JEC狭山福音教会(大阪狭山市)の聖書・キリスト教・例話コラム

大阪狭山市にあるJEC狭山福音教会(プロテスタントキリスト教会)の牧会スタッフによる聖書・キリスト教・例話コラム。

メッセージレジメ#2014年10月12日(川崎 豊信師)

2014-10-11 22:56:52 | キリスト教
日時:141012
聖書:イザヤ55:1~13
題:「ただで恵みを受けよ」

(導入の例話)
 日本の伝統文化の中では、若き日の千利休が入念な道具と仕様を用いて作った「茶道」が有名である。
 ある時に利休は、師匠の竹野招鴎(たけのじょうおう)から庭の造形をするように命じられた。利休は庭の瓦礫を磨き、庭が完璧になるまで道具でならした。そして庭は潔癖に美しくなったのだ。
 しかし師匠がその庭を見る直前、桜の木から花びらが庭にこぼれ落ちてしまった。この時に利休は大きな衝撃を受けた。
 まさにこの日、日本を代表する芸術家の千利休が誕生したのである。利休はこの庭に散らされた花びらの現象の中に「わびさび」を発見した。当時の贅沢な装飾美の反動として、15世紀の日本に「わびさび」が誕生した瞬間だった。「わびさび」は、物の不完全さの中に確実さを見出すことであった。洗練されていないあるがままの中に美しさを見出すことであった。
 例えば、陶器の白いお椀が割れたとする。普通ならば、白い漆を使って割れ目をつなぎ割れ目を隠す。出来るだけ新しい物に見せようとする。しかし「わびさび」では、漆の中に金箔を混ぜて、むしろ割れ目が強調されるように仕上げる。当時の日本文化は不完全さの中に、美の価値を見出そうとした。西洋のギリシヤ文化では完全さを追求し、東洋の日本文化では不完全さを追求したのだ。
 
 この「わびさび」は「福音」と共通点があるように思う。まず神は福音を通して、不完全な人間を贖い出す。そして不完全な人間を用いて、欠けのある世の中で、神は恵みを表わすのである。

J.R. Briggs, "Transforming Failure," Leadership Journal (April 2014)

~~~~~~~~~~~~~~~アウトライン~~~~~~~~~~~~~~~~~~

A ただで恵みを受けよ(1~5節)
福音を受けた後の恵み

B 己の道から主の道へ(6~13節)
みこころとの一致の後の恵み

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