Chanterai por mon corage 

(私の心のために歌いましょう)

Kalenda maia

2008年05月31日 05時08分01秒 | ひとりごと・コラム
今日は夏の録音の打ち合わせにエンリケ宅のあるアムステルダムへ行く。
久しぶりのアムステルダム・・、といっても娘の日本人学校で先週も来ているのだが、学校は市のはずれ近くにあるので、あまりアムスに出たという気がしない。でもきょうはちゃんと中央駅で降りて街並みを歩く。アムステルダムのヨルダン地区は本当に美しい。新緑のまぶしさが運河の水に反射しているのか、よけいに緑が光り輝いているようだった。夫と私の夢はいつかアムステルダムに住むこと。あ~、かなうのかなこの夢。

エンリケに歌う曲をいろいろと説明。彼には私の大好きな歌ばかり歌わせてしまう。ヴァケイラスのKalenda Maiaもそのひとつ。私はこの曲が大好きだが、これは人前では絶対に歌わないと決めている大切な曲。写本ではこの歌の前にこの歌に関する長い説明がつけられている(作品に関する説明の事をRasoという。)。そのRasoを読んだ限りではこの歌は絶対に男性が歌うのでなければ・・・という気がしてならない。というのはそのRasoではいわゆる男としてのトルバドゥールのメンツなるものが語られていると思うのだ。騎士ヴァケイラスのプライドが公の面前でひどく傷つけられ、怒った彼は吟遊詩人でありながらも歌うことを拒否する。自分の領主である伯爵やその他の身分の高い人たちが頼んでも彼は黙っているだけである。しかし仕舞いには伯爵の妹である貴婦人が、ヴァケイラスに懇願する。すると凍った氷が少しずつ融けるかのように、彼の頑なな自尊心にやわらかさが戻る。この瞬間に歌われるのがKalenda maiaなのである。状況を思い浮かべると涙が出てきそうなほどである。
今度Rasoを訳して載せますね。

5月がもうすぐおしまいなので急遽Kalenda maiaのお話にしました。

旅行記も早く書かなきゃ。

明日は古楽祭で有名なユトレヒトという町でコンサート。日本と同じプログラムです。



東京最後の日

2008年05月27日 22時09分52秒 | ひとりごと・コラム
東京の最後の日は待ちに待ったフリーデー。
観光の前に修道院でK新聞の取材があった。とても誠実そうな記者のA村さんと歓談。でもほとんど夫ばかりが喋っていて(彼は話し出すと止まらないので)、あまり興味深い記事になってくるのかどうか心配。新聞はいつ出るんでしょう。
JRと地下鉄で浅草、その後に皇居へと行く。
丸の内のあたりは本当にモダンで綺麗になった。気持ちよく整頓されていて、その向かいの皇居とは現代と昔の狭間がとてもすっきりと収められている感じがして、なんの違和感も無かった。地下鉄や電車では日本人ばかりなのに、浅草、皇居になると突然周りが外国の旅行客ばかりだった。
日本橋の小さなおすし屋さんでランチメニューの握りずしセットを食べる。お吸い物がついて600円。とんでもなく安い。味はとびきりうまいというわけではなかったが、ボリュームたっぷりだった。

晩に琵琶奏者の知人、Sさんにお伺いする。今回は主人を伴っての旅行なので、琵琶を見せてくださるとの事。夫はとても楽しみにしていた。
琵琶を実際に触らせても頂いた。結構重い。夫も弦を真剣に弾いていた。でもSさんが弾くとちゃんと琵琶なのに、同じ楽器でも夫が弾くとリュートみたいになってしまう。面白い事だ。音に対する姿勢がちがうのであろう。
Sさんより琵琶の事や東洋音楽の歴史のお話を伺う。雅楽の旋法(律)の定義は私がその前の日にやった教会旋法とその哲学が非常に相容れるところがありとても興味深かった。雅楽の音律もそれぞれの旋法がやはり自然の元素を支配しており、人の内臓も示している。まったく教会旋法と同じだ。ああ、そういえば、私が講義したときは時間が無くて人の内蔵の話まで話が回らなかった。ごめんなさい。

古代の西洋の人も東洋の人も音の中に宇宙を求めていたのは明白である。
旋法が人間の感情、身体を支配し、そして人の周りを取り囲む、自然や宇宙も包括する。まさに私たちには計り知れない大きなものの存在を提示しているのである。
今度時間があるときに雅楽の本も読んでみたい。

最後は皆で阿佐ヶ谷駅の近くの美味しいお蕎麦屋さんで食事。どのお料理も素晴らしく美味しかった。



中世音楽講座

2008年05月26日 00時47分38秒 | ひとりごと・コラム
器楽レッスンの翌日は市谷の援助修道会の大教室にて、グレゴリオ聖歌とアンサンブルのセミナーだった。

こちらの方はたくさんの人が来てくれた。
私の大学時代の恩師である鈴木先生も来られて、私の講座を受けてくださった。なんか変な感じ。
中世音楽における教会旋法を理論的に出なく、もっと感覚を使用して体験する事を実施。本当はこの講座だけで1日もしくは午後全部を使いたかったくらいだったが、2時間という中で急いで要点だけ通過したという感じ。しかしながら多くの人たちより、なかなか体験できなかった事をさせていただいたというお言葉をたくさん頂いた。
ほんの少ししかできなかったものの、これを機会に多くの人のグレゴリアンに対する取り組み方が少しでも変わってくれれば良いと思う。

その後は13世紀の宗教歌ラウダを歌と器楽でアンサンブル。
この講座のために受講者、聴講者を分けて募集していたのだが、結局器楽以外の人たちは皆歌にまわってもらうことにしてしまった。人数が多いのは構わないが、歌の人たちの中で大きくレベルが分かれてしまったのは事実だ。中にはラウダやイタリア語で歌を歌ったことの無い人たちも何人かおられたに違いない。そう人たちも経験者と一緒にしてしまったのは、結果的にミスだったと思う。またラウダが未だに中世音楽の中でも未踏の部分に近いものがあるので、こういう一般向けの講座ではカンティガとかモンセラートの朱い本のようなお馴染みのものを取り上げても良かったかもしれない。
しかしながら基本的にはラウダもカンティガもトルバドゥールも音楽の作り方は同じ基点、すなわち言葉-から始めなくてはいけない。そういう意味ではややこしい古ガリシア語のカンティガやオック語のトルバドゥールよりはイタリア語の方が入っていき易いのは確かである。
講座中とにかく歌詞を読んで、読んで、読みまくったという感じ。歌を習う事を期待してこられた方にはがっかりだった事だろう。
人数が多かったためにいっせいに読むリズムもまとまりが悪くなってしまった嫌いはあった。また最初は器楽の人たちまでも歌詞を読むことを強制していたので、器楽での受講生にもあまり面白いものではなかっただろう。

セミナーが終わったあとでくたくたになったというご感想を何人もの方から頂いた。こんなに頭と感覚を使うのは久しぶりという意見も。
でも、みなさんそれだけ大変な思いしないとダメなんです。歌詞もイタリア人が読むようなリズムや抑揚に近づけるようにがんばってください。そこから自分たちがだしたい音を見つけてください。

つたない教授法でありましたが、みなさんがんばってついて来てくださりありがとうございました。
またいつかお会いできる事があれば、また一緒にお勉強しましょう。

なんだか

2008年05月24日 01時47分41秒 | ひとりごと・コラム
帰ってから数日たって時差ぼけが出てきたような。おとといより、昼から夕方にかけて物凄く眠くなる。ちょうどいろんな用事ができる時間なのに、そんな時に眠くなっては困るのだ。

気がついたらレコーディングまで6週間あまりしかない。
エンリケ君に電話して来週譜読みのアポを取る。
マリア賛歌をいろいろ選んでいるが、コワンシィの曲をどれにするかで迷っている。Royne celestreは前から歌いたかった曲。おなじみEntendez tuitも捨てがたい。
Rosa das rosasは私にはとても難しい歌なので、この曲に慣れてるエンリケにやってもらうつもり。

東京では中世音楽講座もやった。最初は内輪でちょっとのつもりが、ネットなどに広告を出したらたくさんの申し込みが入った。
講座は2日に分けて、初日は器楽のみ。2日目はグレゴリオ聖歌、その後アンサンブルでラウダというプログラムだ。
全体的にレベルというよりも、本当にやりたい人たちが集まってきてくれた。こんなに多くの人が中世音楽をやりたいのかという事実に、とても言葉では表せない感動が溢れる。
器楽レッスンでは、グレゴリオ聖歌のプローザ、Concordia laetitie,とカンティガのRosa das rosasを。ルネが中世音楽における器楽の扱い方、即興の仕方などを丁寧に教えてくれた。でも私が望んでいた伴奏として歌詞から音を導き出すにはどうしたらよいかという方法はとらなかった。
言葉を知らないのにいきなりそこまで持っていくのは難しいそうである。
中世の時代ではひとつひとつの楽器の個性を見て、その楽器にしかできないよいところを持って音楽に参加する。中世・ルネサンスの時代は現代のギター奏者がバッハのシャコンヌを弾いたり、ピアノ奏者がワーグナーのオケ曲をソロで弾いたりというような、万能の時代ではなかったのである。現代の私たちはオールマイティな考え方、そして高度な技術を持って音楽演奏に接するために、中世音楽の演奏に置いてもやはり同じような考え方で挑む人たちが多い。ルネ曰く、それよりも自分を低くしてできる事だけを素直にやればよいのである。
ルネが即興を始める前の導入部分”Tasta corda”(弦に触る)について話した。音を探りながら自分の楽器や身体の調子を確認する。その中で一番綺麗に弾ける音を探してみる。「ああ、今日はこんないい音が出る。じゃあ今日はこの音をたくさん使おう。」とか考えたりするのだ。また自分のことだけでなく、一緒にアンサンブルする仲間の調子も探ってみる。「あいつ今日は調子悪いじゃん。」「おお、今日はいい音出してるね。」とか、実際に話をしなくても音を通して基本的なそして深いコミュニケーションが図られる。
ちょっと前の日記で余計なセンチメンタルな感情は必要ないとも書いた。このように中世音楽の演奏に先立つ事は、この世に存在するという事に敬意を払う事なのだろう。


東京2

2008年05月22日 22時43分55秒 | ひとりごと・コラム
東京の滞在中は市谷にある援助修道会に宿泊した。
援助修道会は私が通っていた大学にも関係していて、知っているシスターが何人かおられる。母校の元学生部長をされていたシスター・クララ久守にメールを書いて宿泊をお願いしたところOK。
修道院での生活はとても快適だった。都心近くにあるもののとても静か。門限が夜9時半で最初は「あ~、あまり出かけられない」と思っていたが、その後続く長旅のことを考えるとこの時に夜しっかりと休養を取れた事は貴重であったと思う。
夜食事などで外出する時に、シスターに遅くなります、と断わった事もあったが、後は9時半目指して夫ともどもダッシュで帰った。まるで大学時代の寮生がしていたみたいだった。思わず笑ってしまう。

宿泊3日目の夜に修道院でまだお若い素敵なS野神父様の初ミサと長崎へのご赴任を祝うパーティーがあった。シスター・クララから「あなたも何か言いなさいよ」とマイクを渡されて自己紹介。私の後に夫がフランス語でスピーチした。援助修道会はフランスに本部があるので、フランス語を話すシスターが多い。夫がフランス語を話し出すと、何人もの小さなシスターたちは目を見開き、ぱっと顔を輝かせてニコニコしだした。その後S野神父様にご祝儀にモンセラートの朱い本から一曲歌った。この歌は最後にAve Maria gratia plena・・というラテン語の歌詞が出てくるので、そこになるとシスターたちが自発的に一緒に歌ってくれた。さすがエリザベト音大のシスターたちですね、なんて私は誉めた。
それから後が大変。夫は多くのシスターたちの引っ張りだこになる。「ルネさ~ん!!素敵!」みたいなことをフランス語で言って、彼の周りを囲む。夫も機嫌よく対応している。よかったな。でもS野神父様、この晩のメインなのになんか場外・・。
しかしシスターたちはよく食べる。テーブルにあったご馳走はほとんどなくなるほど。デザートの特大ケーキもぺロリ。あるシスターいわく「毎日一生懸命働いているから、これくらい食べていいんです。」
このパーティーでは大学時代の友人でシスターになったシスターKちゃんと再会。20年ぶりかな。
あ~あ、楽しかった。

東京

2008年05月21日 17時48分03秒 | ひとりごと・コラム
初日の東京は暑かったが、空模様はなんとなく怪しかった。夫と共に立川市のロバハウスへ。
カテリーナ古楽合奏団の松本さんと上野さんが温かく迎えてくださった。
東京公演ではお二人との共演がプログラムに入っていたので、そのリハーサルを始める。松本さんの方でハーディ・ガーディやプサルテリウムなどを考えてくださっていた。最初お互いどうしようかみたいに音をいじっていた感じだったが、ルネが突然指揮を取り出した。彼は「はい、あなたはここで入って。この音から始めて。それ以上装飾を入れないで下さい・・。」等、細かい指摘を与えたのでそれにそって音楽を作っていくと、だんだんまとまりが出てきていい感じになった。
前半の最後の曲、セファルディックのBuenas nochesではハーディ・ガーディとプサルテリウム、後半の最後のモンセラートの歌では2台のプサルテリウムを使った。どちらも素敵な雰囲気に包んでくれる楽器編成だったが、私は最後にやった2台のプサルテリウムが特に好きだった。プサルテリウムがハープのようで(原理が同じだから当たり前だが)、優しい音がこの歌をさらに優雅なものにしてくれた。ルネと二人でさらっていたときは、このモンセラートの歌は威勢よくやる事に決めていたのだが、結果的にはとても品のよい音楽になり、私はとても気に入った。

翌日のコンサートでは、雨も上がりとてもよいお天気になって、本当にたくさんの方が来て下さり、70人ほど収容できるスタジオがほぼ満員状態になった。中には千葉、筑波やそしてはるばる名古屋より片道に何時間もかけて来られた方もいらしたそうだ。
前半のカデネトではサンフォニーの低音を弾きながら旋律もやりたかったのだが、室内温度のために旋律のキーの角度がかなり狂ってしまっていたので、途中で旋律を付けるのを中止、結局はドローンだけで歌った。
あまりの緊張のために後半の3つのラルバの旋律が似てるので、時々混乱してしまった。こっちは歌詞しか見てないので、どれがどの曲だかわからなくなってしまう。ああ~、同じような曲を並べるんじゃなかった・・。

今回のプログラムで一番難しかったのが、カンティガ1番からその次のリキエーの歌への移行である。カンティガで聖母の7つのよろこびを高らかにうたった後で、死ぬ前の懺悔とも取れるようなリキエーの歌。盛り上がったエネルギーを、ゼロまたはそれ以下状態にして感情を殺して歌う事は大変だった。旋律も歌詞も綺麗なので、ついつい気持ちが迷ってしまってセンチメンタルになってしまうのだ。

いろいろあったけど、とにかくベストは尽くした。
アンコールはゴティエ・ドゥ・コワンシィの「聖母の奇跡より」AVE・EVAの出てくEntendez tuit ensemble この時が一番ホッとして歌えたかも。

演奏会後に来られたお客様にご挨拶。皆さんが喜んでくださったようで嬉しかった。
自分ではあそこもここもなんてほじくるように悪いところばかりを思い出してしまうので、皆さんのお褒めの言葉を頂くとなんだか申し訳ないような気持ちにもなってしまう。
でも歌詞がとくに強く前に出てきていてそれに引き込まれてしまった、というようなご感想を頂くと、自分のしてきた事が少しは報われたかな・・と思ったりもした。

続く








日記

2008年05月21日 17時01分19秒 | ひとりごと・コラム
トルバドゥールのほんの1曲でさえ、私にはとても手に負えない化け物のようなものだった。たったの単旋律でしかないのに。私の方が彼らよりもすぐれたたくさん音楽教育を受けてきただろうに。
夫には中世音楽というものは気持ちを伝えるものではないとよく言われていた。思った事を率直に素直に言う。そういうものなのだと。
私の今まで知っていた普通の歌の世界におけるパフォーマンス・プラクティス・・声を磨き上げ、情景を思い浮かべ、気持ちをこめる等などがどれだけ邪魔したか。これはある意味で今までの自分を否定しなくていけないのかとさえも思われた。でも私は今まで学んだ事は尊い貴重な事だと思っているし、だからこそ今でも歌を歌っているわけだし。

日本人は音楽家に留まらず、ものを決してはっきり言ったりする人種ではない。気を配って人の感情を読み取ったり、遠まわしに言ったりして気づいてもらおうとする習慣がある。しかし西洋社会はそういうものではないのだ。夫の言う「思った事を素直に率直に言うという事」が、彼らには自然な事としてできるのだ。日本人にしてみれば、あの人ははっきりものを言う・・とか性格の問題にとられてしまうところの事が、彼らには当然な営みとして行われているのだ。

誤解を招く言い方だがはっきり言ってしまえば神を誉める事にも、祈る事にセンチメンタルな感情は要らない。愛情表現にもそうなのだ。それよりも私は今ここにいて、これをしているという事実の方が大事なのだ。信じる事はひとつ。それで十分なのだ。かなりドライなのである。

トルバドゥールの歌から、カンティガから教えられた文化の大きなギャップ。
日本へ行くまでの練習期間、そして演奏旅行中もこのジレンマに苦しめられた。

続く


・・・なんか旅行リポートにぜんぜんなってない。

無事帰国

2008年05月20日 21時08分13秒 | ひとりごと・コラム
とにかくめまぐるしい旅だった。先週の土曜日の夜にオランダの我が家へ帰宅。3週間留守にしてたので家の中は埃っぽく、帰ったらすぐに家の掃除をした。
重たい荷物をよいしょと広げて衣服をたんすに戻したり、日本で買ってきたものを取り出しては眺める。オランダと日本では食生活が違うので調理器具やちょっとした食器、道具などオランダでは手に入らないものが多い。今回持ち帰ったのは木曽ひのきでできたおひつ。
箱を開けるとひのきのいい香り。今度日本食材店に行ったら美味しいお米を買って、早くこのおひつに入れてご飯を食べてみたい。今はユーロ高なので日本円を使った方が安い。靴を3足も新調。洗剤を使わない食器洗いやお風呂洗いのスポンジも買った。
本当にお風呂が洗剤を使わないのに綺麗になった。満足。

忙しかったけど、とても充実した日々を過ごせた事に感謝。
音楽会はすべてうまく行った。広島ではあまりお客さんが入らなかったのは残念だったけど・・。
夫も日本を去りがたかったようだ。美しいもの、見慣れないもの、珍しいもの、美味しいもの・・・たくさん体験した。今回のハードな旅を最初に不安に思い、心配していた夫だったが、彼にとっても楽しい旅であったようである。ついて来てくれてありがとう。

日本での演奏会はやはり私たちとして大きな緊張感を持って進められた。夫は東京、山梨のコンサートはひどい時差ぼけと戦いながらであったので、集中力がときどき途切れそうであり大変だったようである。

ほとんどの演奏会は、遠くから聴きに来て下さるほど熱心なお客様にも恵まれた。
何人もの方に「このプログラムを2人で大丈夫か」と不安を与えたらしいが、演奏会後には「中世音楽って賑やかな編成でやるものと思っていたんですが、こうやって少人数でもしっかりアプローチができるんですね」という感想を頂いた。
実際夫と私だけで全プログラムをこなすのは物凄く困難な事であり、オランダの自宅でリハーサルしていた時から試行錯誤して挫折しそうなときもあった。でもそれは、やはりこのようなトルバドゥールの歌を通して、私が何を伝えたいかがはっきりしてないからめげてしまうのだ、ということの他なかった。

続く



日本にて

2008年05月14日 22時26分25秒 | ひとりごと・コラム
無事に公演を全部終わりました。先週の金曜日の夜に実家に戻り、さすがに土曜日はあまりの疲れのため寝込んでしまった。でも日曜日には元気に。

たくさんの人に助けられて素晴らしい演奏旅行ができました事をまずご報告したい。詳しくはオランダに戻ってから書きます。

戻ったらみなさんのひとりひとりにも感謝の便りをします。
ありがとう、ありがとう、ありがとう・・

コンピューターも電話もなかなか自由に使えないので、本当に失礼をしております。ごめんなさい。
今週はずっと実家ですが、家族行事で毎日、一日中潰れてます。

明日は家族で伊勢に行きます。それから荷造りしてから土曜日の朝、オランダへ発ちます。