肺癌も友達「イレッサ」で治療中

2002年9月肺腺癌余命6月と診断。イレッサ服用1000日経過。現在健康な毎日に感謝、感謝の日々を送っています。

交番の時計が取り外されていました。

2005-10-17 09:15:03 | Weblog
朝運動で家を出、神社にお参りしてから交番の時計を見るのが決まりです。今日は何故か時計が取り外されていました。いつもその時刻は5時40分前後です。

3年前の昨日(10月16日)は、気管支鏡の検査の日でした。初診から一日でも早く「肺癌かそうでないか」を決めてくれと急いで日を取ってもらった検査です。病院へ行くと4~5箇所にカーテンで仕切られたベットのある一角を指定されそこで治療用の着衣に着替えるように言われました。そこで注射をされたかどうかは記憶がありませんが、ベッドに横になったり落ち着かないながい時間を過ごしました。

当日は癌かどうか確定されると言うよりも検査にはどんな苦痛があるのかの方が心配でした。胃カメラのように口から管を入れて検査するのかなあと言う位の知識しかありませんでしたから。

かなりの時間が経って検査室へ案内されて、そこでもまだワンクッションありしばらく待ちました。
いよいよ検査室へ。薄暗い部屋で高い位置に細いベットがあり、うえに上がるように指示されました。検査室の奥のほうで2~3人の先生の気配があったが一人の医師からいろんな処置を受けまたしばらく待ちました。

ベッドの上からあたりを伺うとテレビ様のモニターやいろんな機材が雑然とあり異様な雰囲気これからどんな事態に進んでゆくのか不安と恐怖。このままこのベットから死体で運ばれてゆく自分を想像したり・・・。

いよいよ先生が二人。ここまで来ると人間は覚悟ができるのか不安や恐怖の思考が停止して指示されたとおり従います。やはり想像どおり口から管が入ってきました。だらだらと唾液が出て・・・。なりふり構っていられない容態です。

どれ位時間が経ったのか肺の組織の一部を採取しているのでしょう。胸の中を掻き毟られるとはこの事かと思う感触が二三回あったとき、もう止めてくれるように懇願しました。言葉では表せないからどんな姿で懇願したのか自分でも分かりません。医師に通じたのでしょう。「もう終りですよ」とかの言葉がありました。それでも二三回苦痛がありましたがその後すぐに終了しました。

検査台からおりるときはもう一人前の病人ふうで控えのベットにたどりつくのがやっとでした。とても運転してきた自動車では帰れる状態ではありませんでした。
その時も自分の知識では、100%癌とは思いませんでした。まだ癌かも知れんかなあ・・・と、野球で言えば七回の裏で未だ2点位勝ち越しているような気がしていました。「願望や思い過ごし」が現実を見誤るのはこんなときなんでしょうか。

妻はこの検査の日にはすでに「余命6ヶ月」と医師に聞いて知っていましたから「あまり苦痛のある検査は無理にしないように」と医師に頼んでおいたよと、ずうっと後に聞きました。

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1 コメント

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治りましたか? (こてやん)
2005-10-17 14:56:19
頭痛は、その後どうですか?

朝、散歩にいけるぐらいだから、大丈夫か
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