の光が見えることを信じられる時代であったのだ。現在の日本は、人々の将来への不安と絶望感で満ち溢れているように思う。ロータリアンは今こそ、日本人の希望と夢を呼び起こすエリートとして、ノーブレス・オブリッジを果たさなければならないと思われる。そして、ロータリアンは自覚を持って、誇りを持って社会に模範を示すことが必要ではないだろうか。

国民性ジョーク 吉川文雄会員

2006-09-14 15:49:50 | Weblog
ある船に火災が発生した。船長は、乗客をスムーズに飛び込ませるために、
イギリス人には「紳士はこういうときに飛び込むものです」
ドイツ人には「規則では海に飛び込むことになっています」
イタリア人には「さっき美女が飛び込みました」
アメリカ人には「海に飛び込んだらヒーローになれますよ」
ロシア人には「ウオッカのビンが流されてしまいました。
今追えば間に合います」
フランス人には「海に飛び込まないで下さい」
日本人には「みんなもう飛び込みましたよ」
中国人には「おいしそうな魚が泳いでいますよ」
北朝鮮人には「今が亡命のチャンスですよ」
韓国人には「・・・」
いろんな国の国民性をうまくジョークにしているように思えて楽しいのは私だけだろうか。

ロータリーソングについて 山内正樹会員

2006-09-14 15:47:54 | Weblog
私が敦賀RCに入会してよかったと思っている事のひとつは、毎週大きな声で皆様と歌が歌えることです。子供の頃から校歌や合唱コンクールをはじめ、賛美歌であれ御詠歌であれ場所と種類を問わず声を響かせ合える事が大好きで、日常業務のストレスを発散する方法の一つとして必要不可欠なリフレッシュ作用をもたらしてくれています。ロータリーソングで感激したのは、2004年9月に地区大会登録勧奨PRで加藤智二会員と訪れた野洲RC(例会:ラフォーレ琵琶湖 B1F)で、ビジターを歓迎する際に歌うという15周年記念・会員作詞による「野洲ロータリークラブの歌」でした。またビジターは会長らのテーブル席に迎えられ、会長から直に15周年記念ソング作成についての談話をお聞きし、アットホームな歓迎のムードと格調高く垢抜けたクラブの印象が同時に高められたのを覚えています。50周年という記念すべき新年度を迎え、ロータリーソングのレパートリー拡張と記念ソング募集が始まりました。伴奏をつとめる高橋さんの声の響きの美しさにも感動しながら、多くの方々の創意あふれる楽しい歌詞を集約した素晴らしい50周年記念ソングを歌える日を今から心待ちにしています。