JEC狭山福音教会(大阪狭山市)の聖書・キリスト教・例話コラム

大阪狭山市にあるJEC狭山福音教会(プロテスタントキリスト教会)の牧会スタッフによる聖書・キリスト教・例話コラム。

メッセージコラム#2015年9月②(川崎 豊信師)

2015-09-24 20:26:33 | キリスト教
信仰によって飛び込む


 彼らはエリコに来た。イエスが、弟子たちや多くの群衆といっしょにエリコを出られると、テマイの子のバルテマイという盲人の物ごいが、道ばたにすわっていた。
ところが、ナザレのイエスだと聞くと、「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください」と叫び始めた。
マルコ10:46~47


 福音放送「PTL」を見てキリスト教にふれ、紆余曲折ののち受洗した札幌市の内田敦久さんは、1988年にこうあかししている。

 テレビを通して、生まれてはじめて、私の魂のなかに福音が届きました。
 しかし、居酒屋を経営していた私は、教会に行くことはできませんでした。
 そんなおり、一つの出来事が起こりました。10年前、かつて私は美術刀剣商をしていたころ、ある暴力団の客より日本刀を預かったことがあるのですが、研磨をして返したはずの刀を、「今、刑を終えて出てきたので、これから刀を引き取りにいく」との電話が突然、神戸の暴力団幹部からあったのです。
 私はこのとき初めて主に祈りました。「この事が無事解決したなら、必ず教会に行きます」と約束したのです。

 子分を引き連れてやってきましたが、不思議なことに全然恐ろしくないのです。「からだを殺しても魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい」(マタイ10:28)のみ言葉によって、まったく平安のうちに守られました。
 このようにして教会にいき、イエスとのすばらしい出会いに導かれました。本当に感謝です。
 主は私をたしかに全く新しい人生へと変えてくださいました。感謝なことに仕事も夜から昼の仕事に変わることができました。
キリスト教例話事典より


 内田さんはイエスの事は聞いていたが、本当の危機が訪れるまでは信じようと思わなかった。しかし絶体絶命の時に、心から祈った。つまり信仰をもってイエスの懐に飛び込んだのである。

 マルコ10章にはバルテマイという盲人が出てくる。彼はイエスが自分の街に来られた時に、周囲からうとまれてもダビデの子よ、と信仰を持ってイエスの懐に飛び込んだ。
 ダビデの子とは、真のメシアに使われる名称である。それほどまでに彼の状況は切迫していたのである。この結果として、バルテマイの目はイエスによっていやされた。

 人のピンチはチャンスとなる。それは心から聖書の神に助けを求めるようになるからだ。そして神は御業を起こして下さると聖書は語る。