麻箒(あさほうき)ここの雑記帖

読書と落書きなど徒然なるままに

【2011_12】認める

2011-02-15 14:01:52 | 旧カテゴリ)徒然なるままに

携帯から投稿です。
本文は常体になっています。


***


眠くない
寒くない
しんどくない
大丈夫
まだがんばれる


…と、最近心の中で呟くことが増えた。

気付いたら呟いている。

前は「泣かない拗ねないくじけない(太田朋)」だった。



寒い
眠い
しんどい
でも大丈夫
がんばれる

…と言えるほど強くない。
「奮起」は私には難しい。
だから、認めない。



寒い
眠い
しんどい
大丈夫じゃない
だからがんばらない

…と考えると際限なくだらける。
「一休み」も私には難しい。
だから、現状を認められない。



奮起も一休みも大事なアビリティだから、身につけたい。

身につけるために今、頑張らなくてはいけないなら、
私は現状を認められない。

ただ、アビリティが身についていないという現状は、
認めないといけない。
認めざるをえない。
認めるところからスタートするのだから。


***


「Philosophy(哲学)」が
「sophy(知)」と「philo(愛すること)」が
くっついて出来た言葉という話は
結構有名だ。



先月読んだ本にこんなようなことが書いてあった。
曖昧な表現なのは、書き留めておかなかったため、
本当にこのような内容だったか自信がないからだ。

「知を持たない者が知を持たない故に希求した。
すなわち無知な者が哲学を始めた。
哲学者は無知である。
哲学者は無知であることを知っている。
無知の知である。」


無知だから知を求める。
無知であることを認められたから
知が求められる。
…というのが私の解釈。



私は、格好つけたがりで、
すぐに知ったかぶりをする
鼻持ちならない馬鹿で
それで毎度自己嫌悪するのだけれど、
もういい加減馬鹿は嫌だ。
もう少し賢く聡くなりたい。

でも、余り無茶はしないようにしたい。


***


M.Ende『自由の牢獄』(勿論日本語訳)の中に
「賢者の石」という単語が出て来た。
片仮名のルビは多分ドイツ語だろう。
「賢者」に当たる部分は
英語の「philosopher(哲学者)」に似ていた。
(そしてこれも書き留めていない。)
無知で、無知なことを知る人は賢者なのか、と
少し面白かった。


***


ところで「認める」前には「現状を把握する」という
ステップがある。
正しく把握出来ているか否かはさておいても、
事実を理性でキャッチして、初めて心が「認め」られる。
…と思う。

そして、なるべくなら正しく把握したい。

「正しく現状を把握する」のも「認める」のも
(少なくとも私には)なかなか難しい。

殿下と喧嘩したとき、特にそう思う。

何が喧嘩の原因か
私の悪い部分は
殿下の非は
私は今どう考えて何を思っているのか

…がよくわからない。

悲しいのか
怒ってるのか
申し訳ないのか

さっぱりわからない。
不快感だけは残る。


母を死なせて申し訳ないと思っていた(思っている)。

こんな自分は生きていてはいけないと思っていた。
私の「生」や「しあわせ」は許されないと思っていた。

その奥で「許されなくてもいいから生きていたい。しあわせになりたい」
…と思っていることに漸く気付いたのが昨年末。

母の死から4年10ヶ月経っていた。

ことほど私には難しいことなのである。



殿下との喧嘩の後で、食器棚のムーミンの皿やカップを
片っ端から全部全部叩き落としたくなる。

(したことないけど。)

手首を切ろうとしたり、
睡眠薬を飲もうとしたり、
自分を傷付けるのと
どちらが良いのだろうか。

だって食器も壊されるときは怖くて悲しくてやり切れないと思う。

出来れば誰も何も壊さずに傷つけずに
穏やかに穏やかに生きていたい。



穏やかな優しい私でありたい。

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