民内利昭のブログ

民内利昭の教育と陸上指導に関する色々

中学通信陸上大会に行って

2017-07-23 19:17:06 | 日記

中学通信陸上大会に行ってきました。残念ながら私の居住しているC県ではありませんが。行ってみて感じることは、少しずつですが、私のやり方に興味を示してくださる方が増えてきているということです。各県の中学生を中心として指導している中で気付くことは、日本の陸上競技は成人では世界ではあまり戦えていませんが、上手く育ててあげれば世界レベルで戦う選手が結構多くいるのではないかということです。

それでは何故、日本の陸上競技は世界で戦えていないのでしょうか?水泳競技は戦えているというのにーーー。中国の故事に伯楽という人物が出てきます。これは人から聞いたことなので、その真偽は私は文献で確かめてはいないのですが、その伯楽という人物は、千里を走る馬を育てることができる名人ということになっています。その際に、千里を走る馬の基になる駿馬は、比較的どこにも存在するけれども、それを育てることができる伯楽はどこにも存在するものではないということになっています。現在の中国のスポーツ政策をみてみると、優秀な(指導実績のある)指導者を強化のトップにおき、強化を進めていくように感じています。それに比較して日本のスポーツ政策は、競技で強かった人をトップにおき、強化を進めているように感じています。

競技で強かった人は、自身の成功体験があるためにその考えを捨てることがなかなかできないようです。これが障害となり、競技が強かった人が指導した場合、上手く結果に結びつけることができないでいる例が多く存在するように感じています。千里を走る馬となる才能を保持している選手は比較的多く存在しているというのにーーー。これが日本での諺となっている「名選手、名監督ならず」ということにつながっているのではないでしょうか?アメリカでは、選手としての競技成績は指導能力および研究能力には結びつかないというようにとらえられているようです。残念ながら、日本ではいまだに競技実績を持った人物が、「指導能力が高い」「研究能力が高い」と考えられている節があります。

ハードル指導一つとってみても、各県の強化の先生が指導する内容の多くは「遠くから踏み切って近くに着地」「ハードル選手はハードルに当っても大丈夫なように体力・筋力をつけるべきである」「女子のハードルは低いからディップはかける必要はない」---といった指導内容が聞こえてきます。私からみれば、このような指導内容は、運動の物理学的法則・生物学的法則をまったく無視したその人の思い込みによる指導内容であるように思われます。小中学校時代に強かった選手が年齢が進むうちに消えている大きな原因は、指導内容がしっかり確立されていないことによると考えるようになって来ました。

 


日本の陸上競技が強くなるには

2017-07-04 23:45:38 | 日記

日本選手権が終了しました。大会前から男子100mでは、9秒台が出るのではないかと、かなり騒がれていましたけど、結局その願いは叶いませんでした。どこに問題があるのでしょうか?私は、陸上競技のような面白くなく辛い種目は基本、日本人には合っているのではないかと考えています。ある見方をすると、ただ走るだけ、跳ぶだけ、投げるだけの競技です。その競技の取り組む人物にとって、面白くなく、つまらない、辛い競技であるに決まっています。しかし、このような種目であるからこそ、日本人の気質にあっているのではないかと考えています。

しかし、現在のところ日本人は陸上競技においてはほとんど世界で戦えていません。以前戦えていた長距離種目でさえも、最近では戦えなくなっています。この原因はどこにあるのでしょうか?私は、日本人が陸上競技種目で世界で戦えない原因は、次の三つではないかと考えています。

①若年層から目先の勝利を得るために、筋力トレーニングを中心として指導を展開していること。

②一流選手をさらに伸ばすことができる、優秀なコーチ(指導力+研究力を保持)を計画的に育てることができていないこと。

③海外の優秀な指導および指導者の情報を上手くキャッチできていないこと。

特に最近、③に関して、その情報不足を痛感しています。日本が太平洋戦争で敗北したのと同じ状況が、現在のスポーツ現場で起きているのではないかということを感じ始めています。現在日本で行なわれている指導内容は、何十年も前から行なわれてきているものがほとんどではないでしょうか?それではこれを打開するためには、誰が取り組むべきなのでしょうか?私は体育・スポーツ分野での実践的な研究者および高いレベルの選手を指導する指導者ではないかと考えるようになって来ました。残念ながら現在、このような立場にある人たちが、その役割を十分果たしているとは言えない現状が存在しています。

 


優秀な選手が指導した場合

2017-05-29 22:07:10 | 日記

先日、私が批判的にみている番組で、「一流の選手が、中学時代に日本一になった選手を指導する」といういつものパターンの放送がありました。その選手は、自身の選手としての感覚を用いて、必死に相手の競技力向上のために指導しようとしていました。しかし残念ながら、当初のターゲットとしていた記録の更新はなりませんでした。放送の中で「指導して動きが直ぐ変わった」というところはありましたが。

なぜ一流選手が中学日本一の選手を指導しても、直ぐに記録が伸びてこなかったのでしょうか?答えは非常に簡単です。その選手の保持している身体感覚通りに指導しても、競技力向上のための指導のコツは別のところに存在しているから、です。現在、大学の研究機関を中心として、体育・スポーツコーチングについて研究が進められています。しかしその研究の中心は、独自の指導の方法を保持している名人芸とも言える指導者の指導方法を読み解くことではなく、選手の運動動作の分析中心に行なわれています。ここに大きな溝が存在します。

理想とされる運動動作が、いくらこと細かく科学的に分析されて明らかにされたとしても、その動作を作り出す(対象とする選手に行なわせる)ための指導の方法のコツは、まったく別のところに存在することが珍しくないのです。現在私は、海外の名人とも言われた指導者の書き残した著書を読み解き始めています。その中には驚愕の事実がいくつも記述されていることに気付きました。これを読んで感じたことは「果たして日本のスポーツ界が世界で戦えていないのは、アジア人である私たちの民族性(身長が低くて、骨盤が欧米人に比べておきている)が原因なのでしょうか」ということです。

このような書を読み進んでいるうちに、考えたことをここで書いておきます。日本(世界的かも)の体育・スポーツ分野においては、競技者として強かった選手とバイオメカニクスを中心に研究者養成が行なわれてきました。すなわち、現在の日本においては、オリンピック選手とか日本代表になった選手が研究者としてバイオメカニクスの手法(動作分析)を身につけるように養成され、大学等の研究機関に多く存在しています。ところがこのような人たちは、エリート競技者としての自身の感覚から抜け出すことができないために、新たな発想を持って研究・指導ができていないのではないでしょうか?しかも、このような指導の天才が書いた海外の書を読み解くだけの技量(英文だけでも良いが、競技に関する最新の科学的な情報を日本人に合った指導の際の専門的な内容に還元できる技量)を保持していないために、せっかく文献として存在している競技力向上のためのコーチングの最新情報を実際の指導に活かせていない、のではないでしょうか?

最後に今回の私の主張を簡単にまとめておきます。従来日本で優秀な指導者・研究者の卵としてみられてきた、世界で戦った一流競技者を、現役引退後に研究者・高いレベルの選手を指導する指導者にしたとしても、新たな発想で研究・指導ができないために競技力向上には結びついていないのではないか、ということです。

 


天才の終焉

2017-04-21 21:34:11 | 日記

フぃギュアスケートのA選手が、引退を宣言しました。周囲は、その選手の功績を称えるに加えて、引退を惜しんでいます。私は彼女に関しては、別の見方をします。どの世界でも天才をしっかり育てることのできる指導者は少ないようです。中国の故事の中に出てくる伯楽に関しては、以前にも書きましたが、次のような内容が記されているようです。

すなわち「千里を走る馬となるべき駿馬は、比較的どこにも存在する。しかし、それを千里を走る馬に育成することのできる人物は、限られてくる。」確かにA選手は、天才であったようです。しかし、その選手が育つに当って、育てることができる指導者を選択し損なったように私には感じられます。

選手が強くなってくると、その選手は年齢が若ければ若いほど、わがままになってくるようです。その時に、指導者のとる行動に選手がいかに対応するかによって、その選手がそこで終わるか、もっと伸び続けられるか、が決まってくるように感じています。非常に能力の高い指導者であったら、誉めそやしながら伸ばすことも可能でしょう。しかし、一般の指導者であったなら、所々で自身の指導ステータスと異なる行動を取る選手に対して、苦虫を噛み潰すことが多くなってくるのではないでしょうか?

なぜ、A選手が天才と言われたのに、大成し切れなかったのか?私にとってみたら、答えは簡単です。自身が伸びて、その才能を十二分に発揮できている時の、指導者の指導を最後まで扇ぐことができなかったところに、運命のあやがあったと。かつて陸上競技の障害走で、若干22歳で世界記録を更新した選手が出てきました。その選手も、残念ながら、その才能を伸ばすことができませんでした。また、オリンピックで金メダルを取った選手が、指導者を替えた途端に、走れなくなっています。私にとってみたら、この三つのケースはまったく同じように思えてなりません。すなわち、伯楽には誰でもなれるわけではない(競技レベルが高かった者、多くの知識を保持している者が、必ずしもなれるわけではない)のですよ。

前にも書きましたが、強くなればなるだけ、多くの人がいろいろなことを言ってきます。そのときの指導の良し悪しの判断基準を忘れてはいけません。その答えは簡単なのですが、有名になってきた選手にとっては、多くの情報が入ってしまっているために、判断できなくなってしまうようです。要は、自身の成績がしっかり出せている(伸びている)時の指導者の指導・助言を、自身が納得した形で常に選ぶことができるかどうかではないでしょうか?


海外の優秀な陸上競技指導書を読んで

2017-03-15 22:44:42 | 日記

私が大学院に入学した目的の一つに、「英文の文献を読めるようになる」ということがありました。日本の陸上競技の指導現場で、その人独自の理論を保持し、普通の生徒を県大会入賞以上に育ててみせる人物の多くは、残念ながら英文の文献を読み下すことはなかなかできないようです。そのため、海外の優秀な指導者の実践を自身の指導理論を絡ませて読み下し、自身の実践に導入することは、ほとんど無いと言っていいかも知れません。私は、短距離・ハードル走指導に関して、独自の理論展開を保持しています。この理論は、もしかすると長距離・跳躍等の種目でもそのまま使えるものかもしれないと思っています。

昨年から、アメリカの陸上競技の短距離・ハードルを支えた人物の著書(陸上競技指導書)を読み進んでいます。その中で、ハードルのドリルのような基本運動が書かれた部分がありました。その内容は、私にはとても共感できました。すなわち、その本に書かれている内容は、指導法を独自に追い求めている私自身の指導法に上手く当てはまる指導内容になっています。しかし、今、日本で当然のように行なわれている指導法で指導している指導者の目には、異端にしか映らないかもしれません。それだけ海外の進んだ指導者の指導法は、現在日本で行なわれているハードルドリルとは異なったものになっていたということでしょう。

現在、この本に書かれている内容を中心にして、更に日本人に合った内容に少しずつ改良を加えながら、私の指導法の研究に興味を示す人たちに伝えて、実践の場で検証してもらい始めています。ただ、私の指導法は、日々進化しているため、2~3ヶ月前にお伝えした内容とは少し異なった内容になっています。よく、私の指導法を一回見たから大丈夫(理解できた)と考える人たちがいます。大きな間違えです。また、方法論的に捉え、自身の実践の中に少しだけ加えようとしたり、それを自身の実践であまり実践しない状態で他の人に伝えることも、最近、「間違えではないか」と考えるようになってきました。そんなに「一度や二度見たりきいたりしただけで、分かって使える内容(方法)ではないのではないか」と考えるようになってきました。実は私の指導法の場合、歩行から障害走まで、すべての動きは繋がっています。私とその文献の共通点は、「走るフォームとハードリングの理想的な形を作ることではなく、前に進むためにいかにハードリングを含めて動くか+練習の中での記録を、いかに活用するか」という発想の基に成り立っているところです。また、現在の日本の陸上競技界のいくつかの種目で、日本記録がなかなか更新されない原因もわかってきました。