麻里ちゃんの口から意外な言葉が出たので、ボクは少しひるんでしまった。何だろう? ボクはボクみたいな、千夏さんみたいな人を呼ぶ力があるのか……。行く先々で、似たような子達と出会う。出会っては学び、ここまできたと思う。実際、旅する前と今とでは明らかに違う気がする。人間ってここまで変われるんだと実感している自分がいる。
悩みって、そういうためにあるのかもしれない。それを乗り越えたときに、本当の自分や、世界が見えてくるのかもしれない。
「若葉さん……? 大丈夫ですか?」
「え? あ、いや。大丈夫だよ。ごめん、またボーっとしてた?」
「はい……。何か悩みでもあるんですか? って、今、こういうお話中やったね……うちも空気読めんですみません」
「そ、そんな……謝らなくて良いから! ボクこそごめん……」
「謝らんで下さい。そもそもこんなことに巻き込んでしもたのはうちの方ですから」
少し気まずい空気が二人を包んだ。そして、お互いに目の前のカフェラテに手を伸ばし、喉を潤した。冷め切ったカフェラテは不味かった。でも、その行動が二人同時だったことにほっと暖かい気持ちになれた気がした。
「ふふっ! うちら、気が合うのかもしれへんなぁ」
「はははっ。そうだね。なんか、飲むしぐさとか似てたような気がするよ」
二人で笑いあう。幸せな時間が流れた。
「なぁなぁ若葉さん? 旅って、どこからどこまで行くん?」
「え? えっと、一応、東京から広島、そしてここ大阪が三つ目の都市だよ?」
「へぇ~。結構ばらばらなんやね。次はどこへ行く予定なん?」
「えっと……。まだ、決めてないかな」
実際、大阪に来たのも、広島に行ったのもただの気まぐれだった。次の目的地も、大阪でどんな出会いがあって、どんな経験をするかによって次の目的地を決める予定だった。
「あの……いきなりでなんやけど……うちも、ひと段落したら、その旅に付き合ってもええ? この借金も返さなあかんし」
「え?」
ボクは絶句した。目的地もない果てしない旅に同行したいなんて思う人がいるとは思ってもみなかったからだ。
「ってか……うち、女の子やけど、若葉さんのそばにおってもええ?」
「それは……どういう……?」
「にぶちんやなぁ。好きになってもうたんよ!」
一瞬、ものすごい衝撃を受けた気がした。ボクを……好きに? しかも出会ったその日に? すべてを告白して、なお好きになってしまったというのか?
ありえない。落ち着け、これはきっと夢だ。きっと、いつものご都合主義な夢に違いない。ボクは、自分のほほをつねってみた。
「いまどき、そんなんする人おるんやね? うち、初めて見たかもしれんわ」
麻里ちゃんがくすくす笑っている。ボクがつねったボクのほほは、何かにさされたような痛みを感じていた。夢じゃない。
「え? でも、ボクなんかの……どこがいいの?」
「せやなぁ。まず、優しいとこかな。あと、顔も結構可愛ええし」
「ストップ! 可愛い?」
「え? うん。かっこいいというか、可愛い系の顔しとるよ。言われたことないん?」
「ないないない! そもそも、誰かから好きなんて言われたこともないよ!」
「えへへ。じゃあ、うちが初めてやんね。なんか、ちょっと嬉しい」
麻里ちゃんが少し恥ずかしそうにうつむく。そんなしぐさをしてもらった経験はないから、正直、どう反応して良いか分からない。
「それとも、若葉さんは、女の子と付き合うんは嫌? 女の子になりたいんよね? それなのに女の子と付き合うんはなんか、違う気ぃするんやけど……」
「まぁ、別に女の子に憧れを持ってるって言う点では同じなのかもしれないね」
「……」
「ボク、誰かと付き合ったこととかないから、なんとも言えないけど……。気の利いたこととか言ってあげられないかもだけど……」
「じゃ、じゃあ……」
「うん。ボクでよかったら……よろしくお願いします」
ボクはペコリと頭を下げた。それに合わせたようにあわてた様子で麻里ちゃんも頭を下げる。
「う、うちこそ、がさつで、何の魅力もない子やけど、よ、よろしゅうお願いします」
お互い顔を上げたときには、自然に笑えるようになっていた。
それからしばらく二人で色々な話をした。麻里ちゃんの学校のこと。ボクの身の回りのこと。まぁ、ボクが大学生だと知った時の麻里ちゃんの顔は驚いていたけど。ボクって結構、童顔に見られるらしい。どちらかといえば年下だと思っていたみたいだ。
そして、どちらともなく席を立つと、通勤通学ラッシュを終えた大阪の街にくりだした。
「若葉さんは、大阪初めてやんね?」
「え? うん。小説とか、本では読んだことあるけど。あと、テレビかな?」
「大阪はな、ええとこや思う。でもうち、小さい頃は大阪があんまり好きやなかったんよ。お父ちゃんの仕事の都合で、愛媛の方からこっちに引っ越してきたときはほんまに慣れんでよぅ泣いとった」
少し恥ずかしそうに自らの過去を語る麻里ちゃん。その麻里ちゃんの右手がボクの左手にそっとふれた。
「なぁ。手、つながん? うちら、付き合ってるわけやし」
「え? あ、うん。いいよ」
何度も言うがボクは女の子と手をつないだことがないわけではない。この間、広島で美奈ちゃんとも手をつないでいたわけだし。
でも、今回はちょっと違っていた。なんだか、つないでいるだけでほんわか暖かくなっていくような感覚。何だろう。今までと何が違うんだろう……。
「若葉さんの手、結構冷たいんね? でも、手が冷たい人って心が暖かいってよぅ言わん?」
あぁ、そうか。
「そ、そんな話、あんまり聞いたことない……かな」
「なんや? 若葉さん照れとるんかぁ? やっぱ可愛ええなぁ」
「そ、そんなこと……ない……よ」
うつむくボク。そのボクの顔を覗き込もうと、ボクの前にしゃがみこむ麻里ちゃん。
そうか……。今までと違うのは……。
隣を歩いているこの子は、この女の子は、ボクに対して好意を抱いていること。初めてボクに対して『好き』と言ってくれた子。手をつなぐのは初めてじゃなくても、色々なことが初めて続きで、少し混乱しているボクを麻里ちゃんが引っ張ってくれている気がする……。
「あはっ。若葉さんの顔、真っ赤や」
「み、見ないで」
「なんか、最初とイメージが違ってておもろいなぁ。若葉さん、うちなんかより全然女の子やし。なんか、不思議な感じ……」
これで三回目だ。むしろそれぞれの地で、別々の三人から。と言ったほうが良いのかな? 皆が皆、同じ意味で言っているのかどうかは分からないけど、とにかくボクは『不思議』とものすごく縁があるらしい。
「ど、どこら辺が不思議……?」
さすがに三回目は気になったので、聞いてみることにした。
「どこら辺……ねぇ。なんや、難しいなぁ……」
少し難しい顔をしながら僕の求めているような答えを模索していた。その表情は、今まで見せた麻里ちゃんとはまた違う一面が見れたような気がして少し得した気分だった。
「まぁ、大体でいいよ」
「大体言うても難しいんよ。『不思議』っていう言葉自体あいまいなもんやし」
「それもそうだね。ごめんね?」
「えっ? 何でうち謝られてるん? 若葉さん全然悪くないやん?」
「あ、あはは。なんか、癖みたいなものでさ」
ボクは少しばつが悪そうに笑う。そんなボクに麻里ちゃんはびしっと指をさしながら言った。
「その癖、治さなあかんよ? あまり『ごめん。ごめん』言われても、だんだん薄れてまうし」
「あ~……。以前にも同じことを言われた気がする。すごい仲が良かった子」
そう言うと、麻里ちゃんは少しがっかりしたような顔をした。
「ど、どうしたの?」
あわてて問うボク。
「そうなんよね。今日出会って、今日付き合ったわけやし、何も言えんけど……。若葉さんにも過去があるんよね。なんか、ちょっと悔しい気もする」
「え? それは、どういう……」
「いやね、なんかうちって、とことん好きになってしまうタイプみたいなんよ。だから、その人の過去まで自分のものにしたいっていう願望があって……。大体がそれで嫌われてしまうんやけどな。あはは。今回も駄目かな? こんな束縛激しい女の子とか、嫌やろ?」
何だそんなことか。ボク自身、そういう子と付き合ったことないからなんとも言えないが。むしろ誰かと付き合うなんていうのは、今回が初めてなのだから。だけど、そういうタイプの子は色々見てきたつもりだ。友達の彼女。いや、友達と呼べるかも怪しいやつだったが……。でも、そいつは彼女に対して愚痴をこぼしたことは一度もなかった。話を聞くたびにボクは、理不尽な子だなぁと思っていたのだが、そいつにとってはそれが最大の愛情表現なのだと言う。
人それぞれ感じ方が違うので、一概には言えないが、少なくとも今のところ、麻里ちゃんに対して『ウザイ』だの『理不尽』だのという感情は芽生えてはいない。むしろ、初めて出来た彼女だ。精一杯大事にしてやりたいと思う。ボクのこの気持ちを上手く言葉にしてあげられれば良いんだけど……あいにくボクには口下手という特技がついてまわっている。不用意な一言で彼女を傷つけかねない。かといってこのまま黙ってるのも感じが悪い……。どうしたものか。
「んと……。ほら、ボクって誰かと付き合うの初めてだしさ! 全然、麻里ちゃんのペースで良いからね!」
にっこりと精一杯の笑顔を作って言った。……のがいけなかった。
「でも、それじゃ若葉さんにばかり負担かけてまう。無理して笑ってもらったりとか……そういう負担かけるんも嫌なんよ。ごめんな、わがままな子で……」
あちゃ~。そういうつもりで言ったんじゃないんだけどな。これだから、だらかと関係を持つというのは難しくて仕方がない。
「そ、そうじゃなくてさ。えっと……その、ふ、負担になるとかどうとか良く分からないけど、もしそんな感じになったらすぐに言うから! 大丈夫だよ! 絶対に無理とかしないし、多分……出来ない……」
てへへと苦笑いがこぼれた。そう。何しろすべてが初めてのことなのだ。この先どういうことがあって、どういう風に対処していくかなんて想像もつかない。今、ボクが言えることはこれが限界だった。
「絶対やんね? 絶対、無理とかしたら許さんよ?」
「うん。約束するよ」
そういうと、やっと彼女が笑ってくれた。
「若葉さんは、やっぱりええ人や。今まで出会ってきた中で一番ええ人や」
麻里ちゃんが身体をボクに預けてきた。ボクは少しよろけながら麻里ちゃんを抱きとめると優しく頭をなでてやった。
気持ちよさそうに目を細める麻里ちゃんとボクの周りに『時間』という概念は存在しなかった。ただただ、お互いがお互いを感じながら、本当に時が止まってしまえば良いと初めて思えた瞬間だった。
夕方になり、一昔前のガラの悪い借金とりと会い、ボクと麻里ちゃんは耳をそろえて借金を返した。向こうもまさか本当に返ってくるとは思わなかったのだろう。何度も何度も諭吉で構成された札束を確認しては、ボクらの顔色をうかがっていた。やがて、それらがなんの小細工のない、正真正銘の百万円だと確認すると「ちっ」と軽く舌打ちして帰って行った。帰りしなに「はんっ! またコロコロと男を変えよって。とんだ尻軽女やなぁ」と毒づいていたが、ボクらは聞こえないふりをした。
「すっきりしたわ! あの兄さんの顔見た? 悔しそうな顔しよったなぁ」
彼女が笑う。身も心もすっかり軽くなったような良い表情をしている。
「そうだね。まぁ、麻里ちゃんがそう言ってくれるなら、助けたかいがあったってもんだよ」
ボクの何気ない一言に彼女がはっとする。
「せやった……。これ、若葉さんのお金やったんや……。うちとしたことが、大事なこと忘れて浮かれてしもうた」
また急に、おろおろとしだす彼女。そんな彼女をボクは優しく抱きしめて、その頭をなでてあげる。
ちょっと、癖になりそうだ。
「大丈夫だよ。ボクは、麻里ちゃんの笑顔を見たくてやったことなんだから。君が笑ってくれればそれで良いんだよ」
自分でも、思わず噴き出しそうになるくらいのくさいセリフ。少しばかり、本の読みすぎなのかもしれない。
「そうは言っても……。若葉さんがこの旅のためにコツコツと貯めたものやったんやろ? これから先、どうやって旅を続けていくつもりなん?」
そうだった……。大事なことを忘れていた。この世の中、お金がなければ移動もままならないのである。本当に、不便な世の中であるが、仕方ない。
「ん~……。実のところ、何にも考えてない」
「今日、泊まる場所、あるん?」
それもまだだった。広島の時は、広島で夜を過ごすことはなかった。その日のバスでここ、大阪に発ったのだから当然だ。むしろ、ここでも若干そのつもりだったのだが、どこで歯車が狂うかわからないものであると、しみじみ感じた。
「ほなら、うちに泊まるのはどうやろ? うちな、妊娠の件があってから、親に家を追い出されて一人暮らししとるんよ。だから、どうかな? って」
女の子の家にご招待されるのは、それこそ初めてだ。まぁ、女の子友達もいなかったボクには当然のことであり、それを飛び越えて彼女が出来ている今が、不思議で仕方ないといった感じだ。
「いいの……?」
「もちろん! うちら付き合ってるんやから、普通やろ?」
「ま、まぁ、そうなんだけどさ。ボク、女の子の部屋とか初めてで……」
「遠慮せんと、な? あんまし、きれいなとこやないから恥ずかしいんやけど……」
そういうと、彼女は歩き出す。
「ここから歩いて10分くらいのところにあるんよ。ほな、手」
彼女はそっと右手を差し出す。ボクの左手を求めているかのように。そこにボクは彼女の望むとおり、左手を重ねる。暖かく、柔らかい女の子の手だ。今日、何回もふれている手だが、やっぱり慣れないものだ。
「うちに、誰かが来るのって久しぶりや。前回、うちに泊めたのは……いつやったやろ? でも、女の子やったんよ? そうそう。若葉さんがしているのとそっくりの赤い手編みのマフラーしよったなぁ」
手編みのマフラー。広島の時と同じキーワードだった。だから、ボクは迷いなくその単語を口にする。
「相川千夏」
その瞬間、彼女が驚いたように目を丸くする。まるで自分の心の内がすべて見透かされたような顔だった。
「なん、で? その名前を?」
あまりにも彼女が驚いているのでボクは少しためらったが、自分の首元に巻かれているマフラーをほどき、彼女に見せた。
「よく見て、相川千夏と名乗った女の子がしていたマフラー……。そのものだから」
「し、知り合いなん? まさか、元カノとか……?」
信じられないものを見るような目が痛かった。でも、ここは胸を張って否定できる。
「麻里ちゃん。ボクは、麻里ちゃんが正真正銘の初めての彼女だよ。千夏さん……。いや、相川さんとは、この旅が始まるときに出会ったんだ。そして、旅の成功を祈ってこのマフラーをボクに渡した。それだけなんだ」
「そ、そうなんや……。なんや~。びっくりしたで。ちょっとショックで泣きそうやったわ」
照れ笑いを浮かべる彼女。そしてボクらは何事もなかったように再び歩き出した。
それにしても……。またもや千夏さんの名前が出てきた。広島でも、ここ大阪でも。一体『相川千夏』という人物は何者なんだろうか? ここまで、彼女が歩いてきた足跡をたどるかのように旅は続いている。これは偶然なのだろうか? そういえば、美奈ちゃんが言ってた『約束』って何なんだろう? 市来さんが言っていた『心を許した唯一の女の子』っていうのも気になる。
本当、何者なんだろうか。
「ついたで」
考え事しているうちに、彼女の家についたらしい。お世辞にもきれいとは言えない外見をさらしているアパートであった。まぁ、ついこないだまで高校生をしていた女の子が借りれる住まいと言ったら、こんなもんなんだろう。
「見苦しゅうてごめんな? 一応、中は整理……してるはずやで」
「はずって……」
「あまり、掃除とか得意じゃないんよ……。一応、人並みにやっているつもりなんやけど……」
そういうと、彼女は鍵を開け、扉が開かれる。6畳半といったところか、そんな部屋に女の子らしい装飾はなく、生活に必要最低限の家具が申し訳程度に並べられているのみだった。
「麻里ちゃんがあまりに脅かすから、どんな部屋かと思ったけど、結構きれいじゃない。全然平気だよ」
「そ、そうかな? あんまし可愛い部屋やないけど、ゆっくりしていってや」
そう言うと彼女は、「お茶をいれるね」と言い、台所に立った。ボクは、部屋の真ん中に置かれたテーブルの前に座ると、その光景を眺めていた。あぁ。いいな。と。ボクが望んでも望んでも叶わなかったその光景が目の前にある。ボクを好いてくれる人。そんな人がまさか現れるとは、いまでも信じられない。そう思うと感嘆深げで、思わずため息が出てしまう。その度に彼女から「なんや~?」と冗談めかしく突っ込まれてしまう。
その後、お茶を淹れて戻ってきた彼女といろいろな話をした。そして、ご飯も作ってくれた。女の子の手作り料理を食べる機会なんて、それこそ母親をのぞいたらあるわけもなかった。それだけで彼女の料理はおいしく感じた。いや、実際、おいしかったのだが、それ以上においしく感じていたのだった。
ご飯も食べ終わり、夜も更けた時刻になった。ボクらは、どちらからともなくお互いを求めあい、そして深く深く愛し合った。初めてだったから、うまくできたかどうかわからない。無我夢中で、彼女を抱いた。愛した。彼女はうれしそうだった。それだけでボクは、幸せだった。
そのまま、どちらが先ともつかず眠りに落ちた。今日はいろいろなことが起きすぎた。少し、疲れていたのかもしれない……。
悩みって、そういうためにあるのかもしれない。それを乗り越えたときに、本当の自分や、世界が見えてくるのかもしれない。
「若葉さん……? 大丈夫ですか?」
「え? あ、いや。大丈夫だよ。ごめん、またボーっとしてた?」
「はい……。何か悩みでもあるんですか? って、今、こういうお話中やったね……うちも空気読めんですみません」
「そ、そんな……謝らなくて良いから! ボクこそごめん……」
「謝らんで下さい。そもそもこんなことに巻き込んでしもたのはうちの方ですから」
少し気まずい空気が二人を包んだ。そして、お互いに目の前のカフェラテに手を伸ばし、喉を潤した。冷め切ったカフェラテは不味かった。でも、その行動が二人同時だったことにほっと暖かい気持ちになれた気がした。
「ふふっ! うちら、気が合うのかもしれへんなぁ」
「はははっ。そうだね。なんか、飲むしぐさとか似てたような気がするよ」
二人で笑いあう。幸せな時間が流れた。
「なぁなぁ若葉さん? 旅って、どこからどこまで行くん?」
「え? えっと、一応、東京から広島、そしてここ大阪が三つ目の都市だよ?」
「へぇ~。結構ばらばらなんやね。次はどこへ行く予定なん?」
「えっと……。まだ、決めてないかな」
実際、大阪に来たのも、広島に行ったのもただの気まぐれだった。次の目的地も、大阪でどんな出会いがあって、どんな経験をするかによって次の目的地を決める予定だった。
「あの……いきなりでなんやけど……うちも、ひと段落したら、その旅に付き合ってもええ? この借金も返さなあかんし」
「え?」
ボクは絶句した。目的地もない果てしない旅に同行したいなんて思う人がいるとは思ってもみなかったからだ。
「ってか……うち、女の子やけど、若葉さんのそばにおってもええ?」
「それは……どういう……?」
「にぶちんやなぁ。好きになってもうたんよ!」
一瞬、ものすごい衝撃を受けた気がした。ボクを……好きに? しかも出会ったその日に? すべてを告白して、なお好きになってしまったというのか?
ありえない。落ち着け、これはきっと夢だ。きっと、いつものご都合主義な夢に違いない。ボクは、自分のほほをつねってみた。
「いまどき、そんなんする人おるんやね? うち、初めて見たかもしれんわ」
麻里ちゃんがくすくす笑っている。ボクがつねったボクのほほは、何かにさされたような痛みを感じていた。夢じゃない。
「え? でも、ボクなんかの……どこがいいの?」
「せやなぁ。まず、優しいとこかな。あと、顔も結構可愛ええし」
「ストップ! 可愛い?」
「え? うん。かっこいいというか、可愛い系の顔しとるよ。言われたことないん?」
「ないないない! そもそも、誰かから好きなんて言われたこともないよ!」
「えへへ。じゃあ、うちが初めてやんね。なんか、ちょっと嬉しい」
麻里ちゃんが少し恥ずかしそうにうつむく。そんなしぐさをしてもらった経験はないから、正直、どう反応して良いか分からない。
「それとも、若葉さんは、女の子と付き合うんは嫌? 女の子になりたいんよね? それなのに女の子と付き合うんはなんか、違う気ぃするんやけど……」
「まぁ、別に女の子に憧れを持ってるって言う点では同じなのかもしれないね」
「……」
「ボク、誰かと付き合ったこととかないから、なんとも言えないけど……。気の利いたこととか言ってあげられないかもだけど……」
「じゃ、じゃあ……」
「うん。ボクでよかったら……よろしくお願いします」
ボクはペコリと頭を下げた。それに合わせたようにあわてた様子で麻里ちゃんも頭を下げる。
「う、うちこそ、がさつで、何の魅力もない子やけど、よ、よろしゅうお願いします」
お互い顔を上げたときには、自然に笑えるようになっていた。
それからしばらく二人で色々な話をした。麻里ちゃんの学校のこと。ボクの身の回りのこと。まぁ、ボクが大学生だと知った時の麻里ちゃんの顔は驚いていたけど。ボクって結構、童顔に見られるらしい。どちらかといえば年下だと思っていたみたいだ。
そして、どちらともなく席を立つと、通勤通学ラッシュを終えた大阪の街にくりだした。
「若葉さんは、大阪初めてやんね?」
「え? うん。小説とか、本では読んだことあるけど。あと、テレビかな?」
「大阪はな、ええとこや思う。でもうち、小さい頃は大阪があんまり好きやなかったんよ。お父ちゃんの仕事の都合で、愛媛の方からこっちに引っ越してきたときはほんまに慣れんでよぅ泣いとった」
少し恥ずかしそうに自らの過去を語る麻里ちゃん。その麻里ちゃんの右手がボクの左手にそっとふれた。
「なぁ。手、つながん? うちら、付き合ってるわけやし」
「え? あ、うん。いいよ」
何度も言うがボクは女の子と手をつないだことがないわけではない。この間、広島で美奈ちゃんとも手をつないでいたわけだし。
でも、今回はちょっと違っていた。なんだか、つないでいるだけでほんわか暖かくなっていくような感覚。何だろう。今までと何が違うんだろう……。
「若葉さんの手、結構冷たいんね? でも、手が冷たい人って心が暖かいってよぅ言わん?」
あぁ、そうか。
「そ、そんな話、あんまり聞いたことない……かな」
「なんや? 若葉さん照れとるんかぁ? やっぱ可愛ええなぁ」
「そ、そんなこと……ない……よ」
うつむくボク。そのボクの顔を覗き込もうと、ボクの前にしゃがみこむ麻里ちゃん。
そうか……。今までと違うのは……。
隣を歩いているこの子は、この女の子は、ボクに対して好意を抱いていること。初めてボクに対して『好き』と言ってくれた子。手をつなぐのは初めてじゃなくても、色々なことが初めて続きで、少し混乱しているボクを麻里ちゃんが引っ張ってくれている気がする……。
「あはっ。若葉さんの顔、真っ赤や」
「み、見ないで」
「なんか、最初とイメージが違ってておもろいなぁ。若葉さん、うちなんかより全然女の子やし。なんか、不思議な感じ……」
これで三回目だ。むしろそれぞれの地で、別々の三人から。と言ったほうが良いのかな? 皆が皆、同じ意味で言っているのかどうかは分からないけど、とにかくボクは『不思議』とものすごく縁があるらしい。
「ど、どこら辺が不思議……?」
さすがに三回目は気になったので、聞いてみることにした。
「どこら辺……ねぇ。なんや、難しいなぁ……」
少し難しい顔をしながら僕の求めているような答えを模索していた。その表情は、今まで見せた麻里ちゃんとはまた違う一面が見れたような気がして少し得した気分だった。
「まぁ、大体でいいよ」
「大体言うても難しいんよ。『不思議』っていう言葉自体あいまいなもんやし」
「それもそうだね。ごめんね?」
「えっ? 何でうち謝られてるん? 若葉さん全然悪くないやん?」
「あ、あはは。なんか、癖みたいなものでさ」
ボクは少しばつが悪そうに笑う。そんなボクに麻里ちゃんはびしっと指をさしながら言った。
「その癖、治さなあかんよ? あまり『ごめん。ごめん』言われても、だんだん薄れてまうし」
「あ~……。以前にも同じことを言われた気がする。すごい仲が良かった子」
そう言うと、麻里ちゃんは少しがっかりしたような顔をした。
「ど、どうしたの?」
あわてて問うボク。
「そうなんよね。今日出会って、今日付き合ったわけやし、何も言えんけど……。若葉さんにも過去があるんよね。なんか、ちょっと悔しい気もする」
「え? それは、どういう……」
「いやね、なんかうちって、とことん好きになってしまうタイプみたいなんよ。だから、その人の過去まで自分のものにしたいっていう願望があって……。大体がそれで嫌われてしまうんやけどな。あはは。今回も駄目かな? こんな束縛激しい女の子とか、嫌やろ?」
何だそんなことか。ボク自身、そういう子と付き合ったことないからなんとも言えないが。むしろ誰かと付き合うなんていうのは、今回が初めてなのだから。だけど、そういうタイプの子は色々見てきたつもりだ。友達の彼女。いや、友達と呼べるかも怪しいやつだったが……。でも、そいつは彼女に対して愚痴をこぼしたことは一度もなかった。話を聞くたびにボクは、理不尽な子だなぁと思っていたのだが、そいつにとってはそれが最大の愛情表現なのだと言う。
人それぞれ感じ方が違うので、一概には言えないが、少なくとも今のところ、麻里ちゃんに対して『ウザイ』だの『理不尽』だのという感情は芽生えてはいない。むしろ、初めて出来た彼女だ。精一杯大事にしてやりたいと思う。ボクのこの気持ちを上手く言葉にしてあげられれば良いんだけど……あいにくボクには口下手という特技がついてまわっている。不用意な一言で彼女を傷つけかねない。かといってこのまま黙ってるのも感じが悪い……。どうしたものか。
「んと……。ほら、ボクって誰かと付き合うの初めてだしさ! 全然、麻里ちゃんのペースで良いからね!」
にっこりと精一杯の笑顔を作って言った。……のがいけなかった。
「でも、それじゃ若葉さんにばかり負担かけてまう。無理して笑ってもらったりとか……そういう負担かけるんも嫌なんよ。ごめんな、わがままな子で……」
あちゃ~。そういうつもりで言ったんじゃないんだけどな。これだから、だらかと関係を持つというのは難しくて仕方がない。
「そ、そうじゃなくてさ。えっと……その、ふ、負担になるとかどうとか良く分からないけど、もしそんな感じになったらすぐに言うから! 大丈夫だよ! 絶対に無理とかしないし、多分……出来ない……」
てへへと苦笑いがこぼれた。そう。何しろすべてが初めてのことなのだ。この先どういうことがあって、どういう風に対処していくかなんて想像もつかない。今、ボクが言えることはこれが限界だった。
「絶対やんね? 絶対、無理とかしたら許さんよ?」
「うん。約束するよ」
そういうと、やっと彼女が笑ってくれた。
「若葉さんは、やっぱりええ人や。今まで出会ってきた中で一番ええ人や」
麻里ちゃんが身体をボクに預けてきた。ボクは少しよろけながら麻里ちゃんを抱きとめると優しく頭をなでてやった。
気持ちよさそうに目を細める麻里ちゃんとボクの周りに『時間』という概念は存在しなかった。ただただ、お互いがお互いを感じながら、本当に時が止まってしまえば良いと初めて思えた瞬間だった。
夕方になり、一昔前のガラの悪い借金とりと会い、ボクと麻里ちゃんは耳をそろえて借金を返した。向こうもまさか本当に返ってくるとは思わなかったのだろう。何度も何度も諭吉で構成された札束を確認しては、ボクらの顔色をうかがっていた。やがて、それらがなんの小細工のない、正真正銘の百万円だと確認すると「ちっ」と軽く舌打ちして帰って行った。帰りしなに「はんっ! またコロコロと男を変えよって。とんだ尻軽女やなぁ」と毒づいていたが、ボクらは聞こえないふりをした。
「すっきりしたわ! あの兄さんの顔見た? 悔しそうな顔しよったなぁ」
彼女が笑う。身も心もすっかり軽くなったような良い表情をしている。
「そうだね。まぁ、麻里ちゃんがそう言ってくれるなら、助けたかいがあったってもんだよ」
ボクの何気ない一言に彼女がはっとする。
「せやった……。これ、若葉さんのお金やったんや……。うちとしたことが、大事なこと忘れて浮かれてしもうた」
また急に、おろおろとしだす彼女。そんな彼女をボクは優しく抱きしめて、その頭をなでてあげる。
ちょっと、癖になりそうだ。
「大丈夫だよ。ボクは、麻里ちゃんの笑顔を見たくてやったことなんだから。君が笑ってくれればそれで良いんだよ」
自分でも、思わず噴き出しそうになるくらいのくさいセリフ。少しばかり、本の読みすぎなのかもしれない。
「そうは言っても……。若葉さんがこの旅のためにコツコツと貯めたものやったんやろ? これから先、どうやって旅を続けていくつもりなん?」
そうだった……。大事なことを忘れていた。この世の中、お金がなければ移動もままならないのである。本当に、不便な世の中であるが、仕方ない。
「ん~……。実のところ、何にも考えてない」
「今日、泊まる場所、あるん?」
それもまだだった。広島の時は、広島で夜を過ごすことはなかった。その日のバスでここ、大阪に発ったのだから当然だ。むしろ、ここでも若干そのつもりだったのだが、どこで歯車が狂うかわからないものであると、しみじみ感じた。
「ほなら、うちに泊まるのはどうやろ? うちな、妊娠の件があってから、親に家を追い出されて一人暮らししとるんよ。だから、どうかな? って」
女の子の家にご招待されるのは、それこそ初めてだ。まぁ、女の子友達もいなかったボクには当然のことであり、それを飛び越えて彼女が出来ている今が、不思議で仕方ないといった感じだ。
「いいの……?」
「もちろん! うちら付き合ってるんやから、普通やろ?」
「ま、まぁ、そうなんだけどさ。ボク、女の子の部屋とか初めてで……」
「遠慮せんと、な? あんまし、きれいなとこやないから恥ずかしいんやけど……」
そういうと、彼女は歩き出す。
「ここから歩いて10分くらいのところにあるんよ。ほな、手」
彼女はそっと右手を差し出す。ボクの左手を求めているかのように。そこにボクは彼女の望むとおり、左手を重ねる。暖かく、柔らかい女の子の手だ。今日、何回もふれている手だが、やっぱり慣れないものだ。
「うちに、誰かが来るのって久しぶりや。前回、うちに泊めたのは……いつやったやろ? でも、女の子やったんよ? そうそう。若葉さんがしているのとそっくりの赤い手編みのマフラーしよったなぁ」
手編みのマフラー。広島の時と同じキーワードだった。だから、ボクは迷いなくその単語を口にする。
「相川千夏」
その瞬間、彼女が驚いたように目を丸くする。まるで自分の心の内がすべて見透かされたような顔だった。
「なん、で? その名前を?」
あまりにも彼女が驚いているのでボクは少しためらったが、自分の首元に巻かれているマフラーをほどき、彼女に見せた。
「よく見て、相川千夏と名乗った女の子がしていたマフラー……。そのものだから」
「し、知り合いなん? まさか、元カノとか……?」
信じられないものを見るような目が痛かった。でも、ここは胸を張って否定できる。
「麻里ちゃん。ボクは、麻里ちゃんが正真正銘の初めての彼女だよ。千夏さん……。いや、相川さんとは、この旅が始まるときに出会ったんだ。そして、旅の成功を祈ってこのマフラーをボクに渡した。それだけなんだ」
「そ、そうなんや……。なんや~。びっくりしたで。ちょっとショックで泣きそうやったわ」
照れ笑いを浮かべる彼女。そしてボクらは何事もなかったように再び歩き出した。
それにしても……。またもや千夏さんの名前が出てきた。広島でも、ここ大阪でも。一体『相川千夏』という人物は何者なんだろうか? ここまで、彼女が歩いてきた足跡をたどるかのように旅は続いている。これは偶然なのだろうか? そういえば、美奈ちゃんが言ってた『約束』って何なんだろう? 市来さんが言っていた『心を許した唯一の女の子』っていうのも気になる。
本当、何者なんだろうか。
「ついたで」
考え事しているうちに、彼女の家についたらしい。お世辞にもきれいとは言えない外見をさらしているアパートであった。まぁ、ついこないだまで高校生をしていた女の子が借りれる住まいと言ったら、こんなもんなんだろう。
「見苦しゅうてごめんな? 一応、中は整理……してるはずやで」
「はずって……」
「あまり、掃除とか得意じゃないんよ……。一応、人並みにやっているつもりなんやけど……」
そういうと、彼女は鍵を開け、扉が開かれる。6畳半といったところか、そんな部屋に女の子らしい装飾はなく、生活に必要最低限の家具が申し訳程度に並べられているのみだった。
「麻里ちゃんがあまりに脅かすから、どんな部屋かと思ったけど、結構きれいじゃない。全然平気だよ」
「そ、そうかな? あんまし可愛い部屋やないけど、ゆっくりしていってや」
そう言うと彼女は、「お茶をいれるね」と言い、台所に立った。ボクは、部屋の真ん中に置かれたテーブルの前に座ると、その光景を眺めていた。あぁ。いいな。と。ボクが望んでも望んでも叶わなかったその光景が目の前にある。ボクを好いてくれる人。そんな人がまさか現れるとは、いまでも信じられない。そう思うと感嘆深げで、思わずため息が出てしまう。その度に彼女から「なんや~?」と冗談めかしく突っ込まれてしまう。
その後、お茶を淹れて戻ってきた彼女といろいろな話をした。そして、ご飯も作ってくれた。女の子の手作り料理を食べる機会なんて、それこそ母親をのぞいたらあるわけもなかった。それだけで彼女の料理はおいしく感じた。いや、実際、おいしかったのだが、それ以上においしく感じていたのだった。
ご飯も食べ終わり、夜も更けた時刻になった。ボクらは、どちらからともなくお互いを求めあい、そして深く深く愛し合った。初めてだったから、うまくできたかどうかわからない。無我夢中で、彼女を抱いた。愛した。彼女はうれしそうだった。それだけでボクは、幸せだった。
そのまま、どちらが先ともつかず眠りに落ちた。今日はいろいろなことが起きすぎた。少し、疲れていたのかもしれない……。