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昭和43年盛夏、初めて出会った人生の師匠は云った。
未来に羽ばたく使命を自覚するとき、才能の芽は急速に伸びる。

山口開拓指導から始まった。

2021年09月24日 | 誓球の空premium

随筆 誓球の空
山口開拓指導から始まった。


今朝(9月24日)の、聖教新聞一面で見つけた「山口開拓指導」という感慨深いキーワード、
私が山口県下関市で暮らしていたころ、地元では・・・ 「山口作戦」と言っていた。
そしてこの日は、
我が家に創価の縁を結んでくれた祖父が、
55歳で逝った、58回目の命日でもあることから、
在りし日の祖父のことを思い浮かべながら、心して拝読させていただいた。

我が家が、創価家族の仲間入りをさせていただいたのは、
昭和31年の秋から始まった「山口開拓指導」こと「山口作戦」に原点があった。
当時、父方の実家は島根県益田市にあり、たまたま道路を挟んだ向かいの家の方が信心されていて、
「山口作戦」に参加され、師匠とともに山口県内の折伏に参加されていたところから始まる。

お向かいさんは、山口県に来られていた師匠の指導を受けて、
自信に満ち溢れて折伏に挑まれており、
力強い生命力に、幾度となく触れていた祖父と祖母は、
この信心に賭けてみようと決断し、その年の暮れに山口県山口市で創価家族となった。

それから5年後の春、昭和37年3月24日(偶然にも母の誕生日)
とっても寒い日の夕方だったことは・・・ 未だに鮮明に記憶に残っている。
祖父母の紹介もあって、私の家族(父、母、私、妹)は、
山口県下関市で創価家族の仲間入りをさせていただき、以来60星霜の歳月を数える。

三人の子供を総て創価家族に導いた祖父は、きっと安心したのだろう。
その1年後の秋(昭和38年9月24日)、胸の病に倒れ霊山へ旅だっていった。

婿養子であり、祖母には全く頭が上がらなかった祖父だったが、
たった一度だけ、強気でもの申したのが「信心しよう。」と迫ったときだったと、
後に笑いながら、祖母が話してくれたことも、いまとなっては懐かしい思い出になっている。

当時、小学校3年生だった私には、朧気な記憶しか残っていないが、
けっして怒った顔を見せない・・・ とっても優しい人だった。

享年55歳、朝早くから晩遅くまで働きづめなのに、可哀想になるぐらいの早逝だったが、
祖父がいたから、今日(こんにち)の我が家があると言っても過言ではなく、
幾ら感謝しても、しきれるものではない。

師匠が「山口作戦」を終えて、翌年1月に記された日記には
「宿命打開と、広布の布石に、全力傾注の闘争せり。」
「その実証、いつの日に出(い)づるや。」とあるが、
祖父の実証は、3人の子供(父、叔父、叔母)とその家族を、
創価家族に導くことだったと推察すれば・・・ 立派に実証を示したのではなかろうか。

そして創価の看板を背負った父は、仕事に、地域に、組織に、そして自分にも厳しい人だったが、
私の娘が小学校に入る直前、知的障がいがあると分ったときは、共に同苦してくれ、
教育環境に恵まれた東京に住むことを勧めてくれたうえに、
息子が都立高校から創価大学に合格したときは、入学式に駆けつけてくれた。

晩年は俳句や川柳などを楽しみながら、
パーキンソン病とも戦い続け、遠く離れた東京から心配していたが、
梅の蕾が綻び始めた今春
91歳と半年の人生を全力で駆け抜け・・・ 天寿を全うした。

父の自慢は「山口作戦」で祖父母が入会したことと、
自らの戦いを聖教新聞の全国版に載せていただいたことに加え、
息子(私)が、創価教育原点の地に居を構え、
孫が創価大学を卒業し、聖教新聞の全国版に載せていただいたことだった。

いまになって、親孝行らしきことをしてきたかと振り返れば、
片手で足りるぐらいだから・・・ 随分親不孝をしてきたなと反省は尽きない。

国鉄マンだった父が乗務していた、ブルートレイン「あさかぜ」がなくなるとの一報に触れ、
A寝台のチケットをプレゼントしたときや、
故郷の島根県で宍道湖の夕日を眺めながら、思い出に浸っていたときの顔は、
忘れることができない思い出になっている。

今夏の新盆を済ませたあと、祖父母が待つ「中国平和祈念墓地公園」に納骨を予定していたが、
緊急事態宣言を受けて帰郷が叶わず、父は未だに実家の床の間で私の帰りを待っている。
母、そして妹と相談して、今月末には実家に戻ることとし、
山口県内に住む、叔父・叔母と共に広島県の墓園まで納骨に行こうと決めた。

気がかりは・・・ 列島に向かって北上している台風と、
10月第1週に行われる予定の「秋季東京都高校野球大会」の1回戦に駆けつけられないこと

昨春65歳で現役生活(仕事)を完全リタイアし、
満を持して、創価野球の観戦録を書くぞと意気込んでいたのに、
1年半経ったいま、未だに1行も記すことが出来ておらず、1枚の写真も撮れていない。

焦る気持ちはあるものの、父の納骨を済ませないと・・・ 私の親孝行が完結しない。
よって、大変申し訳ないが、
私が記す観戦録は2回戦もしくは、3回戦からとなることをご容赦願いたい。

新型コロナウイルスの感染拡大が、1日も早く収束し、
いつも球場やグラウンドでお目にかかっている、多くの創価ファンの方々と一緒に、
声の限り応援できる日がやってくることを・・・ 心より願ってやまない。

ガンバレ! 創価
待ちに待った錦秋の陣、一気呵成に駆け抜けろ!

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