
ー始動ー(完)
―一緒に暮らしませんか―
よく意味が分からず一瞬蓮がフリーズしていると、ドアのところにいたのだろう。幽助や桑原、その他のギャラリーがドアをバンッと開け、雪崩のように入ってきた。
蓮が何かを言う前に周りの声が響いた。
「くっ、くっ、蔵馬ー、何いってんだよっ!!」
唾を飛ばす勢いで桑原は蔵馬に言った。
そんな言葉が彼から出てくるなんて信じれないという顔をしている。
普段から崩れ気味な顔がさらに崩れているのは、いうまでもない。
「ちょ、桑原うっせぇよ!!てかどうしたんだ、蔵馬!!?」
びっくりしすぎたのかひっくり返っていた幽助はバッと起き上がり、蔵馬に詰め寄
った。
「蔵馬くん、本気なの?」
「へぇー、やるじゃん。蔵馬くん」
「蔵馬、本気なのかい?」
「み、皆さん落ち着いてください」
今日初めて顔を会わした幽助の幼馴染(蔵馬曰く「恋人みたいなもんですよ」ということだが)の景子さんと、静流さん、ぼたんさんはすごーいと騒いでいる。雪菜ちゃんは結構冷静である。
蓮はまだ頭に霧がかかっているのか、皆に付いていけていなかった。
自分に対し、言われた言葉だが、周りの反応がすごくて、それを呆然と見ていた。
「なんですか。・・・皆、何か勘違いしているみたいだけど、俺は南野の家に連が良ければ同居しないかと誘ったんですよ」
「南野の家ぇー!?」
「そうです。また蓮が一人になって妖怪に襲われたらどうするんです?しかも、薬を飲まなければ妖気が溢れるんですよ。誰かが付いているほうがいい。けれど桑原君のうちには雪菜ちゃんがいますし、幽助のところは、というか幽助は彼女の保護者には向かないでしょう。ですから俺と一緒にいたほうが俺としては薬をちゃんと飲んだかどうかで心配しなくてよくなるんですよ。・・・それに一人はやはり寂しいですしね」
蔵馬は優しそうに蓮に笑った。
「蓮が良ければですけど。両親は了解してくれてますんで、そこは心配いりませんしね」
用意周到である。
自分の息子が妖怪と知らないにしても、さらに妖怪の友達、しかも女の同居を許すなんて。いったい蔵馬はどうやって親の説得をしたのだろうか。皆はうーんと唸った。蔵馬のことだから、うまいことやったことは間違いないのだが。彼は本当に頭の切れる本性は狐であるのだから。
この話題の中心人物なのに、一人カヤの外で眺めていた蓮は布団に視線を落としながら言った。
「蔵馬、心配をかけて申し訳ないけど、私は・・・」
蓮が断ろうとすると
「蓮、あなたに今必要なものは安らげる場所です。あそこはあなたにとって安らげる場所ですか?人は変わろうとしなければ変われないんですよ。自分でその一歩を踏み出さないとね。・・・あなたは今の現状に満足しているんですか?」
そう言われてしまえば、変わる必要を感じていた蓮には断ることが出来ないでいた。
誰かの優しさに甘えることを知らなかった蓮は、家族というものを知らない。それは自分にとって辛い過去でしかなかったのだから。
けれども家族に憧れもあった。自分が得られなかったものをそこでは得られるのだろうか。いや、得られなくとも、こういうのもあるのだと少しでも自分が変われるのなら、行く意味はあるのだろう。
「・・・わかった」
少し思案していたのか、きつく閉じられた瞳が開けられ、蔵馬をじっと見つめ、頭を下げた。
「よろしく・・・」
そうして蓮の新たな生活がスタートするのだった。
ボストンバック二つに必要な荷物を詰め、玄関に置く。
靴を履き、家の中を振り返る。楽しいことなどほとんど皆無で、辛い思い出しかない家。それでも出るとなるとなぜか物悲しい気持ちになる。
しかしもうここにはいられない。
自分を変えていくために。そう、自分で決めたのだ。幼いころから何一つ欲しいものを手にいれることが出来なかった。ここを出、何を得ることが出来るかはわからないが、蓮は今まで感じたことのないような高揚感を少なからず感じていた。
「蓮、準備は出来ましたか?」
蔵馬は蓮を迎えに来ていた。
蓮に一緒に暮らさないかといったのが二日前であり、早急だといわれればそうだが、今日蓮は自分の家に越して来る。
荷物は特にないのかボストンバック二個だけが玄関に置かれていた。
連は一通り家を見渡し、荷物を手に取った。一つを蔵馬が持った。
幼いころから過ごした家に最後に一瞥をくれ、ドアを閉めた。
―南野・畑中宅―
「ただいま」
「おかえりなさーい」
蓮が蔵馬の家に着くと、中からパタパタッと彼の家族がやって来た。今日は日曜日ということもあり、父親もいたのであろう。家族が揃っている。
家に向かう途中、蔵馬から家族については聞いていた。一昨年蔵馬の母親は畑中商事の社長と再婚し、今は畑中氏の息子を合わせた四人暮らしである。
そしてここで暮らすにあたり、蔵馬からは一つ約束して欲しいことがあると言われた。
「俺は人間界では南野秀一として暮らしている。だからここでは蔵馬ではなく、秀一と呼んで欲しい。あと家族は俺が妖怪だとは知らないから」
最後の言葉はどこか寂しそうだった。
玄関で立ち話も何だからと、蔵馬の母親はとても優しそうな笑顔で蓮を迎え入れた。
蓮は玄関で靴を脱ぎ、リビングへと通された。
きれいに掃除され、整頓されたリビングは優しいクリーム色のソファーに色を合わせたようなフインキになっていて、所々にさりげなく花が飾られていた。
この母親のフインキにそっくりである。蓮は少し気後れを感じていたが、蔵馬に促され、ソファーに腰掛けた。
すぐに紅茶を持って蔵馬の母、しおりが現れ、会話が始まる。
「はじめまして。秀一の母です」
優しそうにしおりは目を細め、微笑んだ。
「はじめまして。父の畑中です。うちの事情については聞いてらっしゃるかな?」
畑中氏もとても温厚そうな笑みを蓮に向けている。
蓮はゆっくりはいと言った。彼らの笑顔が眩しすぎて、蓮は目を細めた。
「・・・はっ、はじめまして!!弟の秀一です。兄貴と一緒の名前なんで紛らわしいけど、秀と呼んでください」
蓮の容姿に玄関先からずっと固まったままだった弟君は顔を真っ赤にしながら自己紹介をした。その様子を蔵馬:秀一は笑ってみていた。
「兄貴、笑うなよー」という声がリビングに響いていた。
そして蓮に注目が集まる。
蓮は彼らを見つめ、高くも低くもない静かな声で自己紹介をした。
「はじめまして。一条蓮です。今日からよろしくお願いします・・・」
「・・・あと、あの、もしご迷惑でしたらいつでも言ってください」
最後の一言は言うつもりはなかったのか、少し間をあけ、ぽろっと零れ落ちてしまったものだった。
蓮自身自分の言葉に瞳を揺らした。
秀一も秀一の家族も蓮を見つめている。
秀一から蓮についてはあらかじめ話は聞いていたが、ここまでとは・・・。愛されることや必要とされることを知らず、人と過ごすことがなかったからなのか、少女は秀一や弟の秀一と同じ年頃だというのに感情があまり見えなかった。初めて会う自分たちにも少しばかり緊張しているだろうが、それを見せない。いつの間にか彼女が身に着けた鎧はかなり厚く、容易には剥がれるものではないらしい。
畑中は静かに口を開いた。
「迷惑だなんて。ここは今日から君の家だ。何も気兼ねせず過ごして欲しい。悩みがあったら相談してくれたらいいし、不満があったら言って欲しい。溜め込む必要なんてないし、迷惑だなんてないんだよ」
畑中は優しく連に言う。
「君は今日からうちの家族なんだよ」
蓮は驚いたように切れ長の目を見開いた。
まるで信じれないことを聞いたかのように。しかしはっと表情が動いたのは一瞬で、蓮はすぐいつもの表情に戻り、かすかに笑って言った。
「ありがとうございます・・」
そして連は蔵馬の部屋の隣の部屋を貰い、南野・畑中家での暮らしが始まった。
蓮にとってここでの暮らしを始めて一週間は何もかもが新鮮で、毎日が驚きだらけだった。
朝起きれば家族におはようと挨拶をし、一緒に朝食を食べ、仕事に行く畑中と学校に行く秀一二人を見送り、昼間はしおりと家中を掃除したり、他愛のないおしゃべりをしたり、お菓子を作ったり、夕方には仕事や学校から帰ってきた秀一たちと家族揃って食事をしたり、食後の団欒ではテレビを見ながら他愛のないことを話したり。それらすべてが蓮には初めてのことであり、はじめは困惑していた。
こんなに暖かいものがあったことを知らず、それに対応する術がなく、感情が付いていかない。いや感情を表す術を知らないのだ。
それでもしおりや秀一たちと過ごすこの一週間で、蓮は以前よりも笑うことが多くなっていた。
「蓮ちゃんとこれ作ったのよ」
夕食後の団欒の席で、しおりは昼間蓮と焼いたアップルパイを出した。
アップルパイは甘い匂いを漂わせながら、お皿に切り分けられていく。
「へぇーおいしそうだね」
蔵馬は人数分のホークを用意している蓮の傍に立ち、微笑んだ。
蓮は蔵馬を見つめる。
今こうしているのは彼のおかげである。
まだ一週間だが蓮は自分でも分かるほど心に変化があったことを知った。
この感情をくれたのは蔵馬なのだ。蓮は蔵馬に目線を合わせて、小さな声で呟いた。
「ありがとう・・・」
蔵馬は急にお礼を言われ、先ほど言った事に対してと思ったのか、また微笑んだ。
蓮も手伝って作ったアップルパイはすぐに皆の胃の中に消えた。
「そういえば、蓮ちゃん学校はどうするんだい?」
急に思い出したかのように畑中がテレビから顔を上げ、斜めのソファーに座っていた蓮に話し掛けた。
蓮は中学の途中から家に閉じ込められ、学校にはずっと行っていなかった。勉強は家にある本を読むことしかしておらず、それも語学や文学ばかりで、数学などはまったくであった。
「学校…ですか?・・・中学の途中から行っていなかったので、今更行けるとは思いません」
蓮は少し目を細め、学校生活への憧れを打ち消した。
「・・・そうか。だがもし行きたいのなら、今からでも遅くないんじゃないかな?」
畑中は秀一を見た。
「そうですね。蓮さえやる気があるなら勉強は俺が教えますよ」
なんといっても彼はこのあたりでもっとも有名な盟王高校の主席である。
しおりも弟の秀一も蓮の返事を待っている。
蓮は以前から学校に行きたいと思っていた。しかしずっと自分には無理なのだと諦めていたのだ。だからずっと考えないようにしてきた。ここで暮らすようになっても、秀一たちが学校に行くのを見送るしか出来ないのはしょうがないのだと。
しかし畑中や蔵馬の言葉で、忘れていた思いが強く蘇る。
「・・・」
蓮は畑中と蔵馬を見つめ、初めて自分の意思を表すことに戸惑っているのかなかなか言葉を発しない。しかし決心したのか小さな声で話し出した。
「・・・私行ってみたいです。ずっと行ってみたかった・・・」
最後の方はとても小さな声だったけれど、蓮の声はちゃんと彼らに聞こえていた。
「では、さっそく蓮明日から勉強ですね」
秀一の笑みに、家族中から暖かい笑い声が聞こえた。
―それからそれから―
蔵馬に勉強を教えてもらい、判明したのは今の蓮に必要なのは高校で必要な数学と科学だけであるということ。それ以外は特に問題はないということだった。
蓮は閉じ込められた部屋の中で本だけはジャンルに捕らわれず読み漁っていた。本だけはあの人も与えてくれたこともある。だから英語や国語、日本史や世界史に関しては高校より大学並みの知識を持っていた。
そして高校に編入するための勉強と、また妖気を抑えるための訓練がこれから始まろうとしていた。
―一緒に暮らしませんか―
よく意味が分からず一瞬蓮がフリーズしていると、ドアのところにいたのだろう。幽助や桑原、その他のギャラリーがドアをバンッと開け、雪崩のように入ってきた。
蓮が何かを言う前に周りの声が響いた。
「くっ、くっ、蔵馬ー、何いってんだよっ!!」
唾を飛ばす勢いで桑原は蔵馬に言った。
そんな言葉が彼から出てくるなんて信じれないという顔をしている。
普段から崩れ気味な顔がさらに崩れているのは、いうまでもない。
「ちょ、桑原うっせぇよ!!てかどうしたんだ、蔵馬!!?」
びっくりしすぎたのかひっくり返っていた幽助はバッと起き上がり、蔵馬に詰め寄
った。
「蔵馬くん、本気なの?」
「へぇー、やるじゃん。蔵馬くん」
「蔵馬、本気なのかい?」
「み、皆さん落ち着いてください」
今日初めて顔を会わした幽助の幼馴染(蔵馬曰く「恋人みたいなもんですよ」ということだが)の景子さんと、静流さん、ぼたんさんはすごーいと騒いでいる。雪菜ちゃんは結構冷静である。
蓮はまだ頭に霧がかかっているのか、皆に付いていけていなかった。
自分に対し、言われた言葉だが、周りの反応がすごくて、それを呆然と見ていた。
「なんですか。・・・皆、何か勘違いしているみたいだけど、俺は南野の家に連が良ければ同居しないかと誘ったんですよ」
「南野の家ぇー!?」
「そうです。また蓮が一人になって妖怪に襲われたらどうするんです?しかも、薬を飲まなければ妖気が溢れるんですよ。誰かが付いているほうがいい。けれど桑原君のうちには雪菜ちゃんがいますし、幽助のところは、というか幽助は彼女の保護者には向かないでしょう。ですから俺と一緒にいたほうが俺としては薬をちゃんと飲んだかどうかで心配しなくてよくなるんですよ。・・・それに一人はやはり寂しいですしね」
蔵馬は優しそうに蓮に笑った。
「蓮が良ければですけど。両親は了解してくれてますんで、そこは心配いりませんしね」
用意周到である。
自分の息子が妖怪と知らないにしても、さらに妖怪の友達、しかも女の同居を許すなんて。いったい蔵馬はどうやって親の説得をしたのだろうか。皆はうーんと唸った。蔵馬のことだから、うまいことやったことは間違いないのだが。彼は本当に頭の切れる本性は狐であるのだから。
この話題の中心人物なのに、一人カヤの外で眺めていた蓮は布団に視線を落としながら言った。
「蔵馬、心配をかけて申し訳ないけど、私は・・・」
蓮が断ろうとすると
「蓮、あなたに今必要なものは安らげる場所です。あそこはあなたにとって安らげる場所ですか?人は変わろうとしなければ変われないんですよ。自分でその一歩を踏み出さないとね。・・・あなたは今の現状に満足しているんですか?」
そう言われてしまえば、変わる必要を感じていた蓮には断ることが出来ないでいた。
誰かの優しさに甘えることを知らなかった蓮は、家族というものを知らない。それは自分にとって辛い過去でしかなかったのだから。
けれども家族に憧れもあった。自分が得られなかったものをそこでは得られるのだろうか。いや、得られなくとも、こういうのもあるのだと少しでも自分が変われるのなら、行く意味はあるのだろう。
「・・・わかった」
少し思案していたのか、きつく閉じられた瞳が開けられ、蔵馬をじっと見つめ、頭を下げた。
「よろしく・・・」
そうして蓮の新たな生活がスタートするのだった。
ボストンバック二つに必要な荷物を詰め、玄関に置く。
靴を履き、家の中を振り返る。楽しいことなどほとんど皆無で、辛い思い出しかない家。それでも出るとなるとなぜか物悲しい気持ちになる。
しかしもうここにはいられない。
自分を変えていくために。そう、自分で決めたのだ。幼いころから何一つ欲しいものを手にいれることが出来なかった。ここを出、何を得ることが出来るかはわからないが、蓮は今まで感じたことのないような高揚感を少なからず感じていた。
「蓮、準備は出来ましたか?」
蔵馬は蓮を迎えに来ていた。
蓮に一緒に暮らさないかといったのが二日前であり、早急だといわれればそうだが、今日蓮は自分の家に越して来る。
荷物は特にないのかボストンバック二個だけが玄関に置かれていた。
連は一通り家を見渡し、荷物を手に取った。一つを蔵馬が持った。
幼いころから過ごした家に最後に一瞥をくれ、ドアを閉めた。
―南野・畑中宅―
「ただいま」
「おかえりなさーい」
蓮が蔵馬の家に着くと、中からパタパタッと彼の家族がやって来た。今日は日曜日ということもあり、父親もいたのであろう。家族が揃っている。
家に向かう途中、蔵馬から家族については聞いていた。一昨年蔵馬の母親は畑中商事の社長と再婚し、今は畑中氏の息子を合わせた四人暮らしである。
そしてここで暮らすにあたり、蔵馬からは一つ約束して欲しいことがあると言われた。
「俺は人間界では南野秀一として暮らしている。だからここでは蔵馬ではなく、秀一と呼んで欲しい。あと家族は俺が妖怪だとは知らないから」
最後の言葉はどこか寂しそうだった。
玄関で立ち話も何だからと、蔵馬の母親はとても優しそうな笑顔で蓮を迎え入れた。
蓮は玄関で靴を脱ぎ、リビングへと通された。
きれいに掃除され、整頓されたリビングは優しいクリーム色のソファーに色を合わせたようなフインキになっていて、所々にさりげなく花が飾られていた。
この母親のフインキにそっくりである。蓮は少し気後れを感じていたが、蔵馬に促され、ソファーに腰掛けた。
すぐに紅茶を持って蔵馬の母、しおりが現れ、会話が始まる。
「はじめまして。秀一の母です」
優しそうにしおりは目を細め、微笑んだ。
「はじめまして。父の畑中です。うちの事情については聞いてらっしゃるかな?」
畑中氏もとても温厚そうな笑みを蓮に向けている。
蓮はゆっくりはいと言った。彼らの笑顔が眩しすぎて、蓮は目を細めた。
「・・・はっ、はじめまして!!弟の秀一です。兄貴と一緒の名前なんで紛らわしいけど、秀と呼んでください」
蓮の容姿に玄関先からずっと固まったままだった弟君は顔を真っ赤にしながら自己紹介をした。その様子を蔵馬:秀一は笑ってみていた。
「兄貴、笑うなよー」という声がリビングに響いていた。
そして蓮に注目が集まる。
蓮は彼らを見つめ、高くも低くもない静かな声で自己紹介をした。
「はじめまして。一条蓮です。今日からよろしくお願いします・・・」
「・・・あと、あの、もしご迷惑でしたらいつでも言ってください」
最後の一言は言うつもりはなかったのか、少し間をあけ、ぽろっと零れ落ちてしまったものだった。
蓮自身自分の言葉に瞳を揺らした。
秀一も秀一の家族も蓮を見つめている。
秀一から蓮についてはあらかじめ話は聞いていたが、ここまでとは・・・。愛されることや必要とされることを知らず、人と過ごすことがなかったからなのか、少女は秀一や弟の秀一と同じ年頃だというのに感情があまり見えなかった。初めて会う自分たちにも少しばかり緊張しているだろうが、それを見せない。いつの間にか彼女が身に着けた鎧はかなり厚く、容易には剥がれるものではないらしい。
畑中は静かに口を開いた。
「迷惑だなんて。ここは今日から君の家だ。何も気兼ねせず過ごして欲しい。悩みがあったら相談してくれたらいいし、不満があったら言って欲しい。溜め込む必要なんてないし、迷惑だなんてないんだよ」
畑中は優しく連に言う。
「君は今日からうちの家族なんだよ」
蓮は驚いたように切れ長の目を見開いた。
まるで信じれないことを聞いたかのように。しかしはっと表情が動いたのは一瞬で、蓮はすぐいつもの表情に戻り、かすかに笑って言った。
「ありがとうございます・・」
そして連は蔵馬の部屋の隣の部屋を貰い、南野・畑中家での暮らしが始まった。
蓮にとってここでの暮らしを始めて一週間は何もかもが新鮮で、毎日が驚きだらけだった。
朝起きれば家族におはようと挨拶をし、一緒に朝食を食べ、仕事に行く畑中と学校に行く秀一二人を見送り、昼間はしおりと家中を掃除したり、他愛のないおしゃべりをしたり、お菓子を作ったり、夕方には仕事や学校から帰ってきた秀一たちと家族揃って食事をしたり、食後の団欒ではテレビを見ながら他愛のないことを話したり。それらすべてが蓮には初めてのことであり、はじめは困惑していた。
こんなに暖かいものがあったことを知らず、それに対応する術がなく、感情が付いていかない。いや感情を表す術を知らないのだ。
それでもしおりや秀一たちと過ごすこの一週間で、蓮は以前よりも笑うことが多くなっていた。
「蓮ちゃんとこれ作ったのよ」
夕食後の団欒の席で、しおりは昼間蓮と焼いたアップルパイを出した。
アップルパイは甘い匂いを漂わせながら、お皿に切り分けられていく。
「へぇーおいしそうだね」
蔵馬は人数分のホークを用意している蓮の傍に立ち、微笑んだ。
蓮は蔵馬を見つめる。
今こうしているのは彼のおかげである。
まだ一週間だが蓮は自分でも分かるほど心に変化があったことを知った。
この感情をくれたのは蔵馬なのだ。蓮は蔵馬に目線を合わせて、小さな声で呟いた。
「ありがとう・・・」
蔵馬は急にお礼を言われ、先ほど言った事に対してと思ったのか、また微笑んだ。
蓮も手伝って作ったアップルパイはすぐに皆の胃の中に消えた。
「そういえば、蓮ちゃん学校はどうするんだい?」
急に思い出したかのように畑中がテレビから顔を上げ、斜めのソファーに座っていた蓮に話し掛けた。
蓮は中学の途中から家に閉じ込められ、学校にはずっと行っていなかった。勉強は家にある本を読むことしかしておらず、それも語学や文学ばかりで、数学などはまったくであった。
「学校…ですか?・・・中学の途中から行っていなかったので、今更行けるとは思いません」
蓮は少し目を細め、学校生活への憧れを打ち消した。
「・・・そうか。だがもし行きたいのなら、今からでも遅くないんじゃないかな?」
畑中は秀一を見た。
「そうですね。蓮さえやる気があるなら勉強は俺が教えますよ」
なんといっても彼はこのあたりでもっとも有名な盟王高校の主席である。
しおりも弟の秀一も蓮の返事を待っている。
蓮は以前から学校に行きたいと思っていた。しかしずっと自分には無理なのだと諦めていたのだ。だからずっと考えないようにしてきた。ここで暮らすようになっても、秀一たちが学校に行くのを見送るしか出来ないのはしょうがないのだと。
しかし畑中や蔵馬の言葉で、忘れていた思いが強く蘇る。
「・・・」
蓮は畑中と蔵馬を見つめ、初めて自分の意思を表すことに戸惑っているのかなかなか言葉を発しない。しかし決心したのか小さな声で話し出した。
「・・・私行ってみたいです。ずっと行ってみたかった・・・」
最後の方はとても小さな声だったけれど、蓮の声はちゃんと彼らに聞こえていた。
「では、さっそく蓮明日から勉強ですね」
秀一の笑みに、家族中から暖かい笑い声が聞こえた。
―それからそれから―
蔵馬に勉強を教えてもらい、判明したのは今の蓮に必要なのは高校で必要な数学と科学だけであるということ。それ以外は特に問題はないということだった。
蓮は閉じ込められた部屋の中で本だけはジャンルに捕らわれず読み漁っていた。本だけはあの人も与えてくれたこともある。だから英語や国語、日本史や世界史に関しては高校より大学並みの知識を持っていた。
そして高校に編入するための勉強と、また妖気を抑えるための訓練がこれから始まろうとしていた。