みみずく先生の旅の記憶

国内外の旅先の写真や野山の写真を・・・。

万里の長城(八達嶺)と明の十三陵

2007年03月05日 | 中国・大連・北京
八達嶺の万里の長城と明の十三陵の記憶です。
93年5月です。念のため。観光地として今はずいぶん変わっているでしょう。

まずは八達嶺の万里の長城を。
観光地として公開されている長城は、「八達嶺」「幕田峪」「司馬台」「金山嶺」「居庸関」「黄崖関」「山海関」「嘉峪関」などです。
八達嶺長城は北京中央から北北西の方角へ直線距離約 60 km、司馬台長城は八達嶺長城の東に位置します。
八達嶺へは清華大学からバスで約2時間かかりました。
八達嶺長城は Google Earth で衛星写真を見ることが出来ます。

 


長城の隙間から下界を眺めます。好天だったので遠くまで見晴るかすことが出来ます。
前日行った人は雲がかかってまるで見えなかったと言っていました。
往事はここから北方からの騎馬民族(北狄や鮮卑?)の来襲を見張っていたのですね。

 


八達嶺長城はバス駐車場からたどり着いたところから左峰と右峰に別れますが、当時は若かったのでたったかたーと両方に行ってきました。
行った方はご存知でしょうが結構な急階段で、しかも実にリズム感のない段差です。
配置されていた兵は一朝ことがあると階段を走り回ったのでしょうね~。

 


階段を走り回ることもさりながら、そもそも峰々にこのような建造物を造り上げるというのは・・・。
ローマ帝国の土木技術は良く記録に残され、話題にもなるが中国の技術ももう少し一般に知らしめてくれると良いと思う。

 


 
Google Earth からはここが見えます。Pa-ta Lingあるいは Bada Ling と記載のある位置から北西方向。

 


おみやげ屋さんが並んでいます。色模様がやはり中国らしい。
昼食をとったレストランに隣接する土産店で急須を一個購入した。
日本語の達者な副支配人(副総理)に何やかや書画も含め教え(?)をいただき、情にほだされつい買ってしまった。

 


明の十三稜の写真はもう少しあるのだが、同行者を前景にしたものが多いので公開できず残念!
地下宮殿にも案内して貰ったが、撮影禁止で全く写真がないのが返す返すも残念!
 


今日でシンポジウムならびにエクスカーションはおしまい。明日は帰国、ということで世話になった清華大学のスタッフの部屋に夕食後押しかけ、ウィスキーと中国酒で盛り上がり。
帰国の日は安全を見て早めに北京空港に。搭乗機は 30 分の delay になるとの掲示を見つつチェックインはすませたが、国際線のロビーは冷房が無く暑いので、涼しいところに避難。ところが避難していた待合室が国内線向けだったらしく、時間待ちをしている間に搭乗案内のアナウンスがあったらしいが聞き逃す。定刻とおぼしき時刻に所定のロビーに行ったら「おまえはどこをほっつき歩いていたんだ! おまえ一人のために飛行機が出発できない!」とおねーさんに怒鳴られた。やれやれの搭乗のお粗末。

故宮と頤和園

2007年02月22日 | 中国・大連・北京
承前

'93.5 故宮(紫禁城)です。

天安門広場から入場。入場料45元。とにかく広い。ひたすら突き抜けて歩く。
 

南北に961m、東西に753mあるそうです。午門を入って大和門をすぎると大和殿ですね。この後中和殿、保和殿、乾清門、乾清宮、交泰殿、坤寧宮、坤寧門、御花殿と続き、最後の神武門で外に出ますね。
 

坤寧宮の入り口。右は御花殿(だったかな)。
 

故宮博物院にも入ったはずだが記録がない。'83に台湾の故宮博物院を訪問しそのときの印象が強烈だったので、今回の印象が少し薄かったせいかもしれない。
 

神武門を出てそのまま前の小山に登ると景山公園。そこから故宮を眺める。
あいにく雨模様だったので霞んでいるが、それもまたよい風情に思える。
見えている建物は神武門。観光バスはこっち側に止まる。
 

頤和園でレセプションがあった。人工池である昆明湖を船でわたる。人力だけでこんな池を造ってしまうとは・・・。
「1750年建設開始、1886年には西太后によって再建がなされた」とWikipediaにあった。
山の中腹の建物は「仏香閣」。山自体は昆明湖を造るときに掘った土で出来た(造った)。「愚公、山を移す」という言葉がありますが、意味は違うが見かけは似ている。日本昔話では琵琶湖を造って、その堀土で造ったのが富士山だとか。前者は現実、後者はおとぎ話。
 

建物の名前がわからなかったのは残念だが、正面に「金支秀華」と書かれた額が掲げられていた。
(今になって調べたら「聴鵬館飯荘」らしい。中央右の柱に聴鵬館の文字がかすかに見えた。)
宮廷料理による晩餐会。あまりに素晴らしかったので写真を取り損ねてしまって、お料理をただいただくのみ。日本語に直して記憶にあるのは「アヒルの水かき」と「牛の胃」。ゲテモノではない。よくこんなに上品に仕上げるものと感心しました。それにつけても、「おしながき」があればよかったのに。
 

次回の予告:八達嶺の万里の長城

北京市内は

2007年02月17日 | 中国・大連・北京
承前。

北京市内で行ったところは天壇公園と故宮だけでした。
定番の北京?鴨(北京ダック:カオヤーのカオの字が入らなかった)は某有名店に行ったが全くの期待はずれ。で、写真もない。

まずは市内と天壇公園。清華大学ゲストハウスからタクシーで行きました。60元。祈年殿や皇穹宇を訪問。
ひたすら歩いていたとみえ意外に写真の記録がない。
 

右の写真は王府井のマックです。
客層は、「マックでお食事できるのよ!」といったところ。ヨーロッパのマックの店の雰囲気(へたれた若者ばっかりだった)とは大違い。国によってハンバーガ屋さんの雰囲気は大違い。
             

以下は王府井周辺。
息子への土産にと思って、はやりの小説と中国ロックミュージックを探しに新華書房に出かけたが店員はつっけんどん。ムッときて探すのはやめた。結局、シンポジウムの世話をしてくれている清華大学の院生に頼んで翌日に手に入れて貰った。
 

 

 

天安門広場付近(次回の故宮訪問に続く)。
黄色タクシーがいっぱいでした。ま、安かろう悪かろうですが、いい加減な目にあったことはなかったと思います。
 




清華大学

2007年02月16日 | 中国・大連・北京
93年5月、承前。

大連を2時間遅れの13:10発、北京着14:00。マイクロバスで清華大学へ。約1時間。

日中米3国間で行われた某シンポジウム会場の北京の清華大学の様子です。シンポにはオブザーバー参加として韓国及び台湾からの参加がありました。旧友にも会えました。
清華大学は北京大学と比べるとより理工系重視の大学です。2005年に発表された総合競争力ランキングでは北京大学、清華大学、浙江大学の順でした。理工系に限ればトップです。同名の清華大学は台湾の台北市にもあります。国立台湾大学と国立清華大学は台湾のトップ2といわれています。いずれにしても、を間違えないように。

ゲストハウスです。泊まっている間中ゲストハウスのスタッフに「碑酒一箇」と毎晩買っていたので、”一箇さん”とあだ名を付けられました。
左は外観。ツタが絡まり風情があります。右は正面玄関。内部は贅沢ではないが快適でした。
ハウス内には売店があったので、大学の名前入りのTシャツとスウェットシャツを手に入れました。
 

キャンパスは大きな樹の多いゆったりした空間。写真はもやっているのでしっとりしていますが、夏の暑い時期はどうでしょう。
 

 

構内にはこんな水路があります。
右の写真の石碑は清華大学(正しくはキャンパスが置かれている清華園)の名前の由来となるもので、「清芬挺秀 華夏増輝」 の上二文字をとったものであることがわかります。
 

大連

2007年02月15日 | 中国・大連・北京
93年5月に大連、北京、八達嶺を訪れた折の記録になります。
このページは大連です。
なお、90年1月にもボスのお供で大連・長春にも行っているのですが見るべき写真は残っていません(寒くて写真を撮るどころではなかった)。

5月6日、成田空港を2時間遅れの19時発。大連には21時(現地時間22時)着。
大連理工大学のゲストハウスに泊めていただきました。広々としたヨーロッパ型のゲストハウスでした。
 

朝食は粥と漬け物にミルク。
ゲストハウスからのキャンパス風景ですが、北海道の大学に似ている。
 

大連周辺を車でぐるっと案内して貰いました。
海では日本の指導でホタテの養殖を行っているとのこと。イカダが見えます。
 

燕高嶺、傳家荘、開発工業団地を回り、この地区内の焼き肉レストラン(朝鮮風)で食事しました。
食堂の周辺及び内部。壁には長白山(=金剛山)の絵が掛かっていました。
 

 

大規模な開発の途中なので、公園はまだ未整備に見えますがあるいは早春のせいかもしれません。。多様なビルを盛んに建設中です。15年以上前ですから、今、'07年の時点ではすっかり様変わりしていることでしょう。
 

 

  

白雲燕水公園、碧海山荘を回りました。
海側には「労働者の休憩所」が建てられています。勿論、民ではなく官製ですね。今は民のリゾートになっているのでしょうか。時期が早いので気温が低くあまり人はいません。
 

 

 

夕食はご招待で理工大学副学長も含め5人で。場所は大連大飯店(ここは以前化物研の先生とご一緒したところ)。
総額約900元だったとのこと。