中学通信陸上大会に行ってきました。残念ながら私の居住しているC県ではありませんが。行ってみて感じることは、少しずつですが、私のやり方に興味を示してくださる方が増えてきているということです。各県の中学生を中心として指導している中で気付くことは、日本の陸上競技は成人では世界ではあまり戦えていませんが、上手く育ててあげれば世界レベルで戦う選手が結構多くいるのではないかということです。
それでは何故、日本の陸上競技は世界で戦えていないのでしょうか?水泳競技は戦えているというのにーーー。中国の故事に伯楽という人物が出てきます。これは人から聞いたことなので、その真偽は私は文献で確かめてはいないのですが、その伯楽という人物は、千里を走る馬を育てることができる名人ということになっています。その際に、千里を走る馬の基になる駿馬は、比較的どこにも存在するけれども、それを育てることができる伯楽はどこにも存在するものではないということになっています。現在の中国のスポーツ政策をみてみると、優秀な(指導実績のある)指導者を強化のトップにおき、強化を進めていくように感じています。それに比較して日本のスポーツ政策は、競技で強かった人をトップにおき、強化を進めているように感じています。
競技で強かった人は、自身の成功体験があるためにその考えを捨てることがなかなかできないようです。これが障害となり、競技が強かった人が指導した場合、上手く結果に結びつけることができないでいる例が多く存在するように感じています。千里を走る馬となる才能を保持している選手は比較的多く存在しているというのにーーー。これが日本での諺となっている「名選手、名監督ならず」ということにつながっているのではないでしょうか?アメリカでは、選手としての競技成績は指導能力および研究能力には結びつかないというようにとらえられているようです。残念ながら、日本ではいまだに競技実績を持った人物が、「指導能力が高い」「研究能力が高い」と考えられている節があります。
ハードル指導一つとってみても、各県の強化の先生が指導する内容の多くは「遠くから踏み切って近くに着地」「ハードル選手はハードルに当っても大丈夫なように体力・筋力をつけるべきである」「女子のハードルは低いからディップはかける必要はない」---といった指導内容が聞こえてきます。私からみれば、このような指導内容は、運動の物理学的法則・生物学的法則をまったく無視したその人の思い込みによる指導内容であるように思われます。小中学校時代に強かった選手が年齢が進むうちに消えている大きな原因は、指導内容がしっかり確立されていないことによると考えるようになって来ました。