民内利昭のブログ

民内利昭の教育と陸上指導に関する色々

The Guru

2017-02-06 22:29:17 | 日記

全国大会を見に行ってきました。私の指導したことがある選手が何人か出場しました。最近、私の指導した選手が、決勝の半分くらいを占めないか(特別、勝つ必要は無いが)と考えるようになってきました。私が大学院に入学した当時、どうしても読んでみたい本があったため、その本をGACOSに注文してみました。GACOSは、日本中に存在していれば、ほとんどその資料をそろえてくれる機関です。また、私の大学院入学の目的の一つは、英文の本くらい読み下せるようになることでした。そのため、その英文の本を練習として読んでみたいと考え、注文したのです。ところが、その本は日本のどこの図書館にもないということが分かりました。「大学の図書館にも無いなんてーーー」と、当時は思ったものです。

今年度になり、上手くその本とその2の内容を手に入れることができました。先日、やっとpart1を読み終え、現在、2を読み始めたところです。前のブログにも書きましたが、その内容はあまりにも驚がく的で今の日本のハードル指導がいかにいい加減かを感じさせるには十分な内容でした。具体的な内容に関しては私に会った時にきいてください。ここでは、それを書いた人物について述べていきます。

よく私は、「私の実践は、一般の強豪校の先生とは違います」と言っています。その理由は、強豪高校・大学の大先生方の実践のほとんどは、強い選手を連れてきて指導し、更に強くしたという実践がほとんどであるからです。残念ながら、マスコミ(陸上競技雑誌社を含む)もそのような指導者・選手(もともと強かった選手を強くした指導者・もともと強かった選手で更に強くなった選手)を、もてはやし(雑誌社に連絡し、私のやり方を導入して全国大会出場を果たした全校生徒30人に満たない学校を取材して欲しいと伝えたのですが打目だったようです)ます。それでは、その強豪校の先生のやり方をそのままやれば、どこの学校でも強くなるのでしょうか?答えは否です。一般の学校には、強豪高校・大学ほど、強い選手は入学してこないからです。その強い学校の指導内容が明かされていたとしても、その指導内容は一般の生徒たちの指導には使えない(やっても伸びない、または伸びたとしてもかなり無理があり、怪我人・先に行って伸び悩む選手を出すだけ)だからです。陸上競技雑誌社の人たち、あなたたちは、そのような人たちを重点的に取材していませんか?この実態が、日本の陸上競技がマイナーである大きな理由ではないかと考えるようになって来ました。

私がやっと読むことができた本を書いた人物は、「THE GURU」と呼ばれていたようです。「彼に、あなたの陳腐な、あなたの貧しい人たち、あなたのひどいごみを送る、そしてWRは彼らから記録ブレイカーをつくるでしょう.
彼は何十年間も(今まで)それをしていました - 高等学校のコーチ、大学のコーチ、インターナショナルコーチとして、そして現在グルとして。」これは、その本に記述されている一部です。私が一般の強豪校の先生と異なる点は、普通の選手を強くしてきたところ、普通の生徒を有名大学に入学させたことではないかと考えるようになってきました。指導者として優秀な指導者となりたい方、是非、なんでもなかった生徒・選手を全国で戦える選手にすることを目指してください。


日本のハードル指導

2017-01-16 23:17:47 | 日記

今回のオリンピックで男子100mの選手が準決勝に複数名残りました。その勢いをかって、リレーでは史上初の銀メダルを獲得しました。それに比較して、日本のハードル種目は、依然、低迷を続けています(世界代表となることができるレベルの記録を保持している選手がいないか、代表となったとしても予選を通過できない)。この原因はどこにあるのでしょうか?日本人には本来、ハードルのような技術中心種目は、得意なはずなのですが。私は、「日本のハードル研究が、欧米に比較して50年以上遅れていることが、世界で戦えない大きな原因ではないか」と考えるようになってきました。

年末に学会に参加したとき、以前私が指摘した「おかしな研究」と同じ手法の間違えを犯した研究う発表が行なわれていました。その発表者は、選手としては日本の一線級で活躍した方で、選手引退後にはお約束のように大学の先生となり、発表していました。少しくらいおかしな研究でも「仕方ない」と思って聞くことにしているのですが、さすがにこの時ばかりは、発表者には申し訳ないのですが、かなりきつい質問をさせてもらいました。距離の要因を省いて、タイムだけで比較検討して良いわけがありません。ゼノンのアポリアと同じ間違えを犯してしまいます(先行したカメを、アキレスはいくら行っても追い越せない)。その発表者は、競技だけやっていて、勉強は疎かだったかというと、そうでもなさそうです。高校・大学ともにかなりレベルの高い学校を卒業しています。それでは何故、その様な人がおかしな研究を行なってしまうのでしょうか?ここに日本のハードル研究の遅れが存在しているものと私は考えるようになってきました。アメリカでは50年以上前に最終目標としての110mハードルの記録を、12”5に設定していました。今の日本の陸上競技指導者で、このような発想で指導を考えている指導者は、何人いるのでしょうか?

中学生にこのような内容について話をしたところ、ある中学生は「マシンガンに、竹やりで向かって行くようなものですね」と言っていました。この中学生の言葉は、現状を鋭く突いているように感じます。日本の一線級を指導する機会の多い指導者は、口をそろえて外人(特に黒人)と日本人の才能の違いについて言及します。しかし、近年、インターハイを見学に行ってみると準決勝以上に残ってくる選手の体格・センス(ちなみに私にとって、体力は殆んど眼中にありません)には、光るものを感じさせる選手がかなりいることに気付きます。皆、この素晴らしい選手たちは、どこに消えてしまうのでしょうか?最近、ハードルの指導をアメリカの50年前の指導に近付けるドリルを開発しました。この内容が日本全国に広まっていかないかと考えています。今までの指導が悪すぎます。先日、本屋で立ち読みしたハードルの指導について書かれた本には、ハードルのインターバルは4歩ということで紹介していました。歩数の数え方は、バスケットボールカウントだけではありません。小学校の先生が執筆していました。果してこのような指導者に、学校体育を含む日本の体育・スポーツ指導を任せて良いものなのでしょうか?

 


駅伝熱

2017-01-07 23:08:07 | 日記

年末から年始にかけて、いくつかの駅伝大会、マラソン大会のテレビ中継がありました。特に年始は家でごろごろして過ごす場合に駅伝中継は、良い(アホなお笑い芸人の出演する番組を見るより)テレビ番組の一つとなっています。以前にも書きましたが、毎年その熱狂振りが酷くなっている様なので、駅伝の熱狂振りについて書きます。

陸上競技の関係者としては、陸上競技の種目が全国版のテレビ中継で放映されることは、競技の発展につながることとなるため、喜ばしいことと考えています。ただ最近は、「箱根駅伝」の熱狂ぶりには疑問を抱かざるを得ません。箱根駅伝は「関東学生陸上競技連盟が主催する駅伝大会」であり、関東地区の大学の駅伝競走大会だけが、全国版のテレビで報道されていて、それ以外の地区の大学駅伝大会の報道は、全国版のテレビ局等での報道が、ほとんど行なわれていない実態が存在するからです。全国大学駅伝は存在しますが、その時の報道よりも関東学生陸上競技連盟主催の駅伝大会の方が華やかに報道されてしまっているように思えてなりません。全国版のマスコミ報道は、必然的に、関東地区の大学に優秀な長距離選手が集まることにもつながり、それ以外の地区には集まりにくくなっているのではないでしょうか?

私は指導法の実践研究を薦めていく中で、中学・高校の強豪校の選手であった者が、その後に意外と伸びていない実態が存在することに気付きました。よく考えてみれば分かることですが、一流選手のトレーニング内容をそのまま若年層のジュニア段階の選手で実施すれば、ある程度効果は上がり勝利することはできるけれども、その分、身体への負担を多く受けるため、将来においては伸び悩む原因になっているのではないかと考えるようになりました。私の先生は「選手の持っている器というものはある程度決まっていて、早期に一流選手の実施しているトレーニングの強度と量を実施すれば、ごつごつした大きな岩が器の中に入ってしまい、将来においては入れるものが入らなくなってしまう」といった表現をして、一流選手のトレーニング強度と量を早期に実施することに対して、批判的に考えていました。

現在の箱根駅伝の熱狂振りから、10年前の箱根駅伝の本大会出場レベルでは到底、現在の箱根駅伝には出場できなくなっています。それではそれだけ日本の陸上競技界のの長距離が強くなっているかというと、10年以上前のマラソン男女の日本記録すら更新することができない状況が存在します。特に現在の男子の世界記録周辺の記録は、2010年以降に樹立された記録がほとんどです。つまりそれだけ世界との距離が離れていると考えてよいのではないでしょうか?私は、その原因に駅伝大会の熱狂振りがあると考えています。駅伝大会を考案した金栗氏の狙いは、マラソン・長距離種目への速やかな移行だったはずです。ところが、いつの間にか駅伝大会が優秀な才能を持っている長距離選手たちの最終目標になってしまっているのではないでしょうか?鉄分注射の問題も含め、駅伝熱が、若い優秀な才能を持っている選手を、目先の駅伝大会で勝利すること第一主義に向かわせているのではないでしょうか?これは日本の陸上競技界の指導に関して言えば、何も駅伝競走だけの問題でもないかもしれません。目先の勝利のために、身体に負担の大きい距離・トレーニング量をこなさせるよりも、若い才能を持った選手には、もっと取り組ませるべき内容が存在するのではないかと考えるようになってきました。


何のためのアスリートファースト?

2016-12-31 21:34:10 | 日記

最近、「アスリートファースト」という言葉を耳にする機会が多くなってきました。指導者として指導していく中で、陸上競技に良い才能を持っているのに、一人または少数の指導者の指導しか受けられずに、その才能を開花することなしに消えていってしまっている選手が多いのではないかということに気付き始めました。この「アスリートファースト」の目的は何なのでしょうか?私は、アスリートが伸びていける方向で、すべての環境を整えてあげることではないかと考えています。

とかく選手が伸びないと、「その選手の才能はそこまで」と考えがちです。しかし、多くのケースを目にして感じることは、一人の指導者の指導にその選手がぴったり合うということは少ないということです。私の場合、指導している選手に才能があると感じた場合、次の二つを心がけました。①私一人で囲まず、できるだけいろいろな人の指導を受けさせる。当然、ある程度指導者を選んだ上ですが。②できるだけ最大筋力トレーニング・レジスタンストレーニングは行なわせない。身体が柔らかくなる程度のトレーニングは行ないますが。

このような私の指導を受けて、次のステージ以降に行った選手が、後に私を訪ねてきたときに、現在所属している指導現場の閉鎖性について「戸惑っている」といった話をした者が何名かいました。いろいろ考えてみましたが、指導者と選手が合っている場合とは、その選手が指導されて記録的にも伸びているし、伸びていることを本人が直接感じ競技することに対して楽しさを感じている状況ではないでしょうか?

今年の学会発表の中に入れましたが、「指導者の都合」が優先している指導現場がかなり存在しているように感じています。アスリートの受けたい指導をもっと受けさせれば、その選手はもっと大きく羽ばたいていけるのではないか、と考えるようになってきました。日本の陸上競技指導は、小中高大とぶつ切り状態になっています。すなわち、それぞれの段階の指導者がすべて異なっている場合がほとんどなのです。すべてに当てはまる指導法など無いのではないかと私は考えています。一人の選手は一人の指導者の持ち物ではありません。海外では、誘っておいてその選手を伸ばすことができなかった場合、訴えられるケースがあるとききました。それだけに、指導者が一人の選手を抱え込むことなく、ある程度選手に指導者を選ばせて、指導を受けることができる状況を作り出してあげることが、真の「アスリートファースト」となるのではないでしょうか?また、来年書きます。良いお年をお迎えください。


進路

2016-12-02 05:24:51 | 日記

よく指導に行った先で知り合った生徒から、進路について相談を受けます。私はいつもそんな時に話す内容は「そんなに遠くのブランド校(名前のよく知られた強豪校ー私はこのような表現をしています)に行かなくてもいいのじゃないか。地元の、家から1時間以内で通える学校の方が良いよ」といった内容の話をします。なぜだと思いますか?

私の教え子で日本代表になった選手の一人は、大学まで家から通学しました。彼は進学する際に「自分は、遠くの学校に行ったら駄目になるかもしれない。」と言いました。そして自宅から通うことで調子が悪くなった(怪我をしたり、伸び悩んだ)ときに、私のところに顔を出すことができました。そのことが功を奏して、体調を崩したりなどが原因となる、伸び悩む期間が少なく、大きな怪我をすることなく、上手く選手として伸びていくことができました。また入学後に直ぐ自己記録を更新できたように、高校時代に目標を達成できなかった悔しさからか、練習を大学入学まで停止することなく続けられたことも、彼の選手として伸長した理由として挙げられます。

もう一つ例を挙げると、今年のリオオリンピックの女子(男子よりも指導の影響を受けやすい)日本代表となった選手の多くは、「中学・高校時代から優秀な選手として活躍を続けてきた選手ではない」ことが挙げられます。あの短距離(短距離・跳躍系選手は若い頃から才能を示すことが多いと言われる)の福島選手でさえ、高校時代にはトップに立っていませんでした。彼女の選手として大成するに至った大きな理由は、あまり環境を変えることなく、地元の同じ指導者に指導を受け続けたことではないでしょうか?また、女子マラソン代表となった千葉県出身の選手などは、駅伝強豪校ではない学校の出身で、高校時代には県大会に出場するかどうか程度の選手であったということです。今でも覚えていますが、その当時、千葉県の駅伝ブランド校の監督の先生が、「今年、あと1~2名の選手を獲得できれば完璧なのだけれどもな~」といった話をしていたことを覚えています。その時の優秀であった選手たちは、どこへ消えていってしまったのでしょうか?

進路を誤ってしまい、進学した高校・大学時代に思ったように伸びなくても、諦めないでください。陸上競技に対する情熱を失わず更なる進歩を考えているようでしたら、卒業後に自身が伸びていたときの指導者の元で練習をすることをお勧めします。日本ではあまり関心が持たれませんが、どの学校に行くかよりも、どの指導者の指導を受けるかで、その選手の成績は決まってしまうと思っています。日本の陸上競技の現状は、小・中・高・大と進むにつれて指導者が変わっています。これが「日本の陸上競技が世界で戦えない」一つの理由ではないかと考えています。