生産に与らず寄生するだけの資本家は決して遠い存在ではない。配当や地代だけで優雅な生活ができる人や、居るだけの高給管理職は、自分はそうでなくても、身近にかなりいるはずだ。彼らは現体制が続くことを願い、その願いを語らずとも共有している。その結果、願いを叶えるための方策は、談合して示し合わせた訳ではないのに体系づけられ、あたかも「共同謀議」の体をなしている。
例えばマスコミの情報操作だ。まず内容のない番組で時間つぶしをさせる。報道番組と称して、政府の発表をそのまま流す大本営的行為や、監督官庁から睨まれることを避ける忖度行為で、権力者・資本家側に立った発信を行う。視聴者の批判精神は、有名人の不始末を噛ませ犬にして発散させる。こうして、人々から考える時間と材料と気力を奪う。マスコミの最大のスポンサーは、言うまでもなく大企業だ。
政策に関しては、子育て、防衛、福祉、国債償還などの使途を例にあげ、負担増は仕方がないと思わせる。安売り店の店長や生活困窮者の頑張る声を聞かせ、自分の賃金の安いことを受容させる。更には、当たりもしない宝くじで射幸心を煽る裏で、こっそり控除基準を改悪して実質増税を行う。こうして、薄皮を剥ぐように富を収奪し貧困に慣らせていく。収奪の最強の権力者は、言うまでもなく財務省だ。
企業と対立して賃上げを果たすのは労働組合のはずだ。しかし今や、組合活動は社内の出世ルートの一つとなった。財務省と対立して財務を適正化するのは政治家のはずだ。しかし今や、議員活動は生業や商売の一つとなった。一般の人々も仕事の貢献度に応じてお金を得るが、それはいわば奴隷として巨大資本が望む体制を更に推し進めた報酬なのだ。とはいえ、資本主義の世では、誰もお金の甘味に抗うことはできない。
全ての物質は自然と均一化に向かう。これに反して、お金は偏在する。それは、お金には引力(お金がお金を引き寄せる力)があるからだ。過去には集中が限界を超え、超新星爆発のように暴力的な共産革命が起こった。今日の民主制国家には国民主権に基づく国家権力があり、その徴税権は相当程度に反集中作用を果たしている。これを社会全体の利益に沿うようにさせるのが、智慧の活かし所となるだろう。