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春、バーニーズで(’06)ー追悼・市川準監督ー

2008-11-27 00:00:55 | 日本
昨日「つぐみ」で追記したように、ネットレンタルDMMで発見、見た市川作品。WOWOWで放映ドラマで、原作は吉田修一の短編集。子連れの相手と結婚したサラリーマンの、他愛なく幸せな日常、その中でふと別の世界に足を踏み入れてしまう物語。

妻の瞳役寺島しのぶは市川作品で初めて、やはり本来の線太な女優の香、はあったけれど、市川マジックでの寺島、というのか、ふとした表情等、この人が何だかリリカルにも見えた珍しい作品。主人公筒井役西島秀俊は市川作品では「トニー滝谷」でナレーション、その時主人公が、原作のイメージ的には、イッセー尾形でなくこの人だった方が、とか思って書いたけれど、今回、飄々とした日常の中にふと惑いを見せる30代の男、のムードは出ていた気がした。

舞台は、一家の最寄りが聖蹟桜ヶ丘、の駅名が見えたけれど、そこから京王線で西新宿のオフィス街に通う、という筒井の日常。新宿駅からビル街へ続く地下道等、たまに歩いても、いまだにどうも私は馴染めない風景。やはり「buy a suit・・」でも触れていたけれど、私自身の東京への都会的風景への違和感、具体的に言葉にし難いけれど、今回も、それを何処か身近に馴染め易く繋いでくれるような映像、という感触がした。

女性として完成、傍にいて疲れない妻、自分に懐いている幼い義理の息子、どうも入り婿のようだけれど、サバサバ接する義母に囲まれ、穏やかな日常の中、冒頭のシーン、そして回顧からその時点に戻る構成で、買い物に行った「バーニーズ」で、自分が昔世話になったオカマ(田口トモロヲ)との再会を起点に、少しずつ現れる非日常、への意識。

目に見える疎外感は、月一回の息子が実の父に会う、という決まり事、位で、後は会社での口喧しい上司、等特にストレスの高まりが描かれる訳ではないけれど、瞳のふとした遊び心で2人でした”衝撃的な嘘のつきあい”の中の、相手の不穏な過去の匂い、とか、そういう感覚の種はちらほらとあったり、

14,5年前高校の修学旅行で、日光東照宮へ行った時、その一角の石の下に置き忘れてきた腕時計、の想い出話、それがもし今もあるとしたら、瞳の妹の画家(栗山千明)が「もう一つの時間が流れているかも知れない」等と言ったのが伏線で、ある朝、ふと会社の前まで来て引き返し、日光行きの電車に。もし時計があれば、このまま何処かへ消えてしまおう、とモノローグ。

で、日光東照宮がもう一つの舞台、時計は、あるメンタル的逃避先、の抽象的モチーフ、ではあったとは思うけれど、あの一角なら、十何年前の置き去りにした時計がそのまま、というようなファンタジー的な出来事が、実際人目につく場所でもなく、もしかして有り得るような、という森閑とした空気。

日光は何年か前初めて旅したのだったけれど、劇中と同じく浅草から東武線で行ったのだった。「buy a suit・・」の隅田川の橋辺りのシーンも少し。市川映像での東照宮の石畳、赤い門、建物、彫刻等、風景が少しではあったけれど、懐かしかった。駅前のバス停で筒井が座ったベンチに「ゆばアイス」の旗が立っていて、もう味は覚えていないけれど、旅の帰途駅前の店で「ゆば」を食べたのを思い出したりした。

妻からすれば夫の、何気ない日常からの突然の逸脱、と言えば「幻の光」('95)等思い出し、この「春、・・」の主人公はあのように、そういう誘惑に駆られはしても、消えたきり、にはならなかったし、そういう本当の危うい深みや痛みの描写、というには、淡く軽い、とも思えるけれど、

西島秀俊が特典映像で、この作品について、生きていて、色んなことに誠実であろうとする程、色んなものを背負い込むけれど、そういう背負い込んだもののお陰で救われる事もあると思う、等と言ってたのが印象的。律儀に誠実なゆえ損したり、嫌な思いをしたり、この主人公のようにある種繊細で悩んだり、軽く合理的な方が現代人としては過ごしやすいのだろうけれど、程度を越すと、そのため人として失くしているものも多い、とも改めて思う。

日常と思っているものの合間に潜む、自分自身の過去、身近な相手の自分が知らない過去、ふとした倦怠、からも、ある感性の人間にとっては、別の日常が、有り得るのではないか、と信憑性帯びる思い、というパンドラの箱、を覗き開けかけた危うさ、を斬った物語、というような感触だった。

市川監督は、30代の特に都会に住む男性の共感、を描けるか、またそういう時代を背負って行く人達を「頑張れよ」と応援したい気持ちもあった、とのことで、そういう意味では、様々な惑いがあり、日常の隙間、にもふと陥ってしまったりするのが人間ではあるのだけれど、自分の芯を大事にしながら日々歩んで欲しい、という応援的ニュアンスかとも。

筒井の息子文樹役の渋谷武尊君、が素直さが嫌味でないナチュラルさ、義理の母役の倍賞美津子もさばけていて、こちらはさり気なく”日常”に根をおろした風格、を漂わせていた。この作品で本当に当面、未見の市川作品、再度書いておくと「ノーライフキング」('89)「ご挨拶」('91)「クレープ」('93)「きっとくるさ」('93)「晴れた家」('05)は見当たらず、追悼鑑賞も最後に。

当面締めのこの作品は、西島+寺島演じる夫婦が日常を生きる東京、非日常へと逸脱する日光、という舞台への馴染みと違和感が入り混じったようでもあったり、やはり淡さの中に肌温かい感触残った市川作品、だった。エンドロールがラップ曲にのせて、画面下半分左から右に流れていたのが、今まで余り覚えなかった。昨夜「いちご白書」「SONGS あみん」録画。(http://www.amazon.co.jp/%E6%98%A5%E3%80%81%E3%83%90%http://www.wowow.co.jp/dramaw/barneys/■追悼・市川準監督■日光の旅BU・SU(’87)大阪物語(’99)東京マリーゴールド(’01)トキワ荘の青春(’96)会社物語(’88)東京夜曲(’97)東京兄妹(’95)竜馬の妻とその夫と愛人(’02)病院で死ぬということ(’93)たどんとちくわ(’98)「buy a suit スーツを買う」あおげば尊し(’05)東京日常劇場<憂愁編>(’91)東京日常劇場<哀愁編>(’91)つぐみ(’90)



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