29日、昭和の日。そして杖ヶ薮では御影供の日。
この日はむらの4か所のお大師様と龍福寺でお供えをしてお参りする。
むら人、元むら人、親類縁者がそのうちのいくつかのお大師様を参るが、
私は朝から、深田和、河合橋、お墓の横、谷の井そして龍福寺と全部のお大師様を廻った。
深田和には朝10時半むら人一人、元むら人二人、そして私がお参りに。
丹生神社から山道を20分さらに登っていく。
たどりついたお大師様は薄黄色の毛糸の帽子をかぶっておられた。
京子さんからのお供えの巻きずしがお弁当だ。
午後1時河合橋へは車で。ここからはむら人、元むら人らが十二、三人お参り。
むらへ向かって、途中のお墓横のお大師様にお参りする。
そして、むらの水を守っておられる谷の井のお大師様。
そこには、むらの三人のおばちゃんと最長老のおっちゃんが、
温かい太陽の光の下、ござを引きお供えも整えて私たちの到着を待っておられた。
ここで初めて全員そろってお参りし、最後は龍福寺でお参りの後お餅まき。
お茶やお酒の楽しい交流会。
このむらへ移り住んで9カ月。
むらを出られた後も行事に関っておられる方たちと、何度かお顔を会わせてきた。
そしてようやく、大家のMさん、Oさん、Kさん、Hさんそして区長さんと
一つのテーブルをはさんで、お酒やお茶を酌み交わし話を交わすことができた。
「杖ヶ薮はほんまに南斜面のいい土地や」
から始まり、山の話、豪勢だったころの話etcの自慢話、そして…
「杖ヶ薮は残さんとあかん」
お大師様の前で、このむらへの愛を確認しあった心にしみる、いい時間だった。
このむらの中で、自立して生きること、伝統を守ることに専念する住民
むらの外から、側面支援の継続と、次世代へのパイプ役の元住民
むらの中と外を結び、都会との接点を慎重に広げるむらづくり支援員
この役割分担がぼんやりとだが見えてきたように思う。
この日はむらの4か所のお大師様と龍福寺でお供えをしてお参りする。
むら人、元むら人、親類縁者がそのうちのいくつかのお大師様を参るが、
私は朝から、深田和、河合橋、お墓の横、谷の井そして龍福寺と全部のお大師様を廻った。
深田和には朝10時半むら人一人、元むら人二人、そして私がお参りに。
丹生神社から山道を20分さらに登っていく。
たどりついたお大師様は薄黄色の毛糸の帽子をかぶっておられた。
京子さんからのお供えの巻きずしがお弁当だ。
午後1時河合橋へは車で。ここからはむら人、元むら人らが十二、三人お参り。
むらへ向かって、途中のお墓横のお大師様にお参りする。
そして、むらの水を守っておられる谷の井のお大師様。
そこには、むらの三人のおばちゃんと最長老のおっちゃんが、
温かい太陽の光の下、ござを引きお供えも整えて私たちの到着を待っておられた。
ここで初めて全員そろってお参りし、最後は龍福寺でお参りの後お餅まき。
お茶やお酒の楽しい交流会。
このむらへ移り住んで9カ月。
むらを出られた後も行事に関っておられる方たちと、何度かお顔を会わせてきた。
そしてようやく、大家のMさん、Oさん、Kさん、Hさんそして区長さんと
一つのテーブルをはさんで、お酒やお茶を酌み交わし話を交わすことができた。
「杖ヶ薮はほんまに南斜面のいい土地や」
から始まり、山の話、豪勢だったころの話etcの自慢話、そして…
「杖ヶ薮は残さんとあかん」
お大師様の前で、このむらへの愛を確認しあった心にしみる、いい時間だった。
このむらの中で、自立して生きること、伝統を守ることに専念する住民
むらの外から、側面支援の継続と、次世代へのパイプ役の元住民
むらの中と外を結び、都会との接点を慎重に広げるむらづくり支援員
この役割分担がぼんやりとだが見えてきたように思う。