言いたい放題

世相を斬る!

同時多発テロとわが国

2021年09月10日 | 事件・事故
明日でアメリカの同時多発テロから20年だ。

同時多発テロには、日本が二つの点で影響を与えたのかもしれない。
一つは、自爆。これは太平洋戦争時のSuicide attack(特攻)の模倣と言える。

もう一つは、テロを誘発するような広告だ。
1990年前後にコピー機の三田工業(当時)が
「ビルが崩壊する」「空からクルマが降る」などカオスな広告(ポスター、TVコマーシャル)を展開していたが。
その中にビルに旅客機が突っ込むというものも含まれていたのだ。
(東京の田端駅でそのポスターを見かけた)
彼らは、そこから着想を得たのかもしれない。

いや、逆に犯行予告だったのか…
企業の広告にふさわしくないと思っていたが。
その後、広告主も存在しなくなったし。

母性愛は幻想!?

2017年11月21日 | 事件・事故
全ての女性に母性愛が備わっているとは限らない。下記記事のように育児・子育てに関心が薄い女性がいるのは否定できない。

人類は共同養育で命を継承してきたといわれる。集団の中では「生む係」「育てる係」と役割分担が行われていたのではなかろうか。

自然界では、子育てを放棄してしまう母親がいる。あるいは、子育ての途中で実母が子離れしてしまうことも少なくない。新たな妊娠の準備のためである。
その後の子育ては誰がするのかが問題となるが、それは子育てを終えた祖母、あるいは子宝に恵まれない女性だったと思われる。
「隣の芝生は青く見える」「ない物ねだり」…という感情も後押ししたのではないか。

少子化の解消には、保育設備の充実だけではなく、共同養育の見直しが急務と考える。そのためには養子縁組・里親制度の拡充が望まれる。
また、3歳までは実親が育てるべきという「三歳児神話」の呪縛を断ち切りるべく意識の改革も必要となろう。

関連:
バケツに4児遺棄か 女逮捕へ |Yahoo!ニュース

亡国へのステップ、大きく3歩

2017年06月15日 | 時局
日本が滅亡への歩みを加速した。3つのニュースがそれを示している。少子化、新カリキュラム、共謀罪の3つだ。

まず、少子化◆2016年の出生者数が100万人をついに割りこんだ。人口減少に拍車がかかったかたちだ。

官も民も、本気で少子化に取り組んでいない。政府は、行き過ぎた規制緩和で富の偏在を助長した。企業も目先の利益しか考えていない。男性社員が育児休暇を申請すると、左遷、降格…とパワハラに遭うという話はよく聞く。

現代社会では経済力が家族構成に影響を与える。収入の低い若者は、結婚、出産をためらう。

国民が急激に減れば、市場経済は縮小し、併せて税収も減る。大所高所からの対策が望まれるところだ。労働者は、国にとって納税者であり、企業にとって消費者・顧客でも忘れてはならない。

次は、教育の混乱◆2020年から教育課程が大きく変更される。議論を呼んでいるのが、センター試験に替わる記述試験だ。高校生の負担、公平性の担保……問題は山積みである。なのに何故改革を急ぐのか。

アクティブラーニングもしかりである。「黙って教師の話を聞け」から「積極的に発言しなさい」というのは、パラダイムの大転換である。だから、改革には、意識の涵養が必要であり、それには長い時間が必要である。数年で対応できるはずもない。

早急な改革は教育現場の混乱を招く。教師だけでない。可哀相なのは、児童・生徒だ。混乱に翻弄されることは明白である。生まれた時期が悪かったために不利益を受けかねない。それこそ【公平性】を損なうといえよう。

最後は、共謀罪◆立法趣旨は理解できるものの、構成要件があいまいで、憲法が謳う罪刑法定主義に反するのは明白である。当の法務大臣すら答弁の機会ごとに内容が異なるのだ。恣意的な適用が今から想定できる。時代は戦前に逆戻りしたかのようだ。

ネット上で反体制の議論をするだけで犯罪者とされるおそれがある。これでは「総活躍社会」どころか「総犯罪社会」になってしまう。

かような悪法を成立させてしまった国会議員の力量と品格を疑ってしまう。いつから独裁国家に成り下がってしまったのか。

“親”とは何か

2014年01月10日 | 展望

実の親による子に対する虐待が後を絶たない。暴行を加える、育児を放棄する、果ては命を絶つ・・・。目を覆いたくなるような惨事がくり返される。

「実の母親なのに・・・」と批判することはたやすい。しかし、我々は問題の本質を見誤っているのかもしれない。責任の所在を個人のレベルに求めてきた従来のアプローチではなく、社会レベルでの検討が必要といえよう。

ヒトの子育て■

人間の赤ちゃんは、成長が遅い。シマウマの子は生まれてすぐに歩き始めるのに対して、ヒトは一年もかかる。これはヒトがサルから進化した証でもある。理屈はこうだ。ヒトの祖先は二足歩行を始めたが、このことで母体の産道が狭くなった。このため十分な成長を待ってからの出産が困難になる。だから、早期の出産を促すようになった。「未熟児」状態で生まれるため、母親による手厚い養育が必要となる。しかし、これでは食糧を確保できず親子共倒れとなってしまう。そこで男親に食を確保する役目が課せられた。これが夫婦・家族の始まりである。

医療が発達していない昔は、出産時のトラブルで、あるいは産後の肥立ちが悪くて幼子を残して亡くなる母親は少なくなかった。その場合、実母にカわって子育てを担うのは祖父母であっただろう。昔は世代交代が早く、祖父母といっても三十代くらいだから、子育てに必要な体力も十分なので支障はない。祖父母もいなければ、親類・縁者、そして地域コミュニティで養育したであろう。

種の保存とタイムスイッチ■

一般に生物は種を保存するために生きる。生き長らえるための自然の摂理である。その方法としては、細胞分裂、種子で残す、卵を生む……などがある。ヒトの場合、新しい個体を生むタイプであるが、そのポイントは多くの個体を発生させる、外敵から身を守る、近親交配による抵抗力の減退を避ける……などである。

環境の変化にもかかわらず、生き残った生物には遺伝子情報に様々な工夫が見られる。兄弟でも性格・体質が異なるのも、その例といえよう。更にいくつか検証してみたい。

乳児の「三カ月微笑」をご存知だろうか。表情が乏しかった赤ちゃんが生後三カ月を過ぎるころに大輪の笑顔を咲かせる。思うに、これは実母でなくても、周りの大人に可愛いがってもらえるよう。他人の子どもでも可愛く感じるよう。遺伝子の配慮ともいえよう。三カ月を生き延びないと生きる望みが薄いと判断されるのかもしれないし、職場復帰(男は狩猟、女は採集)を促したのかもしれない。

さらに、「イヤイヤ期」を挙げることもできる。二歳になる頃、だだをこねたり、理由もなくむずがる現象だ。これも母子の分離を促す工夫かもしれない。いつまでも一人にかかりっきりにならないで、次への準備をせよという子の側からのメッセージだろう。クマは、子が生後一年を過ぎると、養育を拒絶する。これは、子の乳離れを促すだけでなく、新しいパートナーを見つけて、次の妊娠に備えるためという。ヒトも「イヤイヤ期」を契機に、母子の密着を解いて次の妊娠に備えよというサインであろう。これは、近親交配を避けるために娘が思春期になると(妊娠の準備ができると)父親を気嫌いするのと似ている。これらは子ども側から親に対して「子離れ」を促す遺伝子に仕込まれたタイムスイッチといってもよかろう。

加えて、タイムスイッチの範疇ではないが、種の保存に関連するヒトの指向として、「他人の芝生は青く見える」の言葉が表すように他人の境遇を羨ましく感じる。幼い生物に対して「可愛い」と慈愛の情がわき起こる。これも、実親以外の養育を可能とするための工夫かもしれない。

子育ては学習■

育児・子育てをしない母親は、母親失格なのだろうか。

人工飼育で育ったトリは産卵と卵を温めることは教わらなくてもできる。これは本能だ。しかし、卵からかえった雛を育てることはできない。それどころか敵とみなして攻撃すらするという。このことから子育ては、本能ではなく、学習といえよう。

学習なら、技量に個人差が出る。上手い下手、向き不向き……が生じる。子育てに向かない、子育てが嫌い――そんな母親がいても不思議はない。実母が子育てを放棄したら、地域社会で面倒をみればよい。

ヒトは、肉食を覚えて社会を形成してきた。形成せざるをえなかった。牛のような大きな獲物を仕留めるには仲間の協力が不可欠だし、肉食獣のテリトリーを荒らせば、逆に餌食になるおそれもあるから、共同で身を守る必要があった。

「血縁主義」との決別を…■

今、日本はかつてないくらい血縁主義の偏重に陥っている。

家の存続が重要であった頃。次男、三男…は、跡取りがいない家へと養子に出されるのが一般的であった。子どもの「融通」が行われていたのだ。

共同体での子育ては非日常化してしまった。昔は銭湯、あるいは電車内での逸脱行為には見ず知らずの大人に叱られたものだ。しかし、公共の場で他人の子どもを叱る大人をほとんど見ない。

“親”とは何か■

およそ人間は何のために生きるか。哲学的な意味はさておき、生物学的にはただ一つ。それは子孫を残すためだ。人間は単独で生きられないので社会に依拠して生きている。であれば、社会全体で子孫を残すことができれば、この命題を満たすことになろう。誰による養育かは問題とならない。

人間は、単独で生きることができないので、集団つまり社会に依拠している。ならば、社会全体が親としての責務を負っているといえよう。誰が養育を担当するかは問題とならないはずだ。養育を必要とする子どもより上の世代は全て「親」と考える。そう考えるならば、一人の親で完結するより、むしろ「産む」「育てる」「支援する」……分業制をとった方が合理的かもしれない。

個人主義より家の存続が重要であった頃。次男、三男…は、跡取りがいない家へと養子に出されるのが一般的であった。子どもの「融通」が行われていたのだ。ところが、時代は逆に動いている。

まず、核家族化の進行だ。戦後日本人はアメリカのライフスタイルを大いに取り入れた。住宅と職場の分離、核家族、電化製品などの耐久消費財を入手する労働の契機とした。大家族であれば、親類縁者との交わりは多く、地域コミュニティとの接触も頻繁であった。そのため子育てに実親以外の者が関わることが多かった。しかし、核家族となり、子育てに実親以外の者が関わるのは激減した。これに拍車をかけているのが、生活スタイル、特に住宅の変化だ。高層の住宅は地上との隔離を、密閉性の高さは隣との隔絶を促進した。いきおい地域社会から隔絶された環境での子育てとなる。血は水より濃いどころかドロドロである。

今ある社会制度を根本から見直すことは難しかろう。しかし、虐待の疑いが強いならば、ただちに親権を停止して、児童を保護する。養子縁組を促進する。といった手だては可能だろう。これまでの認識を見直し、衆知を結集して福祉政策の充実をはかるべきではなかろうか。

以上

侍ジャパンとホンダにみるほどほどの勝ち方とは

2013年03月20日 | 文化・娯楽
19日の新聞には、WBCの敗退と本田のF1復帰を報じる記事が同居していた。

「三連覇を」と期待を煽り、囃し立てたマスコミは、手のひらをかえしたように、選手のプレイ、監督の采配、球界の対応を批判している。

想い起こせば・・・80年代にF1では本田が、向かうところ敵なしの快進撃を続けていた。それを苦々しく思った主催者のとって対応がルール変更だった。
同様のことはバレーボール界でもあり、日本の男女が世界を席巻した70年前後、日本人が苦手とするブロックに有利なルール改正がなされた。

仮に、WBCで日本が三連覇を達成していれば、日本に不利なルール改正がなされるかもしれない(例えば、バント禁止)。最悪の場合、大会そのものがなくなることも考えられる。

アジア勢が勝ちすぎると、圧力がかかるのがスポーツ界の現実(レスリングがオリンピックから外れたのもその延長か)。
その意味では準決勝での敗退はほどほどの結果だったといえよう。そうでなくても、ベスト4は立派な成績だ。選手たちの健闘をたたえたい。

「原発廃止」を謳うことの愚挙

2012年12月03日 | 事件・事故
11月に北海道で起きた大停電。バックアップがあれば防げた。

送電線の鉄塔倒壊で発生した北海道登別市の停電。電力会社としては当然バックアップを想定しているはず。しかし、原発の停止でバックアップ電源を確保する余裕がなかったようだ。

今回の総選挙では多くの政党が「原発廃止」を謳っている。たしかに、福島の事故でその危険性は痛感した。

しかし、十分な見通しもなく原発を停めることは、電気なしに暮らせない現代人にとって自殺行為に等しい。

防げる事故を防げなかった大人たち

2012年11月30日 | 事件・事故
11月27日宮崎県えびの市で起きた【ひき逃げ】は大人の怠慢で起きた。狭い橋の上で起きたのだが、住民は以前から“危険性”を指摘していたという。

たしかに、映像で見ると、軽自動車が離合すのも難しいくらい幅が狭い。

であれば、なぜ対面通行とするのか、工事現場で行われるように交互通行にしておけば悲劇は防げたはず。

橋のたもとに信号を設置して、いわば「パートタイム一方通行」にしておけば、1車線ですみ、十分な幅の歩道を確保でき、ガードレールも設置できるではないか。

不幸にして事故に遭った子どもたちよ、愚かな大人を許してください。

そして、こんな馬鹿な大人にならないようしっかり勉強しましょう。

マスコミは日本語を壊すな!!(1)

2012年05月27日 | 文化・娯楽
最近のマスコミの言葉遣いがあやしい。今回指摘するのは「です」の乱用だ。

例えば、「学生に人気です」「注目です」「新記録を達成です」……と、やたら主語述語の関係を無視して「…です」と閉じるかたちが目立つ。

それぞれ「学生に人気があります」「注目されています」「新記録を達成しました」……というべきである。

字数(音数)を減らしてインパクトを与えたいという意図があるのだろう。しかし、マスコミの影響力を考えて正しい言葉遣いに努めるべきだ。

言葉は世につれて変化していく。それは否定できない。だがそれがあてはまるのは【川下】の話で川上で変更が許されるのは、法律用語など政策的な背景がある場合だ。

掛け声倒れの【絆】

2012年05月22日 | 時局
震災から1年たっても、復興に弾みがつかない。ネックになっているのは、【がれき】だ。

津波に押し流された家屋が大量のがれきと化したが、「放射能で汚染されている」と嫌われているため、被災地で山積みになったまま。新たな街づくりの足かせとなっている。

たしかに放射能は怖い。しかし、日本は既に放射能に汚染された状態にある。先の大戦での原爆投下、近隣諸国の核実験、アメリカ軍の基地・艦船からの漏れ…そんな汚染状態を日本人は生き延びて来たのである。「何を今さら」という感が拭えない。

今こそ痛みを分かち合う時である。よく言われることが、「日本は災害列島」である。これからも災害に見舞われるだろう。「困ったときはお互い様」を忘れてはなるまい。

関連記事:
震災がれきトラック、反対派が阻止…押し問答 (読売新聞)

凶器となった防音壁

2012年05月04日 | 事件・事故
関越自動車道のツアーバス事故、単独車両の事故では最悪となった。被害を拡大したのには防音壁。

報道によると、バスが衝突した防音壁とガードレールの隙間があり、それは10センチだったという。
まずバスはガードレールに接触した。衝撃によりガードレールは押し広げられ、バスは道路からはみ出し、防音壁に正面衝突。頑丈な防音壁は壊れることなく、バスに突き刺さり、乗客の命を次々と奪ったのだ。

ガードレールが連続して防音壁の内側にも設置されておれば、被害の拡大は防げたことは疑いない。
また、防音壁も「一枚岩」ではなく、一枚あたりの面積を小さくして互い違いに重ねて設置しておけば、衝撃を吸収する【シケイン】として乗客の命を救っただろう。

したがって、今後は道路管理会社の「土地工作物責任」も問われることになろう。

それにつけても、なぜこうも危険に鈍感なのだろう。
JR福知山線の事故では、カーブの外側に頑丈なマンションがなければ、あれほどの惨事にはならなかっただろうに……。

普段から危険を洗い出す努力を怠ってはならない。

関連記事;
関越道バス事故:壁と防護柵、隙間10センチ 被害拡大か- 毎日jp(毎日新聞)