空飛ぶベッド友の会

心の友の会話

「ゼリー」

2013-08-08 20:49:04 | 日記
手作りのお菓子というと聞こえはいいが、ようはインスタントの材料だ。母は料理があまり得意ではなかった。でも子どもには、手作りのお菓子を食べさせたい。と思ったのだろう。暑い夏の日、市場から帰ると「ゼリー作ったげるよ」と何やら、台所でしはじめた。幼稚園から帰ったわたしは、飛びはねるように、台所に行き、母の手もとをのぞきこんだ。緑色の粉を水で溶いて、銀色の花型の容器にお玉で流し入れる。それを冷蔵庫で冷やし固めるだけのこと。それでも、わたしは、わくわくした。何度も冷蔵庫を開けては、母に「まだやから、待ちなさい」としかられた。
3時のおやつに、念願のゼリーをお皿にいれてスプーンをそえて、ちゃぶ台に出してくれた。目に鮮やかなグリーン。透きとおってプルプルふるえている。わたしは、こんな綺麗なお菓子は見たことがない。と、おとぎ話からでてきたように思って、飽きずに眺めていたことを覚えていり。残念ながら、味の記憶はない。ただ透きとおった緑色の美しい花型の固まりと、お皿にゼリーをのせる時の母の緊張した顔が、半世紀過ぎた今でも、わたしの夏の風物詩として、残っている。

心構え

2013-08-03 08:11:24 | 日記
私はテレビを見る時間がないので、歌手も俳優も昔の人しか知りません。その知っている人も、次々亡くなります。映像で私が知っているだけで、あちらは私のことなど知らないけれど、こちらとしては、「顔見知り」が故人となっていくのに胸がしめつけられる思いがします。一斉を風靡しても、いつかは老い、衰える現実は、私の姿でもあります。私の場合は、一斉風靡する人生の勲章はなく、地味な人生でした。でも例外なく、役目を終える時がくるのです。それは、地味でも先が短いなどという思いがなかった頃と、全く違う感覚です。みじめとか、あわれとかではない、むしろ、ピリオドまで何ができるかな。と、過大も過小もしない目で、自分を正直にみようとする、誠実な時期が私の今の年かなと思います。若さを失ったように思いますが、静かに老けるのを、むしろ、ホッとする気持ちがあります。大食できるわけでもなく、孔雀のように着飾るつもりもないです。そんなつつましい、最期を迎えられたら、私は成功の人生と思います。

夏の帽子

2013-07-31 10:27:27 | 日記
子どものころ、夏になると外に行くときは、日射病になるからと、必ず帽子をかぶらされた。学校用の黄色い帽子だったり、黄土色のつばの広い麦わら帽子に無地の赤いリボンがついているものだったり。よそ行きの帽子は別で、網み目の細かい白っぼい麦わら帽子に、薄いピンクのリボン。額の上あたりのリボンに造花の小花がついている可憐な帽子。つばはあまり広くはなかったように思う。かぶるとお嬢様のような気持ちになって、おすまし気分。いい気分。
今はつばの広い麦わら帽子に、幅広の黒のリボンがついている。できたら可憐な帽子をかぶりたいけど、見つけられない。
実用的すぎてそっけないものでなく、仰々しすぎて服に合わないものでない、可憐な帽子をかぶりたい。
少女のはにかみを覚えている、優しい夏の帽子を、探している。

ちゃぶ台とししとう

2013-07-22 13:44:21 | 日記
ジリジリと音がするのではないかと思うくらい、きょうは、暑い日。熱い!と火傷しそう。おまけに、明日は厚い壁を乗り越えなければならない、厳しい仕事がまっている。胃が痛む。
緊張が皮膚になってしまったように思える毎日。お肌の張りはなくなる一方なのに、神経はピーンと張りつめ、仕事のことを考え始めると、心は張り裂けそうにかきむしられる。なぜだかわからないけれど、突然、ししとうを食べたくなった。人恋しいような、懐かしい心持ちで野菜コーナーに急いだ。緊張を緩和するために、わたしが小さかったとき、父や祖父が、暑い夏の夕げに、ししとうの油炒めや、冷奴をおろし生姜で食べていたことを、脳が思い出したのだろうか。庶民中の庶民のわが家の食卓が、貧相であったと告白しているのではない。両親や祖父母、まだ赤ん坊だった弟もいた頃。贅沢ができる暮らしではなかったけれど、懸命に働き、一日の終わりの食事を家族で囲める、温かさと安堵がちゃぶ台には満ちていた。クーラーなどない時代、母や祖母が、金魚や、朝顔のちぎり絵ふうの絵柄のうちわをあおいで、かぜをおくってくれていた。その時、わたしがししとうを食べたという記憶はない。ただ、家族の養い手の父の食卓に、炒めたししとうがのせられていたことが、わたし
には-今風にいうと-癒されるのだ。理不尽なめにあっても、弱音を吐かず、ひがまず、精一杯身の丈を伸ばして家族のために働く、気概と分別をししとうはわたしに物語ってくれるのだ。
祖父母も母も弟も、すでに逝ってしまった。天国の食卓には祖父の好物の脂身や、海老好きの弟の喜ぶメニューがのっているのだろうか。
ししとうを炒めながら、この世という溶鉱炉で精錬されたら、篤い人間になれるのだろうか。と、問いかけてみた。

2013-07-20 19:50:09 | 日記
毎年、当たり前のように、夏の風物詩として、蝉時雨を聴いている。でもひょっとしたら、異常気象とかでは聴けないことなのではないだろうか。今年も夏の大合唱を聴いているが、当たり前のことではなく、有り難いことと思えてならない。
ところが、今鳴いているこの無数の蝉も、夏を過ぎると一匹残らず、みな死んでしまう。後継者(後継蝉)はまだ土の中。それなのに、次の夏には親蝉、先輩蝉から何も教わっていない後継者の新人蝉が、時を違えず、声を合わせて夏を吼え続けるではないか。代々見事に蝉時雨業を継承している。偉いなぁ。すごいなぁ。一番最初に発声する蝉はどんなだろう。人間は何でも一番を取りたがるけれど。
夏も終盤になると、老蝉はつぎつぎと木から落ち、仲間が激減していく。悲しくないか、寂しくないか、焦りはしまいか。じり貧になっていく自分たちの合唱に心細さを覚えないか。
蝉の地上活動は短いけれど、蝉の一日は人間の十年にあたるのかもしれない。
与えられた場所で産まれ、親の顔も知らず、天職を全うし、責任は果たすが、責任を負いすぎもしない、蝉に、わたしは生きる分際というものを教えられた気がする。